通り雨みたいな恋だった

 あの人のことは、嫌いだった。

 ちゃんと理由もある。
 からかってくるし、名前もまともに呼ばないし、こっちが嫌がってるのに、面白がるみたいに笑うから。

 だから、関わりたくないって思ってた。

 ——思ってた、はずだった。

「またぼーっとしてる」

 後ろから声がして、振り返るより先に、軽く頭をつつかれた。

 コツン、と小さな衝撃。

「やめてよ」

 反射みたいにそう言って、振り向く。

 そこにいるのは、やっぱりあの人で。

 少しだけ楽しそうに、口元を緩めている。

「その顔、やっとまともになった」

「意味分かんないんだけど」

「さっきまで死んでた」

「死んでない」

 ため息みたいに返すと、あの人は「はいはい」って適当に流す。

 ほんとに、何なのこの人。

 こっちはちゃんと嫌がってるのに、全然気にしてない。

 それどころか、ちょっと嬉しそうにすら見えるから余計にムカつく。

 教室のざわざわした音の中で、そのやり取りだけが少し浮いている気がした。

 周りの友達は気にしてないみたいだけど、私はどうしても気になってしまう。

 ——関わりたくないのに。

 なのに。

 気づくと、目で追っている。

 前の席で友達と笑っているときとか。
 窓の外をぼんやり見ているときとか。
 授業中、先生に当てられて適当に答えてるときとか。

 全部、どうでもいいはずなのに。

(なんで見てるんだろ)

 自分でも分からない。

 嫌いな人なんて、普通は視界に入れたくないはずなのに。

 なのに、気づいたら探してる。

 視線が合うと、あの人は少しだけ笑う。

 それがまた、意味分かんなくて。

 腹が立つのに。

 ……少しだけ、安心する自分がいるのがもっと嫌だった。

 放課後。

 教室の中は、少しずつ人が減っていく時間。

 部活に行く人、寄り道する約束をしている人、帰る準備をしている人。

 私は、どこにも行く予定がなくて、ただ静かにカバンをまとめていた。

 早く帰ろうと思っていたのに、なぜか手が遅くなる。

 理由は分かっている。

 でも、認めたくない。

 そのときだった。

「一緒に帰る?」

 軽い声。

 何でもないみたいに。

 すぐ後ろから聞こえた。

 振り返らなくても分かる。

 あの人だ。

 一瞬だけ、心臓が変な音を立てた。

 なんでか分からないけど、少しだけ速くなる。

 意味なんてないはずなのに。

 ただの一言なのに。

「帰らない」

 ほとんど反射だった。

 考えるより先に、言葉が出ていた。

 強めに。

 はっきりと。

 これ以上関わりたくないって、伝えるみたいに。

 少しの沈黙。

 あの人は、ほんの少しだけ驚いた顔をした。

 それから、すぐに笑う。

「そっか」

 それだけ。

 本当に、それだけ言って、何もなかったみたいに教室を出ていく。

 引き止められるわけじゃない。

 しつこくされるわけでもない。

 ただ、あっさりと終わる。

 それが、少しだけ——

(……なんで)

 変な感じだった。

 断ったのは自分なのに。

 望んでいたはずなのに。

 なのに、どこか引っかかる。

 あの「そっか」が、やけに静かで。

 やけに優しく聞こえた気がして。

 意味なんてないのに。

 勝手にそう感じただけなのに。

 帰り道。

 自転車を押しながら、ゆっくり歩く。

 夕方の空は、少しだけ曇っていて、今にも雨が降りそうだった。

 風が冷たくて、制服の袖を少しだけ引っ張る。

 ペダルに足をかければすぐ帰れるのに、なぜかそのまま歩いていた。

 さっきのことが、頭から離れない。

「そっか」

 たった一言。

 それだけなのに。

 どうしてこんなに残るんだろう。

(別にいいし)

 関係ないし。

 嫌いだし。

 むしろ、関わらないほうが楽だし。

 そう思うたびに、少しだけ胸がざわつく。

 うまく言えないけど、落ち着かない感じ。

 名前もちゃんと呼ばれたことないし、特別なことなんて何もないのに。

 なのに。

 ほんの少しだけ、距離が近い気がする。

 それが何なのかは分からない。

 分かりたくもない。

 だって、考えたところで意味なんてないから。

 ——そのはずだった。

 そのときはまだ、知らなかった。

 このどうでもいいやり取りが、あとで何度も思い出すことになるなんて。

 雨の匂いと一緒に、思い出すことになるなんて。

 そして——

 あの人が、何の前触れもなく、私の自転車の後ろに乗ってくる日が来るなんて。