怪異、お持ち帰り注意

 その日、朔也が配信部屋に現れた時点で、嫌な予感はしていた。
 いつものラフな格好に、いつもの気の抜けた顔。けれど片手にぶら下げていた小さな箱だけが、やけに場に馴染んでいなかった。
「またかよ」
 昂夜が開口一番そう言うと、朔也は「またって何」とでも言いたげに目を細めた。
「いや、だってそうだろ」
 壱太も苦笑する。
「最近ほんとペース早くない?普通に怖いんだけど」
「今回は買ったやつ」
 朔也はそう言って、テーブルの上に箱を置いた。
「フリマサイト」
 司の顔が露骨に曇る。
「……最悪ですね」
「そこまで?」
「そこまでです」
 即答だった。
「素性の知れない品物をネット経由で買って持ち込むの、前から思ってましたけど本当にやめた方がいいですよ」
「でもちゃんと説明ついてたし」
「その“ちゃんと”の基準がまず信用ならないんですよ」
 珍しく司の小言が早い。  それだけ、今回も嫌な気配があるのだろう。
「で、何なんだよ」
 昂夜が箱を見ながら問う。
 朔也は蓋を開け、中から緩衝材に包まれた小さな置物を取り出した。
 猫だった。
 丸く座った黒猫の置物。陶器か、あるいは焼き物に近い質感で、艶はほとんど失われている。表面には細かなひびが入り、右耳だけが少し欠けていた。目の部分には黄ばんだ釉薬が乗っていて、光の加減によっては妙に湿って見える。
「うわ」
 壱太が一歩だけ身を引く。
「見た目からしてちょっとやだな」
「かわいくはないですね」
 司も低く言う。
「何かあるやつ?」
「ある」
 朔也はあっさり答えた。
「出品者の家で、これ来てから耳まわりのことが続いたらしい」
 その言葉に、部屋が少し静まる。
「耳まわり?」
 昂夜が聞き返す。
「祖父が戦時中、海外の戦地で買ってきたんだってさ。祖母への土産」
 朔也はスマホを取り出して、フリマサイトの画面を開く。
「で、家に来てから、祖母が耳聞こえなくなった。姉が右耳の突発性難聴。いとこは事故で耳ちぎれる怪我」
「ちょっと待って」
 壱太が顔をしかめる。
「それ、だいぶ嫌なやつじゃん」
「あと身内に自殺者も出たって」
 朔也は淡々と続ける。
「さすがに気味悪くて手放したかったらしい」
 司が眉間を押さえた。
「そういうのを、なぜ買うんですか」
「なんか気になったから」
「その気になるが一番怖いんですけど」
 司の言い分はもっともだった。  昂夜もまったく同じことを思っている。
 けれど、猫の置物から目が離れないのも事実だった。
 片耳が欠けている。  それがただの破損以上の意味を持っている気がする。
「……出品者、詳しく書いてきたのか」
 昂夜が問う。
「最初は商品説明だけ。買ったあと、取引メッセージでちょっと」
 朔也はスマホを少し傾ける。
 そこには簡潔なやり取りが残っていた。  発送前の挨拶のあと、出品者の側からぽつりと付け足された文面。
 実は少し不気味ないわれがあります。  祖父が戦地から持ち帰ったものです。  家族に耳の不幸が続いて、ずっと手放せませんでした。  もし何かあっても責任は負えません。
 画面越しに読むだけなのに、妙に生々しい。
「……聞かない方が幸せだったかも」
 壱太がぼそっと言う。
「今さらだろ」
 昂夜は低く返した。
「で、今回はどうする気だ」
「どうするって?」
「また動画にするのかって聞いてんだよ」
 その問いに、朔也は猫の置物を指でくるりと回した。
「するだろ、たぶん」
「配信はやめろ」
 昂夜はすぐに言う。
「やるなら収録にしろ。後から確認できる形で残した方がいい」
「珍しく慎重だな」
「珍しくで悪かったな」
 低く返すと、壱太が間に入るように笑った。
「でもそれ賛成。今回はちょっと嫌な感じするし、いつもの収録にしよ」
「そうですね」
 司も頷く。
「その方が映像も音声も後から確認できます。何か異常があれば、編集段階で拾えるかもしれません」
「じゃあ決まり」
 朔也はあっさり言った。
「収録ね」
 そうして、その日の撮影は生配信ではなく、いつものYouTube用の収録動画として進められることになった。
 部屋の空気は、準備が始まってもしばらく重かった。
 司がカメラの位置を調整し、壱太がライトの角度を確認する。猫の置物はテーブルの中央に置かれたまま、誰も必要以上に触ろうとはしない。
「角度、そのままだと影入ります」
 司が言う。
「もう少しだけ右」
「はいはい」
 壱太がライトをずらしながら、猫の置物の方をちらっと見る。
「こういうのってさ、鈴の音とかしそうな顔してるよね」
「やめろ」
 昂夜が小さく言う。
「余計なこと言うな」
「いや、なんとなく」
 壱太は肩をすくめた。
「耳の話聞いたあとだと余計そう見えるだけかもだけど」
 司が録画の準備を終え、機材の横から声をかけた。
「じゃあ収録回します」
 赤いランプが点く。
 昂夜は一度だけ深く息を吸って、テーブルの上の猫の置物に視線を落とした。
「はい、どうも」
 いつもの入りで声を出す。
「今回は、フリマサイトで朔也が見つけてきた呪物を紹介する」
 話し始めてすぐ、右耳の奥がかすかに詰まるような感覚があった。
 ほんの少しだ。  気のせいと言われれば、それまでの程度。
「これは、戦時中に海外の戦地から持ち帰られた猫の置物らしい。出品者の家族の話では、これが来てから耳に関する不幸が続いた」
 壱太が横で相槌を打つ。
「祖母が聞こえなくなって、お姉さんが右耳の突発性難聴でしょ。いとこも耳に大怪我」
「さらに身内に自殺者も出てる」
 昂夜がそう続けた瞬間、右耳の奥で小さく高い音が鳴った気がした。
 ちり、と。
 鈴に似ている。  けれど、気のせいにできるくらいには小さい。
「……」
 一瞬だけ言葉が止まる。
「昂夜?」
 壱太が小さく見る。
「いや、続ける」
 昂夜はそのまま進めた。
「出品者いわく、家に置いてからずっと気味が悪くて、捨てるのも怖かったらしい」
 猫の置物は、やはり何も言わずにそこにある。  片耳の欠けた黒猫。  黄色い目だけが、光の加減で妙に生きたものみたいに見える。
 収録そのものは、問題なく終わった。
「はい、カット」
 司の声でランプが落ちる。
 壱太がすぐに伸びをした。
「おつかれー。今回、空気重かったねえ」
「お前が軽くしようとしすぎなんだよ」
 昂夜が返す。
 そう言いながらも、右耳の違和感はまだ少し残っていた。
「音、どうでした」
 司がモニターを見ながら言う。
「今のところは問題ないです。ノイズもなし」
「そうか」
 安堵しかけた時、また右耳の奥でちり、と鳴る。
 昂夜は無意識に耳へ手をやった。
「……昂夜さん?」
 司が気付く。
「何でもない」
 そう答えたものの、司の視線はすぐには逸れなかった。
「耳ですか」
「ちょっと詰まるだけだ」
「それ、今回の置物の話のあとに言われると嫌なんだけど」
 壱太が苦笑する。
「疲れてるだけじゃない?」
「たぶんそうだろ」
 昂夜はそう返したが、自分の声が少しだけ遠く聞こえる瞬間があった。
 気のせいだ。  そう思いたい。
 その日の夜、編集データを持ち帰った司は、仕事としていつも通りに動画を確認した。  波形に異常はない。映像にも、見た限り不自然なものは映っていない。
「……普通、か」
 小さく呟いて、映像を止める。
 猫の置物は画面の中でもやはり静かだった。  何も起きていないように見える。  だからこそ、余計に厄介だった。
 司は一通り確認したあと、いつも通りの手順で編集を終えた。  翌日アップする予定で、データを書き出す。
 その頃、昂夜の右耳の違和感はまだ消えていなかった。
 シャワーの音の中に、時々小さな高音が混じる。  イヤホンで音楽を流すと、右だけ少し近いような、遠いような、妙なズレがある。  寝る前に歯を磨いている時、自分の咳払いが一瞬だけ反対側から聞こえた気がして、思わず洗面台の鏡を見た。
 当然、何もない。
「……気のせいだろ」
 呟いた声が、右耳だけ少し遅れて返ってきた気がした。
 翌日、動画は司によって公開された。
 大きな反応が出るような派手な回ではない。  そう思っていたのに、アップから数時間でコメントは思ったより伸びた。
 戦地の土産という背景。  耳ばかりを狙ったように続く不幸。  片耳の欠けた猫の見た目。
 話としての引きが強かったのだろう。
 その夜、配信部屋に再び集まった時、司は編集データの保存用にパソコンを開いていた。壱太はソファでスマホを見ながら、「意外と回ってる」と軽く言っている。
「コメントは?」
 昂夜が聞く。
「今のところ普通です」
 司が答える。
「気味が悪い、見た目が怖い、その手のものばかりで……」
 そこまで言って、司が少しだけ眉を寄せる。
「どうした」
「……いや」
 画面をスクロールする。
 壱太も横から覗き込む。
「なになに」
「片耳だけ、変な音しませんか」
 司がそのまま読み上げた。
 続けて、また一つ。
「イヤホンで聞いたら右だけ変だった」
 もう一つ。
「鈴みたいな音、一瞬入ってた気がする」
 壱太の顔から笑みが少し引く。
「……え、やだな」
 昂夜は何も言わなかった。
 ちり、と。  右耳の奥で、また小さく鈴みたいな音が鳴ったからだ。
「昂夜さん?」
 司がすぐに気付く。
 昂夜は片耳を押さえたまま、低く言った。
「……右だけ、ずっと変だ」
 部屋が静まり返る。
 テーブルの端に置かれた猫の置物は、そこでも変わらず、片耳を欠いたまま黙って座っていた。