梅雨の時期に入り、高校は不登校気味で部屋に引きこもり、最近ハマっている作家の作品を片っ端から集め読んでいる毎日。たった一冊だけ、どうしても読んでみたかったが絶版と知り、中古でもお小遣いで買うには今月は厳しかった。
バイトをしたほうがいいか。
びっしり詰まった本棚を眺めながら考え込んでいると、ノックの音がする。
「病院に行くから帰りは遅くなるよ。夕飯は好きなものを買っといで」
「うん」
目的地は決めず気になった駅で降りる。傘を差してぶらぶらとほっつき歩いているとお腹が減り、近くで食欲をそそる匂いがしてふらっと店内に入る。
店内にはパソコンに向かい仕事をする会社員や課題をする大学生が多く、それに保護猫がいて人懐っこい黒猫がすり寄ってくる。
見た目はクールなのにな。これがギャップ萌えなのだろうか。
どうやらセルフサービスならしくラーメンマシンでラーメンを作っている間、黒猫はそばを離れようとせずモフりながらラーメンが出来上がるのを待つ。
猫に癒されながらあっという間にラーメンを平らげ、皿を返却しにいったとき、カウンター席に置かれた今まさに読みたくて堪らない絶版の本が目に入る。誰の所有物かは知らないが自分のために寄越してくれたのかもしれない。
普段は滅多に読まないホラー小説に飛びついて読むのに夢中で周りなんて見えていなかった。隣に座って読み終わるのを静かに待っている人物にも気づかずに。
「本当に読書が好きなんだね」
「はい。え……、なななななんで先輩がいるんですか?」
読み終わったのを見計らい話しかけてくれ、ようやく粒良先輩の存在を認識する。驚きすぎて固まってしまう。
「偶然だけど会えてよかったよ」
会えてよかった?
わけがわからずキョトンとする。
「本当は日記を読んだでしょ」
バレた。
「すみませんでした」
潔く自分の過ちを認める。
本当に悪いと反省してます。
「勝手に読まれて気恥ずかしいんだけど、千崎のメッセージとパンダのイラストに元気出た」
「パンダではないです。クマです」
「そうなの!?」
粒良先輩に催促されるまま、パンダのイラストを描くが、「同じだね」と違いが分からないと言われてしまう。粒良先輩はホラー小説が好きならしく、僕が読みたがっていた本は先輩のお気に入りだと知る。
なぜだろう。粒良先輩と学校外で会うのは初めてで、感想会なんかして友達っぽいような会話ができて嬉しいとか思っちゃってる。
粒良先輩となら友達になりたいなあ。
*
二年の教室を覗き千崎がいないか探す。
いない。図書室だろうか。
友達と呼べる相手はたくさんいても、趣味のホラー小説で繋がる相手はいなかったから新鮮だ。夏休みに期間限定で開催する体験型ホラーイベントに誘ったら行ってくれるかな。
ちょうど橘が教室にいて、まだ少し先ではあるがクラスメイトと夏休みの行き先を決めている。
「千崎は休み?」
「ん? さっきまでいたけど」
「午前中は来てた。早退だろ。最近はずっとそんな感じ。聞いたらさ、体調が悪いとかじゃないらしい」
言葉を交わしたことがない千崎のクラスメイトがご親切に教えてくれる。
「サボりじゃん。粒良先輩から何か言ってやってくださいよ〜」
「そうだね」
偶然見つけたセルフサービスのカフェで特に何をするわけでもなく時間を潰す。もしかしたら粒良先輩に会えるかもしれないという淡い期待を抱いて。
「先輩って、この辺に住んでるのか?」
今回はオッドアイがチャームポイントの白猫がまったりと膝の上で眠そうにしている。猫に話しかけたところで粒良先輩の家がわかるはずがない。
「奈知がニヤけてた原因の奴」
桃下先輩だ。僕が原因でニヤけるって何なんだ。
どういうわけか聞くまでもなく向こうから喋ってくる。どうやら粒良先輩は僕が描いた下手くそなクマとパンダのイラストを相当気に入っているらしい。
「あれはマジで笑った。ほんと下手だな」
「褒めてくださりありがとうございます」
「褒めてねえよ。地味な奴だなって思ってたけど面白い奴だな。この後、予定ある?」
「ないですけど結構です」
桃下先輩じゃなくてもしも粒良先輩だったらなんて考えてしまう。僕は粒良先輩に会えるのをかなり楽しみにしていたらしい。
「奈知を驚かそうと……」
「やっぱり行きます」
桃下先輩は突然目を輝かせ態度が急変したことにやや引き気味だ。思わぬ形で粒良先輩に会えるってだけで心が浮き立ってしまう。
桃ちゃん先輩、いや桃下先輩、ありがとうございます。
桃下先輩についていくと、駅近でスーパーやコンビニが立ち並び利便性抜群の立地に住宅街があり、そこの一軒家が粒良先輩の家らしかった。
急に緊張してきた。
人の家に上がるときは手土産を持参するのが常識じゃないか。飴でも持ち歩いていればよかったと後悔する。それに服装はおかしくないだろうか。桃下先輩はモデルだからというのもあるが流行には聡そうだ。頭の中では今更思い悩んでも後に引けないことをぐるぐると考える。どうやって驚かすつもりなのか聞きそびれ、あっという間に粒良先輩の家に着いてしまう。
「奈知が来るまで隠れてろ。ちゃんと驚かせろよ」
そう言い残して二階に立ち去ってしまう。先輩の家にこそこそと上がってすごく失礼だ。
だけど、粒良先輩が驚く顔を見てみたい。
気配を隠していると、こちらに近づいてくる足音がして唾を飲み込み息を潜める。粒良先輩はキッチンで麦茶を飲んでいて、背後から足音を立てないように近づく。
ルームウェアのラフな格好でも様になっている。どんな服でもサラッと着こなせてしまうのが粒良先輩なんだよな。
ドッキリなんて未だかつて経験がなく、近づいたはいいものの作戦なんてない。考えるより先に背後から先輩の肩を叩く。さすがに驚くだろう。だって忍者のように足音を忍ばせることにおいては自信があった。僕は驚かすつもりなんてさらさらなかったのに、母親は「いつからそこにいたのよ」と心臓に悪いと文句をつけ、数分前からいたことに気づいていなかった。
「うわあ、驚いた!」
口ではそう言っていても、明らかに驚いていない。顔を見ればすぐにわかる。
失敗した。
粒良先輩は演技が下手だ。また、自分の知らない先輩の一面が知れた。
「お邪魔しています。今日はカフェには行かなかったんですか?」
「うん、今日は桃ひとりで十分かな。雨だと客足が減るんだよね」
「あのカフェでバイトしてるんですか!?」
「俺と七瀬と桃の三人で起業したカフェ。知らなかった?」
まさかあのカフェが先輩たちの起業したカフェだったなんて。
「すみません。今、知りました」
「謝らなくていいよ。かえって嬉しい。気軽に立ち寄れる場所にしたかったから。千崎にとって居心地のいい場所ならいいんだけどね」
「居心地はいいですよ。だけど先輩がいるとなお良いです」
「俺がいるといいの? 可愛いこと、言ってくれるね。千崎を弟に欲しいよ」
粒良先輩に頭を撫でられ、くすぐったい気持ちになる。
「先輩の弟になります」
粒良先輩はリアクションに困っている。冗談のつもりだったのだろう。冗談を真に受けて、なんて恥ずかしいんだ。
「おーい、なんだこの雰囲気……。失敗か?」
気まずい沈黙は桃下先輩の声で打ち破られる。桃下先輩と七瀬先輩が来てくれて安堵する。
「当然、失敗だろうな。千崎が遊びに来たのはとっくに気づいてたし」
「は? どうやったらバレる?」
「俺が教えた。窓から見えてた」
「おまえは毎回、邪魔しやがる! 奈知の驚いた顔、見たいだろ?」
「俺はどっちでもいい。なんでそんなヤケになってるんだ」
「奈知とは幼馴染だけど、ドッキリであいつの驚いた顔を一度も見たことないんだ。なんでだと思う?」
「知るか」
粒良先輩に会いたかったけど、今はここから逃げ出したい。やり直せるなら数分前に戻りたい。
どうしてこうなったのか、数分後には粒良先輩の部屋でボトルフリップをしている。さっきのは冗談だと笑って軽く受け流したい。
「一回も成功しないのは逆にすごい」
絶賛失敗中だ。先輩たちのペットボトルが空中に投げられ、くるくると回転して見事に直立する一連の流れを見ているほうがいい。
「はい、ありがとうございます」
「だから褒めてないんだって」
僕以上に先輩たちがドギマギして固唾を呑んで見守る中、最後の挑戦でようやく成功する。感想としては爽快な気分。先輩たちにちゃっかり混じってハイタッチをして喜びを分かち合う。
祖父母と暮らす家まで粒良先輩が見送ってくれている。こうなった経緯は桃下先輩だ。僕がよくヘマをするあれだ。桃下先輩といるとき、何もないところで盛大に転んだのだ。幸い、手をついたおかげで膝を擦りむいただけで済んだ。
そのことを桃下先輩が粒良先輩に話してしまい、恥ずかしい僕を知られてしまう。本当は粒良先輩にだけはカッコいい僕でいたかった。粒良先輩は優しいから傷の手当てをしてくれた。今だって心配だからと見送ってくれている。
「さっきのことなんだけど……」
僕が粒良先輩の弟になりたいと発言した件だ。
「本当に弟みたいに接していいの?」
「はへ!?」
夢のような話に素っ頓狂な声が出てしまう。
「実は弟のいる家族が羨ましかったんだよね。千崎から進み出てくれて返答に困っちゃった。学校外では弟みたいに可愛がっていい?」
友達ではなくて弟のポジション。弟のほうが親近感が湧きそう。友達より近い存在。
「先輩さえよければ、兄弟ごっこに付き合います」
「そう。じゃあ、連絡先を教えて」
両親と祖父母だけだったが、先輩の連絡先が追加される。思わずニヤけてしまう。
「家はすぐそこです」
あっという間に到着してしまい少し名残惜しい。そう思っているのはきっと僕だけだ。
「じゃあ、また学校で」
先輩の後ろ姿を見送り、ベッドにダイブして先輩のアイコンを見つめ喜びを噛み締める。
*
目が冴えて全然眠れず、いつもより早く身支度を整える。休み癖がついていたのに、粒良先輩がいる学校で少しでも長くいたい。そう思えるのはいいことなのだろう。
粒良先輩とどんな話をしようかと考えながら通学路をスキップする。かなり舞い上がっている自覚はある。
教室を移動していると、三年の廊下で粒良先輩とすれ違う。すれ違いざまに目が合い粒良先輩がにこっと笑いかけてくる。
先輩は今日も眩しい。
「熱か? 顔が赤い」
橘は無愛想な僕にも相変わらず話しかけてくる。窓に映る僕の頬が火照っていた。このときはまだ自分の感情が理解できていなかった。
昼ご飯は早めに食べ終わり、いつもと変わらず読書に没頭していた。携帯のバイブ音がして粒良先輩からのメッセージだとわかり慌てて席を立ち廊下を走る。
「廊下は走るんじゃない」
先生に注意されようがお構いなしだ。今はそれどころではない。駆けつけると、木陰の広々とした休憩スペースに先輩たちと橘がいた。
「昼ご飯、一緒にどう?」
「もう食べてしまいました」
「明日は一緒に食べよう」
「いいんですか!?」
「うん、明日だけ許して。学校で弟と食事したかったんだ。ほかにもやりたいことはたくさんあるけど、おいおいできたらいいかな」
そうだ。忘れちゃいけない。僕は粒良先輩の弟なんだ。弟らしく振る舞わないと。
「やりたいことは全部しましょう。僕も先輩といろんなことがしたいです」
「うん、ありがとう」
嬉しそうに笑う粒良先輩から目が離せない。
この人の笑顔、好きだなあ。
「今日は仕事ですか?」
「そうだね。ラテが新しい家族に引き取ってもらえることになったんだ」
「あの茶トラ猫ですか。よかった。僕も手伝いたいです」
「助かるよ。桃がモデルの撮影でいなくて人手が欲しかったところ」
茶トラ猫のラテはおっとりマイペースさんで推定十五歳のおばあちゃん猫なのだ。そのため、新しい家族に引き取られるのは難しいだろうと言われていた。まだまだ長生きしてほしいし、最期の瞬間を新しい家族に看取ってもらえるならそれがいいだろう。最後にお別れして、幸せになるんだよと快く見送りたい。
「いらないならもーらい」
橘が桃下先輩のお弁当に入っていたハンバーグを横取りする。
「俺のだぞ! 後で食べるつもりだったのによくも食ったな!」
桃下先輩はきれい好きで散らかっているのを見たら我慢できないらしい。それに反して、橘は大雑把な性格でいつ見ても机は散らかったまま。一見相容れなさそうな組み合わせなのに、桃下先輩と橘はどういう関係なのだろう。あの二人みたいに粒良先輩と仲良くなりたい。
「あの二人が気になる?」
エスパーなのか。
粒良先輩に心の声を読まれたみたいでつい身構えてしまう。
「親同士の再婚で義兄弟になったんだ。最初は桃の喧嘩腰を心配してたんだけど、今ではすっかり仲良し」
「それって、僕が聞いてよかった内容ですか?」
「うん、いいよ。隠すつもりはないらしい」
放課後の教室はガランとしていて、校庭でサッカーをしている男子を尻目に席から立ち上がる。そろそろ粒良先輩の部活が終わる時間だ。待ち合わせは昇降口前だったが、体育館へ足が向く。一目だけ引退間近である粒良先輩のバレーボールをしている姿を見納めておきたかった。
粒良先輩の強烈なスパイクが決まり、試合終了の笛が鳴り響く。
カッコいいし可愛い。それが粒良先輩。
僕に気づいた粒良先輩が小走りで近づいてくる。
「見に来てくれたんだ。着替えてくるから待っといて」
小さく頷き、着替え終わるのを今か今かと待ちわびる。実際にはたった一分しか経っていない。
「行こうか」
隣には粒良先輩がいて、時々先輩の肩が触れる度に落ち着かない。雑念を振り払うように頭を左右にブンブンと振る。
ちゃんと弟を演じないと。
店内の掃除を手伝いながら、気を抜くとすぐラテの新しい家族と話している粒良先輩に目が行く。
先輩って、すごい人なんだよなあ。
以前の家族が何らかの事情で手放した猫たちを新しい家族に引き合わせる架け橋を担う粒良先輩は凛とした立ち振る舞いだ。
あっという間に時間は流れ、カフェの閉店時間になったのでシャッターを閉める。
「先輩、まだ帰らないんですか?」
バックヤードにいる粒良先輩に声を掛けると、先輩の頬に涙が伝っていて咄嗟に駆け寄る。
泣かないで。
そっと涙を拭うと、無意識なのか頬をすりすりと擦り寄せてくる。
「何があったんですか?」
「何もないよ。この涙は嬉し泣き。ラテがここに来て一番長かったから貰い手がいて安心した。だけど淋しくなっちゃったな」
「僕がいます」
淋しくならないように傍にいるから。
「そうだね」
甘えるように抱きつかれ心臓が早鐘を打つ。これはきっと驚いたからであってどこもおかしくない。至って正常だ。
静まれ心臓。どうか先輩には聞こえてませんように。
