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いやぁ、いいところでございますねぇ。
熊公のやつ、団子一つで人生まるごと浮き上がっちまってる。これがまた、たちの悪いようでいて、どこか憎めねぇ。
朝起きりゃ顔が浮かび、仕事中にもふっと横顔が出てくる。夜になりゃ眠れず、寝たと思えば夢にまで出てくる。
さて、その翌日のことでございます。
熊公、朝からそわそわしておりまして、飯もろくに喉を通らねぇ。長屋の隅で紐の切れた草履をいじりながら、ぶつぶつ言っております。
「今日は……今日はもう一言、余計に言うんでさぁ」
大家が通りかかって、
「おい熊公、また団子屋か」
「へい……行きやす」
「昨日みてぇに“うまいねぇ”で終わるなよ」
「へい……努力はいたしやす」
努力で恋がなんとかなるなら、世の中こんなに揉めちゃいねぇんでございますが、そこは熊公、真面目だけは一丁前でございます。
さて団子屋の前に立ちますと、例の看板娘・お糸が奥から顔を出す。
「いらっしゃいませ」
この一言でございます。
熊公、その場で固まる。昨日より強く固まる。豆腐なら崩れてるところでございます。
「……へへ……」
笑っただけで終わりそうになるのを、必死に飲み込みまして、
「だ、団子を……三つ」
「はい、ありがとうございます」
手際よく包むお糸の指先を見て、熊公の心はもう団子どころじゃねぇ。一本一本が運命に見えてくる。
ところがここで、ちょいと事件が起こる。
熊公、財布を出そうとして――落とす。中身、転がる。銭、転がる。追いかける。足がもつれる。そのまま見事に、団子の台の前でひっくり返る。
「おっとっとっと……!」
周りの客は笑うやら驚くやら。
熊公、顔を真っ赤にして起き上がろうとしたその時でございます。
お糸が、すっと手を出して支えまして、
「大丈夫ですか?」
たったそれだけ。たったそれだけでございます。
ところが熊公にとっちゃ、雷が落ちたに等しい。
「……あ、ありがてぇ……」
声が裏返る。目は泳ぐ。手は震える。
「お、お糸さんは……その……いい人ですねぇ!」
とっさに出た言葉がこれでございます。言った本人も、何を言ってるのか分かってねぇ。
お糸は一瞬ぽかんとして、それからまた、くすりと笑う。
「よく言われます」
この一言がまたいけねぇ。
熊公の中ではもう祝言が終わった気分でございます。
帰り道、また昼間だってのに月を探しながら、「しゃべった……おれ、今、しゃべったぞ……!」と一人で感動している始末。
「いやぁ……今日は三日月だな」
長屋の者が見りゃ、「ただの昼の空だ」ところが熊公の目には、ちゃんと月が出てる。
恋ってぇのは厄介でございますねぇ。見えねぇもんまで見せやがる。
「しゃべった……おれ、今、しゃべったぞ……!」と一人で感動している始末。
さて、この先――
団子代はまた膨らむのか、それとも熊公、ついに一歩踏み出すのか。
それともお糸の方にも、何やら別の風が吹くのか……
まだまだ一席、転がりそうでございますよ。
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美咲と落語を見に行ったのはそれから、八日が過ぎても、進展がなかったある日のことだった。誘われたのは五日ほど前の放課後のことで、その時はまだ上演があるとは知らながった。さすがに忙しかった、などとは口が裂けても言えない。


