俺だけに囁いて

「も、もちろんです! どうぞ!」

 予定にない流れに司会者は戸惑っている様子だったが、俺にスピーチの許可をくれた。

 隣に座っている佐倉も驚いて俺を見ていたが、俺はまっすぐにスピーチ台に向かう。
 渡されたマイクを受け取って話し出す前に、少し迷ってから俺は金髪のウィッグを取った。

 せっかく綺麗なウィッグを貸してくれた珠代には申し訳ない。
 でも、俺は俺としてスピーチをすることを選んだ。

「あれ、凪じゃね!?」
「嘘だろ、あの珠代様の付き人の!?」

 ざわめく会場の中で見つけた珠代が力強くうなずく仕草に、俺はまた勇気づけられた。

「二年の凪紡です。風邪でしゃべれないなんて嘘をついてすみませんでした」

 俺が喋り始めると、会場は徐々に静かになっていく。
 佐倉の好きな人が地味で陰キャな俺だなんて、ほとんどの人間が衝撃を受けたことだろう。
 だからこそ、その俺の話を聞くために、みんなが耳を傾けていた。

「俺と佐倉は飼育委員の活動を通して知り合いました。見ての通り、俺と佐倉は真逆の存在です。陰キャと陽キャ。できれば佐倉と仲よくなりたいと心の底では思っていましたけど、本当に仲よくなれるなんて思っていませんでした。だけど、佐倉はそんな垣根なんて存在しないと言いきりました」

 集団になれば目立つ人間とそうでない人間に別れるのは当然のことだ。
 それを陰キャと陽キャに区分して、勝手に陰キャを下位の存在に位置づけていたのは俺だった。
 佐倉が教えてくれたことだ。

「佐倉はいつも俺にはない考えを言います。こいつはびっくりするほど明るくて前向きなんです。俺からすると信じられないくらい。だけど、そんな佐倉を好きになって、俺も感化されたみたいです」

 斜め後ろに座っている佐倉を一瞬振り返る。
 目が合うと佐倉は泣きそうな笑顔を向けてきて、俺も声が震えそうになった。

「誰から、どんな風に思われてもいい。佐倉が傷つけられるようなことがあったら、俺が慰めればいい。さっきのスピーチを聞いて、そう決めました。俺は佐倉が好きです。これからはありのままの俺で、堂々と佐倉の恋人として隣に立とうと思います」

 お辞儀をしてスピーチの終わりを告げる。

 ぶっつけ本番のスピーチだったにもかかわらず、観客はあたたかかった。
 大きな拍手をもらうことができて、ほっとしながら席に戻ると佐倉がちらりと横目に見てきた。

「あの、凪パイ」
「今だめ。おまえと話したら泣く」

 相手への気持ちが強すぎて、涙になってあふれ出そうになることがあるだなんて知らなかった。
 いっぱいいっぱいの俺を見て、へにゃりと笑った佐倉の目尻には涙の粒が光っていた。

 ベストカップルグランプリの投票はつつがなく進み、あらゆる意味で目立ったからか、俺と佐倉がベストカップルに選ばれた。

 ステージの上で『ベストカップル』と書かれた紅白のたすきを懸けられて、ティアラをそれぞれ被らされる。
 盛大に祝福されたことはありがたかったが、俺も佐倉もそれどころではなかった。

「凪パイ。ほんとに、ありがとうございました」
「うん」

 ベストカップルグランプリ終了後、俺達は人目を避けて兎小屋の近くにあるあのベンチに来ていた。
 ふたりで並んで座ったベンチで肩が触れあう距離に座ったのは初めてだった。

 昼間は木漏れ日の落ちるベンチは、夕方の今は大木の長い影に隠れている。
 木陰に隠れて文化祭のざわめきを聞いていると、佐倉と逃避行しているような気分になった。

「なんかぼんやりしてません?」
「……疲れたんだよ。佐倉のせいでいきなりスピーチすることになったから」
「俺のせいっすか?」
「そう」

 ぼんやりしているのは、幸せ過ぎるからだ。
 脳の中心からじんわりと心地よさが全身に広がっていく感覚。
 好きな人との時間は癒やしとして脳が処理するらしい。

「ベストカップル、選ばれちゃいましたね」
「俺のせいで、佐倉は明日からゲイとかホモとか呼ばれてからかわれるかも」
「そしたら、凪パイが癒やしてくれるんすよね」
「50万人も登録者がいるASMR動画投稿者だからな。ちゃんと癒やすよ」
「耳かきとかしてくれるんすか?」
「膝枕でな」

 戯れな返事を返すと、佐倉がくすっと笑った。
 好きな人をかわいがる笑い方は、年下のくせに大人っぽくてくすぐったい。

「もう俺は凪パイの恋人ってことでいいっすよね?」
「うん。だって、俺も佐倉もお互いのこと大好きじゃん」
「大好きっすよ」

 笑いながら言った佐倉が前屈みになって俺の顔を覗き込んでくる。
 じっと見つめ合った視線の絡み方がいつもと違う感覚。
 初めての感覚に息をのむと、佐倉がそっと俺の頬に触れた。

「大好きっす」
「うん」

 こくんとぎこちなくうなずいた。
 今のはきっと『キスしていいか』と問う『大好き』だと思ったから。

 その予想は当たっていたらしい。
 そっと近付いてきた佐倉の制汗剤のにおいに胸がきゅうっと音を立てるのと同時に、唇と唇がくっついた。

 カサついた唇と、俺のもう口紅が落ちてしまった唇が触れあっている。
 たった数秒のことだったと思う。
 なのに、俺は一生この瞬間を忘れないと確信できた。

 唇が離れると、佐倉の吐息が唇に触れる。
 まだキスをしているような気分でドキドキして、佐倉の瞳を至近距離で見つめた。

「……佐倉、大好き」

 思わずこぼした想いに、佐倉が瞬きをする。
 ふたりのまつ毛が絡んでしまいそうだと感じたときには、もう二度目のキスをされていた。

 佐倉の肩に縋るように抱きつく。
 好きで、好きで、このまま溶け合ってひとつになれたらどれだけ気持ちいいだろうと想像してしまうくらいに、佐倉への想いでいっぱいだった。

「あー、ヤバいっす」
「なに?」

 唇を離して、佐倉がガバッと俺を抱き締める。
 必死さに驚いて背中を擦ると、背中に回された佐倉の腕がぎゅうっと俺を抱きすくめた。

「一生キスしちゃいそうっす」

 切羽詰まったみたいな佐倉の声がかわいくて、今度は俺が覗き込んでキスをした。
 結局、何度も何度も、唇がちょっと痛いくらいになるまでキスをした俺達は、その後素知らぬ顔で後夜祭のキャンプファイヤーにベストカップルのたすきを着けて参加した。

 周りからベストカップルになったことをからかわれはしたが、嫌な言葉をかけられることはひとつもなかった。

「これから嫌なことあるかもしんないけどさ。世の中って俺が思うより優しいのかもな」

 パチパチ弾けるキャンプファイヤーを見ながら、俺がぽつりと言うと隣の佐倉が手を繋いでくる。

「凪パイがそう思える世界ならよかったっす」

 嬉しそうに笑う佐倉に、俺も笑みを返す。

 佐倉と出会えてよかった。
 親に要らない子として扱われていた俺に、こんなに暖かな居場所ができたのはASMR動画の配信と投稿をはじめたからだ。

 中学生の時に、緊張しながらもカメラの前に立った遠い日の俺に、心から感謝した。