(なぜ陛下が……? いえ、それよりも!)
桂麗は慌てて、詩を書き終えた木簡を隠そうとした。
だが、それよりも早く夫・武徳に取り上げられ、桂麗の手は空を切った。
「あのっ、お返し下さいませ!」
時すでに遅し。
武徳は木簡を広げ、桂麗──春暁麗人の詩の一字一字をしっかりと目で追っていた。
書き上げたのは、恋い焦がれている相手に振り向いてもらえない乙女の詩。切なさのなかに、春の花によせて明るい未来への希望を織り交ぜたものだ。
だがどうしても悲しい言葉ばかりが浮かんで、何度も削ったせいで木の表面がボコボコだった。
よりによって、そんな状態のものを見られてしまった。ただでさえ、この国において艶歌は、男性が書くものだというのに。
それを、皇后自ら書いているなど──。
(ああ、どうしよう!)
どんな罰を受けるだろうか。宰相である父や、側仕えの丹にも累が及ぶのはないか。
「お前が、春暁麗人だったのか」
顔を伏せるのも忘れて硬直していると、驚きのなかに喜びが滲んだような、意外な声をかけられた。
「え……え? あの……」
「こんな運命があるのか……いや、俺が、お前のことを、もっと見ていればよかったのだな」
「陛下……?」
「春暁麗人。俺が唯一、惹かれた詩人だ」
どくんどくんと、胸が高鳴っていく。
こんなことがありえるのか。
「まさか、こんな近くにいたなど思いもしなかったな」
「あの、陛下……お怒りなのでは?」
「なぜだ?」
「だって、私は皇后です。こんな、男の人が書くものを、こっそりと書いているなんて。皆に、示しがつきませんよね」
今起きていることに、感情が追いつかない。そのせいで、ぽろぽろと、結婚してからは封じてきた涙が雫になって、床へと落ちていった。
「──桂麗」
ぽつりと、名を囁かれた。
(今、初めて……私の名前を……)
結婚したときからずっと、李后と呼ばれてきた。
李宰相の娘で、この国の皇后。
そうとしか覚えてもらっていなかったと、ずっと思っていた。
自分だけが想い続けていると、嘆いてばかりいた。
「私こそ、あなたを……見ようとしませんでした。ずっと、ずっと。夫婦なのに」
武徳は、ちゃんと覚えてくれていたのだ。妻の名前を。
見てほしいと願いながら、その実、今以上に嫌われるのが怖くて避けていたというのに。
「申し訳ありません、陛下──っ」
頭を下げようとしたとき、ぐいっと引き寄せられた。よろめいた桂麗は、そのまま武徳に抱きすくめられた。
涙がじわりと、袍の生地に吸われていく。
汚れになってしまうと離れようとしたが、夫の腕はびくともしない。
いや、本当は離れたくなかった。
「俺はあの詩に、心は自由だと教わったのだ」
桂麗は、ぎゅっと武徳の袍を握った。
「好きなものは好きでいい、と。自分もこうありたい、誠実であるべきだと思っていたというのに」
「……陛下」
「全くその逆をしていて、追い求めた夢そのものが、こんなそばにいたことに気づかなかった。……今さらだが、許せ」
「……許すも、何もありませんわ」
桂麗は顔をあげた。
「私も、もっと陛下に誠実であるべきでした。言いたいことがあるなら、もっと向き合うべきだったと」
「それは俺がさせなかったのだろう」
「いえ。勇気がなかっただけです」
目を細める。
夫が自分に向ける視線は、あの詩会で見た青年のものと全く同じなのが、灯りが弱くなっていてもわかる。
もう、言葉は要らない。
その夜。
桂麗は二年越しに、夫と初めて結ばれた。
桂麗は慌てて、詩を書き終えた木簡を隠そうとした。
だが、それよりも早く夫・武徳に取り上げられ、桂麗の手は空を切った。
「あのっ、お返し下さいませ!」
時すでに遅し。
武徳は木簡を広げ、桂麗──春暁麗人の詩の一字一字をしっかりと目で追っていた。
書き上げたのは、恋い焦がれている相手に振り向いてもらえない乙女の詩。切なさのなかに、春の花によせて明るい未来への希望を織り交ぜたものだ。
だがどうしても悲しい言葉ばかりが浮かんで、何度も削ったせいで木の表面がボコボコだった。
よりによって、そんな状態のものを見られてしまった。ただでさえ、この国において艶歌は、男性が書くものだというのに。
それを、皇后自ら書いているなど──。
(ああ、どうしよう!)
どんな罰を受けるだろうか。宰相である父や、側仕えの丹にも累が及ぶのはないか。
「お前が、春暁麗人だったのか」
顔を伏せるのも忘れて硬直していると、驚きのなかに喜びが滲んだような、意外な声をかけられた。
「え……え? あの……」
「こんな運命があるのか……いや、俺が、お前のことを、もっと見ていればよかったのだな」
「陛下……?」
「春暁麗人。俺が唯一、惹かれた詩人だ」
どくんどくんと、胸が高鳴っていく。
こんなことがありえるのか。
「まさか、こんな近くにいたなど思いもしなかったな」
「あの、陛下……お怒りなのでは?」
「なぜだ?」
「だって、私は皇后です。こんな、男の人が書くものを、こっそりと書いているなんて。皆に、示しがつきませんよね」
今起きていることに、感情が追いつかない。そのせいで、ぽろぽろと、結婚してからは封じてきた涙が雫になって、床へと落ちていった。
「──桂麗」
ぽつりと、名を囁かれた。
(今、初めて……私の名前を……)
結婚したときからずっと、李后と呼ばれてきた。
李宰相の娘で、この国の皇后。
そうとしか覚えてもらっていなかったと、ずっと思っていた。
自分だけが想い続けていると、嘆いてばかりいた。
「私こそ、あなたを……見ようとしませんでした。ずっと、ずっと。夫婦なのに」
武徳は、ちゃんと覚えてくれていたのだ。妻の名前を。
見てほしいと願いながら、その実、今以上に嫌われるのが怖くて避けていたというのに。
「申し訳ありません、陛下──っ」
頭を下げようとしたとき、ぐいっと引き寄せられた。よろめいた桂麗は、そのまま武徳に抱きすくめられた。
涙がじわりと、袍の生地に吸われていく。
汚れになってしまうと離れようとしたが、夫の腕はびくともしない。
いや、本当は離れたくなかった。
「俺はあの詩に、心は自由だと教わったのだ」
桂麗は、ぎゅっと武徳の袍を握った。
「好きなものは好きでいい、と。自分もこうありたい、誠実であるべきだと思っていたというのに」
「……陛下」
「全くその逆をしていて、追い求めた夢そのものが、こんなそばにいたことに気づかなかった。……今さらだが、許せ」
「……許すも、何もありませんわ」
桂麗は顔をあげた。
「私も、もっと陛下に誠実であるべきでした。言いたいことがあるなら、もっと向き合うべきだったと」
「それは俺がさせなかったのだろう」
「いえ。勇気がなかっただけです」
目を細める。
夫が自分に向ける視線は、あの詩会で見た青年のものと全く同じなのが、灯りが弱くなっていてもわかる。
もう、言葉は要らない。
その夜。
桂麗は二年越しに、夫と初めて結ばれた。

