通り雨みたいな恋だった

 あの人とは、特別仲がいいわけじゃない。

 毎日話すわけでもないし、連絡先も知らない。

 名前だって、ちゃんと呼ばれたことはほとんどない。

 なのに。

 気づくと、近くにいる。

「またぼーっとしてる」

 いつもの声。

 今度は頭じゃなくて、肩を軽くつつかれた。

「……してない」

「してるって」

 すぐ後ろから覗き込まれて、思わず少しだけ距離を取る。

 近い。

 なんでこんなに近いのか分からない。

 他の人にはこんなことしてない気がするのに。

 ——気のせいかもしれないけど。

「なに、避けてる?」

「避けてない」

「今避けたじゃん」

「近いから」

「別にいいだろ」

「よくない」

 即答すると、あの人は少しだけ笑った。

 からかうみたいな笑い方じゃなくて、なんとなく、柔らかい感じ。

 それが余計に困る。

 どう反応していいか分からなくなるから。

 授業中。

 黒板を見ているふりをしながら、少しだけ横を見る。

 前の席。

 あの人は、いつも通り適当にノートを取っている。

 やる気があるのかないのか分からない字。

 たまに先生に当てられて、適当に答えて、ちょっと笑われて。

 それでも怒られない。

 そういうところも、なんかずるい。

(なんで気にしてるんだろ)

 分からない。

 見なくてもいいのに。

 むしろ、見ないほうがいいのに。

 視線を戻そうとした瞬間、あの人がふと振り向いた。

 目が合う。

 一瞬だけ。

 ほんの一瞬。

 なのに、なぜか逸らせなかった。

 先に逸らしたのは、あの人のほうだった。

 それから、少しだけ笑った。

 何も言わないまま、また前を向く。

(……なにそれ)

 意味が分からない。

 こっちのほうが、意味分からない顔してると思う。

 放課後。

 また、同じ時間。

 今日はすぐ帰ろうと思って、カバンをまとめる手を早くする。

 昨日みたいに、変に引っかかるのは嫌だった。

 関わらないほうがいい。

 そのほうが楽だって、分かってる。

 教室を出て、廊下を歩く。

 少しだけ早足になる。

 階段を降りて、昇降口へ向かう途中。

「帰るの早くない?」

 横から声がした。

 びっくりして、思わず足が止まる。

「……普通」

「昨日より早い」

「別に」

「逃げてる?」

「逃げてない」

 顔を上げると、すぐ近くにいる。

 まただ。

 この距離。

 避けたつもりだったのに、結局こうなる。

「一緒に帰ればいいのに」

「帰らないって言った」

「じゃあ、途中まで」

「なんで」

「暇だから」

 理由が軽すぎる。

 こっちはちゃんと断ってるのに。

 なのに、なぜか押し切られる形になる。

 強引なわけじゃないのに、断りきれない。

 そのまま、気づいたら並んで歩いていた。

 昇降口を出ると、空は昨日よりも暗くなっていた。

 今にも雨が降りそうな、重たい色。

「降りそうだな」

 あの人が空を見上げる。

「……だね」

 少しだけ間を置いて返す。

 会話が続くわけでもなく、途切れるわけでもなく。

 変な距離。

 沈黙なのに、気まずくはない。

 それが余計に変で。

 余計に、分からなくなる。

 校門を出て、自転車置き場へ向かう。

 鍵を外して、自転車を引き出す。

 その間も、あの人はすぐ近くにいる。

 何も言わない。

 ただ、そこにいるだけ。

「じゃ、帰るから」

 そう言って、自転車を押して歩き出す。

「送ってよ」

「無理」

「なんで」

「なんででも」

 即答すると、あの人は少しだけ笑った。

「ケチ」

「ケチでいい」

 そう言って、そのまま進む。

 もう関わらないように、少しだけスピードを上げる。

 なのに。

 足音が、すぐ後ろについてくる。

 離れない。

 追いかけてくるわけでもなく、ただ同じ速さで歩いてくる。

 それが、なんとなく気になって。

 振り返る。

 目が合う。

 また、少しだけ笑う。

 何も言わない。

 ただ、それだけ。

 その瞬間。

 ほんの少しだけ。

 ほんの少しだけだけど——

(なんで)

 嫌いなはずなのに。

 この距離が、嫌じゃないと思ってしまった。

 それが、一番分からなかった。

 そのときはまだ、知らなかった。

 この距離が、もっと近くなる日が来るなんて。

 当たり前みたいに、後ろに乗ってくる日が来るなんて。