怪異、お持ち帰り注意

 夜になる前に、昂夜は渋々朔也の部屋へ向かった。司には着いたら連絡しろと言われ、壱太には死にそうなら我慢するなと真顔で念を押されたが、気分は晴れない。死にそうになると分かっている夜を迎えに行くみたいで、ひたすら面倒だった。
 インターホンを押すと、すぐにドアが開いた。
「早かったな」
 朔也はもう部屋着だった。ポケットの膨らみで、貝殻を持っているのが分かる。
「お前が来いって言ったんだろ」
「そうだけど」
 中へ入る。部屋は前と変わらず、妙に普通だった。
「司から連絡来た?」
「来た。一時間おきに生存確認しろって」
「やっぱ保護者じゃねえか」
「管理らしいけど」
 少しだけ笑いそうになったが、昂夜はすぐポケットから自分の貝殻を出した。
「……これ、ほんとに持っとかなきゃ駄目なんだよな」
「たぶん」
「そのたぶんやめろ」
 朔也は肩をすくめただけだった。
 しばらくして、朔也が言う。
「風呂どうする」
 昂夜は少し黙ったが、結局、別でいいだろと答えた。部屋も狭いし、貝殻を脱衣所に置けば何とかなる気がした。
 二枚の貝殻を脱衣所の棚に並べて、昂夜が先に浴室へ入る。最初の数十秒は何もなかった。だが、湯気が回ったあたりで急に胸が詰まった。
「……っ」
 昨夜と同じだった。息が浅い。胸の奥を押されるみたいに苦しい。壁に手をつき、どうにか声を出す。
「朔也」
 すぐ外から足音が寄った。
「どうした」
「……駄目だ、ちょっと」
「開けるぞ」
 ドアが少し開く。その瞬間、胸を締めつけていたものがわずかに緩んだ。
「……っは」
「やばい?」
「……やばい。ドア閉まってたら、昨日みたいになる」
 少し間を置いて、朔也が言う。
「じゃあ、開けとけ」
「は?」
「全部閉めんのが駄目なんだろ。ちょっと開けたまま急いで済ませりゃいい」
 妙に実務的な言い方で、昂夜は力が抜けた。
「……お前な」
「何」
「そういう言い方やめろよ」
「でもそうだろ」
 その通りだった。昂夜はドアを少し開けたまま、シャワーだけで済ませることにした。隙間の向こうに朔也の気配があるだけで、さっきよりずっと楽だった。
「大丈夫か」
「ああ」
 短い返事だったが、それだけで十分だった。
 浴室を出ると、朔也は脱衣所の外の壁にもたれていた。
「もう平気?」
「……さっきよりは」
「じゃあやっぱ、ドア一枚でも駄目なんだな」
 淡々と事実だけを言う。その調子が少し腹立たしい。
「お前も試すか」
「試すって」
「風呂。俺だけが駄目なのか、お前もなのか」
 朔也は少しだけ迷ってから、「じゃあ入る」と言った。
 今度は昂夜が外に立つ番だった。朔也が浴室へ入り、ドアが閉まる。最初は何でもない。だが、しばらくすると胸の奥がじわじわと落ち着かなくなった。さっきほど強くはないが、確実にざわつく。
「……おい」
「んー?」
 中から返事がした瞬間、少しだけ楽になる。
「何でもねえ」
「何だよ」
「いや、別に」
 認めるのが癪だった。だが、また少しすると同じ感じが戻る。
「……朔也」
「だから何」
「ドア、少し開けろ」
 中で少し間があってから、朔也が笑った気配がした。
「そっちもかよ」
「うるせえ」
 ドアが少し開く。湯気と一緒に気配が近づくと、胸のざわつきも薄れた。
「分かりやす」
「黙れ」
「いや、いいじゃん。俺だけじゃないって分かったし」
「よくねえよ」
 そう言いながらも、昂夜は壁から背を離した。これで確定だった。自分だけじゃない。強さに差はあっても、離れるとちゃんと引っ張られる。
 朔也がシャワーを終えて出てくる。
「面倒だな」
「今さらかよ」
「いや、改めて」
 タオルを首に掛けたまま、朔也が少し目を細める。
「どっちも同じなら、まだマシじゃね」
 昂夜は一瞬返事に詰まった。片方だけが一方的に苦しいよりは、たしかにマシかもしれない。そう思ってしまったのが少し嫌だった。
 結局、風呂は短時間のシャワーで済ませるしかないと分かった。ドア一枚でも危ない。貝殻は脱衣所の棚。声と気配が届く状態でなければ駄目。
 そこまで確かめた時点で、二人ともうんざりしていた。
「……で」
 昂夜が濡れた髪を拭きながら言う。
「寝るのはどうする」
 その一言で、部屋の空気がまた少しだけ気まずくなった。夜は、まだこれからだった。