スローライク

 翌日、朝から雨が降っていた。
 教室に入って、自分の席に座り、一息つく。窓側の一番後ろの席。窓ガラスには水滴がついていて、少し曇っていた。まだ教室には人が少なくて、雨音がよく聞こえる。

「宇多って彼女いる?」
 先に登校していた小林に話しかけられた。
 小林は去年もクラスが同じで、一緒にいることも多かった。俺と性格は違うけど、さっぱりしたやつで、気兼ねなく過ごせる相手だ。
「急だな」
「今度複数人で遊び行こうってなってて。俺とか他のやつらも彼女連れてってさ」
 ダブルデート的なやつか。正確には、二組以上いるっぽいからダブルではないけど。
「彼女とかいないよ」
 人生で一回もいたことがない。その上、告白したことも、されたこともない。
 というか、女子と会話することがあまりない。授業とか、学校の活動の中で必要な場面で話すことはあっても、それだけだった。
「いなさそうだもんな」
「失礼すぎるだろ」
 小林とふざけ合いながら、別に彼女いなくても良いんだけどな、と思った。
 テレビやネットの中にいる女の人に対して可愛いと感じたりはするけど、自分自身が誰かと付き合いたいとか考えたことはない。だからいつも、みんなの恋愛観には共感できない。
 友達やクラスメイトといる時は、そういうノリとして、彼女は当然欲しいですというような体にしてしまっているが。
 俺が皆よりも、まだ子供ってことなんだろうか。いつかは俺も恋愛に関心が生まれたりするんだろうか。

「來果くんおはよ」
 俺が色々と考えていると、塩見が登校してきた。
「びしょびしょじゃん」
「風邪引きそう」
 小林と俺は、塩見を見て口々に言う。
 塩見は全身が濡れていた。髪はペショっとしているし、顔にも水滴が付いている。
「傘、駅のホームに忘れたまま電車乗った」
 それで、電車を降りた後、雨の中そのまま歩いてきたってことか?
「タオルとかで拭いとけ。持ってる?」
「んー、すぐ乾くよ」
 タオルを貸すのは衛生的に辞めておいた方が良いと分かっているから出来ないが、俺の世話焼き心がうずうずしてくる。

「二人とも何話してたの」
 塩見は自分が濡れていることに対して無沈着なようで、俺たちに訊いてきた。
「彼女いるかって」
 小林の返答に、塩見が「へー」と抑揚の無い声で相槌をうつ。
「いるんだ」
「最近バイト先の子と付き合い始めたんだよ!」
 小林が生き生きしだした。彼女のことを話したくてたまらないといった所だろう。
 塩見が、ちらりと俺の顔を見た。
「俺はいないって話」
「そっかー、僕もだよ」
 塩見は俺の方を見たまま微笑む。
「マジかよ、絶対付き合いたい放題なのに!?」
「そういう言い方はどうかと思う」
 目を丸くする小林に、俺は冷静にツッコんだ。塩見も苦笑いしている。
「じゃあ、どういう子が好きなん?」
 小林って、こういう話題好きだよなあ。
「…………。」
 塩見は無言になる。急に黙ったから心配になって顔を見てみたけど、何を考えているのかは、よく分からなかった。
「あ、そろそろ授業始まるぞ」
 俺がそう言うと、小林は時計を確認して、「本当だ」と自分の席に戻っていった。

「來果くんは」
「ん?」
「どういう子が好き?」
 小さな声でそう尋ねられて、俺は困った。
 塩見は、真面目な表情をして、じーっと見つめてくる。
 塩見みたいな相手なら、素直に答えてもいいかな。
 俺は昨日、好意的な意味で真面目と言われたことを思い出す。塩見はなんだか、他の同い年の男子たちとは違う人間のように思える。
「興味ない」
 普段は、この手の話題になったら適当に可愛い子とか言ってるけど、本当のことを言えば良いという気分になっていた。
「やったー」
 塩見は、俺の方を向いたまま、眉をへにょっと下げて笑顔になる。
 は?
 予想外の返答に驚いた。やったーって。

 それって、どういうこと。
 脳が追いつかなくて、やっと疑問が言葉の形になった時には、授業開始のチャイムが鳴っていた。
 聞き間違いだったのか?
 俺が好きな人とかに興味がないことに対して、「やったー」になる理由が分からない。
 授業を受けながらも、先程の塩見の言葉の真意が気になったが、一度タイミングを逃がすと後からわざわざ聞き返すのも変だし、不思議に思ったまま過ごした。



「宇多くんもさあ、空気読めないよねー」
「なんだよいきなり」
 昼休みになると、前の席の中村が絡んできた。にやにやと、いたずらっぽい笑みを浮かべている。からかわれているようだ。
 中村とは去年一緒に委員会をやっていたから、馴染みがある。

「しおみんの好み、多分みんな気になって聞き耳立ててたよ」
 中村は勝手に塩見のことをあだ名で呼んでいる。まるでアイドルか何かのような扱いだ。
 それより、聞き耳って。全然みんなの様子には気づかなかったけど。塩見はかっこいいって人気があるもんな。それでみんな塩見の好きなタイプに興味津々だったってわけか。
「宇多くんが良い所で邪魔するから」
 中村は、やれやれ、と文句を言う。
「中村も気になるの?」
 俺は何の気なしに尋ねた。
「うちは別にファンじゃないけど、まあ気になるでしょ。ていうか、そういう質問平気ですんのどうかと思う」
「どういうことだよ」
 俺は中村の言っている意味がよくわからなくて、面食らった。
「好きなの、って質問と同じでしょ。その辺、宇多くんて雑だよね」
 中村は芝居がかった感じで、大きなため息をつく。
 雑。そうか?
「ま、そこが良いとこか。しおみん本人がいたら気まずかったわ」
 中村はそう言い残すと、弁当を持って席を立った。
 確かに今、塩見本人はどこかに行っていて、教室にいない。
 それにしても、どういう子が好きかとか、そういうことまで周りから注目されるのって、居心地悪くないんだろうか。塩見は朝、小林に訊かれた時に黙ってたけど、そういう空気は察していたのかな。

 俺は小林たちと昼食を食べながら、考える。
 そういえば、塩見が誰と仲が良いかすらも知らないな。
 塩見はかっこいいと評価されているくらいで、同級生たちに嫌われているというわけではない。塩見の方から拒絶しているとかもなく、誰に話しかけられても普通に話している。
 ただ、普段誰と一緒にいることが多いか考えてみても、あまり誰の姿も思い浮かばなかった。
 つかみどころがないっていうか。そういうのも、モテるポイントなのか? よくわからないけど。
 小林は彼女の誕生日プレゼントがどうのこうのと楽しそうに話していたが、俺はそれを半分聞き流していた。