怪異、お持ち帰り注意

 境内は、静かだった。
夜でも灯りが落とされることはなく、拝殿の前には柔らかな明かりが広がっている。砂利はきちんと均され、空気も澄んでいる。
整いすぎているくらいだった。
さっきまで胸の奥にあったざわつきが、ほんの少しだけ遠のく。
「……こっちです」
社務所から出てきた神職が、落ち着いた声で案内する。
事情は簡単に説明してある。詳しいことまでは話していないが、「処分したい人形がある」というだけで、特に不審がられることもなかった。
よくある依頼なのだろう。
「袋のままで構いませんので」
「はい」
昂夜は短く答える。
朔也が持っていたコンビニ袋を受け取る。その中に、チャーミーが入っている。
軽い。
それが、妙に引っかかった。
前に持ったときより、重さの感覚が曖昧だ。
「……」
視線を落とす。
袋の中を確かめる衝動が一瞬だけよぎる。けれど、開けない。ここまで来て、余計なことはしたくなかった。
「こちらへ」
案内されて、焼納の場所へ向かう。
既にいくつかの供物がまとめられている。木札、古いお守り、ぬいぐるみ。どれも、役目を終えたものたち。
その中に、袋ごと置く。
少しだけ、場違いな気がした。
「……なんか、普通だね」
壱太が小さく言う。
「もっとこう、怖い感じかと思ってた」
「そういう場所じゃないです」
司が低く返す。
「本来は」
その言い方に、わずかな含みがあった。
準備が進む。
神職が手際よく供物を整え、火を入れる。
ぱち、と小さな音。
炎が上がる。
最初は、穏やかだった。
紙が燃え、木が焦げる匂い。ゆっくりと形が崩れていく。
よくある光景。
——のはずだった。
「……」
昂夜は、目を細める。
袋が、燃えていく。
外側のビニールが縮み、黒く変色する。中身に火が移る。
はずなのに。
「……おかしくないか」
小さく呟く。
「何がです?」
司がすぐに反応する。
「中」
視線を指す。
袋の奥。炎の中。チャーミーの形だけが、はっきり残っている。
焼けていない。
いや。
焼けているはずなのに、崩れない。
「……」
司も気付いたらしく、無言になる。
「え、どれ?」
壱太が少し身を乗り出す。
「普通に燃えてない?」
「いや——」
言いかけた、そのとき。
壱太の手が、動いた。
無意識に。
火の方へ、伸びる。
「壱太」
声をかける。
反応がない。
視線は、炎の中の一点に固定されている。
「……それ、俺のだよね」
ぽつりと、呟いた。
さっきと同じ調子で。けれど、どこか、違う。
「何言って——」
言い終わる前に、壱太が一歩踏み出す。
火に近づく。
明らかに、取りに行こうとしている。
「やめろ」
腕を掴む。
思ったよりも強く。
壱太はその場で止まった。けれど、抵抗する。
「ちょっと、離してよ」
「離さねぇ」
「それ、俺のだって」
同じ言葉を繰り返す。
視線は、炎から外れない。
「違うだろ」
昂夜は低く言う。
「もう終わりだ」
「終わってないよ」
即答だった。
あまりにも自然に。
「まだあそこにあるじゃん」
指差す。
炎の中。確かに、形は残っている。それが、余計にまずい。
「壱太」
司が一歩前に出る。
普段よりもはっきりとした足取りで。
「それ、触ったらダメです」
「なんで?」
「分かるでしょう」
「分かんないよ」
笑う。
いつもの調子で。けれど、その目は笑っていなかった。
「別に平気でしょ」
「平気じゃない」
司が言い切る。
「さっきからおかしいです」
「おかしくないって」
軽く手を振る。
その動きが、少しだけぎこちない。
「ただ、持ってた方がいいだけ」
その言葉に、空気が冷える。
「……」
昂夜は力を込める。
これ以上近づけないように。
壱太の体は、見た目よりずっと強く抵抗していた。無意識のはずなのに。
そのとき。
「別に普通じゃん」
後ろから、声。
朔也だった。
「何がですか」
司が振り返る。
「燃えてるし」
淡々と答える。
炎の方を見る。
「どこが変なの」
その言葉に、誰もすぐに返せなかった。
見えているものが、違う。
その違和感だけが、はっきりする。
「……見えてないのか」
昂夜が低く呟く。
「何が」
朔也は首をかしげる。
本当に分かっていない顔だった。
その間にも、炎は燃え続ける。
周囲の供物は崩れていく。灰になっていく。
なのに。
中央の“それ”だけが、残る。
形を保ったまま。
じっと、そこにある。
「……っ」
壱太が、もう一度強く前に出ようとする。
「離してって」
「ダメだ」
昂夜は即答する。
「終わるまで、絶対に」
その言葉が、どこまで通じているのか分からない。
ただ。
このまま手を離したら、取り返しがつかない。
それだけは、はっきりしていた。
炎が、わずかに揺れる。
その奥で。
チャーミーの顔が、こちらを見ている気がした。
錯覚かどうかも、分からないまま。誰も、目を逸らせなかった。