燦々と照りつける太陽。扇風機は温風を循環させているように一向にも涼しくならない。暑さは体力も気力もごっそり奪ってしまう。暑さのせいで無気力になり、縁側で大の字になって寝る。
こんなときにエアコンが壊れるなんて運がついていない。一時的に暑さから逃れようと図書館に避難しようと決めたはいいものの、指一本動かすことも躊躇われるほど炎天下に晒されるのは我慢ならない。このまま家にいたら熱中症になりそうなくらい蒸し暑い中、外で仕事をする会社員には尊敬しかない。
夏休みに入ってから、粒良先輩からの連絡はない。きっと受験勉強で忙しいんだろう。もし一年早く生まれていたなら、粒良先輩とクラスメイトになれていたのに。自分ではどうしようもないことだが、クラスメイトだからできる行事ができないのは惜しい。例えば、修学旅行とか。粒良先輩と同じグループならズル休みをしないのに。
「買い物に行くんだけど、欲しいものない?」
「うーん、別にない。着替えてくるから待っといて」
外に出るのは億劫だったが、足の悪い祖母をひとりで買い物に行かせるわけにはいかない。汗でベタベタなせいで服を脱ぐのに難儀する。
耳元でする粒良先輩の声。石鹸の爽やかなにおい。手から伝わる体温。突き飛ばしてしまったあの日、嫌だったわけじゃない。考えるより先に行動していた。どうしてあんな行動を取ってしまったのか。転ばないようにしてくれただけなんだけど、いきなり密着してきたから条件反射ってやつなのか。夏休み中、ずっと粒良先輩のことを考えている気がする。学校で会えないのがそんなに淋しいっていうのか。
「着替え終わった?」
「今、行く!」
スーパーの冷凍食品売り場を彷徨いていると生き返った気分になる。故障中であるエアコンの家には帰りたくない。ここに暫くの間、居座っていたい。
「好きなアイスを選んでいいよ」
「やったー」
どのアイスにするか悩む。新作アイスでもいいけど高いんだよなあ。棒アイスよりカップアイスが好みだけど、今日は冒険していつもなら選ばないフレーバーにしようかな。あんこ好きな粒良先輩だったら、小豆アイスを選ぶのだろうか。アイスに手を伸ばしたとき、誰かの手に触れる。
「ごめんね」
「すみません。ってあれ、粒良先輩!」
小指が触れ合っているだけなのに心臓がバクバクする。触れ合う指が離れ心寂しくなる。
もうちょっとだけ、触れ合っていたい。
きっとこれは冷凍食品売り場に長くいたせいで、手が冷えたせいだろう。粒良先輩から伝わる熱が冷えた手に心地よかったせいだ。そうに決まっている。ほかにどんな理由があるんだ。言い聞かせるがどうも腑に落ちないのはなぜか。
「今日も暑いね。元気にしてた?」
「はい、粒良先輩も元気そうでよかったです。受験勉強は捗ってますか?」
「うん、ぼちぼちかな。アイスが食べたくなって」
「あらまあ、お友達?」
「あっ、僕のおばあちゃんです。おばあちゃん、粒良先輩だよ」
「あの先輩ね。この前は家に遊びに来てくれたのにご挨拶できてなかったわね」
「初めまして。こちらこそ、ご挨拶が遅れてすみません」
偶然だけど会えて嬉しい。粒良先輩の最寄り駅からこのスーパーは離れている。近くに用事があったのかな。
「この辺で用事があったんですか?」
「さっきまで桃と勉強してた。持つよ」
カートを押せばいいのに、買い物かごにはやたらと食材が入っていて重い。牛乳やら水やら液体はどうしても重たくなる。このくらい平気だけど、粒良先輩は気が利く。
それより、幼馴染の桃下先輩といたのか。幼馴染がいるってどんな感じだろう。高校までずっと一緒だったのだろうか。知らないことはないくらい大抵は知っていそうだ。思えば、粒良先輩のことをあまり知らない。
粒良先輩とすぐに別れるのが惜しくてわざととぼとぼ歩く。暑さで参っていると言い訳をして。日照りが強く噴き出る汗を拭ってもまた汗が流れるけれど、粒良先輩と一秒でも長くいられるなら暑さなんてどんとこいだ。
「千崎と行きたいところがあるんだけど、今週って予定空いてる? 急だから無理そうなら来週でもいいよ」
「今週はこれといった用はないです。粒良先輩の都合に合わせます」
「本当! じゃあ、金曜日はどう?」
「わかりました。それで行きたいところってどこですか?」
スマホ画面には、体験型ホラーイベントの告知動画が再生されている。最近ハマってすっかり虜になってしまった作家のイベントだ。粒良先輩と距離が近づいたきっかけでもある。
「行きたいです!」
「よかった。ギリギリだったけど、前売券を購入したんだよね。行けないって言われたらどうしようかと思った」
「そんなこと言わないです。僕だって行ってみたいです」
*
遊びに行く日は金曜日だというのに、どうして前日から粒良先輩の家にいるのか。それにはちゃんとわけがある。近隣で火事があり、粒良先輩の家に避難してきたというわけだ。僕に友人がいれば、受験生である先輩に迷惑をかけなかったはずだ。かといって、全く知らない祖父母の友人のお宅にお邪魔するのは気が引ける。
「お腹が空かない?」
「言われてみればそうかもしれないです」
「食べたいものある?」
「今日は魚な気分」
「了解。すぐ作る」
作るだって!?
てっきり、デリバリーを頼む流れになるとばかり……。泊めてもらっておまけに食事までご馳走になるとか、至れり尽くせりなのは有り難いけど受験生に何させてるんだ。
キッチンでは手慣れた様子で魚を捌いている。
「料理まで出来るって感心します」
「慣れかな。両親の帰りが遅いから自然と覚えたんだ。千崎は何か作れる?」
「全く。両親からキッチンに立ち入り禁止を食らってからは料理はしてないです」
「何をしたら立ち入り禁止になるの?」
「野菜を洗剤で洗っていた時代があって、肉も洗剤で洗おうとしたら母さんに注意されました。あと、電子レンジで温め過ぎたら発火しかけて大騒ぎになりました」
面白いことを言ったつもりはないが、腹の底から笑われる。
「笑ってごめん。大事にならなくてよかったよ」
勉強の邪魔だけはしないように部屋の隅で粒良先輩の部屋を見回す。今回が初めてではないが、前に来たときはそれどころではなく記憶は定かではない。木の温もりを感じるお洒落な北欧家具で統一されている。観葉植物がシンプルな家具のちょうどいいアクセントになっている。本棚にはインテリア関連の書籍がずらりと並んでいる。
「粒良先輩の夢って――」
「インテリアコーディネーターだよ」
「店を閉じちゃうんですか?」
「ううん、カフェを続けながらまずは副業でしようと計画中」
将来のことをちゃんと考えているんだ。僕なんて漠然となれたらラッキー程度にしか考えていない。なりたい職業に有利な資格とかバイトとか調べたためしがない。
本当にしっかりしているんだなあ。僕とは大違いだ。
「千崎は将来の夢ってある?」
「できたら出版社で働きたいです」
「出版社だったら編集者かな。本好きの千崎らしい夢だね。お風呂、先に入っておいで。タオルは棚にあるのを自由に使って」
「はい、ありがとうございます。何から何まですみません」
「いいんだよ。俺の家で何かあったら、そのときは泊まらせて」
「もちろんです」
お風呂から上がると、ちょうど電話が掛かってくる。電話は母親からだった。
「もしもし、母さん」
「火事って聞いたけど、あんた怪我してないわよね?」
「してない」
「そう、安心したわ。それで、先輩に迷惑をかけてないでしょうね。あんたに友達ができて嬉しいのよ。大事にしないといけないわよ。わかってるでしょうね?」
友達っていうか、先輩と後輩だ。学校外では、兄弟のフリをしている関係なんてややこしいから黙っておこう。
「話は終わった?」
「久しぶりに声を聞いたのに素っ気ないったらないわ。先輩にはお世話になってるんだから、お礼しないとね。好きなものを知らないの?」
「いい。自分で選ぶ」
「あら、そう。クッキーがいいかしら。朝食がパン派ならジャムでも良さそうね」
聞いてない……。僕がお世話になっているのだから、母親が選んだお菓子を渡すだけは嫌だ。粒良先輩が欲しいものってなんだろう。
「もう切る」
「まだ――」
小言を聞きたくなくてプツッと電話を切る。今は母親との時間より粒良先輩に時間を使いたい。とは言え、勉強を頑張っているのを陰ながら応援するくらいしかできない。少しでも役に立ちたくて知恵を絞る。
どうしても試してみたくて部屋に戻ると、ちょうど一息つこうとしていたのか粒良先輩が座ったまま伸びをして体をほぐしている。
「休憩しますか?」
「うん、疲れちゃった」
「抱きしめてみてもいいですか?」
「ん? なになに突然だね」
粒良先輩は勢いよく椅子ごと振り返る。どういう心境だと思われてそう。
「試してみたかったんです。兄弟がするハグです。深い意味はありません」
「俺はいいけど、千崎はいいの?」
「何がですか?」
「……だって、スキンシップは苦手じゃなかった?」
「誰がいつそんなことを言ったんですか。嫌ではありません」
「……そ? ほら、おいでよ」
粒良先輩が手を広げてハグ待ちをしている。可愛いけど、それだと僕が粒良先輩の胸に飛び込むみたいじゃないか。それは違う。
「その手はしまってください」
「ええ〜、なんで〜」
言い方がキツかっただろうか。手はだらりと垂れ下がり、しょんぼりと項垂れてしまっている。そこまでがっかりされるとは……。
「あんまりだよ。弄んでる――」
不平不満を連ねている粒良先輩を腕の中に包み込む。やっぱりドキドキするけど触れ合っていたい。体温と鼓動が伝わる。得体の知れない感情に悩まされ続けてきたけどやっとわかった。
僕は粒良先輩が好きなんだ。
まさかと思い、他人の体験談から同じような事例があるだろうと踏み、毎日図書館に通い恋愛エッセイを片っ端から読み漁った甲斐があった。抱きしめてみて、本当に恋をしてるんだと実感が湧く。だけど、初恋は叶いそうにないだろう。だって、恋敵が多すぎる。粒良先輩と歩いているだけで、女子が露骨に態度を変える。失礼だけどガン見していたり、チラ見していたり、ホント人それぞれ。
「ねえ、今日は積極的だね。勉強を頑張ったご褒美か何か?」
「……そういうことにしといてください。暑苦しいですか?」
さすがに離れないと。なんだけど、離れたくない。
「ううん、弟と仲良かったらハグするでしょ。こういうの好き。でもハグにしては長い気がするけど気のせい??」
あー、もう! 無自覚なのがずるい。僕の好きと粒良先輩の好きは違う。
離れがたくて接触している面積を段々と縮小して、名残惜しげに指先が触れ合う手を離す。
粒良先輩がお風呂に入っている間、夏休みだけできる短期バイトを探す。先輩たちが立ち上げたカフェの手伝いを名乗り出たら、ものすごく有り難がれてバイト代まで払ってくれてはいる。だけど、そのバイト代で粒良先輩にプレゼントをあげるのは違うんだよなあ。
全身がほかほかに温まった粒良先輩が部屋に戻ってきて、化粧水を手のひらで温め浸透するように馴染ませている。一挙一動を食い入るように見つめてしまう。
スキンケアまで徹底している……。僕なんて肌管理を生まれてこの方したことがないのに。つまり、本人の意思に関係なくよく見られる粒良先輩の顔は、継続的な努力を積み重ねたからこその結果というわけだ。だからなのか。間近にいたとき、ニキビがなく色白で透明感のある肌だと思った。
「ほら、使わせてほしいなら言えばいいのに」
別に使わせて欲しくて粒良先輩の動向を見てたわけじゃないというのに、化粧水を顔に塗られる。エアコンで冷えた部屋に手から伝わる熱が妙に心地良い。粒良先輩が僕の手を取り、僕の頬に押し当てる。
「乾燥してるから保湿しなよ」
カサカサだった肌がもちもちした弾力があり肌触りが良い。ちょっとしたことでこんなにも変わるんだ。スキンケアをなおざりにしてきたけど見直さないと。
「そうします。粒良先輩と同じものを買います。どこで売っていますか?」
「バラエティショップで買った。千崎が良ければ、明日の帰りにショッピングしない?」
「いいんじゃないですか。弟とショッピングに行きたかったんですよね。これでまたやりたいリストの一つがクリアできましたね」
「そうだね。千崎と色々できて楽しい」
「僕も、自分だけならしないことができるのが楽しいです」
本心だ。粒良先輩といると、自分の知らない世界に連れ出してくれる。もっと一緒に色んな場所に行きたい。
好きな人に触れたいのはごく自然なことで、粒良先輩の柔らかい頬をむにっとつまむ。
「いひゃい」
「あっ、痛かったですか。手加減できなくてごめんなさい」
手をパッと離しはしたものの、触りたくてうずうずする。肌触りが良いのがいけない。
「唇もリップを塗っときなよ。ちょっと待っといて。確かここにあったはず」
そう言って収納ボックスをごそごそして探している。
「あった。これ、新品だからあげる」
差し出されたのは新登場だとCMで宣伝されていたリップバームだった。新品なのか……。いくら親しい仲でも使わせてもらうなら、使用品より未使用品があるならそっちのほうがいいだろう。そうなんだけど、これ以上借りを作りたくない。すでに泊まらせてもらっている上にご飯だって作ってくれたのに、更に物まで貰えない。
「いいです。貰えません」
「貰ってよ。俺が買ったんだけど多分リップバームは使わない。捨てちゃうのは勿体ないでしょ」
どうする。どうしたらいい。まだ使えるのに捨てるのは違う。かといって、貰っていいのか悩ましい。
「じゃあ、試してみて気に入ったら貰うっていうのはどう?」
あれこれ考えあぐねていると、タイミング良く助け舟を出してくれる。
「そうだなあ。……そうしてみます」
即答せず間を置いて提案に乗る。
「塗ってあげようか?」
なんだって!!
最初から気に入ろうがそうでなかろうが断るつもりだった。そうとも知らずこの人は不意を突いてくる。そんなの貰うっていう選択肢しかない。間違いなくリップバームを塗るときに、粒良先輩が指先でなぞってくれた感触を思い出すだろう。
「やってくれるんですか!?」
「いいよ。じっとしといて」
リップバームを塗ってくれている間、唇をなぞる指に全神経を注ぐ。触れられるだけで満たされる。粒良先輩も同じだったらいいのに。
「欲しいものってありますか?」
「もう、じっとしてって言ったじゃん!!」
前触れなく口を動かし、粒良先輩の手が滑り指先が歯に当たる。怒られてしまうが全然怖くない。今のは僕が言いつけを破ったから僕が悪い。
本音は勘繰られないように探りを入れたかった。でも僕はそうするべきじゃない。
「今までで貰って嬉しかったものでもいいです」
「誕生日プレゼントをくれるの!? 千崎がくれるなら何でも嬉しい!!」
もっと早くに誕生日がいつなのか聞いておくべきだった。聞く機会ならいくらでもあったのに、肝心なことは知らないなんて。
「誕生日って……、いつですか?」
「九月一日。千崎はいつ?」
「まだ先です。三月九日なので」
「卒業式の日なんだ」
夏休み明けの始業式が誕生日なんだ。それなら夏休みの間にバイトでお金を貯めないと。本を買うのはしばらくセーブしよう。たった一ヶ月だ。我慢できる。我慢できるはずだ。あらすじを読んで面白そうなら迷わずレジに向かってしまうから、買わないでいられる自信がない。本屋に行かなければ済む話だけど、吸い込まれるように立ち寄ってしまう。
「祝ってあげるから楽しみにしといて」
「半年後ですけど楽しみにしてます。祝うって言ったのは粒良先輩なので忘れないでくださいね」
「俺の卒業式だよ。忘れるわけないでしょ」
まだまだ先だけど、半年なんて過ぎればあっという間だ。卒業後は今までみたいに会えなくなるんだ……。大学は地元を離れるかもしれない。課題で忙しくなるだろうし、大学で友達ができて僕に構っている時間なんてないだろう。考えないようにしてはいるが、どうしても卒業フラグが頭にチラつく。
「プレゼントは何がいいですか?」
「さっき言ったでしょ。千崎が一生懸命考えてくれたプレゼントが一番嬉しいんだって」
「何でもってワードが一番困るんです。もし『親への仕送りを期待するな』ってデカデカと書かれたメッセージTシャツを贈られたならどうします?」
まさかという顔をして血の気が引いている。当然だろう。なんといったって、僕は全くもってセンスがない。それなのに、お世話になったお礼は自らが選んだものを渡すつもりでいたなんて、どうしようもない奴だ。
「父さんにはお出かけバッグにって、黄色で流行りのキャラクターのキーホルダー付きをチョイスしたんだ。そうしたら鮮やかすぎて目がチカチカするって。母さんにはどこで買ってきたのかとか色々質問攻めに遭った」
粒良先輩は涙が出るほど腹を抱えて笑っている。
「こんな笑ったの初めてかも。笑いすぎて苦しい。ほんっと期待を裏切らないね。それでも選んでくれたら一生大事にする」
一生大事にだなんて軽々しく言わないでほしい。
「信用ならないです。母親にあげたTシャツなんてパジャマにするって言ったくせに、数回着たらタンスにしまいっぱなしなんですよ。父親にあげたバッグは掃除道具をまとめて収納するのに使ってるし、キーホルダーは行方不明だし、本当はいらないんだ。粒良先輩だって……、きっといらなくなって捨てたくなります。優しいから捨てられないだけで――」
こんなこと言いたかったわけじゃない。言い出したら止まらず言葉が溢れる。せっかく選んでもいらなくなるならあげないほうがいい。
「そんなことしない。Tシャツだったら普段着に着る。バッグだったらワンポイントになるし使い道がありそう。だから捨てないよ。約束する」
「粒良先輩が着たら、通行人が度肝を抜かすからやめてください。バッグは変な噂が立ちそうなのでやめたほうがいいです」
「周囲の目なんて気にしないよ。何をプレゼントしてくれるんだろう。今から楽しみ」
粒良先輩の性格上、守れない約束なんて最初からしないだろう。責任感が強い人だから。
僕からしたら大いに悩む。プレゼント選びにどれだけ時間を費やさないといけないんだ。こんなにも期待されているんだ。プレッシャーではあるけど、ちゃんと期待に応えないと。
「色々あって疲れたでしょ。明日は出かけるしもう寝ないとだよね。来客用の布団は家にはないんだ。千崎はベッドで寝て。俺はリビングにいるから何かあったら呼んで」
「いやいや、だめです。粒良先輩がベッドを使うべきです。突然、家に押しかけたのは僕ですから」
「ソファで寝かせられないよ。困ったなあ」
今回ばかりは譲るなんてできず、頑として受け入れない姿勢を貫く。粒良先輩は渋々ながらでも折れるだろうと踏む。一緒にいて押しに弱いんだって気づいたから。
自分を追い込みすぎて心身に負担がかかったりしないか心配だ。特に受験という試練でメンタルがやられていないだろうか。
案の定、粒良先輩が折れるが、階段を半分ほど下りたとき呼び止められる。
「一緒に寝ない? 気になって寝れないよ」
「一緒にだなんて狭苦しいです。粒良先輩は受験生なんだからもっと自覚を持たないとだめです。寝不足だと勉強に身が入らないですよ」
「寝不足にさせようとしているのは千崎だよ! 勉強に支障が出たら千崎のせいになるよ!」
なんで僕のせいになるんだ。
結局、粒良先輩のお願いを聞き入れる形になり、二人ともベッドで背を向けて寝ている。粒良先輩のお願いにはめっぽう弱い。すぐ隣に好きな人がいるせいで、神経が高ぶって眠りにつけず寝返りを打ち天井を見上げる。
どのくらい時間が過ぎただろう。窓を閉めているのに、電車の通過音がガタンゴトンとかなり耳に響くせいも相まって眠気が吹き飛ぶ。きっと慣れたらなんてことないんだろう。意図せず二人同時に寝返りを打ち狭いベッドがギシッと軋み、どちらからともなく声を出さず控えめに笑う。
「まだ起きてたんですか?」
「うん、ゲームでもする?」
「こんな夜中にですか?」
「そうだよ。どうやら眠れないみたいだね。雑音がするとそれもそっか。俺はすっかり慣れてるけど千崎は違ったよね」
「それもあるけど……、そういえば来客用の布団がないって言ってましたけど、桃下先輩はどうしているんですか? まさか一緒に寝てるとか――」
「ないない、桃は泊まらないよ。それは幼稚園のときであって今はない」
「そうなんだ」
自分だけ特別扱いされているんだ。自然と口角が上がる。聞いておいてよかったと胸のつかえが取れる。桃下先輩に嫉妬心を燃やす寸前だった。
粒良先輩とゲームをするが、まさかな一面を目の当たりにすることになるとは。それはゲーム初心者の僕でさえもありありと分かる。僕よりも更に下の初心者レベルなんだって。
「初めてではなさそうなのに、何回負けるんですか?」
「だから、千崎が強いから仕方ないんだって。もう一戦しよ」
粒良先輩はものすごく悔しがっていて、さっきからあと一戦だけとか言いつつずるずると延長線にもつれ込んでいる。
「いいですけど、別に強くなんてないです。ゲームなんて初めてだし勝手があまりわからないというか……」
「嘘!? 隠れた才能を発見できたね。今度、桃と七瀬と対戦したらいいよ」
「対戦は粒良先輩とだけします」
「つまらなくない?」
「ずっと勝てるのでいい気分です」
「千崎! 次は勝つから!」
粒良先輩は歯ぎしりしてメラメラと闘志を燃やしている。手加減してあげよう。そうでもしないと徹夜確定だ。受験生だというのに勉強ではなくゲームで徹夜だなんて。粒良先輩の両親が知れば、激怒されても何らおかしくはない。
*
カアーカアー。
朝からカラスが仲間に餌の場所を伝えるフードコールが騒がしく目が覚める。
ガタタンゴトトン。
まだ早朝で始発の電車が通過していく。
一日のほとんどを雑音に囲まれているのに、隣では粒良先輩が気持ち良さそうに寝ていて、長い睫毛が影を落としている。人の気も知らないで無防備だ。お泊まりができたからこそ、普段は見れない寝顔にありつける。疲れているだろうし起きるまで待っていよう。前売券があるおかげで行列を回避できるわけだし急ぐ必要はない。
午前八時頃、ようやく粒良先輩が起き出してくる。昨晩は一睡もしないつもりかと冷や冷やしたけど、熟睡できたならよかった。
粒良先輩はお洒落に見せるコツを熟知している。センスのない僕にはお洒落はさっぱりだが、モデルの桃下先輩も同じようなコーディネートをしていた。どうやら二人は服の趣味が合うらしい。さすが幼馴染。
それに比べて、僕のコーディネートは大丈夫なのか。白Tシャツにデニムパンツ。無難(?)なコーデ。母親が選んだ服だから大丈夫だろうけど、お洒落な先輩の隣でダサい格好はしたくない。粒良先輩に日の粉が飛ぶのは避けたい。
「粒良先輩、正直に答えてください。絶対に気を悪くしたりしません。僕の服装っておかしいですか?」
腕時計をつけていたが手を止め、頭のてっぺんからつま先まで見られる。実際には一瞬だけど、全身を舐めるように見られたかのようで生唾を飲み込む。
「全然おかしくないよ。王道のコーデだね。ちょっといい?」
「はい?」
粒良先輩が近づいてきて、教えてくれるまで白Tシャツの汚れに気づかないでいた。茶色い染みができている。大方ソースでも零したんだろう。
「白って汚れが目立ちやすいのが難点だよね。貸してあげる」
「いいです。コンビニで買ってきます」
「買いに行ってたら時間がなくなる。電車の時間、もうすぐだからそろそろ出ないと。次に会うとき返してくれたらいいよ」
「……はい」
電車なんて待てばいくらでも来るが、粒良先輩は乗り換えなしで移動するほうが楽だからとその電車を逃したくないらしい。正直、僕だって電車一本で行けるほうが助かる。
なぜか小物までプラスされるが粒良先輩が言うには、小物を一点投入するだけで遊び心がプラスされおしゃれ度がアップするらしい。センスのない僕は素直に従う。
「コンタクトにしたら垢抜けてもっと格好良くなるのに」
眼鏡を外したらカッコいいと思われてたなんて初耳だ。眼鏡さえあれば日常生活に支障がないし、コンタクトなんてする必要がなかった。粒良先輩の隣にこれからもいたいから、隣に立っていて恥ずかしくない程度には自分磨きをしたい。手始めにスキンケアとコンタクトってところかな。
家を出る前、粒良先輩の両親にお世話になったお礼を言うのを忘れない。
駅に着くとぴったし電車が到着し、駅の階段を駆け下り電車に滑り込み乗車する。駅までダッシュし粒良先輩の額は汗で光っていた。こんなに必死に走ったのはいつぶりだろう。粒良先輩を横目に見ながら、流れる景色を眺めていると瞼が重くなり立ったままうとうとする。すると、眩しい日差しがシャットダウンされ突如として日陰の空間が生まれ、はたと鉛のような瞼を開けると粒良先輩が日差しを遮るように立っていた。
夏休みなだけあって、イベント会場は混雑していた。物語の世界観がリアルに再現されていて満足度が高く、粒良先輩も没入感が半端ないと絶賛していた。ただ粒良先輩と僕はホラー耐性があるので、周りの客みたくキャーキャーと悲鳴を上げたりせず純粋に楽しむ。あっという間にミッションをクリアして、グッズ売り場で一緒に来た記念にとボールペンのデザインを選んでいると女子高生が話しかけてくる。
「このペンいいですよね」
「お気に入りのキャラクターってありますか?」
僕は蚊帳の外に置かれ粒良先輩を狙っている女子高生は積極的にアプローチしている。せっかく二人で会う時間を作ってくれたのに奪われたくない。一緒にいられる時間のタイムリミットは着実に迫っていて、これが最後の夏休みになるならたくさん思い出を残しておきたい。
女子高生は粒良先輩をがっしり囲んでいて割り込む余地がない。粒良先輩は断ってくれるはず。それなのにひとりにされて見ているだけで、僕の存在を忘れたんじゃないかと胸が痛む。女子高生のひとりが自然にボディタッチをしようとしたところ、粒良先輩がサッと躱し僕からは聞き取れなかったが断りを入れたのだろう。これ以上は見ているのが辛く目を伏せる。
「待たせてごめん」
そう一言謝り、僕の腕を掴み出口へと引っ張っていく。怒っているのだろうか。ずっと黙ったままだと怖い……。腕を掴む手に力がこもる。
「痛いです」
「ごめん」
粒良先輩は手をパッと離し、人が行き交う歩道で向かい合って突っ立ったまま黙る。血管が浮き出て爪が食い込むほど拳を握りしめているのを見て、もしかしたら同じ気持ちでいてくれるんじゃないかと淡い期待を抱く。
「記念に買うつもりだったのに……。ずっと今日が待ち遠しくて誰にも邪魔されたくなかったんだ」
そっか。同じ気持ちでいてくれたんだ。言葉にして伝えてくれたから粒良先輩の気持ちを知れた。カレンダーの予定を見る度に早く会いたくて堪らないって知っているだろうか。もっと僕のことを知ってほしい。
「僕も粒良先輩との時間を奪われたくなかったです。ほかの店で選びませんか?」
「うん、近くにいい雑貨屋があるんだ」
道行くカップルみたいに今この瞬間の幸福感を噛み締める。ずっとこの幸せな時間が続きますようにと願いながら。
