俺だけに囁いて

 話している間に日はすっかり沈みきっていて、公園には街灯が落とす俺と佐倉の影が揺れていた。

 佐倉も俺のことを好き。
 その感情が存在していることは、このおでかけに来る前からなんとなくお互いわかっていたことだ。
 今日のおでかけはお互いへの気持ちがなんなのか、名前をつけるためのものだったから。

 勇気がある佐倉は『先輩への憧れ』とか『推しへの愛』とかいう名前をつけることだってできたはずなのに、『恋』っていう名前をつけた。

 俺は抱えている気持ちの名前が本当は『恋』だって知っている。
 だけど、それを認めることが怖かった。

「ごめん、佐倉。付き合えない」

 初夏の夜にしては冷たい風が公園を吹き抜けていく。

 佐倉は愕然とした様子で一瞬言葉を失っていた。

「っ……え、俺、両想いだと思ってったっす。勘違いしてましたか?」
「勘違いじゃない」
「じゃあ、凪パイも俺のこと好きってことっすか?」
「それは言わない。言えない」
「……難しいっすよ」

 地面に足を着けたままの佐倉がブランコに座ってゆらゆら揺れながら戸惑った様子を見せる。
 俺も納得してもらいづらいことを言っている自覚はあった。

「佐倉は気にしないだろうけど、俺達男同士じゃん。それに佐倉みたいな明るい人気者に、俺みたいな陰キャは不釣り合いだと思う。知ってるか? 俺、珠代の付き人って呼ばれてるんだぞ?」
「その陰キャとかの区別はやめてほしいって言ったじゃないっすか」
「でも、実際そういう垣根ってあるだろ。佐倉は気にしなくても、ほとんどの人が気にしてる。俺は不釣り合いな相手と付き合ってる気持ち悪いホモって言われたっていいよ。だけど、佐倉がそう言われるのは嫌だ。だから、付き合えない」
「俺だって言われたっていいっす! それに、凪パイはそんな風に言われてほしくない! 俺と凪パイは同じ気持ちじゃないっすか!」

 必死の表情で俺と自分を交互に指差す佐倉はかわいい。
 俺と両想いなのに付き合えないことに憤ってくれることが、申し訳ないけど嬉しかった。

「お互いがお互いを悪く言われるのは嫌なわけじゃん? じゃあ俺達が選べる方法はお付き合いを隠すか、そもそも付き合わないってことなんだけど、佐倉の性格で俺と付き合ってるってちゃんと隠せるの?」
「それは……、どうだろう……」
「悪いけど、俺は隠せないよ。佐倉と付き合えたらめちゃくちゃ嬉しいもん。毎日お昼は一緒に食べたいし、たくさん一緒に遊びに行きたい。佐倉が女子にモテてたら、俺の彼氏だぞってアピールだってしたい」

 口をついてぽろぽろと、佐倉と付き合えたらしたいことがあふれ出てくる。
 佐倉はぽかんとしていたけど、俺だって本当は佐倉のことが好きだから、このくらいのことを考えるのは普通だ。

 恥ずかしくなって座ったままのブランコを軽く揺らすと、ギイギイと錆びた金属が擦れる嫌な音が鳴った。

「ごめん。俺が佐倉にふさわしい人間だったらよかったな」

 いたたまれなくなって、こぼしてしまった弱音があまりにも惨めで自分で言って悲しくなる。
 軽く項垂れたままでいる俺の前に佐倉がブランコから立ち上がって歩み寄ってきた。

「凪パイは、どうしてそんなに自信がないんすか?」

 大きな体を丸めて俺の前にしゃがみこんで、佐倉は座って俯いている俺の顔を覗き込んでくる。
 じっと見上げてくる瞳から逃げられなくて、俺はぽつぽつと話していた。

「俺の両親、離婚したって言ったろ? 夫婦だったときも毎日喧嘩ばっかりだったんだけど、離婚の時に両親が大喧嘩した理由は俺の親権を押しつけ合ったからなんだ」

 両親が離婚したのは俺が小学校に上がる直前のことだった。
 夜中のリビングで皿やらペンやらを投げつけ合って、両親が「紡はおまえが引き取れ」「親としての責任をとれ」と怒鳴り合う姿を見たときの衝撃は忘れられない。

「その時、まだ小さかったけど、俺って価値がないんだって気付いた。邪魔なだけの人間なんだって。そうやって、ずっと思ってて、居場所が欲しくなってネットで活動することにしたんだ。珠代がコスプレイヤーとして動画も配信してたから、ネットなら俺にも居場所があるのかなって思ったんだよ。いろいろな動画見てASMRなら俺にもできるかもって思ってはじめたのが、すやぴの活動だった」

 冗談めかして「ASMRなら俺にもできるかもな」と言ったら、珠代はすぐに自分が持っていた機材を貸し出して動画撮影ができる環境を整えてくれた。

——ASMRでもなんでもやってみればいい。自分の居場所は自分で創れる。

 コスプレイヤーとして中学生にして人気を確立していた珠代の言葉には説得力があった。
 そして、俺は緊張しながらはじめてカメラの前に立ったんだ。

「そのすやぴの活動で、楽しい毎日を送れるようになった佐倉が、すやぴだけじゃなくて、俺のことまで好きになってくれた。俺はもうそれで十分なんだよ。これ以上、求めるのは怖い。世間からの目も怖いし、いつか佐倉が俺を好きじゃなくなって要らないって言われるかもしれないのも怖いんだ」

 結局俺の親権は母さんに渡ったけど、母さんは本当に迷惑そうだった。
 最低限の育児だけして、母さんは学校行事に顔を出してくれたこともない。
 俺は、父さんには捨てられて、母さんからはずっと邪魔なゴミとして扱われている。
 そんな俺をキラキラした瞳で見つめてくれる存在ができたってだけで、もう俺はよかった。

「ごめんな、佐倉」

 ブランコは嫌な音を立て続けている。
 俺は揺らしていないのにと思って、ふと気が付いた。
 無意識のうちに俺の体が震えていたから、ブランコの鎖がチャリチャリと鳴っていたんだ。

「……話してくれて、嬉しかったっす」
「嫌な話してごめん」
「凪パイの話はわかったっす」
「今まで通り、木曜日の飼育委員で一緒に兎の世話はしてくれる?」

 佐倉を見つめ返しながら問いかけた声は迷子の子どもみたいに寄る辺ない声になってしまった。
 情けなさに表情が歪んだ俺に対して、佐倉はにっこり笑った。

「当たり前じゃないっすか。大丈夫っすよ。今日はもう帰りましょう。珠代さんのおうちで、夕飯は食べた方がいいじゃないっすか?」
「……うん」
「じゃあ、連絡できますか?」
「できる」

 子どもみたいに返事をして、珠代に夕飯をご馳走になりたいとメッセージを送る。
 すぐに既読はついて、妙ななめくじみたいなキャラクターが親指を立ててOKと叫んでいるスタンプが返って来た。

 佐倉は不安定な俺をひとりにしないように、珠代に託してくれたのだろう。
 その証拠に帰り道はまったく別の路線なのに、佐倉は珠代の屋敷前まで俺を送ってくれた。

「じゃあ、凪パイ。また遊ぼうっす!」
「ああ。ありがとな、佐倉」
「こちらこそっす!」

 フラれた後とは思えないような爽やかな笑顔の佐倉を街灯がスポットライトみたいに照らしていた。
 俺がインターホンを押して、屋敷の中に入るまでしっかり見送ってくれた佐倉の優しさが苦しいほどに好きだ。

「紡? なんで泣いてるの?」

 屋敷の玄関で俺を迎えた珠代が戸惑った様子でハンカチを手に涙を拭きに駆け寄ってくる。

「なんでだろうな」

 はらはらこぼれ落ちる涙を俺はなかなか止めることができなかった。