明日が待ち遠しくなるなんて



 三年生は自由登校の期間で粒良先輩は登校していないようだった。放課後は本屋に寄る以外は寄り道せずに帰るのがほとんどだったなあ。友達と話しながら下校するのとは無縁だったのに、今では当たり前になっている。
「それじゃ」
 石倉に手を振って別れてから最近通い始めた塾に向かう。塾に着いてスリッパに履き替えていると電話が鳴り慌てて電話に出る。
「粒良先輩!?」
「今から話せたりする?」
「はい、今からでも大丈夫です」
 本当は大丈夫ではない。だけど今まで真面目に出席していたし、一日だけサボってもいいだろう。母さんには怒られるだろうけど、粒良先輩の声を聞いたら会いたくなった。胸を弾ませて待ち合わせ場所の公園へ駆けていく。その頃、粒良は試験を終えて最短ルートで公園まで急いでいる。
 公園の噴水近くで、粒良先輩が向こうから息を弾ませて駆けてくる。そして、二人は噴水前で息を整える。
「千崎に伝えたいことがあるんだ」
「何ですか?」
「千崎が好き」
 はいいいいい!!?
 あまりの急展開に言葉を失う。話って告白だったんだ。何もかもが上手くいかない。本当は粒良先輩が卒業する日に僕から告白するつもりだった。望み薄であろうとも最後に想いだけは伝えたかった。
「弟として見れない。恋人として付き合えない?」
「僕も粒良先輩が好きです。ずっとこっそり恋をしてたんです」
「本当! 俺らって両想いだったんだね!」
 粒良先輩に抱きしめられ久しぶりの温もりに浸る。
「粒良先輩はずるいです。たまには僕にカッコつけさせてくださいよ」
 いつもいいところを掻っ攫われてしまう。
「だめ。本当は何か予定あった?」
「また話を逸らした! 予定はあるにはあったけど今日はもういいんです!」
 そこで母親からの鬼電が掛かってきて粒良先輩に事情を知られてしまう。
「ずる休みはなし。ほら、行って」
 粒良先輩に背中を押され塾に逆戻りする羽目になる。せっかく有頂天になっていたのに、こんな日に勉強だなんて全くもって気が重い。
「勉強頑張って。また連絡する」
 粒良先輩の弾ける笑顔を見た途端、もうどうでもよくなった。





 通学路で粒良先輩の背中を見つけいそいそと駆け寄る。
「おはようございます」
「おはよう。放課後、デートしない?」
 まただ。デートに誘おうとメッセージを送るつもりだったけど、学校で会えるのだからどうせならそのときに誘おうと決めていた。どうしてか先回りされてしまう。
「僕から誘いたかったのになんで先に言うんですか?」
「それで行く? 行かない?」
「行くに決まってるじゃないですか」
「今日は塾ないよね?」
「ありません。毎日通い詰めなんてできません」
「昼一緒に食べる?」
「粒良先輩!」
 誘おうとするとことごとく失敗する。走り出す粒良先輩を呼びながら追いかける。そんな仲睦まじい二人を見かけた学生たちは早速話題にし、復縁したという朗報が校内に駆け巡る。
 昼ご飯を食べ終えて二人は旧校舎へ足を向ける。
「ここに来たかったの?」
「はい」
 静寂に包まれた廊下には二人の足音がやけに響く。
「恋人らしいことをしていい?」
 今ここで!?
 キスをするのだと目を薄っすら閉じる。唇に触れる感触はなく粒良先輩が手を握ってくる。僕だけがキスをしたかったみたいで恥ずかしくて穴があったら入りたい。
 粒良先輩と見たかった壁画の前に立つ。
「見せたかったのって、これ……」
「そうです。何を感じますか?」
「……何も」
「何もないんですか。感動するとか色彩豊かな作品とかもないんですか?」
「ない……」
 粒良先輩の反応はイマイチだった。目に留まった美術作品があればあれこれ考察してしまう。感じ取ったことを共有すれば対話が深まって価値観の幅が広がるのになあ。僕って美しいものに目がないのは昔から変わらない。


 放課後、粒良と千崎は映画デートをする。暗闇で手を繋ぎポップコーンに手を伸ばしたとき、粒良先輩の横顔を盗み見る。視線を感じた粒良先輩が照れ隠しをするように微笑みかけてくる。こうして手を繋いでいると、付き合っているんだと実感が湧く。
 バレンタイン一色に染まる街を歩いていると、季節の移ろいが早く感じられる。今年のクリスマスは一緒に過ごせなかったから来年こそはクリスマスデートがしたい。一緒に年越しを迎えたい。これからたくさん思い出が増えるだろう。そういえばバレンタインはどうするのだろう。チョコレート交換をするのだろうか。
「懐かしい。この店、まだあったんだ」
 建物に挟まれた通りの奥まった場所に古びた駄菓子屋があった。老夫婦が経営しているようで、店内のパイプ椅子に座りお茶を飲んで休憩している。
「遠足のお菓子はここで買ってたんだ。品揃えが豊富なんだ。見て行かない?」
 粒良先輩は昔を懐かしむようにあれこれとかごに入れている。僕は遠足に大した思い入れはない。どこに行って何をしたのだろう。記憶が朧げだ。
 外にあるベンチに座り、粒良先輩の遠足の思い出話に耳を傾ける。肩に寄りかかってくる重みが心地よく目を閉じる。まだ帰りたくない。時間がゆっくり流れればいいのに時は待ってくれない。
 お決まりとなったように人目のない通りで長めのハグをして「また明日」と別れる。





 粒良は机に突っ伏して不服そうにむくれている。七瀬は粒良の机に顎を乗せてしゃがむ。
「機嫌悪い?」
「千崎が悪い。ずっと誰かさんを褒めてるんだ。耳にたこができるほど聞いた」
「ふーん、そいつに嫉妬してるんだ」
「悪い? 恋人はそっちのけであんまりだよ」
 呑気にあくびをする桃下が近づいてきてキッと睨む。
「不機嫌なのか?」
「ああ」
 その頃、千崎は恋人の心境を読めずに悠長な読書時間を堪能している。切りのいいところで本に栞を挟みバッグにしまう。
「きりとって名前の人はこの学校にいる?」
「いるよ」
「一年生に小夏紀李人(こなつきりと)って子がいる」
「そうなんだ。ありがとう」
 一年生なんだ。忘れないように名前をノートの端に書き留める。
「もう一人、漢字違いで桐斗(きりと)……、って聞いてない……」
「話は最後まで聞けよ……」
 完全に自分の世界に入っていて、双子と石倉が話す声は届いていない。その話が最も重要だったのを後に知ることとなる。


 昼休憩になり、旧校舎前に行くと粒良先輩だけではなく桃下先輩と七瀬先輩がいた。二人きりではないのが正直なところは残念ではあるが、二人の先輩とは最近話せていなかったのでたまにはいいかと先輩たちに近づく。
「ここで何がしたいんだ?」
 僕を先頭にして壁画のほうへ向かう。壁画に近づくにつれて桃下先輩と七瀬先輩が芳しくない顔になっていて、粒良先輩は耳を塞いでいるとも知らずに。
「これです」
「これがどうしたんだ……?」
 壁画のどこが素晴らしいとか隠されたメッセージはこうじゃないかといつもと変わらず考察しては口に出す。
「まさかこれが原因なのか……」
「そうだよ。誰かさんの才能が恨めしい」
「俺だって聞きたくねえよ……」
 先輩たちは少し離れたところでこそこそと話しているが、ひとりで考察に没頭する。
「桃を褒めるのはやめてくれない?」
 永遠に語っていると粒良先輩に口元を塞がれる。
「桃下先輩を褒めてません」
 どうして桃下先輩が出てくるんだろう。
「それじゃあ、誰を褒めてるの?」
「この壁画です」
「壁画にサインがあるのを見た? 桃だってわかるのにわざとしてる?」
 サインがあるのは知っている。きりとって人の作品であって桃下先輩とは関係ない。関係ないはずなんだけど、さっきから話が噛み合わない。
「きりとって一年生の作品じゃないんですか!?」
「違うよ。桃の作品だって言ったでしょ。何百回も顔を合わせてるのに名前を知りませんでしたは通じないから」
 そのまさかのまさかなんだ。桃下先輩の名字しか知らない。校内で「桃」「桃ちゃん」「桃下」「桃下先輩」とだけ呼ばれているというのに下の名前を知りようがない。
「桃下先輩、下の名前って何ですか……?」
 怒られるのは間違いなしだ。それでも、怯えながら勇気を振り絞ってそう口に出す。震え声になり足がガクガクして支えなしには立つのは困難なほどだ。
「……は?」
 僕のたった一言で耐え難いほどの重苦しい沈黙に包まれる。
「マジで知らなかったみたいだな……」
「それだと、こいつの名前も知らないだろ」
光士郎(こうしろう)ですよね?」
「なんでこいつの名前は知ってんだ……」
「もういいよ。これ以上は聞いてられない」
 粒良先輩は視線を合わせようとせず唇を噛みしめて足早に立ち去ってしまう。
 恋人の前でほかの人を褒められて不愉快になって当然だ。口に出てしまっていた言葉を全て飲み込んでいたらあんな顔をさせずに済んだのに。
「さっさと追いかけろ」
「あのまま放置だけはするなよ?」
「わかってます」
 走り回って探していると人影のない校舎裏で微かなジャリッという砂の音がして引き返すと、そこに粒良先輩がいた。
「来ないで。何も聞きたくない」
 粒良先輩は顔を背けて体育座りをしている。機嫌を損ねさせたのはほかでもない僕だ。
「ごめんなさい。わざとじゃないです。僕にとっては粒良先輩が一番ですから」
 粒良先輩の隣で同じように体育座りをして雲ひとつない青空を見上げる。
 笑ったときのチャーミングなえくぼ。スタイルがいいところ。優しいところ。慕われているところ。仕事姿。動物好きなところ。動物に優しいところ。可愛い食べ方。気遣いができるところ。料理上手なところ。夢を楽しそうに語るところ。肌が綺麗なところ。ゲームが下手という弱点があるところ。寝顔。お洒落なところ。味方でいてくれるところ。教えるのが上手なところ。努力家なところ。美しい所作。ハグをしたがるところ。甘えてくるところ。好きと言ってくれたところ。粒良先輩の好きなところを百個挙げる。好きなところは枚挙にいとまがない。
「わかったからもうやめて」
 照れている粒良先輩に口元を塞がれてしまう。暫くしてこれ以上は話さないと踏んだのか手が離れていく。
「まだあるのに聞かなくていいんですか?」
「いい」
「機嫌を直してくれましたか?」
 粒良先輩は黙りこくり困り果てる。どっちなんだろう。まさか七瀬先輩を下の名前で呼んでしまったことなのだろうか。あれは聞かれたから答えただけだ。
「粒良先輩? なっ……ななな奈知……?」
 蚊の鳴くような声でそう呼ぶ。下の名前で呼ぶのはなんでこんなに恥ずかしいのだろう。
「なんて?」
 粒良先輩が僕のほうを振り向きようやく目を合わせてくれる。過去史上最も緊張する瞬間となりそう。踊り狂ったように心臓が早鐘を打ち呼吸が微かに乱れる。目を閉じ一旦落ち着かせてから目を開ける。
 言うんだ。
「奈知、恋人っぽいことをさせてください」
 瞳に微塵の揺らぎさえ感じさせない真剣な眼差しで、粒良先輩の惹きつけて離さない瞳を直視する。
「……うん、いいよ」
 粒良先輩は目を大きく見開いてから大好きなえくぼを浮かべてお日様のように微笑む。校舎裏の壁には引き寄せられるように近づく影が揺らめき、二人の影がゆっくりと重なる。寄り添うシルエットが静かに唇を重ねる。





 バレンタイン
 粒良が登校すると、桃下が下駄箱に入っていたチョコレートをうんざりしながら腕に抱えている。粒良が下駄箱を開けるとチョコレートがどさどさと落ちてくる。それらを去年と変わらず紙袋に入れていく。
「それ、どうするんだ?」
「本命だけ受け取るからご自由にどうぞコーナーに入れとく」
「だよな」
「紙袋いる?」
「サンキュ」
 ご自由にどうぞコーナーとは三人で起業したカフェに設置されている無料サービスコーナーだ。
 朝のホームルーム前、教室では千崎がどんなチョコレートをプレゼントしてくれるだろうという話になる。
「デパ地下のチョコは期待できないだろうな」
「それな。板チョコじゃね?」
「うん、そうかもしれない」
「待てよ。千崎のことだからチョコじゃないんじゃないか?」
「ん?」
 チョコじゃないプレゼントって可能性は十分にあり得る。そうなると候補があり過ぎて予想がつかない。だけど、予想がつかないからこそ貰ったときの感動は計り知れない。
「粒良先輩」
「いつもありがとう。はい、あげる」
「ありがとうございます。家に帰って開けます」
「うん」
 千崎がバッグの中をごそごそしていて、期待に胸を膨らませて待つ。桃の予想が的中し板チョコの詰め合わせだった。千崎にしてはまともなプレゼントでかえって胸がざわつく。
「あっ、それは店に置いといてください」
「どうして?」
 プレゼントしてくれたのに貰っちゃいけないだなんて言われたことない。
「粒良先輩からのだけを貰うつもりだったのに机の中に入ってたんです。持ち主に返すつもりだったんですけど、名無しで返しようがないのでとりあえず鞄に入れておいたんです」
「どうして今渡すの?」
 時々、わざと怒らせたりしているんじゃないかと疑ってしまうほどだ。悪気がないのはわかってる。抜けているところがあったり熱中するあまり人の話を聞いていなかったりはしょっちゅうで、それでも好きになったんだから。
「ごめんなさい。今渡すべきではありませんでした」
 千崎は叱責された子供のようにシュンと項垂れてしまい、怒る気分にもなれない。
「学校では眼鏡にして。千崎がモテると妬ける」
「ほかの人にモテても意味がありません。粒良先輩にしか興味がないです。コンタクトのほうが粒良先輩の顔がよく見えるんです。このままじゃだめですか?」
 瞳を潤わせた千崎に何も言えなくなる。
「……わかったよ。俺が卒業するまでだからね?」
「はい、プレゼントは家にあるので放課後でいいですか?」
「いいよ」
 プレゼントを持ってくるのを忘れたわけではなさそう。付き合ってから千崎の家には行ってないから緊張する。
「それでその……」
 俯きもじもじして言葉を濁されると、嫌な予感がして心が波立つ。
「どうしたの?」
「肝心のチョコは買えてなくて……」
 さっきは家にあるって言ったのに今度は買えてないってどういうこと……。言ってることがちぐはぐで何から突っ込めばいいか途方に暮れる。桃と七瀬に視線で助けを求めるが、二人にも理解できていないようだった。
「そうじゃなくて買ったんですけど、失敗してそれでなくなったんです……」
「手作りしたの!?」
「はい……、でも失敗作ばかりで渡せません」
「すっごい嬉しい。俺のは手作りじゃなくてごめんね?」
「いいんです。僕がしたかっただけです」
「何を作ってくれたの?」
「チョコマカロン」
 マカロンは初心者にとったら難しいんじゃないかな。そういう俺もスイーツ作りはしたためしがないからよくわからない。
「本当は一緒に作りたいです。でもそれをするには母さんを説得しないといけなくて、どうなるかはわかりません。運悪く作っている最中にオーブンが壊れてしまったんです。行き違いがあって母さんには僕が壊したと伝わってしまっているんです。それで粒良先輩がキッチンを使うのはいいけど僕はだめそうです」
「……」
 なんて言えばいいかな。スイーツ作りは初めてだからプレッシャーではある。
「つまり一緒に作りたいけど状況的に難しいから、粒良がひとりで作らないといけないってわけか……」
「はい、全くもってその通りです」
「せいぜい頑張れ」
 桃下が肩を叩いて励ましてくれる。
「僕のせいでごめんなさい」
「謝らないで。俺だって初めてだから失敗するかも。あんまり期待しないで」
「失敗したとしても僕のよりはマシです」
「どうだろう。千崎よりひどかったらどうする?」
「それは絶対にないです」


 昼休憩になり、中庭で体重の全てを預けもたれかかる粒良先輩を後ろからすっぽりと抱きしめている。腕の中で安心しきっていて信頼してくれているのだと伝わる。
 色々あって粒良先輩の家で一緒にスイーツ作りをしようとなっていて、マカロンは断念して簡単なレシピを探している最中だ。
「生チョコはどう?」
「それこそ難しくないですか?」
「そうかな。このレシピだと少ない材料で作れるらしいよ」
 スマホ画面を覗き見ると粒良先輩が顔を上げ、覆い被さるようにそっと口づけを落とす。粒良先輩は頬を染め照れて手で顔を隠してしまう。
「そんな照れないでください。こっちまで恥ずかしくなるじゃないですか」
 粒良先輩は指の隙間から覗き照れくさそうにはにかんでいる。可愛い仕草で殺しにかかってる。


 マカロンとは別に用意していたチョコレートの香りがするアロマをプレゼントすると大好きな笑顔を向けてくれた。
 守りたい、この幸せな気持ちにさせてくれる笑顔を。