怪異、お持ち帰り注意

 目を開けると、まだ夜明け前だった。
「……っ、は」
 昂夜が鋭く息を吸う。そのすぐあとで、朔也も跳ね起きた。
 暗い部屋。狭い布団。机の上のオルゴール。三度目の夢は、これまででいちばん重かった。
「……見たか」
 昂夜が先に言う。声が掠れている。
「ああ」
 朔也も低く返した。
「女の子、もう最後だった」
 昂夜が言うと、朔也は小さく頷く。
「たぶん」
 二人の視線が同時に机の上へ向く。蓋は閉じたままだ。なのに、その静けさが今は不気味だった。
「外に出たかったんだな」
 昂夜がぽつりと言う。
「助けてほしいっていうより、連れ出してほしかった」
 朔也はすぐには答えず、自分の手を見た。
「……あの言葉」
「ん?」
「さっきの。別に、全部なくなっても困らないだろ、ってやつ」
 昂夜は黙る。
「あれ、たぶん俺が言った」
「……」
「自分の声だった。間違いなく」
 けれど、その先は続かなかった。誰に向けて言ったのか。何をなくす話だったのか。そこだけがきれいに抜けている。
「誰に言ったんだろうな」
 問いかけるような声だった。
「……なくなっても困らないって言ったくせに、夢の中じゃ全然そんな感じじゃなかった」
「だろうな」
「失いたくないみたいだった。変だよな」
「変でも何でもいい」
 昂夜は少しだけ強く言った。
「今は、その言葉が残ったってだけでも十分だ」
 朔也は顔を上げる。暗くて表情は見えない。けれど声だけで、今はそこへ踏み込むなと言われているのが分かった。
 しばらく誰も喋らなかった。外ではまだ鳥も鳴いていない。朝と夜の間の、いちばん静かな時間だ。
 やがて昂夜がスマホを手に取る。画面の明かりが、二人の顔を薄く照らした。
「司に連絡する」
「ああ」
 昂夜は短く打ち込む。
 三回目も見た。少女の最期まで見えた。オルゴールは閉じ込められたまま終わりたくなかった子の願いを抱えてる。朔也の方には別の記憶の断片が混ざってる
 少し間を置いて、もう一文足した。
 たぶん、今日中に終わらせた方がいい
 送ってから画面を伏せる。すぐには返信は来ない。それでも、伝えるべきことは伝えた気がした。
「終わらせるって」
 朔也が言う。
「どこで」
 昂夜は机の上のオルゴールを見る。
「閉じた場所じゃ駄目なんだろ。屋敷も、部屋も、箱の中も、全部同じだ」
 小さく息を吐く。
「外だよ。あいつが最後まで見てた方」
 その言葉に、朔也の胸の奥がわずかにざわついた。外。ここじゃない場所。光のある方へ。三夜目の夢の最後に残った少女の願いと、自分の中に引っかかっている何かが、そこで少しだけ重なった気がした。
「……俺も、たぶんそう思う」
「何となく?」
「何となく」
 でも、その何となくは今までと少し違った。もっと切実で、もっと静かな感覚だった。
 朝が完全に明るくなる頃、ようやく司から返信が来た。
 今から行きます。壱太にも連絡しました。どこへ持っていくにせよ、明るくなってから動きましょう
 少し遅れて、もう一件。
 できれば、空の開けた場所がいいと思います
 昂夜はその文面を見て、小さく息を吐いた。やはり考えることは同じらしい。
「司、やっと返信来た」
 朔也が顔を上げる。
「何て」
「今から来るって。壱太にも連絡したらしい。あと、できれば空の開けた場所がいいって」
 朔也は小さく頷いた。
「やっぱそうか」
 短い返事の中に納得があった。夢の最後に残ったものと、今ここで出た結論が、同じところを向いているのだろう。
「朝から働かせすぎじゃね」
「お前が言うな」
 昂夜は即座に返した。
 そこでようやく、ほんの少しだけいつもの調子が混じる。夢の湿った空気はまだ部屋に残っている。けれど、それとは別に、終わりへ向けて動き出した感覚もあった。
 朔也は膝を抱えたまま、まだぼんやり前を見ている。
「……なあ」
「何」
「もしさ」
 朔也は少しだけ口を閉じたが、結局低い声で続けた。
「本当に俺があの言葉言ったんだとしたら、最悪だな」
「今さら気づいたのかよ」
「今さらだな」
 朔也は静かにそう返した。
 窓の外の光が少しずつ強くなる。机の上のオルゴールは、朝の薄明かりの中でひどく小さく見えた。あの小さな箱の中に、ひとりの少女の最後の祈りと、まだ言葉にならない何かが閉じ込められているように思えた。
 朝が来る。たぶん今日で、終わらせる。
 そう思いながらも、昂夜は胸の奥の重さが消えないまま、白み始めた窓の方をしばらく見つめていた。