怪異、お持ち帰り注意

 その日、朔也が配信部屋に入ってきた時点で、嫌な予感はしていた。
 いつものラフな格好に、いつもの気の抜けた顔。なのに、片手の小さな箱だけが妙に場に馴染まない。
「またかよ」
 昂夜が言うと、壱太も苦笑した。
「最近ほんとペース早くない? 普通に怖いんだけど」
「今回は買ったやつ。フリマサイト」
 朔也が箱を置くと、司の顔が露骨に曇る。
「……最悪ですね」
「そこまで?」
「そこまでです」
 司は即答した。
「素性の知れない品物をネットで買って持ち込むの、本当にやめた方がいいですよ」
「でもちゃんと説明ついてたし」
「その“ちゃんと”が信用ならないんです」
「で、何なんだよ」
 昂夜が問うと、朔也は箱を開けた。
 出てきたのは猫の置物だった。
 丸く座った黒猫。陶器めいた質感で、表面には細かいひびが入り、右耳だけが欠けている。黄ばんだ目だけが妙に湿って見えた。
「うわ」
 壱太が一歩引く。
「見た目からしてやだな」
「かわいくはないですね」
「何かあるやつ?」
「ある」
 朔也はあっさり答えた。
「出品者の家で、これ来てから耳まわりのことが続いたらしい」
 部屋が少し静まる。
「耳まわり?」
「祖父が戦時中、海外の戦地で買ってきた土産らしい。で、祖母は耳が聞こえなくなった。姉は右耳の突発性難聴。いとこは事故で耳ちぎれる怪我」
「ちょっと待って」
 壱太が顔をしかめた。
「だいぶ嫌なやつじゃん」
「あと身内に自殺者も出たって。さすがに気味悪くて手放したかったらしい」
 司が眉間を押さえる。
「そういうのを、なぜ買うんですか」
「なんか気になったから」
「その気になるが一番怖いんですけど」
 昂夜も同じことを思っていた。けれど、猫の置物から目が離せないのも事実だった。片耳の欠け方が、ただの破損には見えない。
「……出品者、詳しく書いてきたのか」
「最初は商品説明だけ。買ったあと、取引メッセージでちょっと」
 朔也がスマホを見せる。
 祖父が戦地から持ち帰ったもの。  家族に耳の不幸が続いた。  手放せなかった。  何かあっても責任は負えない。
 短い文面なのに妙に生々しかった。
「……聞かない方が幸せだったかも」
「今さらだろ」
 昂夜は低く返した。
「で、今回はどうする気だ」
「また動画にするのかって聞いてんだよ」
 朔也は猫を指で回した。
「するだろ、たぶん」
「配信はやめろ」
 昂夜は即座に言う。
「やるなら収録だ。後から確認できる形で残した方がいい」
「珍しく慎重だな」
「珍しくで悪かったな」
「でもそれ賛成」
 壱太が言った。
「今回はちょっと嫌な感じするし、収録にしよ」
「そうですね。後から映像も音声も確認できます」
 司も頷く。
「じゃあ決まり」
 朔也はあっさり言った。
 そうして、その日の撮影は生配信ではなく収録になった。
 準備が始まっても、部屋の空気は重いままだった。司がカメラを調整し、壱太がライトを見る。猫の置物はテーブルの中央に置かれたまま、誰も必要以上に触らない。
「角度、そのままだと影入ります」
「はいはい」
 壱太がライトをずらしながら猫を見る。
「こういうのってさ、鈴の音とかしそうな顔してるよね」
「やめろ」
 昂夜が小さく言う。
 司が録画を回した。赤いランプが点く。
「はい、どうも」
 昂夜が声を出す。
「今回は、フリマサイトで朔也が見つけてきた呪物を紹介する」
 話し始めてすぐ、右耳の奥がかすかに詰まる感じがした。ほんの少しだ。気のせいで済ませられる程度の。
「これは、戦時中に海外の戦地から持ち帰られた猫の置物らしい。出品者の家族の話では、これが来てから耳に関する不幸が続いた」
「祖母が聞こえなくなって、お姉さんが右耳の突発性難聴。いとこも耳に大怪我」
「さらに身内に自殺者も出てる」
 昂夜がそう続けた瞬間、右耳の奥で小さく高い音が鳴った気がした。
 ちり、と。
 一瞬だけ言葉が止まる。
「昂夜?」
「いや、続ける」
 そのまま収録は終わった。
「はい、カット」
 司の声でランプが落ちる。
「おつかれー。今回、空気重かったねえ」
「お前が軽くしようとしすぎなんだよ」
 そう返しながらも、昂夜の右耳の違和感はまだ少し残っていた。
「音、どうでした」
「今のところ問題ないです。ノイズもなし」
 司が答える。
 安堵しかけた時、また右耳の奥でちり、と鳴る。昂夜は無意識に耳へ手をやった。
「……昂夜さん?」
「何でもない。ちょっと詰まるだけだ」
「それ、今回の置物の話のあとに言われると嫌なんだけど」
 壱太が苦笑する。
「疲れてるだけじゃない?」
「たぶんそうだろ」
 昂夜はそう言ったが、自分の声が少しだけ遠く聞こえる瞬間があった。
 その日の夜、司はいつも通り編集作業を進めた。波形に異常はない。映像にも、見える範囲では不自然なものは映っていない。
「……普通、か」
 小さく呟いて映像を止める。
 猫の置物は画面の中でも静かだった。何も起きていないように見える。だからこそ厄介だった。
 翌日、動画は公開された。
 戦地の土産という背景。耳ばかりを狙ったように続く不幸。片耳の欠けた猫の見た目。思った以上にコメントは伸びた。
 その夜、また配信部屋に集まった時、司が画面を見ながら眉を寄せた。
「どうした」
「……コメントです」
 司が読み上げる。
「片耳だけ、変な音しませんか」
 続けて、また一つ。
「イヤホンで聞いたら右だけ変だった」
 さらにもう一つ。
「鈴みたいな音、一瞬入ってた気がする」
 壱太の顔から笑みが少し引く。
「……え、やだな」
 昂夜は何も言えなかった。
 ちり、と。
 右耳の奥で、また小さく鈴みたいな音が鳴ったからだ。
「昂夜さん?」
 司がすぐ気づく。
 昂夜は片耳を押さえたまま、低く言った。
「……右だけ、ずっと変だ」
 部屋が静まり返る。
 テーブルの端に置かれた猫の置物は、そこでも変わらず、片耳を欠いたまま黙って座っていた。