俺だけに囁いて

「な、なんで泣くんだよ」
「う、うぅ」

 焦ってポケットからハンカチを取り出して渡すと、佐倉はハンカチに目元を押しつけて唸り始める。
 マジのぼろ泣きを見せる佐倉が落ち着くまで、俺がおろおろしつつ待っていると、佐倉はしゃくりあげてから話し出した。

「う、嬉しくて」
「嬉しい? 何が?」
「俺、もう終わったと思ったんすよ。凪パイはもう俺のこと見損なったんじゃないかって。かんたんに暴力振るうような奴だって思われただろうって」
「思わねーよ。なんでそんなことになったのかは聞いときたいけど」

 俺と接する佐倉はいつも明るく元気ないい奴だった。
 そんな佐倉が、理不尽な暴力を振るうところが想像できなかった。
 たったそれだけのことを涙するほどに喜ぶ佐倉は、きっとこの派手な容姿で損をすることもあったのだろう。

 目立つというだけで、社会から逸脱した暴力性を持っていると勝手に思い込む連中がいることは、珠代の傍に居たから知っている。
 珠代はいつもぼーっとしているだけなのに中学時代には特定の女子グループから『睨まれた』と難癖をつけられて迷惑していることもあったし、自分のしたいことをしていただけなのに調子に乗っていると囲まれて文句を言われていたこともある。
 目立つ側には目立つ側の苦労がある。

「俺が、寝不足の顔見せられないって言ったの覚えてるっすか?」
「ああ。フードで顔隠して見せてくれなかったよな」
「自覚なかったんすけど、俺って寝不足の時の顔がマジで怖いらしくて。中学の途中でねむぴに出会うまではずっと寝不足だったんで、常に周りから怖がられてたんすよ」

 ずびっと鼻をすする佐倉は大きな犬にしか見えない。
 だけど、確かに美形の佐倉は真顔でいると、ちょっと怖いくらいにきれいな瞬間がある。
 寝不足で表情が減ったら、佐倉はきっと冷たくて怖い印象を周囲に与えるんだろうということは理解できた。

「それで小学生の時は周囲に避けられがちだったんすけど、中学になったらああいう連中に絡まれるようになったんっす。俺も殴られそうになったら、防御するしかないじゃないっすか。それで抵抗したら、あいつらすげー弱くて」
「佐倉はリーチが長いもんな」

 人より手足が長いことに加えて、佐倉は背も高い。
 喧嘩ではそれは有利に働いただろう。 
 佐倉はただただ寝不足なだけだったが、いつの間にか不良達から目の敵にされる存在になっていったことは容易に理解できた。

「つまり佐倉は寝不足で喧嘩売られて、仕方なく抵抗してたら、自然にヤンキー扱いされてた感じ?」
「そうっす。すやぴのおかげで眠れるようになってからは中学でも理解してくれる友達ができたりしたんすけど、やっぱり喧嘩する奴ってイメージが拭えなかったんすよ。だから、高校では絶対そういうイメージなくそうって思って、高校デビューしたんっす」
「高校デビューっていうか、本来の佐倉が今の感じなんじゃねーの?」
「そうなんすよ! でも、昔の俺のこと知ってる奴はみんな多分高校デビューしたんだなって思うくらいには変わったんっすよ」

 大きな瞳に星屑でも散らしたみたいだ。
 佐倉は目をキラキラさせて夢物語みたいに俺との出会いを話す。

「俺が今みたいに毎日楽しく友達と過ごせてるのは、全部すやぴのおかげなんっす!」

 カメラの前に立ってはじめてマイクに囁いたとき、俺はこんな風に誰かの人生を変えられるだなんて思ってもいなかった。
 そして、佐倉に出会わなければ、俺は自分がネットに投稿している動画の本当の価値について知る事もなかっただろう。
 いつも眩しい佐倉の輝きは、俺の動画が支えているんだという事に、心の底から迫り来る高揚感があった。

「凪パイは自分がすやぴでがっかりしただろうって言ってましたけど、それは本当は俺のセリフだったんっすよ。寝不足の顔見られて怖がられるのも怖かったし、元ヤンみたいなことしてた過去を知られて引かれるのも怖くてたまんなかったっす。だから、凪パイが喧嘩も一方的なものじゃなかったんだろうってすぐに理解してくれたのが、マジで嬉しかったんすよ」

 泣いた後だから、佐倉の瞳はいつも以上にキラキラして見えた。
 佐倉はきれいで眩しくて、遠い存在なんだと勝手に思ってた。

 でもそうじゃない。
 俺が佐倉を輝かせていた。

 心臓の主張がまた激しくなる。
 不安になるくらいに胸の内側を叩く鼓動が早い。

 佐倉のことを輝かせるのは俺だけがいい。
 そう思った瞬間、ああ、好きだって負けたような気分で自覚していた。

 佐倉が好きだ。
 俺が勝手に作った陰キャだの陽キャだのという垣根をぴょんと跳び越えて、佐倉は俺の心を燦々と照らす。
 その輝きは俺が生み出したものなんだという優越感は凄まじかった。

「凪パイ」

 気持ちは言葉にしていなかった。
 だけど、瞳が語ってしまっていたかもしれない。

 見つめすぎたことを後悔して目を伏せたが、もう遅かった。

「凪パイのこと、やっぱり好きっす。付き合ってください」