怪異、お持ち帰り注意

 翌日の日中、配信部屋にいたのは司ひとりだった。
 昨夜はそのまま泊まり込みで編集を続けていた。オルゴールの件を整理し直していたら、気づけば外が白み始めていた。仮眠は取ったが、頭の芯にはまだ鈍い疲れが残っている。
 ノートパソコンのタイムラインは開いたまま。冷めたコーヒーの横で、キーボードの音だけが小さく響いていた。
 昂夜は一度家へ戻り、朔也はバイトへ向かった。今ここにいるのは司だけだ。
「……眠い」
 小さく呟いたところで、ドアが開く。
「おはよー」
 壱太だった。片手に紙袋、もう片方にテイクアウトのカップを二つ提げている。
「来た早々、甘い匂いしかしないんですけど」
「差し入れ。ドーナツとコーヒー」
「またドーナツですか」
「またドーナツだよ」
 当然みたいに机へ置き、壱太はさっそくひとつ頬張った。
「朝からよく入りますね」
「朝だから入るんじゃん」
「理屈が分かりません」
「分からなくていいよ」
 壱太はもぐもぐしながら司の顔を覗き込む。
「ていうか、顔やばいよ。ちょっと休んだら?」
 軽い言い方なのに、ちゃんと心配している声だった。
 司はカップを受け取り、肩をすくめる。
「休んではいます」
「絶対足りてない」
「必要だったんです。まだ整理しきれてなかったので」
「真面目だなあ」
「誰かさんたちのせいで、真面目にやらないと回らないんですよ」
「それはごめん」
 まったく反省していない顔で壱太は笑う。
 司がコーヒーの蓋を開けると、まだ温かい香りが立った。横では壱太がもう次のドーナツに手を伸ばしている。
「……ほんとに好きですね、ドーナツ」
「好きだよ」
 壱太は素直に頷く。
「あと、司が疲れてる時って甘いものの方がいいかなって思って」
 その一言に、司は少しだけ言葉を失った。深く考えてのことではないのだろう。それでも、そういうところが壱太らしかった。
「……別に、そこまで疲れてませんよ」
「いや疲れてるって。ほら、飲んで、食べて、ちょっと休憩しなよ」
 司は袋からひとつ選び、仕方なさそうにドーナツを手に取る。
「本当に、またドーナツかって感じです」
「文句言いながらちゃんと食べるじゃん」
「捨てるのも悪いので」
「素直じゃないなあ」
「そっちが言いますか」
 壱太は楽しそうに笑う。
 その笑い声を聞きながら、司はドーナツをひとかじりした。甘さが、疲れた頭に思ったよりちゃんと効く。
「どうですか。うまいですか」
「……まあ」
 司はコーヒーをひと口飲んでから答える。
「悪くないです」
「悪くない、いただきました」
「勝手に喜ばないでください」
「でもちょっと元気出たでしょ」
 そう言われて、司は否定できなかった。張り詰めていたものが、少しだけ緩んだ気がする。
「……食べたら、少し休憩します」
「うん、それがいい」
 壱太は満足そうに頷いて、またドーナツを頬張る。
 その変わらない様子に、司は呆れ半分、安堵半分で視線を落とした。
「ほんと、飽きないですね」
「ドーナツ?」
「それもですけど」
 壱太はきょとんとした顔をしたが、司はそれ以上言わなかった。
 代わりに、まだ温かいコーヒーへもう一度口をつける。甘い匂いと少し眠い昼の空気の中で、ようやく肩の力が少しだけ抜けた。