二学期始業式
いつになく心が軽い朝。登校前、丁寧にラッピングされた粒良先輩に渡す誕生日プレゼントを大切そうに胸に抱く。
喜んでくれたらいいなあ。
「忘れ物」
玄関で靴を履いていると、祖母が少し大きめの紙袋を手渡してくる。
「あ、そうだった。行ってくる」
「いってらっしゃい」
いつもと変わらず、祖母が玄関先で見送ってくれる。粒良先輩に会ったら真っ先に「おめでとう」とお祝いの気持ちを伝えてプレゼントを渡そう。脳内で手順を何度も確認したのでばっちりだ。そう、このときは事が上手く運ぶと信じて疑わなかった。
昇降口で上履きに履き替えている仲良し三人組の先輩を見かけたと同時に、待ち構えていた下級生に取り囲まれてしまう。このとき、何事も筋書き通りにいかないのだと思い知る。それにしても珍しい光景だ。あの三人の先輩が始業時間ギリギリに登校してくるだなんて、今までにあっただろうか。
「やっぱりこうなるんだなあ」
「もうお馴染みだよ」
双子が僕の両脇に立ち先輩たちを憐れむ。
始業式が始まり全校生徒が講堂に集まっている。校長先生のただ長くて退屈な話は右の耳から左の耳へ通り抜ける。講堂の前方に座る粒良先輩の背中を眺めていると、いつの間にか終わっていた。
下校時間になり石倉が僕の席に来る。
「誕プレ、渡せた?」
「それがまだなんだ」
「粒良先輩に渡す気ならやめときな」
「余計なことを言うな」
石倉が橘に口止めする。
「渡しちゃいけなかった?」
「そういうんじゃない。あげても結果は同じだってこと」
「暗黙の了解だよ」
双子が話していることもそうだけど、橘にプレゼントを渡すのを止められるのも、何が何だかさっぱりで突っ立ったまま身動きができないでいる。
「千崎は知らないんだったよな。あの三人の先輩は誰からも誕プレを貰わないんだ」
「ええっ!?」
石倉の衝撃的な発言に心が折れる。そういうことなら先に言ってほしかった。
待てよ。それじゃあ、粒良先輩はなんであんな心待ちにしてるって伝わるくらいに嬉しそうにしたんだ。何を考えているのか全然わからない。揶揄われたのか。粒良先輩に限って違うはずなのに、もし断られたらと思うと足が竦む。渡すのはやめとこう。
「……帰る。それじゃ」
楽しい誕生日会にはならないことを悟り、悲しみに打ちひしがれて踵を返す。
「待て!」
石倉が僕の肩に手を置き呼び止める。
「ごめん。今はひとりにしてほしい」
「まだ話の途中。学校ではそうだけどプライベートなら別なはず。そうだろ、橘」
「桃ちゃんか粒良先輩のどっち?」
「桃下先輩だよ!!!」
石倉と双子が声を荒げて耳がキーンとする。
「桃ちゃんには『おめでと』しか言ってない」
「それだけなのか!」
「それだけって普通だろ」
「ごめん、何の話??」
「今日は桃ちゃんと粒良先輩の誕生日。ちなみに二日前が七瀬先輩の誕生日。夏休みだったから遅くなってでも渡したがる後輩がいるんだ。大変だよな」
はあああああ!!?
幼馴染で誕生日まで一緒なんだ。不思議な縁。誕生日が近いと親密度が高くなるのかもしれない。やっぱり親近感が湧くのだろうか。
「粒良先輩のために選んだのにさ、渡さないでいいのか?」
「渡したいけど断わられるはず」
そういえば、石倉と双子がプレゼント選びに付き合ってくれたんだっけ。
「千崎からのプレゼントを断るわけないだろ」
石倉は揺るぎない口調でそう断言する。
「根拠は?」
双子が先を促し、僕も前のめりになって話の続きに耳を傾ける。
「直感」
「直感かよ!!」
直感って……。もうちょっと違う答えを期待していた。
先輩たちがいるカフェへ向かう道すがら、橘に話しかける。
「『おめでと』って言ったらどんな反応だった?」
「『おう』ってだけ」
「それだけなの!?」
あっさりしている……。そういうものなのか。
「そういうもんだろ。恋人には違う反応かもだけど」
「桃下先輩って恋人がいたの!?」
恋人のいる気配がなかったのに……。
「今はいない」
「そうなんだ……」
今はってことは過去にいたんだ。モテる人は違うなあ。
「やっば! 母ちゃんから桃ちゃんのケーキ買うために多めに金貰ってたんだった。ケーキ屋寄っていい?」
「うん、僕も粒良先輩の分を買ってく」
誕生日と言えばケーキなのに肝心なものを忘れて祝うとこだった。
下校時間になると学校からそそくさと退散して、粒良は桃下と七瀬の二人と自分たちの店に避難していた。新着メッセージが届いてこないかとスマホを視界の端に入れる。
「さっきから誰からの連絡を待ってる?」
「千崎からお祝いのメッセージが来ないんだ。忘れられてるのかな?」
「忘れられてる可能性もあるな」
「やっぱり、そうなんだ……」
両手で顔を覆い落ち込む。結構期待していたのに。
「ずっと聞きたかったんだけど、あいつのことどう思ってんだ?」
「どうって……、可愛がりたくなる弟かな」
本当に忘れられたのかな。指の隙間からスマホ画面を覗きながら話す。
「弟か……」
「前から欲しがってたもんな。だけどさ、他人だろ」
「わかってるよ」
「わかってないだろ……。あいつが好――」
「やめとけ」
七瀬が桃下の肩に手を置き首を横に振る。後ろ脚がなくても前脚だけでほそく前進のように歩き、毎日元気一杯に生きるソルというオス猫が甘えてきて腕の中に抱く。
「なんて?」
「……何でもねえよ」
桃下は後頭部を掻き喉まで出かかった言葉を飲み込む。
「桃ちゃーん!」
橘は頬杖をつき足組みをして座る桃下を背後から抱きしめる。
「うざい! 離れろ!」
苦虫を噛み潰したような表情の桃下は迫ってくる橘の顔を手のひらで押し返している。どれだけ煙たがられようと橘は一切めげない。そのうち桃は観念したかのように警戒心を解いて受け入れるようになったんだっけ。
「誕生日ケーキ」
橘はテーブルの上に四人で食べるにしては大きいケーキ箱を置く。
「こんなに食えるかよ!」
桃下がすかさず抗議する。何人分だろう……。箱のサイズからして七号か八号くらいはありそう。さすがに四人では食べ切れない。
「後で四人合流するんだ」
「もしかして、千崎?」
期待するあまり声が上ずる。千崎に祝ってもらいたい。血の繋がった兄弟だったら毎年祝ってもらえたんだろうな。
「さあ、ご想像にお任せしまーす」
数分後、石倉と双子と千崎が合流する。どうやらジュースや飾り付けの買い出しに行っていたらしい。祝いに来てくれるやいなや三人は部屋から追い出される。それは瞬く間の出来事で三人は放心して立ち尽くす。
「いいって言うまで立ち入り禁止」
閉まったドアが勢いよく開け放たれ、橘がそう言い放ちまたドアが音を立てて閉まる。
「俺らの店だってのに……」
呼び戻され部屋に入った瞬間、クラッカーがパンッと鳴り響き「お誕生日おめでとうございます」と祝いの言葉が降り注ぐ。短時間でディテールにこだわる飾り付けにデコレーションケーキ。
「粒良先輩? 気に入ってくれましたか?」
千崎は憂いを帯びた瞳で見上げてくる。
「祝ってくれてありがとう」
胸に渦巻く不安を払拭してあげたくて千崎を優しく抱き寄せる。
「それならよかったです」
千崎は胸に顔を埋めておもむろに背中に手を回してくる。愛おしさが込み上げ強く抱きしめてしまう。
「苦しいです」
「ごめんね」
慌てて体を離すと、千崎はまだ不安そうに眉尻を少し下げて唇を噛んでいる。
「大丈夫だって」
石倉が千崎の背中に手を添え励ます。
「これ、誕生日プレゼントです」
千崎はラッピングされた誕生日プレゼントを胸元に押し付けてくる。
「開けていい?」
千崎が首を縦に振り心躍らせながら中身を取り出す。部屋は瞬く間に温かい笑いの渦に包まれる。
いい意味で本当に期待を裏切らない。忘れられない誕生日になりそう。
「やっぱり変でしたか?」
「ううん、俺のために選んでくれてありがとう」
頭の上にぴょんっと立ち上がるアホ毛を撫でつけて千崎に微笑む。まさか掃除グッズと来るとは……。一生懸命考えてくれたってことはひしひしと伝わってくる。
「それで掃除に勤しんでろ」
「素晴らしいアイデアだな」
「本当にそうだよ。そういう発想はなかった」
「消耗品はいくらあっても足りないしな」
あちこちから皮肉が飛び交う。
「わかったからそのくらいにして」
千崎が嫌な気分になりはしないかと慌てて止めるが、皮肉を言われていると気づいていないのか何食わぬ顔をしている。
「桃下先輩と七瀬先輩にあげるやつは渡した?」
「あっ! 忘れたまま家に帰るとこだった。覚えていてくれてありがとう」
千崎は石倉にお礼を言っている。
どういうこと……。俺だけじゃなくて二人の分まで選んだの?
優越感に浸っていたというのに、嫉妬心がふつふつと湧き上がる。
「それって渡さないといけない?」
千崎を背後から抱きしめ、桃下にプレゼントを渡そうとする千崎の手に自分の手を重ねる。
「はい」
千崎は一切迷わず即答する。
えー……。ちょっとは悩んでよ。
阻止するのに失敗し、千崎の頭に顎を乗せて桃下に無言の圧をかける。
「あー、俺はいらねえ」
「俺もいいわ」
「どうしてですか?」
千崎は純真無垢な心で桃下と七瀬を見上げる。
「気持ちだけ貰っとく」
「それじゃだめです」
千崎は引き下がるつもりはないらしく二人に詰め寄る。
「何がどうだめなの?」
千崎の両肩を掴み強制的に自分のほうへ向きをぐるりと変えさせ、前屈みになり目線を合わせる。
「家にあるとおじいちゃんが食べちゃうので糖尿病が悪化します」
「……は?」
「……ん?」
三人は唐突な話の展開に面食らう。なぜここで千崎のお祖父さんの話題が出てくるのか誰にもわからなかった。
「母さんが買ってきたお土産です。粒良先輩もどうぞ」
「ありがと……」
言葉足らず。いつもお世話になっていてお礼がしたいからお菓子を貰ってほしいって言ってたな。
「遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます」
「サンキュ……」
「桃下先輩もどうぞ」
「だからいらねえって」
「桃ちゃーん、そこはありがとうって言って貰っとかないとだろ。俺も貰ったぞ。食品ロスに貢献しないとじゃん」
「食品ロスって……、賞味期限がそんな短いわけないだろ」
「いいから貰っといたらいいだろ。ありがとな、千崎」
橘が千崎の手からお菓子をサッと奪い桃下のバッグに押し込む。
「うん」
そうして、千崎にとって誕生日パーティーは過去を振り返る度に懐かしい気持ちにさせてくれることとなるのだ。粒良にとっては青春の思い出深いイベントの一つとして記憶に刻まれることとなるのだ。
*
体育祭
学校の行事でトップにランクインするほど体育祭は大嫌いだ。毎年決まって仮病で学校を休むが今年は出席する。何といっても、粒良先輩の勇姿を見届けたいから。今年で最後だと思うと、急に後悔の念が湧き上がる。一年生から通っていればもっと早くに粒良先輩と出会えていたのに。出会って半年……。月日が経つのは早いものなんだとしみじみと感じる。
「次って、粒良先輩が出場するんだよな」
「うん」
あの仲良し三人組の先輩はクラス対抗リレーに出場するため、凄まじい熱気に包まれている。僕だけではなく粒良先輩を応援する人は多い。
「応援はしないの?」
双子が僕の両隣に立つ。
「してるよ」
四方八方から熱狂的な声援が上がっていて少しうるさいくらいだ。それに対して、僕は静かに見守ることに徹するが心の中では誰よりも熱くエールを送る。
当然至極、一位は二組という結果になる。何でも二組には粒良先輩を筆頭に七瀬先輩と桃下先輩がいる。あの最強三人組の前だと誰一人として歯が立たない。対戦相手には気の毒に思う。二組を差し置いて一位になりでもしたらあらぬ非難を浴びただろう。
もし、あの三人が違うクラスならどんな結果になっていたのだろう。少し興味がある。なぜなら、結果が見え透いていたら面白味に欠けるが、拮抗していると緊迫感が生まれ最後まで目が離せない熱戦が繰り広げられただろうから。見ることが叶わないのは少し残念だ。
「さっすが桃ちゃん」
橘は義兄である桃下先輩の活躍ぶりに誇らしげだ。周りには感極まって膝から崩れ落ちている男子までいた。
「桃下先輩って運動神経がよかったんだ。足が速いって知らなかった」
「違うって。足だけは速いんだよ。球技は苦手」
へえー、そうなんだ。何でもできるってわけじゃないんだ。それもそうか。誰にだって得手不得手があるというものだ。僕は球技が大の苦手だから桃下先輩と同じだ。
なぜ一番盛り上がる種目なのかは知らないが、借り人競争に出場する予定のなかった僕が出場するはめになる。捻挫したクラスメイトのピンチヒッターとして駆り出されたというわけなのだ。出場選手に橘と石倉がいたので軽く引き受けたが、果たしてそれでよかったのだろうか。競技がスタートし走りが遅い僕は一番最後に伏せられたお題カードを手に取る。ルールは頭に入っているがお題に絶句する。まさか自分がこんなベタなお題を引き当てるだなんて……。お題は『好きな人』だった。
「桃ちゃーん、どこ〜?」
橘の叫び声が耳に届くが、お題を見つめたまま阿呆みたいに突っ立つ。頭ではお題に合う人を探さなければいけないのはわかっているが足が動かない。頭に思い浮かぶのは粒良先輩。お題に合う人は粒良先輩だけど、それだと好きだってバレてしまう。
「粒良先輩!」
「七瀬先輩!」
「桃下先輩、どこですか?」
「桃ちゃんは俺が先に呼んだんだ!」
やはりあの三人組は人気だ。助けを求めようにも既にゴールしているだろう。違う人って言ったって誰がいるんだろう。このとき、軽く引き受けるべきではなかったと悔いる。
どれだけ時間が経過しただろう。誰かが棒立ちになっていた僕の肩をポンポンと叩く。
「千崎?」
粒良先輩が助けに来てくれたんだと胸を弾ませて勢いよく振り向くと、そこに立っていたのは石倉だった。
「……競技、終わった?」
「それがさ、借り人競争から先輩探しに競技が変更になったんだ……」
はあああああ!?
全然意味がわからなくて石倉が噛み砕いて説明してくれる。どうやらお題が仲良し三人組にドンピシャで当てはまり、取り合いに発展したらしい。その場全体が異様にヒートアップし誰が提案したのかまではわからないが、その提案に同調する声が次々と上がり今に至るというわけだ。当事者は忽然と姿を消していて、タイムスケジュールを確認すれば応援団の準備で席を外しているとおおよそ予想がつく。
「先輩探しって……、そんなのすぐに見つかるんじゃない?」
「今、隠れてもらってるんだってさ」
かくれんぼじゃないか……。
破茶滅茶だけど盛り上がってるならそれでいいか。
「つまり先輩たちを探して一緒にゴールすればいいんだ」
「そそ」
ピストルの音とともに出場者が散り散りになって先輩たちを探しに行く。
「俺に付いて来い」
橘は先輩たちの居場所に目星がついているのか自信ありげに胸を張る。
「どこにいるかわかんのか?」
「任せとけって」
石倉と僕は橘を信じて後をついていく。
その頃、仲良し三人組は詳細を伝えられないまま即座に隠れるように指示され、何やかんやあって隠れてはいる。桃下は誰もいない教室で隠れる素振りも見せず堂々と机に伏せていたが、当てもなく校内を彷徨い屋上へと続く階段を二段飛ばしで駆け上がる。開放されている屋上には園芸部が育てた野菜や季節ごとの花で埋め尽くされている。
「なんでおまえらがいるんだよ……」
粒良と七瀬がベンチで寝そべり悠々と日光浴をしている。
「桃も来たんだ」
粒良は眩しそうに目を細める。
「どけ」
粒良が体を起こし席を詰める。
「いつまで隠れてたらいいんだ……」
「呼びに来てくれるんじゃない?」
橘の後ろをただ付いていく石倉と僕は段々と不安になる。橘は三年二組の教室に入って行くが、外の喧騒とは打って変わって教室は静寂に包まれ人っ子一人いない。
「本当にここで合ってる?」
「誰もいないじゃねえか……」
「いると思ったんだけどなあ。次!」
橘は迷いなく屋上へと続く階段を上る。
「屋上にはいないだろ。いるとしたら中庭」
「そうだよ。あの三人が屋上にいるところを見たことない」
「探してみる価値はあるって。桃ちゃんはここを通った」
どうやって通ったってわかるんだろう。直感だろうか。
「そうかよ。桃下先輩はそれでいいとして後の二人はどうすんだ」
「仲良しでもさすがにかくれんぼで一緒に隠れるはずないよ」
粒良先輩はまだ見つかっていないみたいだ。どこに隠れているんだろう。ロッカーとか狭い場所には隠れなさそう。
「それは後で考えようぜ」
屋上に来たのは初めてで丹精込めて育てられている植物の前でしゃがみ、花の香りを肺の奥深くまで吸い込む。
「千崎、早く来い」
「桃下先輩、いた?」
「それが……、あっちを見てみろ」
石倉の視線の先を追うと、あの仲良し三人組はこれ見よがしにベンチに座っている。なんで一緒にいるんだろう。隠れようともしていない。橘は腰を低くし、桃下先輩にじりじりと距離を詰めている。
「みーっけ! 誰だ?」
橘は背後から目隠しをする。
「橘か。もう終わった?」
桃下先輩は動じず手をどかし鬱陶しそうにしている。
「まだゴールしてないだろ。探すのに苦労したんだからな。おんぶしてって」
「誰がするか! 自分の足で歩けるだろ!」
「おんぶしてゴールなんだって」
そんなルールがあったっけ?
石倉から聞いた話だと先輩とゴールするだけだったのに。
「は? そういうルールがあるのか?」
桃下先輩は石倉と僕に怪訝そうな顔を向ける。
ないです。僕はそんなルールがあるのを今知りました。
「あー、そうだった。橘と千崎だけ。俺はじゃんけんで勝ったから罰ゲーム(?)は二人だけ」
石倉の衝撃的な発言に目をひん剥いて驚愕する。
何を言っているんだ!?
じゃんけんなんてしていない。おかしなルールを追加しないでほしい。粒良先輩におんぶをしてもらうだなんて、絶対に無理だ。全校生徒から好奇の目に晒されるなんてとてもじゃないけど耐えられない。
「罰ゲーム? 何の競技なんだ?」
「借り人競争だったよね? どうして急遽変更になったか知ってる?」
「罰ゲームに俺らを巻き込むな。誰が考えたんだよ……」
何も聞かされていないんだ……。きっと知らないほうが良さそう。
石倉の手を引っ張って先輩たちとは少し離れたところで小声で話す。
「そんなルールがあるの?」
「ない。ただゴールするだけだとつまらないだろ。そのほうが盛り上がっていいんじゃないか」
「どこもよくないよ」
「何でもいいからさっさとしろ」
先輩たちのほうを向くと、既に橘は桃下先輩におんぶしてもらっている。
「千崎、早く」
粒良先輩は背中を向けてしゃがんでいる。
「してもらえよ」
石倉に背中を押され、躊躇いながらも粒良先輩の背中に乗る。
「重くないですか?」
「大丈夫だよ」
これが粒良先輩の見ている景色なんだ。普段と何ら変わらない景色なのに全く違って見える。いつか同じ目線に立って同じ景色を眺めたい。
「昼一緒に食べる?」
「はい」
服越しに伝わる温もり。頬をくすぐってくる髪。振り向きざまの横顔。屈託のない笑顔。至福のひとときを噛み締める。
「香水臭い!」
橘は桃下先輩の首筋に顔を近づけ、すぐさま体を離し鼻を摘む。
「そんな臭う?」
桃下先輩は鼻を鳴らし香水のにおいを確かめる。
「そこまでじゃないですけど……。橘はどうやって桃下先輩を見つけられたの?」
桃下先輩からする香水は爽やかな柑橘系だ。それもスーパーやコンビニで売られているレモンティーの香りとは違い高級感のある上品な香りだ。強く香ってはいないけど橘の好きな香りではないようだ。
「この臭い香水だ」
「臭いって言うな! 気に入ってんだよ!」
案の定、やんやの喝采を浴びながらおんぶをされてゴールする。本当に消えてしまいたい。
「なんでおんぶしてんだ?」
それは聞いてはいけない質問なのに、借り人競争の審判の一人が聞いてしまう。
「そういうルールなんだろ?」
「そんなルールはないけど、体育祭の目玉になってよかったよ」
「おまえら!!!」
怒りにわなわなと震える桃下先輩は橘を優しいとは程遠く地面に叩きつけるように下ろす。橘は臀部の激痛に悶えている。それに対して、粒良先輩は片膝をついて優しく下ろす。
「嘘をついてごめんなさい」
粒良先輩はただくっきりとえくぼを浮かべて微笑んでいる。
昼休憩の時間になり中庭に行くと既に先輩たちがいた。
「応援団、見てくれた?」
「はい、すごくカッコよかったです」
粒良先輩がお弁当の中身をチラチラと見ているのに箸が止まる。
「どうぞ」
粒良先輩に食べかけのお弁当を差し出す。
「ん?」
粒良先輩はパンを頬張りながら首を傾げる。
食べたいんじゃないのだろうか。いつも以上に体を動かしてお腹が減っているはずだ。
「食べないんですか?」
「……」
粒良先輩は遠くに目をやり黙り込んでいる。僕の目には誰かに思いを馳せているように映る。心の中を占めているのは誰なのだろう。
「粒良先輩?」
「……行事があるときは、ばあちゃんがお弁当を作ってくれてたんだ。懐かしいな。お弁当の中身がそっくりそのまま一緒なんてあるんだね」
粒良先輩はそう心の内を吐露して少し視線を落とす。よく日記に登場していた粒良先輩のお祖母様。随分と懐いていたんだ。粒良先輩はおばあちゃんっ子だったみたいだ。
「そういうことは早く言ってください。このお弁当はおばあちゃんが作ってあるので、もしかしたら味が似てるかもしれません」
「どうだろうね」
粒良先輩は口角を片方だけ上げて悪戯っぽい笑みを浮かべる。おばあちゃんは薄味が好みだからきっと気に入るはずなのに。
「はい、あーん」
「ちょっ……、千崎?」
困らせたいつもりはなかったが粒良先輩は仰け反って狼狽えている。
「粒良先輩だってしてたじゃないですか」
「それはそうなんだけど……」
粒良先輩は風に揺れて頬に垂れる髪を優雅な手つきで耳に掛けて、差し出した唐揚げに顔を近づける。美しい所作に微動だにできず暫し魅入る。
「美味しー。味はちょっと違うかな」
「ほかに食べたいものがあったら言ってください」
「うん、一口食べる?」
実は粒良先輩が食べていたパンは気になってはいた。双子が「まだ食べてないなんて人生損してる」と言っていたから。食べてみた感想は甘じょっぱくて不味くはないんだけど、リピートするかと言われれば多分しない。
「おすすめ動画でよく流れてくるから買ったんだけどイマイチでしょ」
お弁当を食べ終わった後、僕は粒良先輩に膝を貸している。時々こうやって甘えてきてくれると堪らない気持ちになる。手持ち無沙汰で粒良先輩の柔らかい髪を撫でたり、髪をくるくるして弄ぶ。
中庭でこんな目立つことをしていたら誰かが見ていてもおかしくないのに、二人はそこまで気が回っていなかった。二人の知らないところで、転校生が粒良先輩のハートを射抜いたと校内スクープが瞬く間に広まってしまう。実際はまだ付き合ってさえいないというのにだ。
そうして、異例の競技変更が行われた体育祭は幕を閉じる。
*
粒良はファミレスで以前付き合っていた千見寺清亮と待ち合わせをしている。待っている間、日記をパラパラとめくる。
『20××年 2月22日
ばあちゃんが亡くなった。伝えたいことがたくさんあった。俺、何も返せてない』
『そんなことない。僕のおばあちゃんは話し相手がいるだけで嬉しそうにするよ』
『20××年 2月27日
うまく笑えてるだろうか。俺だけが取り残されてるようで焦ってる』
『無理に笑わなくて大丈夫。取り残されてるって感じるのは僕と同じだ』
『20××年 3月20日
クラスメイトと起業するんだ。少し不安。ばあちゃんにも俺の活躍を見届けてほしかった』
『失敗を恐れるものなのに実行するなんてすごい。きっとたくさんの人を幸せにしてるんだろうなあ。ちゃんと天国にも届いてるよ』
胸にしまい込んだ言えない言葉の数々は日記だと上手く言語化できる。知られたくはなかった心の奥底にある本音。本当は誰かに気づいてほしかったのかもしれない。千崎の言葉は心細さを埋めてくれる。だからなのか、つい千崎に甘えてしまう。
「急に会いたいなんて言ってごめんな」
千見寺が向かいの席に座り日記をパタンと閉じてポケットにしまう。
「いいよ。話したいことって何?」
「俺、プロになるんだ」
「……そうなんだ。すごいね」
中学のとき、千見寺に誘われてバレーを始めてあのときは純粋に楽しめてた。いつしか、才能に恵まれた千見寺に追いつこうとすればするほど遠ざかる背中に苦しむようになっていた。上には上がいて越えられない壁があるのだと思い知った。藻掻いて足掻いて心身ともに限界に達していたとき、ばあちゃんに言われるまま新しい環境に身を置いた。幼馴染の桃がいるのが心強かったのはあるかもしれないけど驚くほど身が軽くなった。
「なーたんはプロにはならないのか?」
「うん、元々バレーは高校までにするつもりだったから」
「そっか。一緒にプレーできたらよかったな。忙しくなる前に会っておきたかったんだ。よく笑うようになったよな。いいことでもあった?」
そんな笑ってるかな。どうして千崎が頭の中に思い浮かぶんだろう。
「また笑ってる。誰を思って笑ってるんだ?」
「後輩。すごく面白いんだ。絵心がないんだけどそこがいいんだよね。見てみる? すごく元気を貰えるんだ」
「その後輩が羨ましいな。嫉妬するんだけど」
千見寺はふいっと視線を逸らし窓の外に目をやる。
「嫉妬って……」
「好きなんだ、その後輩のこと」
千見寺は切なげに眉を寄せる。
「え……」
俺が千崎を好き……?
弟として可愛がっているつもりなんだけど違うのかな。ふとした瞬間、千崎を思い浮かべたり今何をしているのか気になったりする。そうか。いつからか弟として千崎を見れなくなってたんだ。好きになってしまっていたんだ。
「違った?」
「違わなくないかも……。ちょっと混乱してて自分でもよくわからないんだ」
「その後輩、大事にしろよ? なーたんの笑った顔が好きだったんだ。そうやって笑わせてる後輩に会ってみたいな」
「もう会ってるよ。ほら、合宿の日」
「あの眼鏡の奴?」
「そうだよ」
