「許してもらったばっかで図々しいとはわかってるんすけど、ひと言だけ囁いてもらえないっすか? そしてそれを録音させてほしいっす!」
「えー、なんで……?」
「死活問題だからっす! 凪パイの声、ほんとにすやぴに似てるんすよ。最近すやぴが配信もしないし、動画も投稿してくれなくて……。俺、聞き慣れちゃうとすやぴの声でもなかなか寝付けないんす。だから、すやぴに似てる凪パイの声を聞いて寝たいんっすよ。変なお願いってわかってるんすけど、ほんとに、ほんっとに困ってて……!」
普通ならいきなり後輩から囁き声を録音させてほしいと言われても理解できないと思う。
だけど、俺は眠れないと苦しんでいる視聴者のコメントをたくさん読んできた。
佐倉がすやぴである俺の声をお供に毎晩寝ているだなんて正直信じられない。
だけど、佐倉が本気で困っているのであれば助けてやりたいと思った。
「……いいよ。なんて囁けばいい?」
「いいんすか!? じゃ、じゃあ、おやすみって囁いてほしいっす」
相変わらず顔は見せてくれないが、佐倉の手は震えている。
佐倉も恥ずかしい思いをしながら、それでも必死に俺にお願いしてくれてるんだと思ったら、なんだか無性にかわいく見えてしまった。
「この赤いボタン押せば録音はじまる?」
「はいっす!」
「じゃあ、ちょっと静かにしてろよ」
佐倉からスマホを受け取って、ごほんと一度咳払いをする。
幸い、タイミングよく周囲には俺達しかいないし、人の声も遠い。
これならちゃんと囁き声を録音できるだろう。
俺はスマホのマイク部分に唇を近づけて、そっと、祈るように囁いた。
「おやすみなさい、宵」
珠代の前でASMR動画を撮影したことはあったが、他の人の前でこんな風に囁くのは初めての経験だった。
緊張したせいで、なんだかドキドキしてしまう。
録音停止ボタンを押して、差し出されたままの佐倉の手にスマホを返すと、佐倉は大切そうにスマホを胸に抱き締めた。
「い、今……アレンジ加えてくれたっすよね?」
「言うなよ。恥ずかしかったんだから!」
「宵って、俺の名前っすよね!?」
「言うなって!」
「嬉しくてっ。すげーすやぴっぽくて、めちゃくちゃドキドキしたっす。ありがとうございました!」
佐倉は興奮しているようで、俯いてはいるもののスマホを握りしめる手首までほんのり赤く染まっている。
こんなに俺の囁き声を喜んでくれる人がいるのかと生の反応に感激していると、朝のホームルームまで後5分であることを告げる予鈴が鳴った。
「あっ! この音声は宝物にするっす。木曜日、またよろしくお願いします」
「うん。寝られるといいな」
「はいっす!」
まだ低く掠れた声ではあったけど、佐倉は嬉しそうだった。
俺にもう一度ぺこりと頭を下げてから歩き去って行った佐倉の背中には、もうずもももと表現したくなるようなオーラは出ていない。
俺が安堵していると、珠代が心配そうに俺を見上げてきた。
「あの後輩くん、だいぶ変。大丈夫?」
「珠代には言われたくないと思うけど、大丈夫だよ。悪い奴じゃないと思うから」
苦笑いしながら俺は佐倉と初めて会った時のことを思い出した。
飼育委員のペアは担当の先生が勝手に決めたものだった。
兎小屋の掃除に行った時に、初めて俺は佐倉と出会った。
二年の間でもイケメンが入学してきたって話題になるくらい目立つ奴だから遠目に見たことはあったけど、 こいつと一年間ペアなのかと身構えた気持ちが一瞬でほどけたのには理由がある。
兎小屋に先に入っていた佐倉が、兎の頭を恐る恐る優しく撫でていたからだ。
身長の高い佐倉が膝を抱えてしゃがみこんで、小さな兎の頭をよしよし撫でている様子は、なんだか力が有り余る巨人が小人と懸命に交流を試みているみたいでかわいかった。
あれが陽キャと組むことに抵抗はありつつも、佐倉は悪い奴ではないんだろうと考えるようになったきっかけだった。
「動物好きに悪い奴はいないって言うじゃん?」
「休日は愛犬との散歩が日課の悪い人だっている」
「それは、そうかもだけどさ……」
「でも、紡がそう言うなら悪い奴じゃないんだろうね」
珠代に佐倉が認められた。
それがどうしてこんなに嬉しいんだろう。
じわじわと溶け出すような喜びを感じていると、担任が廊下を歩いて行くのが見えた。
そういえばもう予鈴が鳴っていたのだった。
マイペースにのんびり歩く珠代を引っ張って俺は教室へと走った。
◇ ◇ ◇
飼育委員の活動を面倒がる奴もいるけど、俺はこっそり当番である木曜日を楽しみにしている。
うちは動物を飼えるような過程ではないから、ペットと過ごしたことはないけど、俺は昔から動物が好きだった。
そんな動物とお世話を通して触れ合える機会が週に1回もあるなんて幸せなことだ。
木曜日の帰りのホームルームを終えた後、兎小屋に向かうと既に佐倉が小屋の前で待っていた。
「あ、凪パイ! えっと」
今日の佐倉はフードを被っていないし顔も見せてくれている。
だけど、この間のことがあったからだろう。
佐倉は気まずそうに視線をうろうろさせる。
久しぶりに佐倉の顔を見た。
目の下には隈が残ってるけど、やっぱり派手で綺麗な顔だ。
「よ。最近は寝られてるの?」
「あ、はいっす。すやぴも今週動画アップしてくれたんで」
俺の動画を頼りに眠っている人がいるなら、いつまでも身バレにビビって動画を休むのはよくないんじゃないかと思って、今週は動画をアップした。
佐倉のためだけにしたことじゃないが、やっぱり佐倉も聞いて眠ってくれたのだと思うと、くすぐったいような嬉しい気持ちになる。
「よかったじゃん。活動やめちゃったとかじゃなくて」
「ほんとそれっす! すやぴの新鮮な声が聞けなくなったら俺はマジで破滅っす」
「新鮮な声ってなんだよ」
相変わらず大袈裟な表現をする佐倉を可笑しく思いつつ、掃除道具のほうきとちりとりを渡してやった。
安心した表情になった佐倉に笑ってしまう。
整った顔の周りにパッと花が散ったように見えた。
「おまえわかりやすすぎ。隠し事とかできないタイプ?」
「そんなことないっすよ。俺にだって隠し事の一つや二つ……」
「あれ」
話しながら兎小屋に足を踏み入れた俺は立ち止まる。
後ろから着いてきていた佐倉が俺にぶつかりかけてよろけていたが、それよりもヤバい事件が発生していた。
「ビビったぁ。急に止まらないでくださいよぉ。どうしたんすか?」
「長寿郎がいない」
兎小屋で暮らす兎達の中で一番活発で人懐っこい長寿郎がどこを見渡してもいない。
焦って長寿郎が気に入っている四角い巣箱を持ち上げると、隠れて見えていなかった小屋の壁が老朽化していた部分に穴が開いていた。
「えー、なんで……?」
「死活問題だからっす! 凪パイの声、ほんとにすやぴに似てるんすよ。最近すやぴが配信もしないし、動画も投稿してくれなくて……。俺、聞き慣れちゃうとすやぴの声でもなかなか寝付けないんす。だから、すやぴに似てる凪パイの声を聞いて寝たいんっすよ。変なお願いってわかってるんすけど、ほんとに、ほんっとに困ってて……!」
普通ならいきなり後輩から囁き声を録音させてほしいと言われても理解できないと思う。
だけど、俺は眠れないと苦しんでいる視聴者のコメントをたくさん読んできた。
佐倉がすやぴである俺の声をお供に毎晩寝ているだなんて正直信じられない。
だけど、佐倉が本気で困っているのであれば助けてやりたいと思った。
「……いいよ。なんて囁けばいい?」
「いいんすか!? じゃ、じゃあ、おやすみって囁いてほしいっす」
相変わらず顔は見せてくれないが、佐倉の手は震えている。
佐倉も恥ずかしい思いをしながら、それでも必死に俺にお願いしてくれてるんだと思ったら、なんだか無性にかわいく見えてしまった。
「この赤いボタン押せば録音はじまる?」
「はいっす!」
「じゃあ、ちょっと静かにしてろよ」
佐倉からスマホを受け取って、ごほんと一度咳払いをする。
幸い、タイミングよく周囲には俺達しかいないし、人の声も遠い。
これならちゃんと囁き声を録音できるだろう。
俺はスマホのマイク部分に唇を近づけて、そっと、祈るように囁いた。
「おやすみなさい、宵」
珠代の前でASMR動画を撮影したことはあったが、他の人の前でこんな風に囁くのは初めての経験だった。
緊張したせいで、なんだかドキドキしてしまう。
録音停止ボタンを押して、差し出されたままの佐倉の手にスマホを返すと、佐倉は大切そうにスマホを胸に抱き締めた。
「い、今……アレンジ加えてくれたっすよね?」
「言うなよ。恥ずかしかったんだから!」
「宵って、俺の名前っすよね!?」
「言うなって!」
「嬉しくてっ。すげーすやぴっぽくて、めちゃくちゃドキドキしたっす。ありがとうございました!」
佐倉は興奮しているようで、俯いてはいるもののスマホを握りしめる手首までほんのり赤く染まっている。
こんなに俺の囁き声を喜んでくれる人がいるのかと生の反応に感激していると、朝のホームルームまで後5分であることを告げる予鈴が鳴った。
「あっ! この音声は宝物にするっす。木曜日、またよろしくお願いします」
「うん。寝られるといいな」
「はいっす!」
まだ低く掠れた声ではあったけど、佐倉は嬉しそうだった。
俺にもう一度ぺこりと頭を下げてから歩き去って行った佐倉の背中には、もうずもももと表現したくなるようなオーラは出ていない。
俺が安堵していると、珠代が心配そうに俺を見上げてきた。
「あの後輩くん、だいぶ変。大丈夫?」
「珠代には言われたくないと思うけど、大丈夫だよ。悪い奴じゃないと思うから」
苦笑いしながら俺は佐倉と初めて会った時のことを思い出した。
飼育委員のペアは担当の先生が勝手に決めたものだった。
兎小屋の掃除に行った時に、初めて俺は佐倉と出会った。
二年の間でもイケメンが入学してきたって話題になるくらい目立つ奴だから遠目に見たことはあったけど、 こいつと一年間ペアなのかと身構えた気持ちが一瞬でほどけたのには理由がある。
兎小屋に先に入っていた佐倉が、兎の頭を恐る恐る優しく撫でていたからだ。
身長の高い佐倉が膝を抱えてしゃがみこんで、小さな兎の頭をよしよし撫でている様子は、なんだか力が有り余る巨人が小人と懸命に交流を試みているみたいでかわいかった。
あれが陽キャと組むことに抵抗はありつつも、佐倉は悪い奴ではないんだろうと考えるようになったきっかけだった。
「動物好きに悪い奴はいないって言うじゃん?」
「休日は愛犬との散歩が日課の悪い人だっている」
「それは、そうかもだけどさ……」
「でも、紡がそう言うなら悪い奴じゃないんだろうね」
珠代に佐倉が認められた。
それがどうしてこんなに嬉しいんだろう。
じわじわと溶け出すような喜びを感じていると、担任が廊下を歩いて行くのが見えた。
そういえばもう予鈴が鳴っていたのだった。
マイペースにのんびり歩く珠代を引っ張って俺は教室へと走った。
◇ ◇ ◇
飼育委員の活動を面倒がる奴もいるけど、俺はこっそり当番である木曜日を楽しみにしている。
うちは動物を飼えるような過程ではないから、ペットと過ごしたことはないけど、俺は昔から動物が好きだった。
そんな動物とお世話を通して触れ合える機会が週に1回もあるなんて幸せなことだ。
木曜日の帰りのホームルームを終えた後、兎小屋に向かうと既に佐倉が小屋の前で待っていた。
「あ、凪パイ! えっと」
今日の佐倉はフードを被っていないし顔も見せてくれている。
だけど、この間のことがあったからだろう。
佐倉は気まずそうに視線をうろうろさせる。
久しぶりに佐倉の顔を見た。
目の下には隈が残ってるけど、やっぱり派手で綺麗な顔だ。
「よ。最近は寝られてるの?」
「あ、はいっす。すやぴも今週動画アップしてくれたんで」
俺の動画を頼りに眠っている人がいるなら、いつまでも身バレにビビって動画を休むのはよくないんじゃないかと思って、今週は動画をアップした。
佐倉のためだけにしたことじゃないが、やっぱり佐倉も聞いて眠ってくれたのだと思うと、くすぐったいような嬉しい気持ちになる。
「よかったじゃん。活動やめちゃったとかじゃなくて」
「ほんとそれっす! すやぴの新鮮な声が聞けなくなったら俺はマジで破滅っす」
「新鮮な声ってなんだよ」
相変わらず大袈裟な表現をする佐倉を可笑しく思いつつ、掃除道具のほうきとちりとりを渡してやった。
安心した表情になった佐倉に笑ってしまう。
整った顔の周りにパッと花が散ったように見えた。
「おまえわかりやすすぎ。隠し事とかできないタイプ?」
「そんなことないっすよ。俺にだって隠し事の一つや二つ……」
「あれ」
話しながら兎小屋に足を踏み入れた俺は立ち止まる。
後ろから着いてきていた佐倉が俺にぶつかりかけてよろけていたが、それよりもヤバい事件が発生していた。
「ビビったぁ。急に止まらないでくださいよぉ。どうしたんすか?」
「長寿郎がいない」
兎小屋で暮らす兎達の中で一番活発で人懐っこい長寿郎がどこを見渡してもいない。
焦って長寿郎が気に入っている四角い巣箱を持ち上げると、隠れて見えていなかった小屋の壁が老朽化していた部分に穴が開いていた。
