学校生活の中で恐れていることはたくさんある。
授業中に先生に当てられること、悪目立ちすること、その他諸々。
だけど、一番恐れているのはネットで使っているハンドルネームで呼ばれることだ。
「え、すやぴ?」
その恐れていることが唐突に発生して、俺は硬直するしかなかった。
腕の中ではふわふわの兎である長寿郎が鼻をヒクヒクさせている。
飼育委員の活動でペアになった後輩の佐倉に、俺は兎小屋の掃除方法や餌やりの方法を教えていただけだったはずだ。
それなのに、唐突にネットで動画投稿をしている名前で呼ばれたことで頭は真っ白になっていた。
「あ、違うっすか? 囁き声がめちゃくちゃ似てたんすけど」
「違う。なにそれ。すやぴって」
「ASMRって知ってます? 頭ゾクゾク〜ってする動画なんすけど、すやぴはそういう動画を配信したり投稿したりしてるんすよ!」
佐倉は身振り手振りを混ぜながら興奮気味に説明する。
俺はしらばっくれながらも、内心焦りまくりだった。
ASMR動画を配信したり投稿したりしているすやぴは俺で間違いなかったからだ。
ASMR動画とは佐倉の言う通り、脳がゾクゾクするようなリラックス効果を与える動画のことを言う。
動画内容は囁きながら心地よい音が出るようにおかしを食べたり、医者や美容師などのロールプレイをしたりするもの。
これなら俺にもできるんじゃないかと思って顔出しなしではじめたら、思いの外観てもらえて、今は俺のチャンネルの登録者数は50万人を超えている。
最近はASMRの認知度が高まって動画の伸びも以前よりよくなっていることは感じていた。
それでも首から下しか動画には映していなかったから、学校で身バレするなんて考えもしていなかった。
しかも、その身バレ相手が佐倉だなんて。
「えー、でも今の囁きは絶対すやぴに似てたっすよ。凪パイ嘘ついてないっすよね?」
「だから違うって。あと、その舐めた呼び方やめろマジで」
「かわいいじゃないすか、凪パイ。お菓子みたいで」
にぱっと緩い笑みを向けてくる佐倉に、俺はため息しか出ない。
飼育委員でこいつとペアを組まされたときから嫌だと感じていた。
なんてったって、俺と佐倉は住む世界が違いすぎる。
クラスの隅っこでキノコを生やしてそうなのが俺で、太陽が燦々差す日向の真ん中にいるのが佐倉だ。
つまりは陰キャと陽キャ。
俺達の間を繋いでいるのは飼育委員の活動のみで、普通であればかかわるはずもなければ、かかわりたいとも思わない相手だ。
明るい茶髪にピアスまで着けた佐倉は、初対面の時から俺のことを「凪パイ」なんて舐めた呼び方で呼んでいる。
こんな陰キャの俺をからかう陽キャの代表みたいな奴が、ASMR動画を観てるだなんて考えたこともなかった。
「俺、結構ヘビーリスナーなんすよ。すやぴがおかし食べる動画が大好きなんすよね。咀嚼音もいいんすけど、途中でおいしいおいしい言うすやぴの声がマジ癒やしなんすよ」
「知らねーよ。ASMR動画をそもそも観たことねーし」
「マジすか!? じゃあすやぴの動画だけでも観てほしいっす! マジ俺の最推しなんすよ〜!」
「この人っす!」なんて言いながら佐倉がスマホをずいっと差し出してくるから、驚いて長寿郎が俺の膝から逃げていった。
俺だって逃げられるなら逃げたい。
佐倉のスマホには、人違いでも何でもなく俺のチャンネルが表示されていた。
「この間、登録者50万人突破配信してくれたんすけど、その時の喜んでる珍しくテンション上がってる囁き声が超よかったんすよね。やっぱ推しが喜んでると、こっちも嬉しいじゃないすか。ただでさえ癒やしボイスなのに、嬉しそうなの聞いたら癒やし効果倍増しちゃって!」
「そりゃよかったな。けど、俺じゃないから」
「うーん、わかりました。じゃあ、お願いがあるっす」
誤魔化しきることができたのかもしれない。
一瞬安堵した俺の両肩を掴んで、佐倉が俺を真正面から見据えた。
真顔になると、佐倉はちょっとびっくりするくらい顔がいい。
ともすれば怖く見えるほどにきれいな顔でガン見されて、俺は息をのんだ。
「俺に囁いてくれませんか?」
「……は? なんでだよ」
「最悪凪パイがすやぴじゃなくてもいいんすよ! すやぴの声にそこまで似てるんならもうオールオッケーっす! お願いだから、俺の名前耳元で囁いてくれません? 宵って!」
「はあ!? 嫌だよ!」
兎にちょっと「いい子だなぁ」と囁いただけで、俺をすやぴだと特定してきた耳のいい奴に囁いたりなんかしたら、マジで俺がすやぴだとバレかねない。
それに、佐倉の耳元で名前を呼ぶことを考えたら恥ずかしすぎて死にそうだった。
「お願いっすよ、凪パイ! ちょっとだけ! 一回だけ! 下の名前が嫌なら佐倉でもいいっすから!」
「いやだって! つーか、マジでおまえ仕事しろよ!」
兎小屋の掃除はさっきからちっとも進んでいない。
これ以上追及されたらまずいと感じて、傍らに置いていたちりとりを佐倉に押しつけると、佐倉はぶつぶつ言いながらも掃除をはじめた。
「俺がすやぴの声間違えるかなぁ……?」
そんなに自信があるってことはよっぽどのヘビーリスナーなのか?
飼育委員のペアは1年間変わることはない。
これから1年間、俺は佐倉と一緒に兎小屋の掃除を週イチで行わなければならないということだ。
ASMR動画の中では医者になりきって検査ごっこをしたり、美容師になって髪を切る真似事をしたりといろいろな役になりきるロールプレイもしている。
カメラを前にひとりで演技をすることに抵抗はなかったが、そんなことをしているのが俺だと後輩に知られることは恥ずかしくて堪らなかった。
動物が好きだからって飼育委員になんてならなければよかった。
俺はこれから1年間、佐倉にすやぴだとバレずにいられるのか。
不安で堪らない気持ちを抱えながらも掃除に励んだ俺は、帰路の途中で救いを求めてある屋敷へと向かった。
授業中に先生に当てられること、悪目立ちすること、その他諸々。
だけど、一番恐れているのはネットで使っているハンドルネームで呼ばれることだ。
「え、すやぴ?」
その恐れていることが唐突に発生して、俺は硬直するしかなかった。
腕の中ではふわふわの兎である長寿郎が鼻をヒクヒクさせている。
飼育委員の活動でペアになった後輩の佐倉に、俺は兎小屋の掃除方法や餌やりの方法を教えていただけだったはずだ。
それなのに、唐突にネットで動画投稿をしている名前で呼ばれたことで頭は真っ白になっていた。
「あ、違うっすか? 囁き声がめちゃくちゃ似てたんすけど」
「違う。なにそれ。すやぴって」
「ASMRって知ってます? 頭ゾクゾク〜ってする動画なんすけど、すやぴはそういう動画を配信したり投稿したりしてるんすよ!」
佐倉は身振り手振りを混ぜながら興奮気味に説明する。
俺はしらばっくれながらも、内心焦りまくりだった。
ASMR動画を配信したり投稿したりしているすやぴは俺で間違いなかったからだ。
ASMR動画とは佐倉の言う通り、脳がゾクゾクするようなリラックス効果を与える動画のことを言う。
動画内容は囁きながら心地よい音が出るようにおかしを食べたり、医者や美容師などのロールプレイをしたりするもの。
これなら俺にもできるんじゃないかと思って顔出しなしではじめたら、思いの外観てもらえて、今は俺のチャンネルの登録者数は50万人を超えている。
最近はASMRの認知度が高まって動画の伸びも以前よりよくなっていることは感じていた。
それでも首から下しか動画には映していなかったから、学校で身バレするなんて考えもしていなかった。
しかも、その身バレ相手が佐倉だなんて。
「えー、でも今の囁きは絶対すやぴに似てたっすよ。凪パイ嘘ついてないっすよね?」
「だから違うって。あと、その舐めた呼び方やめろマジで」
「かわいいじゃないすか、凪パイ。お菓子みたいで」
にぱっと緩い笑みを向けてくる佐倉に、俺はため息しか出ない。
飼育委員でこいつとペアを組まされたときから嫌だと感じていた。
なんてったって、俺と佐倉は住む世界が違いすぎる。
クラスの隅っこでキノコを生やしてそうなのが俺で、太陽が燦々差す日向の真ん中にいるのが佐倉だ。
つまりは陰キャと陽キャ。
俺達の間を繋いでいるのは飼育委員の活動のみで、普通であればかかわるはずもなければ、かかわりたいとも思わない相手だ。
明るい茶髪にピアスまで着けた佐倉は、初対面の時から俺のことを「凪パイ」なんて舐めた呼び方で呼んでいる。
こんな陰キャの俺をからかう陽キャの代表みたいな奴が、ASMR動画を観てるだなんて考えたこともなかった。
「俺、結構ヘビーリスナーなんすよ。すやぴがおかし食べる動画が大好きなんすよね。咀嚼音もいいんすけど、途中でおいしいおいしい言うすやぴの声がマジ癒やしなんすよ」
「知らねーよ。ASMR動画をそもそも観たことねーし」
「マジすか!? じゃあすやぴの動画だけでも観てほしいっす! マジ俺の最推しなんすよ〜!」
「この人っす!」なんて言いながら佐倉がスマホをずいっと差し出してくるから、驚いて長寿郎が俺の膝から逃げていった。
俺だって逃げられるなら逃げたい。
佐倉のスマホには、人違いでも何でもなく俺のチャンネルが表示されていた。
「この間、登録者50万人突破配信してくれたんすけど、その時の喜んでる珍しくテンション上がってる囁き声が超よかったんすよね。やっぱ推しが喜んでると、こっちも嬉しいじゃないすか。ただでさえ癒やしボイスなのに、嬉しそうなの聞いたら癒やし効果倍増しちゃって!」
「そりゃよかったな。けど、俺じゃないから」
「うーん、わかりました。じゃあ、お願いがあるっす」
誤魔化しきることができたのかもしれない。
一瞬安堵した俺の両肩を掴んで、佐倉が俺を真正面から見据えた。
真顔になると、佐倉はちょっとびっくりするくらい顔がいい。
ともすれば怖く見えるほどにきれいな顔でガン見されて、俺は息をのんだ。
「俺に囁いてくれませんか?」
「……は? なんでだよ」
「最悪凪パイがすやぴじゃなくてもいいんすよ! すやぴの声にそこまで似てるんならもうオールオッケーっす! お願いだから、俺の名前耳元で囁いてくれません? 宵って!」
「はあ!? 嫌だよ!」
兎にちょっと「いい子だなぁ」と囁いただけで、俺をすやぴだと特定してきた耳のいい奴に囁いたりなんかしたら、マジで俺がすやぴだとバレかねない。
それに、佐倉の耳元で名前を呼ぶことを考えたら恥ずかしすぎて死にそうだった。
「お願いっすよ、凪パイ! ちょっとだけ! 一回だけ! 下の名前が嫌なら佐倉でもいいっすから!」
「いやだって! つーか、マジでおまえ仕事しろよ!」
兎小屋の掃除はさっきからちっとも進んでいない。
これ以上追及されたらまずいと感じて、傍らに置いていたちりとりを佐倉に押しつけると、佐倉はぶつぶつ言いながらも掃除をはじめた。
「俺がすやぴの声間違えるかなぁ……?」
そんなに自信があるってことはよっぽどのヘビーリスナーなのか?
飼育委員のペアは1年間変わることはない。
これから1年間、俺は佐倉と一緒に兎小屋の掃除を週イチで行わなければならないということだ。
ASMR動画の中では医者になりきって検査ごっこをしたり、美容師になって髪を切る真似事をしたりといろいろな役になりきるロールプレイもしている。
カメラを前にひとりで演技をすることに抵抗はなかったが、そんなことをしているのが俺だと後輩に知られることは恥ずかしくて堪らなかった。
動物が好きだからって飼育委員になんてならなければよかった。
俺はこれから1年間、佐倉にすやぴだとバレずにいられるのか。
不安で堪らない気持ちを抱えながらも掃除に励んだ俺は、帰路の途中で救いを求めてある屋敷へと向かった。
