怪異、お持ち帰り注意

 翌日、昂夜は顔色の悪いまま、それでもなんとか配信部屋へ向かった。  昼間は症状が夜より軽い。体はまだ重いが、歩けないほどじゃない。そのこと自体が、もう普通の体調不良じゃないと物語っていた。
 配信部屋に着くと、司と壱太はすでに来ていた。
「昂夜、顔やば」  壱太が開口一番そう言った。 「昨夜寝てない?」
「寝たけど最悪だった」
 短く返して、昂夜は椅子に腰を下ろす。  司がすぐに水を差し出した。
「朔也は」
「呼んでます」  司が言う。 「もうすぐ来るはずです」
 そう答えたタイミングでドアが開いた。  朔也だった。
 入ってきた瞬間、昂夜は低い声で言った。
「昨日の夜、死にそうだったんだけど?」
 挨拶も何もない。いきなり本題だった。  壱太が少しだけ目を見開く。でも司はそれを止めなかった。むしろ当然だという顔をしている。
 朔也は一瞬だけ黙ってから、肩をすくめた。
「俺も少し変だった」
「少しで済んだのかよ」
「昂夜ほどじゃなかった」
「ふざけんな」
 昨夜の息苦しさを思い出すだけで腹が立つ。
「これ、お前が渡したやつのせいだろ」
「たぶん」
「たぶんじゃねえだろ」
「そうですね」  そこで司が口を挟んだ。 「たぶんではなく、かなり可能性が高いです」
 すでにノートパソコンを開いていた司は、画面を睨んだまま続ける。
「昨夜のメッセージを見て、いくつか調べました」
 壱太が机に身を乗り出す。
「何かあった?」
「オカルト系の記述なので、どこまで信用するかは別ですが」
 嫌そうに前置きしてから、司は検索結果をいくつか開いた。
「二枚貝を模した小物で、片割れを一人で持つと不幸を呼ぶ、という話が複数あります」
「うわ」  壱太が素直に嫌そうな顔をする。 「それ系?」
「しかも」  司はさらにスクロールする。 「本来は二人で一つずつ持つ前提のものだったようです。離れぬように、縁が切れぬように、そういう願いを込めた縁起物に近い」
 昂夜は小さく眉を寄せた。
「縁起物?」
「ええ。ただ、強い念が込められすぎて歪んだのか、後年には呪物扱いされた記述も出てきます」
 司の声は相変わらず冷静だったが、その内容はまったく穏やかではない。
「さらに面倒なのはここです」
 表示された文面を指で示す。
「ふたりが貝殻を一枚ずつ持ち、特に夜は近くにいることで、不幸を避けられるとされています」
 部屋がしんと静まる。
 壱太がいちばん先に反応した。
「……え、なにそれ」
「そういうことだろ」  昂夜が低く言う。 「昨夜、ひとりでいたからやばかった」
「でも片方ずつ持ってたじゃん」
「近くにいねえだろ」
「あ」  壱太が口をつぐむ。
 司は続けた。
「封じ札が同封されていたという時点で、本来はもっと穏やかに抑えられていた可能性があります。ですが、それを紛失した」
 その一言で、視線が全部朔也へ向く。  朔也は数秒黙ったあと、「……悪い」と小さく言った。  珍しく、本当に悪いと思っている声だった。
「それだけじゃないと思います」  司がさらに静かに言う。 「この手のものは、持ち主の相性で効き方が変わることがある。つまり、もともと切れにくい関係や、強く引かれやすい関係ほど、効果が強く出る可能性が高い」
 壱太がそこで、ふっと妙な顔をした。
「それってさ」
「言わなくていいです」  司が先に釘を刺す。
「いや、でも」
「言わなくていいです」
 壱太は口を閉じたが、完全には納得していない顔だった。  昂夜はそのやり取りに少しだけ眉を寄せた。今はそこを掘り下げたくない。昨夜のしんどさを思い出すと、妙なことまで考えそうになるからだ。
「じゃあ、どうすんだよ」  昂夜が言う。 「今夜もこれなら、たまったもんじゃねえぞ」
「少なくとも、離れないことです」  司が即答する。 「夜は特に。二人とも片方ずつ持ったまま、一定距離以上離れない」
「一定距離ってどのくらい」  壱太が聞く。
「そこまでは記述が曖昧です。ですが、昨夜の昂夜の症状を見る限り、同じ部屋にいるくらいは必要かと」
「はあ?」  昂夜が思わず声を上げる。 「同じ部屋?」
「昨夜、死にそうだったんでしょう」  司の返しは冷静だった。 「なら選んでいる場合じゃないです」
「……」
 正論すぎて返せない。  壱太が横で「うわー」と言いながらも、どこか面白がるのを必死に抑えている顔をしている。
「じゃあ今夜は」  壱太が言う。 「昂夜と朔也、離れないようにしなきゃなんだ」
「そうなります」
「なんでそんな他人事みたいなんだよ」  昂夜が睨むと、壱太は「だって当事者じゃないし」と肩をすくめた。
 朔也はそこでようやく、少しだけ気まずそうに言う。
「……俺んとこ来る?」
 昂夜はすぐには答えなかった。  昨夜の苦しさは本物だ。でも、だからといって朔也と夜を一緒に過ごすという状況が、別の意味で少し面倒くさい。
 その沈黙を、司が淡々と切った。
「それが一番現実的でしょうね」
「司」
「何ですか」
「お前ちょっと楽しんでないか」
「まったく」
 即答だった。  でも壱太がそこで、とうとう吹き出した。
「いや、でもさ。かなり厄介だよね。二人とも近くにいないと駄目なんでしょ」
「笑うな」
「笑ってない、笑ってないけど」  壱太は肩を震わせる。 「呪いのせいって分かってても、だいぶ気まずくない?」
 その言葉に、昂夜はますます嫌な顔をした。  気まずいに決まっている。なのに、昨夜本当に苦しかったせいで、強く拒否しきれないのが余計に腹立たしい。
 朔也はそんな空気の中でも、わりとあっさりしていた。
「近くにいりゃいいんだろ」
「お前はな」  昂夜が低く返す。 「呑気すぎんだよ」
「でも死にそうになるよりマシじゃん」
 その一言だけは、ぐうの音も出なかった。
 司はノートパソコンを閉じる。
「とにかく、今夜が山です。症状が本当に夜だけ強まるなら、そこで持ち方と距離を固定して様子を見る」
「解除は?」  昂夜が聞く。
「まずは元の由来をもう少し探ります。封じ札に書かれていた内容も分からない以上、今すぐ手を出すのは危険です」
 冷静な判断だった。
「じゃあ、今夜はしのぐしかないのか」
「そうです」  司はきっぱり言う。 「少なくとも、離れないでください」
 その言葉が、部屋の中へ妙に重く落ちた。
 昂夜は机の上に置いた自分の貝殻を見る。白っぽい殻は静かで、何も主張していない。なのに昨夜、あれ一つであれだけ苦しんだ。
 ふと、もう面倒になって机に置いたままにしていこうかと思った。  こんなもの、持っているから厄介なんだ。  夜さえ越えられれば、配信部屋にでも置いてしまえばいい。
 そう考えて、昂夜は無造作に貝殻を机の端へ押しやった。
 その動きを見た司が、すぐに声を上げた。
「置いていかないでください」
 昂夜の手が止まる。
「は?」
「もう一つ、条件があります」  司はそう言って、またノートパソコンを開いた。 「この手の二枚貝型の呪物は、一度片割れとして認識された持ち主から離れにくくなるそうです」
「離れにくい?」  壱太が首をかしげる。
「どういうこと?」
「魅入られたら、もう逃げられない、という言い方が近いですね」  司の声はあくまで落ち着いていた。 「手放しても、置いていっても、結局また手元へ戻る。なくしたと思っても、別の形で近くに戻る。そういう記述が多いです」
「……最悪かよ」  昂夜が低く吐き捨てる。
「つまり、ここに置いて帰っても意味ないってこと?」  壱太が聞く。
「それどころか、危ない可能性があります」  司は即答した。 「中途半端に距離だけ取ろうとして、持ち主の認識だけ残ったままになると、症状の出方が読めません」
 昂夜は机の端に置きかけていた貝殻を見た。  たったそれだけの行為が、妙に危ないものに見えてくる。
「じゃあ、ほんとに持ってなきゃ駄目なんだな」
「そうなります」  司が頷く。 「二人ともです。片方だけ持って近くにいる、でも駄目。近くにいるだけで持たない、でも駄目。片割れとして認識された以上、二人とも一枚ずつ持ったまま夜を越える必要があります」
「最悪じゃん……」  壱太が素直に言う。
「めちゃくちゃ面倒じゃん」
「だから最初からそう言ってるだろ」  昂夜が低く返す。
 朔也はそこで、自分のポケットに入れた貝殻を軽く叩いた。
「じゃあ、ほんとに持っとくしかねえな」
「札なくしたやつが言うな」  昂夜が即座に返す。
 壱太が思いきり吹き出した。
「それはそう」
「笑うな」
「いや、でも今のは昂夜が正しい」
 司まで小さく頷く。
 朔也は少しだけ不服そうな顔をしたが、反論はしなかった。  たぶん、自覚はあるのだろう。
 昂夜は机の上の貝殻を、結局また手に取った。  白く滑らかな殻は静かで、何も語らない。なのに、それをもう置いていけないと分かった瞬間、妙に重みが増した気がした。
「……分かったよ」
 小さく息を吐く。
「今夜は離れねえし、これも持っとく」
「そうしてください」  司はきっぱりと言い切る。 「少なくとも今夜は、それが前提です」
 その言葉で、ようやく全員の中で条件が固まった。
 近くにいるだけでは足りない。  持っているだけでも足りない。  二人が片方ずつ持ったまま、離れずに夜を越さなければならない。
 逃げ道は、もうなかった。
 部屋の空気はまだ重い。  でも、その重さの中に、少しだけ普段の調子も戻り始めていた。
 今夜、離れられない。  その事実だけが、妙に現実味を持って胸に残っていた。