通り雨みたいな恋だった

時間が経つほど、はっきりしていくものがある。

 逆に。

 時間が経っても、はっきりしないものもある。

 あの人とのことは、たぶん後者だった。

 忘れられないわけじゃない。

 でも、消えることもない。

 思い出す回数は減った。

 前みたいに、何を見てもつながることはなくなった。

 それでも。

 ふとした瞬間に、戻る。

 帰り道。

 一人で自転車を漕いでいるとき。

 信号で止まる。

 何も考えていなかったはずなのに。

(ここで、話してたな)

 自然に浮かぶ。

 あの距離。

 あの声。

 少しだけ、笑いそうになる。

 すぐに消えるけど。

 前みたいな痛さはない。

 でも。

 完全に何も感じないわけでもない。

 その“少し”が、ずっと残っている。

 教室でも同じ。

 あの人は、普通にいる。

 あの子と一緒にいることも多い。

 前ほど見なくなった。

 意識しないようにしてるから。

 でも。

 全く見ないわけじゃない。

 ふとしたときに、目に入る。

 笑っている顔。

 何かを話している様子。

 それを見ても。

 前みたいに苦しくはならない。

(ああ、そうなんだ)

 って、思うくらい。

 それだけ。

 それでも。

 完全に“何もなかった”にはならない。

 あの時間は、確かにあって。

 ちゃんと自分の中に残っている。

 ある日。

 帰り道で、同じクラスの子に話しかけられた。

「一緒に帰ろうよ」

 軽い誘い。

「いいよ」

 自然に返す。

 二人で歩く。

 自転車を押しながら。

 他愛ない会話。

 今日のこととか、明日のこととか。

 普通の帰り道。

 それなのに。

(……なんか違う)

 比べてしまう。

 あのときと。

 笑ってるし、楽しいはずなのに。

 どこか足りない。

 距離でもない。

 時間でもない。

 もっと曖昧な何か。

(なんだったんだろ)

 あの感じ。

 名前をつけようとしても、うまくいかない。

 友達じゃない。

 恋人でもない。

 でも。

 どっちよりも、近かった気がする。

 帰り道の途中で、その子と別れる。

「じゃあね」

「またね」

 軽く手を振る。

 一人になる。

 自転車にまたがる。

 ペダルを踏む。

 風が吹く。

 その瞬間。

 ふと、思う。

(……似てる)

 全部じゃない。

 でも、少しだけ。

 あのときの風に。

 背中に何もないのに。

 ある気がする。

 すぐに消えるけど。

 その感覚だけ、残る。

 家に帰る。

 部屋に入る。

 ベッドに座る。

 ぼんやりと、天井を見る。

(なんだったんだろ、あれ)

 何度も考えたこと。

 でも。

 今日は少しだけ違った。

 答えを出そうとしているわけじゃない。

 ただ。

 名前をつけようとしている。

 あの時間に。

 あの距離に。

 恋だった、って言うには。

 少しだけ違う気がする。

 でも。

 何もなかった、で終わらせるには。

 ちゃんと残りすぎている。

 思い出せる。

 はっきりと。

 風の感じも。

 声の近さも。

 全部。

 それって、たぶん。

 ちゃんと、大切だったってこと。

 どんな形でも。

 名前がなくても。

 意味がなくても。

 消えないなら。

 それでいいのかもしれない。

 そう思ったとき。

 やっと少しだけ、楽になる。

 無理に忘れなくていい。

 無理に嫌いにならなくていい。

 ただ、そのまま置いておけばいい。

 名前のないまま。

 それでも、ちゃんと存在しているものとして。

 あの時間を。

 そのまま。

 胸の奥に。

 静かにしまっておく。

 そんなふうに思えたのは。

 たぶん、初めてだった。