骨董市は、思っていたよりも人が多かった。
河川敷の広場に骨董商や個人の露店が並び、古い食器や着物、木箱、掛け軸、よく分からない金物まで雑多に積み上げられている。晴れた休日の昼下がり。人いきれと、乾いた土の匂いと、どこか古びたもの同士が混ざった独特の空気が漂っていた。
昂夜は古道具の並ぶ露店を横目に見ながら、小さく息を吐く。
「なんで俺まで来てるんだろうな」
「暇だったからだろ」
隣を歩く朔也は、いつもの調子で言った。
ラフな黒のシャツにデニム。人混みの中でも妙に気楽そうで、こういう場所に慣れているのかいないのかよく分からない顔をしている。
「暇だとは言ったけど、骨董市に付き合うとは言ってねえ」
「今いるじゃん」
「結果論だろ」
低く返すと、朔也が少しだけ笑う。
今日は配信でも撮影でもない。ただ、朔也が「ちょっと見たいのある」と言うから、なんとなくついて来ただけだった。壱太も司も今日は別件で来ていない。だから余計に、二人だけでこういう場所を歩いていることが妙に意識に引っかかる。
「でもさ」
朔也が、並んだ品物を眺めながら言う。
「こういうとこ、昂夜たぶん嫌いじゃないだろ」
「好きではねえよ」
「じゃあ苦手?」
「……嫌いではない」
そう答えてしまうあたり、自分でもちょっと甘いと思う。
古いものには、独特の匂いがある。怪談師としての職業病かもしれないが、そういう気配を拾うのは嫌いじゃない。ただ、拾いたくないものまで拾う可能性があるから、積極的に来たい場所でもない。
朔也は何も言わず、店先に並べられた箱を順に覗いていた。 いつものように目を輝かせるわけでも、面白がるわけでもなく、ただ静かに見ている。その様子が、かえって厄介だと昂夜は知っている。
「おい」
「ん」
「変なもん見つけても、その場で買うなよ」
「考えとく」
「考えろじゃなくてやめろ」
「似たようなもんだろ」
「違う」
そんなやり取りをしながら歩いていた時だった。
朔也の足が、ある露店の前で止まった。
テーブルの上には、小さなガラス器や古いアクセサリー、装飾の細かい小箱が並んでいる。その端に、白っぽい布の上へちょこんと置かれていたものがあった。
二枚貝の小物だった。
手のひらに収まるくらいの大きさで、白と薄桃色が混じった滑らかな貝殻が、ぴたりと合わさるように二つ並んでいる。内側には淡い光沢があって、ただの貝細工にしては妙に目を引いた。
「……何それ」
昂夜が言うより早く、朔也が指先でそっと片方を持ち上げていた。
かちり、と小さな音がした。
離れたはずなのに、もう片方がわずかに揺れる。
「二枚でひとつっぽいな」
朔也が言う。
店番の老人が、奥からのんびりした声を投げた。
「それ、昔の縁起物らしいよ」
「らしい?」
昂夜が聞き返す。
「詳しくは分かんないけどねえ。古い家の蔵から出たとかで、まとめて入ってきたんだよ」
老人はそれ以上興味なさそうだった。
だが、朔也は貝殻を手にしたまま離さない。
昂夜はその横顔を見て、嫌な予感を覚える。
「お前、それ」
「綺麗じゃね」
「綺麗かどうかじゃねえんだよ」
朔也は軽く肩をすくめた。
「なんか、気になる」
その言い方がもう危ない。
「やめとけ」
「でもこれ」
朔也が残る片方も持ち上げる。
二つの貝殻が、掌の中で不思議なくらいしっくり収まっていた。
「札も入ってる」
そう言って、下に敷かれていた布の端から、小さく折られた古びた紙を取り上げる。
墨が滲んだ文字で何か書いてある。 封じ札か、護符の類に見えた。
「もっとやめとけ」
昂夜が即座に言う。
「札付きの時点でアウトだろ」
「でも店の人も意味分かってないっぽいし」
「だから余計だ」
「二つで一組なら、片方お前持つ?」
「なんでそうなる」
反射で返したが、朔也はもう値札を見ていた。
「安い」
「その基準で決めるな」
「高くても買うけど」
「最悪だな」
結局、止めきれなかった。
朔也は二枚貝の小物を買い、封じ札ごと小さな紙袋に入れて持ち帰った。帰り道、駅のホームでその袋を開けた時には、札が一度風に煽られて足元に落ちた。
「あ」
朔也がしゃがみ込む。
昂夜も反射的に視線を落としたが、ちょうど電車が滑り込んできて風が巻く。古びた札は、誰かの靴先か、風圧か、よく分からないまま視界の端から消えた。
「……見えたか?」
「いや」
ホームの下ではない。だが、周囲の人の足元と風に紛れて、どこへ行ったのか分からない。
「まあ、いっか」
朔也が立ち上がる。
昂夜は信じられないものを見る目でそちらを向いた。
「よくねえだろ」
「紙だし」
「紙だからだろ」
「二枚貝の方が大事だし」
「何ひとつ納得できねえ」
そう言いながらも、電車が来てしまった以上どうしようもなかった。
乗り込んだ車内で、朔也は何の気なしに紙袋から片方の貝殻を取り出し、昂夜へ差し出した。
「はい」
「何が」
「一枚」
「いや、いらねえよ」
「二つあるし」
「そういう問題じゃない」
「でも一緒に持ってた方が良さそうじゃね?」
この時点では、ただの直感だったのだろう。 悪気はなかった。 むしろ、二つでひとつなら分けた方が収まりがいいくらいの軽さでしかない。
その軽さが、いつも厄介だ。
「……やだ」
「何で」
「札なくしてんだぞ」
「だから、二つに分けた方がいいかも」
変な理屈だった。 変なのに、どこかだけ引っかかる。
昂夜は嫌な顔をしたまま、結局その貝殻を受け取ってしまった。
「何かあったらお前のせいだからな」
「だろうな」
朔也はまったく反省していない顔で言った。
その日の夜、昂夜は後悔することになる。
帰宅してすぐは何もなかった。
シャワーを浴びて、簡単に夕飯を済ませて、部屋の照明を落とす。机の上に無造作に置いた貝殻は、昼間と変わらず白っぽく静かに光っていた。
異変が出たのは、寝る支度をしてしばらく経ってからだった。
「……っ」
最初は、ただ体がだるいだけかと思った。
妙に重い。 熱があるわけではないのに、手足の先まで鉛みたいに鈍い。 布団に入っても落ち着かず、呼吸が浅い。胸のあたりを見えない手で押されているみたいで、息を深く吸うのに少し力がいる。
立ち上がって水を飲もうとした時、足元がふらついた。
「なんだよ、これ……」
呟いた声が、自分でも少し掠れているのが分かる。
風邪じゃない。 単なる疲れでもない。 何より、妙な焦燥感があった。
ひとりでいるのが落ち着かない。 今すぐ誰かのいる場所へ行かなければいけないような、理由の分からない不安が胸の奥でざわついている。
その時、机の上の貝殻が目に入った。
白い殻が、部屋の暗さの中でかすかに浮いて見える。
「……まさか」
気づいた瞬間、ぞっとした。
昼間、あんなに気軽に渡された片割れ。 封じ札は失くしたまま。 しかも、二つでひとつ。
昂夜はスマホを掴み、ろくに考えもせず朔也へメッセージを打った。
これ、ヤバいやつだろ……
送信してすぐに既読がつく。
珍しい早さだった。
朔也からの返事は、短かった。
俺も少し変
その一文を見た瞬間、昂夜は舌打ちしたくなった。
やっぱりか。
やっぱり何かある。
なのに、今から朔也の部屋へ行く気力はなかった。体が重すぎる。立って靴を履いて、外へ出るだけでもしんどい。
スマホを握ったまま、布団へ倒れ込む。
胸の奥のざわつきは消えない。 時計を見るたび、夜がやけに長い。 それでも朝方になるにつれて、息苦しさは少しずつ引いていった。
完全に楽になったわけじゃない。 だが、少なくとも死にそうな感じは薄れた。
その違いが、逆に不気味だった。
河川敷の広場に骨董商や個人の露店が並び、古い食器や着物、木箱、掛け軸、よく分からない金物まで雑多に積み上げられている。晴れた休日の昼下がり。人いきれと、乾いた土の匂いと、どこか古びたもの同士が混ざった独特の空気が漂っていた。
昂夜は古道具の並ぶ露店を横目に見ながら、小さく息を吐く。
「なんで俺まで来てるんだろうな」
「暇だったからだろ」
隣を歩く朔也は、いつもの調子で言った。
ラフな黒のシャツにデニム。人混みの中でも妙に気楽そうで、こういう場所に慣れているのかいないのかよく分からない顔をしている。
「暇だとは言ったけど、骨董市に付き合うとは言ってねえ」
「今いるじゃん」
「結果論だろ」
低く返すと、朔也が少しだけ笑う。
今日は配信でも撮影でもない。ただ、朔也が「ちょっと見たいのある」と言うから、なんとなくついて来ただけだった。壱太も司も今日は別件で来ていない。だから余計に、二人だけでこういう場所を歩いていることが妙に意識に引っかかる。
「でもさ」
朔也が、並んだ品物を眺めながら言う。
「こういうとこ、昂夜たぶん嫌いじゃないだろ」
「好きではねえよ」
「じゃあ苦手?」
「……嫌いではない」
そう答えてしまうあたり、自分でもちょっと甘いと思う。
古いものには、独特の匂いがある。怪談師としての職業病かもしれないが、そういう気配を拾うのは嫌いじゃない。ただ、拾いたくないものまで拾う可能性があるから、積極的に来たい場所でもない。
朔也は何も言わず、店先に並べられた箱を順に覗いていた。 いつものように目を輝かせるわけでも、面白がるわけでもなく、ただ静かに見ている。その様子が、かえって厄介だと昂夜は知っている。
「おい」
「ん」
「変なもん見つけても、その場で買うなよ」
「考えとく」
「考えろじゃなくてやめろ」
「似たようなもんだろ」
「違う」
そんなやり取りをしながら歩いていた時だった。
朔也の足が、ある露店の前で止まった。
テーブルの上には、小さなガラス器や古いアクセサリー、装飾の細かい小箱が並んでいる。その端に、白っぽい布の上へちょこんと置かれていたものがあった。
二枚貝の小物だった。
手のひらに収まるくらいの大きさで、白と薄桃色が混じった滑らかな貝殻が、ぴたりと合わさるように二つ並んでいる。内側には淡い光沢があって、ただの貝細工にしては妙に目を引いた。
「……何それ」
昂夜が言うより早く、朔也が指先でそっと片方を持ち上げていた。
かちり、と小さな音がした。
離れたはずなのに、もう片方がわずかに揺れる。
「二枚でひとつっぽいな」
朔也が言う。
店番の老人が、奥からのんびりした声を投げた。
「それ、昔の縁起物らしいよ」
「らしい?」
昂夜が聞き返す。
「詳しくは分かんないけどねえ。古い家の蔵から出たとかで、まとめて入ってきたんだよ」
老人はそれ以上興味なさそうだった。
だが、朔也は貝殻を手にしたまま離さない。
昂夜はその横顔を見て、嫌な予感を覚える。
「お前、それ」
「綺麗じゃね」
「綺麗かどうかじゃねえんだよ」
朔也は軽く肩をすくめた。
「なんか、気になる」
その言い方がもう危ない。
「やめとけ」
「でもこれ」
朔也が残る片方も持ち上げる。
二つの貝殻が、掌の中で不思議なくらいしっくり収まっていた。
「札も入ってる」
そう言って、下に敷かれていた布の端から、小さく折られた古びた紙を取り上げる。
墨が滲んだ文字で何か書いてある。 封じ札か、護符の類に見えた。
「もっとやめとけ」
昂夜が即座に言う。
「札付きの時点でアウトだろ」
「でも店の人も意味分かってないっぽいし」
「だから余計だ」
「二つで一組なら、片方お前持つ?」
「なんでそうなる」
反射で返したが、朔也はもう値札を見ていた。
「安い」
「その基準で決めるな」
「高くても買うけど」
「最悪だな」
結局、止めきれなかった。
朔也は二枚貝の小物を買い、封じ札ごと小さな紙袋に入れて持ち帰った。帰り道、駅のホームでその袋を開けた時には、札が一度風に煽られて足元に落ちた。
「あ」
朔也がしゃがみ込む。
昂夜も反射的に視線を落としたが、ちょうど電車が滑り込んできて風が巻く。古びた札は、誰かの靴先か、風圧か、よく分からないまま視界の端から消えた。
「……見えたか?」
「いや」
ホームの下ではない。だが、周囲の人の足元と風に紛れて、どこへ行ったのか分からない。
「まあ、いっか」
朔也が立ち上がる。
昂夜は信じられないものを見る目でそちらを向いた。
「よくねえだろ」
「紙だし」
「紙だからだろ」
「二枚貝の方が大事だし」
「何ひとつ納得できねえ」
そう言いながらも、電車が来てしまった以上どうしようもなかった。
乗り込んだ車内で、朔也は何の気なしに紙袋から片方の貝殻を取り出し、昂夜へ差し出した。
「はい」
「何が」
「一枚」
「いや、いらねえよ」
「二つあるし」
「そういう問題じゃない」
「でも一緒に持ってた方が良さそうじゃね?」
この時点では、ただの直感だったのだろう。 悪気はなかった。 むしろ、二つでひとつなら分けた方が収まりがいいくらいの軽さでしかない。
その軽さが、いつも厄介だ。
「……やだ」
「何で」
「札なくしてんだぞ」
「だから、二つに分けた方がいいかも」
変な理屈だった。 変なのに、どこかだけ引っかかる。
昂夜は嫌な顔をしたまま、結局その貝殻を受け取ってしまった。
「何かあったらお前のせいだからな」
「だろうな」
朔也はまったく反省していない顔で言った。
その日の夜、昂夜は後悔することになる。
帰宅してすぐは何もなかった。
シャワーを浴びて、簡単に夕飯を済ませて、部屋の照明を落とす。机の上に無造作に置いた貝殻は、昼間と変わらず白っぽく静かに光っていた。
異変が出たのは、寝る支度をしてしばらく経ってからだった。
「……っ」
最初は、ただ体がだるいだけかと思った。
妙に重い。 熱があるわけではないのに、手足の先まで鉛みたいに鈍い。 布団に入っても落ち着かず、呼吸が浅い。胸のあたりを見えない手で押されているみたいで、息を深く吸うのに少し力がいる。
立ち上がって水を飲もうとした時、足元がふらついた。
「なんだよ、これ……」
呟いた声が、自分でも少し掠れているのが分かる。
風邪じゃない。 単なる疲れでもない。 何より、妙な焦燥感があった。
ひとりでいるのが落ち着かない。 今すぐ誰かのいる場所へ行かなければいけないような、理由の分からない不安が胸の奥でざわついている。
その時、机の上の貝殻が目に入った。
白い殻が、部屋の暗さの中でかすかに浮いて見える。
「……まさか」
気づいた瞬間、ぞっとした。
昼間、あんなに気軽に渡された片割れ。 封じ札は失くしたまま。 しかも、二つでひとつ。
昂夜はスマホを掴み、ろくに考えもせず朔也へメッセージを打った。
これ、ヤバいやつだろ……
送信してすぐに既読がつく。
珍しい早さだった。
朔也からの返事は、短かった。
俺も少し変
その一文を見た瞬間、昂夜は舌打ちしたくなった。
やっぱりか。
やっぱり何かある。
なのに、今から朔也の部屋へ行く気力はなかった。体が重すぎる。立って靴を履いて、外へ出るだけでもしんどい。
スマホを握ったまま、布団へ倒れ込む。
胸の奥のざわつきは消えない。 時計を見るたび、夜がやけに長い。 それでも朝方になるにつれて、息苦しさは少しずつ引いていった。
完全に楽になったわけじゃない。 だが、少なくとも死にそうな感じは薄れた。
その違いが、逆に不気味だった。
