俺だけに囁いて

「ぜーったいにバレたくないんだって!」
「静かに。騒音はんたーい」

 大声で叫んだ俺に幼馴染みの珠代(たまよ)が真顔のまま握った拳を突き上げる。
 普段大声を出さない俺の叫びなんて、この部屋に敷き詰められたふかふかの絨毯に吸収されただろうから、騒音問題なんてあり得ない。
 そもそもこの屋敷は庭まで広いんだから騒音問題なんて発生しようもない。
 だから、珠代はそれっぽいことを言っているだけだ。

 教室の二倍はある広さのこの部屋を産まれた時から与えられている超絶お金持ちの子どもは、もちろん俺ではなく珠代だ。
 経済的には超絶一般家庭に生まれた俺が珠代と幼馴染みになったのは、小学校の登校班が一緒だったからだ。

 珠代はのんびりした奴で、今も昔も変わらずマイペースだ。
 そんなだから、お嬢様学校へのお受験は断固拒否して、自分の意思で小学校から公立に通っていた。
 車での送迎もボディーガードの護衛を引き連れての登校も嫌がった珠代は、俺のような一般人と一緒に登校班で小学校に通うことになったのだが、とにかく行動が自由すぎた。

 道端で蝶を見かけたら追いかけていき、散歩中の犬がいれば撫でさせてほしいと交渉に行ってしまう。
 そんな珠代を放っておけず、毎日「行くぞ」「こっちだぞ」「寄り道するな」と散々声をかけ続けていたら、いつのまにか仲よくなって今も同じ高校に通っている。

 珠代は頭を抱えてソファーに座っている俺を無視して、トルソーに着せた次作の魔法少女の衣装に夢中だ。

「やっぱり、もう少しスパンコール足した方がかわいくなると思う?」
「今はコスプレ衣装の話より俺の話聞いてれると嬉しい」
「……仕方がない」

 ふう、と小さく息を吐いた珠代がようやく俺の向かい側のソファーに腰掛けて話を聞く姿勢に入ってくれる。

 珠代は中学生の時からコスプレを始めて、今や企業案件まで請け負うコスプレイヤーだ。
 インフルエンサーとしても大人気なのは、珠代に華があるからだろう。

 真っ直ぐな黒いロングヘアを靡かせて歩く珠代は無表情でも人目を惹く。
 珠代の傍にいる俺は、周囲からは「珠代の黒子」と呼ばれているほど、珠代は目立つ容姿をしている。
 男ではあるが、俺だって珠代みたいな美貌を持っていたら顔出しでASMR動画を撮影していたかもしれないし、佐倉に身バレしても否定せずに認めていたかもしれない。

「それで? 佐倉くんに(つむぎ)がすやぴだってバレると何が困るの? 私はレイヤーのたまちゃんだってみんなに知られてるけど困ってないよ」
「珠代は困らないだろうけど、俺は困るんだよ。俺みたいな陰キャがネットに動画投稿してるなんてバレてみろ。めちゃくちゃいじられるだろ」
「私もたまちゃーんって呼ばれることあるし、文化祭では自作のメイド服着てねっていじられてるよ」
「それはいじりじゃない。珠代はみんなにリスペクトされてるんだよ」

 珠代が不可解そうに首を傾げる。
 きょとんとした表情を見るに、俺の不安の1%も珠代に伝わっている気がしなかった。

「ほら、俺は医者とか美容師とかのロールプレイ動画もアップしたことあるだろ? あんなのを俺みたいな奴がアップしてたら変じゃん。キャラに合わないっていうかさ」
「変じゃない。みんながキャラに合わないって思うなら、それはみんなが紡を誤解してたってだけ」
「いやいや。おまえカメラ相手にメイクの真似事したり、マイクに囁いたり息吹きかけたりしてんの〜って笑われるよ」
「笑う方が変。学校で何人かに笑われても、紡には50万人の認めてくれた登録者がいる」

 淡々と返してくる珠代に、俺はもう理解してもらうことは無理だと悟った。

 俺だって50万人も登録者がいることはありがたいと思っている。
 配信をすればたくさんの人が観てくれるし、動画を投稿すれば何万回も再生数が回る。
 ASMR動画配信者として俺は多くの人に認めてもらっていることに感謝はしている。
 だけど、それはネットの世界での話だ。

 現実の俺は珠代の後ろを金魚の糞みたいに着いて回っている陰キャとしかみんなに思われていないし、俺もそれがいい。
 目立たなければ波風も立たないし、嫌な思いもすることはないんだから。
 その安全で静かな世界を佐倉がぶっ壊しにかかっているんだという不安を珠代に伝えたかったが、珠代みたいにマイワールドを確立している人間にどうやって伝えればいいかわからなかった。

「とにかく……嫌なんだよ」

 これ以上説明しようがなくてボソッと言うと、珠代は少し黙ってから小さくうなずいた。

「とにかく嫌なら、嫌だね」
「そう」
「でも飼育委員で一年間ペアなのはどうにもならないんでしょう?」
「そうなんだよ。どうしたらいいんだ……」
「兎に囁いた声でバレちゃったなら、囁かないようにするしかない。日常でそんなに囁く機会ってないから、気を付ければ大丈夫だと思う」

 珠代は大抵のことでは動じない鋼のメンタルを持っている。
 不安で俺はオロオロしてばかりいたが、珠代の冷静な意見で目が覚めたような感覚がした。

 考えてみればそうだ。
 囁き声よりも小声が好きな視聴者もいるため、小声で配信したり録画したりした動画もあるが、要は佐倉の前ではハキハキしゃべっていればいい。

「そっか、そうだよな! 俺がハキハキ元気にしゃべってれば大丈夫ってことだ」
「うん。腹から声出してこー」
「なんだ簡単なことじゃん! 安心したらお腹空いてきた」
「お夕飯食べて行く?」
「食べる!」

 家に帰ってもどうせ誰もいないし、珠代の家族は俺に優しい。
 昔は珠代の家で食事を出してもらうことに金銭面的にも遠慮があったけど、珠代の金持ちレベルからすると俺に食事を奢ることに何のダメージもないとわかってからは遠慮しなくなった。

 今夜もいつも通り珠代のご両親とも楽しく話をしながら夕飯を食べてから帰路に就く。
 もうすっかり日が暮れた夜道を歩いて帰っても、玄関にやっぱり母さんの靴はなかった。

「ただいまー」

 誰もいない家に声をかけて向かった俺の部屋にはASMR用の撮影機材が置かれている。
 今夜も配信しようと思えばできたが、佐倉にバレかけたことを考えると撮影する気にはなれなかった。

「……まあ、今夜はさすがにな」

 佐倉にすやぴではないかと疑われたばかりだ。
 警戒して今夜の配信はやめにしたが、一度その判断をするとズルズルと俺は配信から遠ざかっていった。

 それからも毎日、撮影をしようかと考えてはやめてしまう。
 佐倉にバレたらと思うと、どうしても怖かった。

 このまま俺は配信も動画投稿もやめてしまうのかもしれない。
 そう思いながら過ごした1週間後、兎小屋で再会した佐倉は俺の知っている佐倉ではなかった。