その日、昂夜は昼過ぎから配信部屋に入っていた。
昨夜のことがあったせいで寝不足ではあったが、休むほどではない。むしろ、何かしていた方が余計なことを考えずに済む。今日は撮影日ではなく、壱太と司と一緒に、SNSのアカウントに届いたDMを整理したり、動画で使えそうな怪談をピックアップしたり、溜まっていた編集確認を進めたりする作業日だった。
部屋に入ると、壱太がすでに床に座り込んでスマホを見ていた。
「おはよー……っていうか、顔まだちょっと死んでる」
「うるせえ」
昂夜は椅子を引きながら低く返す。
「死んではない」
「昨日よりはマシ?」
司がノートパソコンを開いたまま顔を上げる。 その聞き方がいかにも確認事項という感じで、昂夜は少しだけ眉を寄せた。
「まあな。昨夜みたいな息苦しさはなかった」
「それはよかったです」
司は小さく頷く。
「朔也は?」
昂夜が聞くと、壱太が先に答えた。
「今日は普通にバイトだって。朝、司が連絡してた」
「勝手に巻き込んどいて、本人は普通にシフト入るのな」
「生活あるからねえ」
壱太はそう言いながら、少しだけ笑う。 その笑い方には、呆れと、でもどこか昨日の空気を面白がっている気配も混じっていた。
昂夜は椅子へ座り、机の端に自分の貝殻を置いた。 もう置いていくなと司に言われているので、仕方なく持ってきている。隣には自然と、朔也の片割れがないことが気になった。
「で」
壱太が机に肘をつきながら言う。
「昨夜、どうだったの」
「どうって」
「いや、その、ほんとに近くにいれば平気だったのか、とか」
「どこまで大丈夫で、どこから危ないのか、とかですね」
司が淡々と補足する。
昂夜は少しだけ言葉を選んだ。 昨夜の息苦しさそのものは現実だ。風呂の時にドア一枚でも危なかったのも本当だし、同じ部屋で朝まで過ごしたのも事実だった。だが、その全部をそのまま言葉にするのは妙に気まずい。
「……まあ、なんとかなったよ」
「雑」
壱太が即座に突っ込む。
「いやでもさ、ちゃんと知りたいじゃん。今後の対策のためにも」
昂夜は小さく息を吐いた。
「近くにいれば、少なくとも昨夜みたいな死にそうな感じにはならなかった。風呂でドア閉めたら駄目だった。開けとけば平気。寝る時も、たぶん距離取って別々に、は無理だと思う」
壱太が目を丸くする。
「そこまで」
「そこまで」
昂夜はぶっきらぼうに頷いた。
司は手元のメモに何かを書きつけている。
「夜間は、ほぼ同一空間で生活する必要あり、ですね」
「何その報告書みたいなまとめ方」
「必要でしょう」
司は顔も上げずに返す。
「とりあえず、今のところ条件を守っていれば致命的な実害は出ていない。そこは収穫です」
「……それを収穫って言うのかよ」
「言います」
きっぱりしている。
壱太は頬杖をつきながら、少しだけ楽しそうに笑った。
「じゃあさ、とりあえず今の生活を続けていけば、何とかなる感じなんだ」
「少なくとも急に死ぬとかはなさそうです」
司が言う。
「元の由来や、封じ札の意味が分かるまでは、しばらく様子を見るしかありませんが」
「……不服そう」
壱太が昂夜の顔を覗き込む。
「不服だよ」
昂夜は即答した。
「なんで呪いのせいで毎晩あいつと距離感おかしくしなきゃいけねえんだ」
「距離感おかしくなるのは呪いのせいだけ?」
「壱太」
司が低く制する。
「はいはい」
壱太は笑って両手を上げた。
そのあと、しばらくは本当に普通の作業に戻った。 DMを読み、怪談として使えそうな話を振り分ける。明らかな創作や悪ふざけを弾き、妙に生々しい投稿に印を付ける。司が編集途中の動画を確認し、壱太が横から適当な感想を挟む。
そんな、いつも通りの空気だった。
だからこそ、夕方に届いた朔也からの連絡が、妙に浮いた。
今、時間ある?
短い一文。 相変わらず前置きがない。
昂夜は画面を見た瞬間、嫌な予感しかしなかった。
「……またか」
「何ですか」
司がすぐ反応する。
「朔也」
その一言で、壱太が「あー」と声を漏らす。
「夕飯?」
「たぶん、そういう時は大抵ろくでもない話ある時だろ」
昂夜が返すと、壱太がにやっとした。
「行くんだ」
「行くしかねえだろ、この貝のこともあるし」
「じゃあ俺も行こ」
「なんでだよ」
「なんでって、面白……じゃなくて心配だから」
「今ちょっと本音出ただろ」
「出てない」
司がパソコンを閉じる。
「俺も行きます」
「お前までか」
「ろくでもない話の可能性が高いなら、なおさらです」
その言い方があまりに真面目で、昂夜は返す言葉を失った。
ファミレスに着くと、奥の席に朔也はもういた。
いつものようにラフな格好で、バイト帰りらしい少し気の抜けた顔をしている。目の前にはドリンクバーのグラスとポテト。まるで昨日までのあれこれなんて最初からなかったみたいな雰囲気だ。
「遅い」
「勝手に呼び出しといてそれかよ」
昂夜が向かいに座る。 壱太と司もそのまま隣へ入った。
朔也は二人を見て、少しだけ目を細めた。
「また一緒なんだ」
「何か文句あるか」
「別に」
いつもの軽いやり取りのあと、昂夜がすぐ本題へ入る。
「で?」
「うん」
朔也はポテトを一本口に入れてから言った。
「今日さ、バイト終わりにパチンコ屋寄ったんだよ」
「なんで」
「なんとなく」
「最悪の導入だな」
昂夜が顔をしかめると、壱太がすでに半分笑っていた。
「で?」
「そしたら、歯の抜けたおっちゃんに話しかけられて」
「その時点で嫌だな」
「やたら気に入られてさ」
朔也はまるで世間話みたいに続ける。
「お前、変なもん寄ってる顔してるなって」
その一言で、司の眉がぴくりと動いた。
「……それで」
「ちょっと話したら、おっちゃんが知ってる怪しいものの話してきた」
昂夜は小さく息を吐く。
「怪しいものって何だよ」
「古いオルゴール」
その言葉が、妙に静かに落ちた。
壱太が先に反応した。
「オルゴール?」
「うん。古い洋館を壊した時に出てきたやつらしくて、持って帰った人が、同じ夢見るようになったとか」
司が椅子に座り直す。 仕事の顔だ。
「同じ夢?」
「最初は家族だけ。次に、触ったやつ同士。で、夢の中で知らない部屋とか階段とか見るんだって」
朔也はそこで少しだけ間を置いた。
「しかも、おっちゃん曰く、夢の中だと忘れてること思い出すらしい」
昂夜の指先が、テーブルの下でわずかに止まる。
「忘れてること?」
「その時は酔っ払いの与太話かと思ったんだけど」
朔也は肩をすくめる。
「なんか、ちょっと引っかかって」
「だから呼んだのか」
「そう」
司がすでにスマホを取り出している。
「場所は」
「おっちゃんが言うには、まだその辺の古物屋に流れてるかもって。店の名前も聞いた」
「聞いたのかよ」
昂夜が呆れると、朔也は少しだけ笑った。
「そこはちゃんと」
壱太はテーブルに身を乗り出して、興味を隠せていなかった。
「でもさ、それ、めちゃくちゃ怖くない?」
「怖いですよ」 司が即答する。 「しかも今の話、相当ろくでもないです」
「だろ」
昂夜も低く言う。
夢。 忘れていること。 その単語が、何でもないはずなのに胸の奥に引っかかった。
朔也はそんな昂夜の顔を見ているのか見ていないのか、ポテトをつまみながら言う。
「で、どうする」
「どうするも何も」 司が顔を上げた。 「放っておく選択肢、あります?」
「ないだろうな」
昂夜が先に答える。
嫌な予感しかしない。 でも、その嫌な予感を無視してあとから面倒になるのも、もう何度も経験してきた。
「行くの?」 壱太が妙に嬉しそうに言う。
「絶対行くよね、これ」
「お前ちょっとテンション上がってるだろ」
「怖いけど気になるし」
「正直だな」
司はすでにメモアプリを開いていた。
「店の名前、場所、聞いた特徴、全部教えてください」
「了解」
朔也があっさり答える。
ファミレスの安い照明の下で、次の怪異の輪郭が少しずつ形を持ち始める。
今度は夢に入り込む呪物。 しかも、忘れていたものを見せるかもしれないオルゴール。
昂夜は無意識に、自分のグラスへ手を伸ばした。
妙なざわつきが、胸の奥をかすめる。 まだ何も起きていないのに、もう嫌な感じがする。
それでも。
「……行くなら、早い方がいい」
自分の口から出たその言葉に、司が静かに頷いた。
「明日、動きましょう」
壱太は「うわ、ほんとに行くんだ」と言いながら、どこか楽しそうに笑う。
朔也だけが、いつもの調子でポテトを咀嚼していた。
けれど、その目の奥にはほんの少しだけ、いつもと違う引っかかりが残っているようにも見えた。
昨夜のことがあったせいで寝不足ではあったが、休むほどではない。むしろ、何かしていた方が余計なことを考えずに済む。今日は撮影日ではなく、壱太と司と一緒に、SNSのアカウントに届いたDMを整理したり、動画で使えそうな怪談をピックアップしたり、溜まっていた編集確認を進めたりする作業日だった。
部屋に入ると、壱太がすでに床に座り込んでスマホを見ていた。
「おはよー……っていうか、顔まだちょっと死んでる」
「うるせえ」
昂夜は椅子を引きながら低く返す。
「死んではない」
「昨日よりはマシ?」
司がノートパソコンを開いたまま顔を上げる。 その聞き方がいかにも確認事項という感じで、昂夜は少しだけ眉を寄せた。
「まあな。昨夜みたいな息苦しさはなかった」
「それはよかったです」
司は小さく頷く。
「朔也は?」
昂夜が聞くと、壱太が先に答えた。
「今日は普通にバイトだって。朝、司が連絡してた」
「勝手に巻き込んどいて、本人は普通にシフト入るのな」
「生活あるからねえ」
壱太はそう言いながら、少しだけ笑う。 その笑い方には、呆れと、でもどこか昨日の空気を面白がっている気配も混じっていた。
昂夜は椅子へ座り、机の端に自分の貝殻を置いた。 もう置いていくなと司に言われているので、仕方なく持ってきている。隣には自然と、朔也の片割れがないことが気になった。
「で」
壱太が机に肘をつきながら言う。
「昨夜、どうだったの」
「どうって」
「いや、その、ほんとに近くにいれば平気だったのか、とか」
「どこまで大丈夫で、どこから危ないのか、とかですね」
司が淡々と補足する。
昂夜は少しだけ言葉を選んだ。 昨夜の息苦しさそのものは現実だ。風呂の時にドア一枚でも危なかったのも本当だし、同じ部屋で朝まで過ごしたのも事実だった。だが、その全部をそのまま言葉にするのは妙に気まずい。
「……まあ、なんとかなったよ」
「雑」
壱太が即座に突っ込む。
「いやでもさ、ちゃんと知りたいじゃん。今後の対策のためにも」
昂夜は小さく息を吐いた。
「近くにいれば、少なくとも昨夜みたいな死にそうな感じにはならなかった。風呂でドア閉めたら駄目だった。開けとけば平気。寝る時も、たぶん距離取って別々に、は無理だと思う」
壱太が目を丸くする。
「そこまで」
「そこまで」
昂夜はぶっきらぼうに頷いた。
司は手元のメモに何かを書きつけている。
「夜間は、ほぼ同一空間で生活する必要あり、ですね」
「何その報告書みたいなまとめ方」
「必要でしょう」
司は顔も上げずに返す。
「とりあえず、今のところ条件を守っていれば致命的な実害は出ていない。そこは収穫です」
「……それを収穫って言うのかよ」
「言います」
きっぱりしている。
壱太は頬杖をつきながら、少しだけ楽しそうに笑った。
「じゃあさ、とりあえず今の生活を続けていけば、何とかなる感じなんだ」
「少なくとも急に死ぬとかはなさそうです」
司が言う。
「元の由来や、封じ札の意味が分かるまでは、しばらく様子を見るしかありませんが」
「……不服そう」
壱太が昂夜の顔を覗き込む。
「不服だよ」
昂夜は即答した。
「なんで呪いのせいで毎晩あいつと距離感おかしくしなきゃいけねえんだ」
「距離感おかしくなるのは呪いのせいだけ?」
「壱太」
司が低く制する。
「はいはい」
壱太は笑って両手を上げた。
そのあと、しばらくは本当に普通の作業に戻った。 DMを読み、怪談として使えそうな話を振り分ける。明らかな創作や悪ふざけを弾き、妙に生々しい投稿に印を付ける。司が編集途中の動画を確認し、壱太が横から適当な感想を挟む。
そんな、いつも通りの空気だった。
だからこそ、夕方に届いた朔也からの連絡が、妙に浮いた。
今、時間ある?
短い一文。 相変わらず前置きがない。
昂夜は画面を見た瞬間、嫌な予感しかしなかった。
「……またか」
「何ですか」
司がすぐ反応する。
「朔也」
その一言で、壱太が「あー」と声を漏らす。
「夕飯?」
「たぶん、そういう時は大抵ろくでもない話ある時だろ」
昂夜が返すと、壱太がにやっとした。
「行くんだ」
「行くしかねえだろ、この貝のこともあるし」
「じゃあ俺も行こ」
「なんでだよ」
「なんでって、面白……じゃなくて心配だから」
「今ちょっと本音出ただろ」
「出てない」
司がパソコンを閉じる。
「俺も行きます」
「お前までか」
「ろくでもない話の可能性が高いなら、なおさらです」
その言い方があまりに真面目で、昂夜は返す言葉を失った。
ファミレスに着くと、奥の席に朔也はもういた。
いつものようにラフな格好で、バイト帰りらしい少し気の抜けた顔をしている。目の前にはドリンクバーのグラスとポテト。まるで昨日までのあれこれなんて最初からなかったみたいな雰囲気だ。
「遅い」
「勝手に呼び出しといてそれかよ」
昂夜が向かいに座る。 壱太と司もそのまま隣へ入った。
朔也は二人を見て、少しだけ目を細めた。
「また一緒なんだ」
「何か文句あるか」
「別に」
いつもの軽いやり取りのあと、昂夜がすぐ本題へ入る。
「で?」
「うん」
朔也はポテトを一本口に入れてから言った。
「今日さ、バイト終わりにパチンコ屋寄ったんだよ」
「なんで」
「なんとなく」
「最悪の導入だな」
昂夜が顔をしかめると、壱太がすでに半分笑っていた。
「で?」
「そしたら、歯の抜けたおっちゃんに話しかけられて」
「その時点で嫌だな」
「やたら気に入られてさ」
朔也はまるで世間話みたいに続ける。
「お前、変なもん寄ってる顔してるなって」
その一言で、司の眉がぴくりと動いた。
「……それで」
「ちょっと話したら、おっちゃんが知ってる怪しいものの話してきた」
昂夜は小さく息を吐く。
「怪しいものって何だよ」
「古いオルゴール」
その言葉が、妙に静かに落ちた。
壱太が先に反応した。
「オルゴール?」
「うん。古い洋館を壊した時に出てきたやつらしくて、持って帰った人が、同じ夢見るようになったとか」
司が椅子に座り直す。 仕事の顔だ。
「同じ夢?」
「最初は家族だけ。次に、触ったやつ同士。で、夢の中で知らない部屋とか階段とか見るんだって」
朔也はそこで少しだけ間を置いた。
「しかも、おっちゃん曰く、夢の中だと忘れてること思い出すらしい」
昂夜の指先が、テーブルの下でわずかに止まる。
「忘れてること?」
「その時は酔っ払いの与太話かと思ったんだけど」
朔也は肩をすくめる。
「なんか、ちょっと引っかかって」
「だから呼んだのか」
「そう」
司がすでにスマホを取り出している。
「場所は」
「おっちゃんが言うには、まだその辺の古物屋に流れてるかもって。店の名前も聞いた」
「聞いたのかよ」
昂夜が呆れると、朔也は少しだけ笑った。
「そこはちゃんと」
壱太はテーブルに身を乗り出して、興味を隠せていなかった。
「でもさ、それ、めちゃくちゃ怖くない?」
「怖いですよ」 司が即答する。 「しかも今の話、相当ろくでもないです」
「だろ」
昂夜も低く言う。
夢。 忘れていること。 その単語が、何でもないはずなのに胸の奥に引っかかった。
朔也はそんな昂夜の顔を見ているのか見ていないのか、ポテトをつまみながら言う。
「で、どうする」
「どうするも何も」 司が顔を上げた。 「放っておく選択肢、あります?」
「ないだろうな」
昂夜が先に答える。
嫌な予感しかしない。 でも、その嫌な予感を無視してあとから面倒になるのも、もう何度も経験してきた。
「行くの?」 壱太が妙に嬉しそうに言う。
「絶対行くよね、これ」
「お前ちょっとテンション上がってるだろ」
「怖いけど気になるし」
「正直だな」
司はすでにメモアプリを開いていた。
「店の名前、場所、聞いた特徴、全部教えてください」
「了解」
朔也があっさり答える。
ファミレスの安い照明の下で、次の怪異の輪郭が少しずつ形を持ち始める。
今度は夢に入り込む呪物。 しかも、忘れていたものを見せるかもしれないオルゴール。
昂夜は無意識に、自分のグラスへ手を伸ばした。
妙なざわつきが、胸の奥をかすめる。 まだ何も起きていないのに、もう嫌な感じがする。
それでも。
「……行くなら、早い方がいい」
自分の口から出たその言葉に、司が静かに頷いた。
「明日、動きましょう」
壱太は「うわ、ほんとに行くんだ」と言いながら、どこか楽しそうに笑う。
朔也だけが、いつもの調子でポテトを咀嚼していた。
けれど、その目の奥にはほんの少しだけ、いつもと違う引っかかりが残っているようにも見えた。
