*
私が彼と出会ったのは中学生の頃。
通っていた学校はクラス替えの概念はなく、一年生から三年生にかけてずっと同じクラスだった。
入学当初、私は小学生の頃からの友達と同じクラスでいられて本当によかったと安堵して、それ以外のことはあまり気に留めていなかったと思う。
私――浅木奈瑠は人見知りで、なにも自信を持てず自然とクラスでは浮いてしまい、上手く馴染めないまま。
中学には入ってから新たな関係を作ることができていなかった。
でも、彼――須田悠有くんは違う。
一言でわかりやすく例えるなら、私とは正反対のような人。
「それ昨日も言ってなかった?」
「え、そうだっけ」
「言ってた言ってた」
そんな何気ないやり取りに、周りがくすくすと笑う。
彼もつられるように目を細めて笑っていて、気づけば自然と輪の中心にいる。
誰とでも親しげに会話ができて、クラスの輪の中へ溶け込んでいく。
裏表が無いのでは?と思うくらい純粋な瞳でよく目をそんなふうに細めて笑うのだ。
勉強は少し苦手そうだったけど運動神経は良くて、先生に怒られてしまうくらい教室で騒ぐなんて日も稀にあった。
休み時間や授業でそういう姿や場面を見るようになってから、自然と悠有くんの方へ視線を向けるようになる。
始めは私と違って、彼はしっかりとクラスに馴染んでいてすごいと少し興味が湧いただけだった。
それから、数週間経ったあたりに、ちょっとずつ自分自身の中で変化が起きていく。
「奈瑠、行くよ」
「あっ、うん」
理科室で行われていた授業が終わると友達の声につられて動こうとしたとき、私はまだこの理科室内に残っていた悠有くんの方をそっと視線を向けると――丁度、彼も私がいる方面を見た。
えっ
絶対違うはずなのに、視線が合ったような気がしてすぐに俯いてしまう。
今、悠有くんも私の方を見たのかな?
ビクッと内心驚いて頭がすぐに真っ白になり、心臓の鼓動がやけにうるさく鳴り響いた。
それと同時に、ただの偶然に過ぎないかもしれないけど嬉しいと感じてしまう自分もいる。
なんで、そう思ってしまうのだろう。
こんなふうになったのはいまだかつてないから分からない。
けれど、不思議な気持ちが芽生えたのは確かだ。
「早く行くよ」とまた友達に声を掛けられ、慌てて逃げるようにその場から立ち去っても、しばらく胸の高鳴りは消えることはなかった。
それから転機が訪れる。
三年間同じクラスなだけあって、何度も。
クラス内での席替えや、移動教室内での班分けで何度か一緒のグループに入った。
先生お手製のくじ引きで決まる、ただの運試しでしかなかったはずなのに、隣の席になったこともあって。
「奈瑠さん、また同じ班だね」
とその時は彼の方から珍しく話しかけてきた。
急でびっくりしたのは多分私だけだと思う。
「そうだね。その前も一緒だったから、三回連続かな」
「えっ、そうだっけ?」
「うん」
私は奇跡みたいな幸運だったから覚えていたことを流れで話してみても、こんなふうに彼はやっぱりそんなこと鮮明に覚えていない。
きっと私には興味はないんだと思いつつも、些細な会話が私にとっては心に残るものだった。
他にも体育祭の全員リレーの時に悠有くんからバトンを貰って走る機会もあって、あの時はうれしくてうれしくて内心馬鹿みたいに舞い上がって。
まるで少女漫画のようなシチュエーションだけど、現実はそう上手く進展していかなかった。
それは、私が人見知りだったせいかもしれない。
積極的に話しかけてみたり、距離を詰めようとする勇気を持てずにいた。
あまり誰かと関わりを持つことが少なくて、どうしたら今の〝ただのクラスメイト〟という括りから変化を起こすことができるのか知らなくて。
会話が弾むような話題も持ち合わせていない。場合によっては、話している話題に乗れなくていたたまれない気持ちになる。
話が盛り上がっているところへ踏み込んだり、逆に沢山話しかけられたらどう対処すれば良いのかわからない。
経験不足というか、話すのが苦手だった。
そのせいか、ちょっとした会話をすることがあっても、どこかぎこちなく気まずい雰囲気になることが多い。
私は悠有くんの様子を遠くの方から見守るようにするだけを繰り返す。話すのが苦手だと自覚があってのことだった。
それでも、悠有くんの方から話しかけられた時は嬉しくて。なにも接点がなかった時は落ち込んで。
予測不可能なことが起こる毎日を一喜一憂していた。
人はそう簡単に変わることができないから、私らしいといえばそれまでかもしれない。
情けない地味な私でも、悠有くんのおかげでずっと印象強く忘れられない思い出がある。
それは人の行き交う休み時間、教室で黙々と絵を描いていた日のこと。
私の特技でもあり、好きなことは絵を描くことだけだった。
この日は確か、色塗りをしながら、思いついたものを付け加えるように描いていた。
読書をしている人、騒がしくしながら楽しそうにしている様子なら日常的に見る光景だけど、何色もの色鉛筆を机に広げて無我夢中で描く姿は、傍から見たらきっと珍しいもの。
悠有くんは通りかかり際にふと立ち止まって、言葉をこぼした。
「うまっ」
この言葉を聞くまで、周りのことを一切気にせずに集中していたせいか急でびっくりして目を大きく見開く。
――へっ?
眼の前には悠有くんが私が描いていた絵を食い込むように見ていて、その瞳は目を輝いていた。
「すごいな」
いつもだったら他の人に対して向けられていた無邪気な笑顔でそう告げる。
その顔が、私が描いたものに対して褒めてくれたことがただただ嬉しかった。
初めてのことで。なかなか言われてこなかった言葉で。自分の好きで描いたものが『すごい』って認められて。
絶対に忘れたくないと思えるような出来事だった。
「こういう色ってどうやったらできるの?」
「えっと、いくつもの色を塗り重ねるんだよ。たった一色だけできているものの方が少ないから」
迷いのない手つきで色を塗っていると、急に質問が降ってきて戸惑いながらぎこちなく答えていく。
間近で誰かに見られながら絵を描くことはあまり経験したことがなくて、少し緊張しつつもなんだか照れくさい。
この時間がずっと続けばいいのにと、心の中でそっと願う。あまり感じたことのない浮かれたようにふわふわとした感覚があって不思議な時間だった。
悠有くんに絵を描くところを見られてから、彼の友達も時々見に来るようになって。
今まで関わって来なかった人たちだったけど、話してみると意外と楽しいと少し思うように変化したような。
誰かと関わる抵抗が少し減り、悠有くんとも今までより自然体で話せるようになれた気がした。
*
これ以降、彼との仲に変化はせず、日々が過ぎ卒業式前日。
三年生は卒業アルバムの後ろにある真っ白なページに、メッセージを書いてほしい人の元へ会いに行っていた。
私もこの日は珍しく、お世話になった先生方や友達、クラスメイト全員に書いて貰おうと色々な人の元へ積極的に訪れる。
気まずかったり、関わることが少なくても後悔がないようにしたくて。せめてもの悪あがきをするように必死だった。
――悠有くんからは……どうしよう。
貰おうか貰わずにいた方がいいのか、どっちの方がいいのかな。
本当は貰っておきたいけど、そうする勇気がない。今貰っておかないと心残になってしまうのは確かで。
通う高校が別でもう会うことはないかもしれないのに。
なんでこういうときだけ、怖気づいてしまうの。自分は本当に臆病だと思った。
自分の机の上に置かれた集めてきたメッセージを見つめては、どうしようと思うばかり。
なにをやっているんだ、私は……。
このままじっとしていてもどうにもならない。
後悔するって知っていてやらないのは駄目だってわかってる。
今だけでいい迷うな。後先考えずに勢いでやってしまえばいい。
悠有くんのもとへ行こうと自分に強く強く言い聞かせ、そして動いた。
「あの、悠有くん。よかったら、その……書いてくれないかな」
「分かった。じゃあ、僕のやつにもお願い」
ちゃんと言えたことにホッとするのもつかの間、私も彼へメッセージを書くことになるのかと不意打ちをくらうように戸惑ってしまう。
考えてみれば当然の流れなのに。でも、そっか書いていいのか。
「うん、わかった」
互いにアルバムを交換してマジックを持つ。
なんて書こう。言葉がなかなか思いつかない。こうなるなら、しっかり考えてからお願いすればよかった。
今更悔やんでも仕方がないと思いつつ、思考を巡らす。
とりあえず『卒業おめでとう』と書いてみた。
あとは、ううん……どうしよう。
悩みに悩んで言葉を綴る。
『3年間ありがとう。高校生活互いに頑張ろうね。応援してる! 奈瑠』
結局、なんて書いたらいいのかよく思いつかなくて、みんなが書いていたような似たような言葉しか書けなかった。
私が本当に書きたかった文章だったのかというとそうでもないような。けど、嘘のことを書いたつもりはない。だから、良いんだ。
「えっと、どうぞ。悠有くん」
「うん。こちらこそ、ありがとう。奈瑠さん」
私は最後までさん付けで呼ばれていたなと思いつつ自分のアルバムを受け取り自分の席へ戻る。
彼は自分の友だちに対しては呼び捨てで呼んでいて、だけど私はそうなることすらなかった。
親しいような関係になれないままだったから当然のはずなのに。
一度だけでも呼び捨てで呼ばれてみたかったな……なんてね。
悠有くんは私へなんて書いてくれたのだろう。
想像がつかなくて、気になるような。でも、見ない方が良いのではと思ってしまう自分がいて。
気持ちが落ち着かない。
だけど、せっかく書いてくれたから見なくちゃ。
深呼吸をしてからそっとページを開く。すると、こう書かれていた。
『3年間ありがとう!絵うますぎる!高校でもがんばろ 悠有』
目にした瞬間、書き癖も、綴られた言葉も、彼らしいものだとすぐに思った。
大した話をすることはなかったけど、悠有くんにとって私の絵が印象的に思ってくれていたのだろうか。そうであったら嬉しい。
絵を描くのが好きで良かった。印象付けるものであって。
世の中生きていて、なにがきっかけになるのか本当にわからない。
私はアルバムへそっと触れながら、視界に映るものを心に刻むように何度も読んでいく。
ここに書かれたものは一生残る。だからこそ、集まったメッセージをこれから大切にしたい。



