通り雨みたいな恋だった

あれから、少し時間が経った。

 季節も、少しだけ進んで。

 風の温度も、変わってきている。

 変わったものは、たくさんある。

 あの人との距離も。

 帰り道の過ごし方も。

 日常の流れも。

 でも。

 変わらないものも、ちゃんと残っている。

 ふとしたときに思い出すこと。

 なぜか消えない感覚。

 あの時間の、かけらみたいなもの。

 今日も、一人で帰る。

 自転車に乗って、いつもの道を走る。

 信号で止まる。

 赤。

 何も考えていなかったはずなのに。

(ここ)

 思い出す。

 どうでもいい会話をしていた場所。

 笑った場所。

 少しだけ、口元が緩む。

 前みたいな痛さはない。

 でも。

 完全に何も感じないわけでもない。

 その“少し”が、今の距離だった。

 青に変わる。

 また走り出す。

 風が吹く。

 前と同じような風。

 でも。

 今は、後ろに誰もいない。

 それが当たり前になっている。

 少し前までは、考えられなかったのに。

(不思議)

 あんなに近かったのに。

 あんなに当たり前だったのに。

 今は、もう何もない。

 それでも。

 全部、なかったことにはならない。

 あの距離も。

 あの時間も。

 ちゃんと、ここに残っている。

 消えないまま。

 家に帰る。

 自転車を止める。

 ふと、空を見上げる。

 夕焼け。

 あのときと、少しだけ似ている。

(……そういえば)

 思い出す。

 あの帰り道。

 何度も繰り返した時間。

 特別な約束なんて、何もなくて。

 ちゃんとした関係でもなくて。

 名前もつけられないまま。

 ただ、続いていた距離。

 それでも。

 確かに、そこにあった。

 近くて。

 曖昧で。

 でも、ちゃんと残るもの。

 しばらく考えて。

 やっと、言葉になる。

(ああ)

 これは、きっと。

 自分にとっての。

 ひとつの、形だった。

 恋って言い切るには、少しだけ足りなくて。

 でも。

 何もなかったとは、絶対に言えない。

 そんな、曖昧で。

 でも、大切なもの。

 だから。

 たぶん、これは。

 ――「通り雨みたいな恋だった」

 急に降ってきて。

 理由もなく、巻き込まれて。

 気づいたら、びしょ濡れになっていて。

 でも。

 止んだあとは、何もなかったみたいに晴れていて。

 それなのに。

 濡れた感覚だけは、しばらく残っていて。

 ちゃんと、そこにあったことを教えてくる。

 そんな、恋。

 忘れられないほどじゃない。

 でも。

 確実に、自分の中に残る。

 もう戻らないし。

 戻れないって分かっているのに。

 ふとしたときに、思い出してしまう。

 そんな。

 少しだけ、苦くて。

 少しだけ、あたたかい。

 宝物みたいな記憶。

 自転車を押しながら、家に入る。

 振り返ることはない。

 でも。

 完全に忘れることも、きっとない。

 それでいいと思えた。

 あの時間は。

 あの距離は。

 ちゃんと、自分の一部になっているから。

 名前がなくても。

 報われなくても。

 それでも。

 大切だったって、言えるから。

 それが、少しだけ誇らしくて。

 少しだけ、やさしい気持ちになれた。

 だから。

 この恋は。

 きっと、ずっと。

 消えないまま、残っていく。

 静かに。

 でも、確かに。

 胸の奥で。

 あの日の風と一緒に。