怪異、お持ち帰り注意

 沈黙が、少しだけ長引いた。
誰も大きな声は出さない。ただ、それぞれが同じものを見ている。
テーブルの上。小さな人形。
「……とりあえず」
最初に口を開いたのは司だった。
「一回、距離取りましょう」
冷静な声。けれど、わずかに硬い。
「距離って?」
壱太は軽く首をかしげる。
「普通にそこに置いとけばよくない?」
「“普通”じゃない可能性があるから言ってるんです」
言い切る。
壱太は「そっか」と曖昧に笑った。まだ実感が薄い。それが見て取れる。
「一回、箱かなんかに入れるか」
昂夜が言う。
部屋の隅に置いてある機材ケースを顎で示した。
「触らない状態にしたい」
「じゃあ俺やるよ」
壱太が手を伸ばしかける。
「待て」
すぐに止める。
「……俺がやる」
「え、なんで」
「さっきからお前だけ変なんだよ」
少しだけ強い口調になった。
壱太は一瞬きょとんとして、それから苦笑する。
「そんな言い方しなくても」
「悪い」
短く言って、手を伸ばす。
人形に触れる。
冷たい。見た目よりも、少しだけ重い気がした。
そのまま持ち上げて、ケースの方へ運ぶ。視線を逸らさないようにしながら。
蓋を開けて、中に入れる。ぱたん、と閉じた。
それだけ。
それだけのはずなのに、妙に、ほっとする。
「……これで一旦様子見だな」
昂夜が息を吐く。
「しばらく誰も触るな」
「了解です」
司が頷く。
「壱太も」
「はいはい」
軽い返事。
けれど、その直後。
「……あれ」
壱太が、ぽつりと呟いた。
「どうした」
「いや」
自分の手を見る。右手。さっきまで何も持っていなかったはずの手。
「なんか、変な感じする」
「変って?」
「んー……」
言葉を探すみたいに、指を開いたり閉じたりする。
「軽いっていうか」
笑う。
「持ってないと落ち着かない感じ?」
その言い方に、空気がわずかに張る。
「……それ、いつからだ」
昂夜が低く聞く。
「さっきからじゃない?」
壱太はあっさり答えた。
「なんかさ、こう」
腕を抱える仕草をする。
「抱えてた方がしっくりくるっていうか」
その動き。さっきまで、人形を抱えていた形と同じだった。
「やめろ」
思わず言う。
「え?」
「その仕草」
自分でも理由は分からない。けれど、見ていて気分が悪い。
壱太は少しだけ目を丸くして、それから「ごめん」と手を下ろした。素直に従う。それが、逆に怖い。
「……」
司が、壱太を見ている。いつもより、はっきりと。観察するような視線。
「何ですか」
壱太が苦笑する。
「いや、そんな見る?」
「見ますよ」
即答だった。
「変なんで」
「ひどくない?」
「自覚ない方が問題です」
ぴしゃりと言う。
壱太は困ったように笑った。
「そんなに変?」
「さっきからずっとです」
司は一歩近づく。距離を詰める。壱太の顔を覗き込むように。
「目、ちょっと焦点合ってないですよ」
「え、マジで?」
壱太は笑ったまま、瞬きをする。
けれど。
その笑い方が、ほんの少しだけ遅れた気がした。
「……昂夜さん」
司が視線を向ける。
「これ、もう持っていくべきです」
「……ああ」
頷く。
本当は、もっと早くそうするべきだった。動画にした時点で、遅いのかもしれない。
「今から動く」
「え、今?」
壱太が少し驚く。
「さすがに早くない?」
「早い方がいい」
昂夜は即答する。
「これ以上様子見る理由がない」
視線は、ケースの方へ。閉じられたままのそれ。中に入れたはずの、人形。
——本当に、入ってるか。
一瞬だけ、そんな考えがよぎる。
確かめるべきか。いや。今は、開けない方がいい。
「朔也」
名前を呼ぶ。
「場所、心当たりあるか」
「神社?」
壁際から、気のない声。
「あるよ」
あっさり答える。
「前に行ったとこでいいなら」
「頼む」
「いいけど」
朔也はスマホをポケットにしまう。
「それ、持ってくんでしょ」
「俺が持つ」
即答する。
「壱太は触るな」
「はいはい」
軽い返事。
けれど。
その視線が、一瞬だけケースの方に向いた。ほんの一瞬。名残みたいに。
それを、昂夜は見逃さなかった。
——引っ張られてる。
確信に近い感覚が、胸の奥に沈む。
小さな違和感だったものが、形を持ち始めている。
まだ遅くないのか。それとも、もう遅いのか。