白梅の蕾が膨らみ、芳しい香りが漂う庭園を、二十歳の李桂麗はゆったりと歩いていた。
「今年も綺麗に咲きそうね。いい詩が浮かびそう」
そう呟くと、後ろに控えている女官の丹が「左様でございますね」と答えた。
実家から一緒に来たため、彼女とはもう十年以上の付き合いとなる。
「梅が終われば、次は桃ね」
この王城の庭園は、初代の皇帝が整えさせたものだ。代々の皇帝も、この庭を愛したと聞く。
桂麗も、初めてここに踏み入れた時は、その見事さに心から感動した。
「……あら」
四阿まで歩くと、人の姿があった。
夫・武徳だ。年は二十八。
鍛えられた身体に、この国で彼だけに許された黄色の袍をまとっている彼は、無感動な様子で四阿の長椅子に腰を下ろしていた。
桂麗はしずしずと近づき、四阿の前で頭を垂れた。
後ろの女官は慌てたように膝をついたようだった。
「陛下。ご機嫌麗しく存じます」
「ん……ああ、李后か」
夫──皇帝が、こちらに視線を向けていないことぐらい、桂麗は見ずともわかっていた。
それでも頭をあげ、やはり顔の向きを変えていない夫に、桂麗は穏やかに微笑んだ。
「珍しいですね。陛下が、花を愛でられるなど」
「まるで俺が、普段は風雅なことに無縁だと言いたいようだな」
ふっ、と、夫が鼻で笑う。
「いいえ。陛下は、誰よりも美を愛する御方です」
嫌味のつもりはなかった。
しかし彼は、花を眺めるよりも、馬で駆け書に親しむほうを好むと、桂麗は知っている。
「……美を愛することと、美に縁があることは、また別だろう」
胸がちくりと痛む。
夫には、嫌味としか伝わっていない。
嫁して二年が経つというのに、今もその冷たい声に慣れることなかった。
武徳が立ち上がった。
「俺は行く」
「陛下。部屋まで送りますわ」
「不要だ」
ぴしゃりと言い切られて、桂麗は引き下がるよりほかになかった。
挨拶のときと同じく頭をさげる。
「身体を冷やす前に、お前も戻るがいい」
(え……)
桂麗は耳を疑った。
(まさか、私を気遣って?)
そんなはずない。だが、勝手に胸が高鳴り始める。
「──風邪を引かれては、厄介だ」
顔をあげるか迷っているうちに、続けて投げかけられた冷ややかな言葉に、桂麗は身を固くした。
(厄介。わかっている。皇后が病に倒れるなんて、外聞が悪いから)
武徳が自分を気遣ってくれるはずがない。その証拠に、彼は桂麗の返事を待たず、ザッザッと足音を立てて去って行った。
(あなたは覚えていないのでしょうね、昔、私はあなたを……)
さぁっと風が吹いた。
芳香をまとった風は、まだ冬の冷気を孕んでいる。
「李后様。陛下の仰る通りですわ。お風邪を召されます。部屋にお戻りを」
女官の言葉に、桂麗は頷いた。
「そうね。梅は、明日もまだ咲いているでしょうし……来年も咲くわ」
しかし明日も来年も、武徳が一緒に花を眺めてくれることはない。
長い歴史がある黎京国。
絢爛たる王城には、美女千人の園と謳われる後宮が存在する。その全員が皇帝のものだ。
だが皇帝の正式な妻は、皇后ただ一人。名家の令嬢から選ばれることが決まっている。
李宰相の一人娘・桂麗は、生まれながらに皇后となることが定められていた。
皇帝・武徳に嫁いだ時、桂麗は花の十八歳。
親の期待を背負いながら、後宮での日々に胸を膨らませて、生家を離れた。
あれから、二年の歳月が流れた。
二人は今なお、結ばれていない。
「今年も綺麗に咲きそうね。いい詩が浮かびそう」
そう呟くと、後ろに控えている女官の丹が「左様でございますね」と答えた。
実家から一緒に来たため、彼女とはもう十年以上の付き合いとなる。
「梅が終われば、次は桃ね」
この王城の庭園は、初代の皇帝が整えさせたものだ。代々の皇帝も、この庭を愛したと聞く。
桂麗も、初めてここに踏み入れた時は、その見事さに心から感動した。
「……あら」
四阿まで歩くと、人の姿があった。
夫・武徳だ。年は二十八。
鍛えられた身体に、この国で彼だけに許された黄色の袍をまとっている彼は、無感動な様子で四阿の長椅子に腰を下ろしていた。
桂麗はしずしずと近づき、四阿の前で頭を垂れた。
後ろの女官は慌てたように膝をついたようだった。
「陛下。ご機嫌麗しく存じます」
「ん……ああ、李后か」
夫──皇帝が、こちらに視線を向けていないことぐらい、桂麗は見ずともわかっていた。
それでも頭をあげ、やはり顔の向きを変えていない夫に、桂麗は穏やかに微笑んだ。
「珍しいですね。陛下が、花を愛でられるなど」
「まるで俺が、普段は風雅なことに無縁だと言いたいようだな」
ふっ、と、夫が鼻で笑う。
「いいえ。陛下は、誰よりも美を愛する御方です」
嫌味のつもりはなかった。
しかし彼は、花を眺めるよりも、馬で駆け書に親しむほうを好むと、桂麗は知っている。
「……美を愛することと、美に縁があることは、また別だろう」
胸がちくりと痛む。
夫には、嫌味としか伝わっていない。
嫁して二年が経つというのに、今もその冷たい声に慣れることなかった。
武徳が立ち上がった。
「俺は行く」
「陛下。部屋まで送りますわ」
「不要だ」
ぴしゃりと言い切られて、桂麗は引き下がるよりほかになかった。
挨拶のときと同じく頭をさげる。
「身体を冷やす前に、お前も戻るがいい」
(え……)
桂麗は耳を疑った。
(まさか、私を気遣って?)
そんなはずない。だが、勝手に胸が高鳴り始める。
「──風邪を引かれては、厄介だ」
顔をあげるか迷っているうちに、続けて投げかけられた冷ややかな言葉に、桂麗は身を固くした。
(厄介。わかっている。皇后が病に倒れるなんて、外聞が悪いから)
武徳が自分を気遣ってくれるはずがない。その証拠に、彼は桂麗の返事を待たず、ザッザッと足音を立てて去って行った。
(あなたは覚えていないのでしょうね、昔、私はあなたを……)
さぁっと風が吹いた。
芳香をまとった風は、まだ冬の冷気を孕んでいる。
「李后様。陛下の仰る通りですわ。お風邪を召されます。部屋にお戻りを」
女官の言葉に、桂麗は頷いた。
「そうね。梅は、明日もまだ咲いているでしょうし……来年も咲くわ」
しかし明日も来年も、武徳が一緒に花を眺めてくれることはない。
長い歴史がある黎京国。
絢爛たる王城には、美女千人の園と謳われる後宮が存在する。その全員が皇帝のものだ。
だが皇帝の正式な妻は、皇后ただ一人。名家の令嬢から選ばれることが決まっている。
李宰相の一人娘・桂麗は、生まれながらに皇后となることが定められていた。
皇帝・武徳に嫁いだ時、桂麗は花の十八歳。
親の期待を背負いながら、後宮での日々に胸を膨らませて、生家を離れた。
あれから、二年の歳月が流れた。
二人は今なお、結ばれていない。

