飼育委員の仕事として俺は週に一度、木曜日の放課後に兎小屋の掃除をペアの佐倉と一緒に任されている。
佐倉にすやぴなのではないかと疑われている状況で、俺は戦々恐々としながら木曜日の放課後を迎えたのだが、現れた佐倉はびっくりするほど静かだった。
「おー、佐倉。遅いぞ。もう掃除はじめてる」
「はい……」
俺は佐倉のことをまだよく知らないが、一年生の輪の中で佐倉が楽しそうにしているところは遠目に見たことがある。
普段から明るくて目立つ奴なんだと思っていたが、兎小屋に入ってきた佐倉は声も小さくて、纏っている雰囲気がどんよりしていた。
制服のブレザーの下に着たパーカーのフードを被った佐倉の顔はよく見えない。
ほうきでゴミを集めてるから下ばかり向いているせいもあるんだろうが、俺よりずっと高い身長も猫背で小さく見えた。
「おい、どうしたんだよ。なんか体調悪いのか?」
すやぴだとバレないためには、囁いたり小声でしゃべったりしないように気を付ければいい。
というか、そもそも佐倉と話さなければいい。
そう悟って、自分から佐倉に話しかけるようなことはしまいと思っていたが、元気のない佐倉を放っておけなかった。
「いや、すみません。体調は悪くないっす」
「じゃあどうしたんだよ。なんか声も低いし掠れてるしさ。つーか顔見せろよ」
「嫌っす」
話しかけても俯いたまま、フードの下に顔を隠す佐倉は俺の要求にぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
体調も悪くないのに、目も合わせない佐倉にムッとした。
「おい。俺だって一応先輩だぞ。舐めてるのは知ってるけど、態度悪過ぎんだろ」
「凪パイには関係ないっす」
「はあ?」
先週はあんなに俺に囁けだのすやぴの動画を見ろだのと懐いたような態度を取っておいて、今日は近付いてこようともしない。
挙げ句の果てには心配した俺に対して関係ないなんて不機嫌そうな声で言い捨てやがった佐倉に、俺はもう完全にムカついた。
「じゃあいいわ。勝手にしろ。俺も勝手にするから」
「はいっす」
俺も不機嫌丸出しの声で言ったせいで、完全に会話の雰囲気は喧嘩だった。
別に佐倉と仲よくなりたいわけじゃない。
だけど、仲が悪くなりたかったわけでもない。
飼育委員で佐倉とペアになったとき、陽キャと一緒だなんてノリに着いて行けるか不安だと感じて嫌だと思う気持ちもあった。
でも、それと同時にできるだけいい先輩でいようとも思った。
だから丁寧に兎小屋の掃除の仕方も教えたのに、結局違う世界で生きる俺と佐倉が仲よくなれるなんて奇跡は起きなかったらしい。
期待して馬鹿みたいだと思うのと同時に、結局俺は認めたくなかっただけで佐倉と仲よくやっていきたかったんだという事実を認めざるを得なくなった。
訂正する。
友達もたくさんいる陽キャで自信が満ちあふれているように見える佐倉に憧れている自分が嫌いなだけで、本当は俺は佐倉みたいな人間に憧れているし、できれば仲よくしたかった。
「あと俺ゴミ捨て場に持ってっとくから、もう佐倉は帰っていいよ」
「俺も一緒に行くっす」
「いいよ。二人で持つ量じゃねーじゃん」
集めたゴミはギュウギュウに詰めたら1つにまとまった。
ゴミ捨て場まで二人で持って行く必要はないし、不機嫌な佐倉と一緒にいても気まずい。
「それとさ。来週からもう来なくていいから」
「え、クビっすか」
「クビとかじゃなくて。佐倉は友達も多いだろうし、遊ぶ予定もたくさんあるだろ。兎小屋の掃除なんかしたくないから機嫌悪かったんじゃねーの?」
「そういうわけじゃ……」
佐倉はやっぱり俯いたまま顔を見せてくれない。
声は低いし、嫌な感じを隠せていないから、不機嫌な顔だけ隠したって無駄なのに。
「ちゃんと先生にも他の奴にも二人で掃除してますって言うからさ。気にすんなよ。じゃあな」
兎の中でも人懐っこい長寿郎が最後まで俺の足下でうろちょろしていたから、よしよしと撫でてやってから兎小屋を出る。
佐倉も無言で後ろを着いてきたから鍵を閉めてそのまま俺はゴミ捨て場に向かった。
俺がすやぴだってバレてしまうかもしれないと珠代に騒いでしまったことが、今さらになってちょっと恥ずかしい。
まるで佐倉が俺に興味津々みたいに言ってしまったが、佐倉が俺に興味を持っていたのは先週までのこと。
もう今週の佐倉は俺への興味なんて欠片も持っていない。
不安に思って配信からも動画投稿からも遠ざかっていた俺が馬鹿みたいだ。
「ただいまー」
いつものように誰もいない家に帰宅して、パソコンを開く。
佐倉にバレるかもしれないと不安に思ってから全く見ていなかった動画投稿サイトのミーチューブを確認したくなったのは、俺には味方がいるんだってことを確認したくなったからだ。
悲しい話だけど、俺は友達が少ない。
引っ込み思案だし、面白い話題も持っていないから当然だ。
そんな俺が唯一評価される場所が、このミーチューブだった。
はじめてASMR配信をした時は緊張したし、声も手も震えていた。
だけど、あの時あたたかいコメントをしてくれた人がいたから、俺はすやぴとして活動してこられた。
現実では陽キャの後輩に不機嫌丸出しにされるような俺だけど、ネットでは長年応援してくれているファンがいる。
その事実に縋りたくなった。
「あ、ねむぴさんだ」
二週間前に投稿した最新動画にはいろいろなコメントがついている。
どのコメントもありがたいけど、俺にはねむぴさんのコメントはいつだって光って見えた。
なぜならねむぴさんは、俺がはじめてASMR配信をしたときに最初にコメントをしてくれた人だったからだ。
——すやぴさん声よすぎます。本当に眠くなってきました。ありがとうございます。
忘れもしないはじめてのコメント。
画面にそのコメントが表示されたとき、俺は大袈裟だけど全世界に認められたような心地よさを感じた。
ねむぴさんは最初はねむって名前だったけど、俺に合わせてねむぴって名前に変えたらしいことを配信中のコメントで教えてくれた。
俺の大ファンを名乗って、配信にはほぼ必ずコメントをしてくれるねむぴさんは、心の支えになる古参ファンの中でも大切な人になっていた。
『すやぴさん、最近配信も動画投稿もしませんね。体調不良とかじゃありませんように。あなたの健康で幸福な日々を祈っています』
「ふふ、大袈裟」
ねむぴさんのコメントからはいつも特大の愛情を感じられる。
俺が本当は地味な男子高校生だって知ったら、ねむぴさんは幻滅するだろうか。
陽キャの後輩に舐められて不機嫌丸出しにされるような地味な男子高校生だって知ったら……。
「あー、あいつのせいでねむぴさんのコメントにも素直に喜べない……」
真正面から陽キャの不機嫌を浴びたダメージは思いの外大きかったらしい。
思考が一周回って『佐倉に不機嫌丸出しにされて嫌だった』というポイントにばかり戻ってきてしまうことを感じて、俺はパソコンを閉じた。
「やめよ。メンタル回復するまでは寝るのが一番」
俺が動画投稿をはじめるきっかけになったのは、珠代がネットでコスプレイヤーをしていたことだ。
そのネット活動者の先輩である珠代から教わった大事な教えの一つに『メンタルが弱ってるときはネットに発信するな』というものがある。
人間は落ち込んでいるときや病んでいるときはおかしな投稿をしてしまいがちで、それが炎上の種になりかねない。
今はネットを遠ざけることに決めた俺は今週も動画配信も投稿もしなかった。
そして週明けの月曜日。
いつも通り登校した俺が教室に向かっていると、珍しく常にのんびりマイペースの珠代が走ってきた。
「逃げた方がいいかもしれない」
佐倉にすやぴなのではないかと疑われている状況で、俺は戦々恐々としながら木曜日の放課後を迎えたのだが、現れた佐倉はびっくりするほど静かだった。
「おー、佐倉。遅いぞ。もう掃除はじめてる」
「はい……」
俺は佐倉のことをまだよく知らないが、一年生の輪の中で佐倉が楽しそうにしているところは遠目に見たことがある。
普段から明るくて目立つ奴なんだと思っていたが、兎小屋に入ってきた佐倉は声も小さくて、纏っている雰囲気がどんよりしていた。
制服のブレザーの下に着たパーカーのフードを被った佐倉の顔はよく見えない。
ほうきでゴミを集めてるから下ばかり向いているせいもあるんだろうが、俺よりずっと高い身長も猫背で小さく見えた。
「おい、どうしたんだよ。なんか体調悪いのか?」
すやぴだとバレないためには、囁いたり小声でしゃべったりしないように気を付ければいい。
というか、そもそも佐倉と話さなければいい。
そう悟って、自分から佐倉に話しかけるようなことはしまいと思っていたが、元気のない佐倉を放っておけなかった。
「いや、すみません。体調は悪くないっす」
「じゃあどうしたんだよ。なんか声も低いし掠れてるしさ。つーか顔見せろよ」
「嫌っす」
話しかけても俯いたまま、フードの下に顔を隠す佐倉は俺の要求にぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
体調も悪くないのに、目も合わせない佐倉にムッとした。
「おい。俺だって一応先輩だぞ。舐めてるのは知ってるけど、態度悪過ぎんだろ」
「凪パイには関係ないっす」
「はあ?」
先週はあんなに俺に囁けだのすやぴの動画を見ろだのと懐いたような態度を取っておいて、今日は近付いてこようともしない。
挙げ句の果てには心配した俺に対して関係ないなんて不機嫌そうな声で言い捨てやがった佐倉に、俺はもう完全にムカついた。
「じゃあいいわ。勝手にしろ。俺も勝手にするから」
「はいっす」
俺も不機嫌丸出しの声で言ったせいで、完全に会話の雰囲気は喧嘩だった。
別に佐倉と仲よくなりたいわけじゃない。
だけど、仲が悪くなりたかったわけでもない。
飼育委員で佐倉とペアになったとき、陽キャと一緒だなんてノリに着いて行けるか不安だと感じて嫌だと思う気持ちもあった。
でも、それと同時にできるだけいい先輩でいようとも思った。
だから丁寧に兎小屋の掃除の仕方も教えたのに、結局違う世界で生きる俺と佐倉が仲よくなれるなんて奇跡は起きなかったらしい。
期待して馬鹿みたいだと思うのと同時に、結局俺は認めたくなかっただけで佐倉と仲よくやっていきたかったんだという事実を認めざるを得なくなった。
訂正する。
友達もたくさんいる陽キャで自信が満ちあふれているように見える佐倉に憧れている自分が嫌いなだけで、本当は俺は佐倉みたいな人間に憧れているし、できれば仲よくしたかった。
「あと俺ゴミ捨て場に持ってっとくから、もう佐倉は帰っていいよ」
「俺も一緒に行くっす」
「いいよ。二人で持つ量じゃねーじゃん」
集めたゴミはギュウギュウに詰めたら1つにまとまった。
ゴミ捨て場まで二人で持って行く必要はないし、不機嫌な佐倉と一緒にいても気まずい。
「それとさ。来週からもう来なくていいから」
「え、クビっすか」
「クビとかじゃなくて。佐倉は友達も多いだろうし、遊ぶ予定もたくさんあるだろ。兎小屋の掃除なんかしたくないから機嫌悪かったんじゃねーの?」
「そういうわけじゃ……」
佐倉はやっぱり俯いたまま顔を見せてくれない。
声は低いし、嫌な感じを隠せていないから、不機嫌な顔だけ隠したって無駄なのに。
「ちゃんと先生にも他の奴にも二人で掃除してますって言うからさ。気にすんなよ。じゃあな」
兎の中でも人懐っこい長寿郎が最後まで俺の足下でうろちょろしていたから、よしよしと撫でてやってから兎小屋を出る。
佐倉も無言で後ろを着いてきたから鍵を閉めてそのまま俺はゴミ捨て場に向かった。
俺がすやぴだってバレてしまうかもしれないと珠代に騒いでしまったことが、今さらになってちょっと恥ずかしい。
まるで佐倉が俺に興味津々みたいに言ってしまったが、佐倉が俺に興味を持っていたのは先週までのこと。
もう今週の佐倉は俺への興味なんて欠片も持っていない。
不安に思って配信からも動画投稿からも遠ざかっていた俺が馬鹿みたいだ。
「ただいまー」
いつものように誰もいない家に帰宅して、パソコンを開く。
佐倉にバレるかもしれないと不安に思ってから全く見ていなかった動画投稿サイトのミーチューブを確認したくなったのは、俺には味方がいるんだってことを確認したくなったからだ。
悲しい話だけど、俺は友達が少ない。
引っ込み思案だし、面白い話題も持っていないから当然だ。
そんな俺が唯一評価される場所が、このミーチューブだった。
はじめてASMR配信をした時は緊張したし、声も手も震えていた。
だけど、あの時あたたかいコメントをしてくれた人がいたから、俺はすやぴとして活動してこられた。
現実では陽キャの後輩に不機嫌丸出しにされるような俺だけど、ネットでは長年応援してくれているファンがいる。
その事実に縋りたくなった。
「あ、ねむぴさんだ」
二週間前に投稿した最新動画にはいろいろなコメントがついている。
どのコメントもありがたいけど、俺にはねむぴさんのコメントはいつだって光って見えた。
なぜならねむぴさんは、俺がはじめてASMR配信をしたときに最初にコメントをしてくれた人だったからだ。
——すやぴさん声よすぎます。本当に眠くなってきました。ありがとうございます。
忘れもしないはじめてのコメント。
画面にそのコメントが表示されたとき、俺は大袈裟だけど全世界に認められたような心地よさを感じた。
ねむぴさんは最初はねむって名前だったけど、俺に合わせてねむぴって名前に変えたらしいことを配信中のコメントで教えてくれた。
俺の大ファンを名乗って、配信にはほぼ必ずコメントをしてくれるねむぴさんは、心の支えになる古参ファンの中でも大切な人になっていた。
『すやぴさん、最近配信も動画投稿もしませんね。体調不良とかじゃありませんように。あなたの健康で幸福な日々を祈っています』
「ふふ、大袈裟」
ねむぴさんのコメントからはいつも特大の愛情を感じられる。
俺が本当は地味な男子高校生だって知ったら、ねむぴさんは幻滅するだろうか。
陽キャの後輩に舐められて不機嫌丸出しにされるような地味な男子高校生だって知ったら……。
「あー、あいつのせいでねむぴさんのコメントにも素直に喜べない……」
真正面から陽キャの不機嫌を浴びたダメージは思いの外大きかったらしい。
思考が一周回って『佐倉に不機嫌丸出しにされて嫌だった』というポイントにばかり戻ってきてしまうことを感じて、俺はパソコンを閉じた。
「やめよ。メンタル回復するまでは寝るのが一番」
俺が動画投稿をはじめるきっかけになったのは、珠代がネットでコスプレイヤーをしていたことだ。
そのネット活動者の先輩である珠代から教わった大事な教えの一つに『メンタルが弱ってるときはネットに発信するな』というものがある。
人間は落ち込んでいるときや病んでいるときはおかしな投稿をしてしまいがちで、それが炎上の種になりかねない。
今はネットを遠ざけることに決めた俺は今週も動画配信も投稿もしなかった。
そして週明けの月曜日。
いつも通り登校した俺が教室に向かっていると、珍しく常にのんびりマイペースの珠代が走ってきた。
「逃げた方がいいかもしれない」
