部屋を出ると、四人はすぐ別れた。 揃って動いている時間はない。涼花の症状が進んでいる以上、それぞれできることをやるしかなかった。
昂夜は鏡を白布で包んで神社へ向かった。今夜は何も映さないまま一晩置いて浄める。そのために、まず本体を預ける必要がある。 壱太は涼花に会って話を聞く役を引き受けた。司は鏡の由来と入手経路を洗い直す。朔也は昂夜に止められた通り、勝手なことをせず自宅で待つことになった。
もっとも、その“待つ”役が朔也に向いていないことは全員分かっていた。
壱太が涼花と会ったのは、その日の夜だった。 駅前から少し離れた公園のベンチ。司がいると涼花が余計に気を張るだろうということで、壱太が一人で行くことになった。
涼花は昼間より少し落ち着いて見えたが、やはり目は休まっていなかった。街灯の下でも、自販機のガラスやスマホの黒い画面から何度か視線を逸らしている。
「ごめんね、こんな話に付き合わせちゃって」
「全然いいよ。むしろ司だと、今は心配しすぎて逆に話しにくいでしょ」
涼花は少しだけ苦笑した。
「……うん、ちょっとだけ」
「だよね。だから、できるだけ詳しく聞きたい。止める方法探したいから」
涼花は小さく頷いた。
「最初は、水とかガラスに映る自分が変な感じするだけだったの。でも今は、見えた時だけじゃなくて、見てない時も、こっちが見られてる感じが残るの」
「どんな時が一番強い?」
「暗いガラスとか、水面とか……あと、スマホ切った時の画面」
「夢は?」
「まだ、はっきりしたのはない。でも寝る前に洗面所の鏡見るのがすごく嫌」
「それは見ない方がいいかもね」
「うん……今はタオルかけてる」
壱太は少しだけ息を吐いた。まだ完全には引き込まれていない。
「事故の時は?」
「ビルのガラス。一瞬だけ、向こうの私が先に笑った気がして……それで足が止まっちゃった」
壱太は頷いた。
「分かった。じゃあ今は、映るものはなるべく見ない。ひとりにならない。特に夜、窓とか鏡のある場所に長くいない。これ守って」
「……うん」
「あと、司にはちゃんと怖いって言っていいからね。今あの人、“なんとかしなきゃ”で頭いっぱいだから、平気なふりすると逆に空回りする」
涼花は少し視線を落とした。
「……迷惑かけたくないだけなんだけどな」
「それを言うと、あの人たぶんもっと面倒になるよ」
壱太が笑うと、涼花もつられるように少し笑った。
「壱太さんって、思ったよりちゃんとしてるんだね」
「ひどくない? ふわふわはしてるけど、してない時もあるんだよー」
その軽口で、涼花の肩の力が少し抜けた。
その頃、昂夜は白布で包んだ鏡を抱えて神社の石段を上っていた。 夕方の空気は冷え始めていて、布越しでも腕にじわりと重さが残る。形を隠しても、ただの物ではないことだけは手に伝わった。
社務所では、前回世話になった神職だけでなく、年配の宮司も待っていた。
「お持ちしました」
昂夜が布包みを差し出すと、宮司はすぐには触れず、その上へ視線を落とした。
「今夜はこれを、何も映さぬまま置いていただきたいんです」
「白布で覆ったまま、ですね」
「ええ。見た者の認識に入り込んで、周囲の反射にも滲んでいる感じです。今は、見せないことを優先したい」
宮司は静かに頷いた。
「正しいと思います。鏡は見られることで像を強めるものですから」
ようやく布包みを受け取る。
「今夜はお預かりします。何も映らぬ場所へ置き、明朝まで封じます」
それだけで少し息がしやすくなった。
「明日、見た者が自分の名と、自分の帰る場所を名乗る」 宮司が続ける。 「鏡の中の像ではなく、こちら側の己が本物だと宣言するのです」
「それでも残るなら」
「その時は、鏡そのものに干渉します。像を映さぬものへ戻す」
昂夜はその言葉を胸の中で繰り返した。最後に朔也の役目になるのだと、もう分かっていた。
社務所を出る時、腕から鏡の重さがなくなっていることに昂夜は少しだけ違和感を覚えた。
夜更け、三人は配信部屋に集まった。 鏡はもうない。部屋は少し軽くなったようで、代わりに明日への緊張が残っていた。朔也には自宅待機のまま、必要になったら呼ぶことにしていた。
壱太は涼花から聞いた内容を伝え、司はそれをノートに落としていく。昂夜は神社で聞いてきたことを二人に話した。
「今夜は神社で封じてもらう。白布で覆って、何も映らない状態のまま一晩置く」
「涼花ちゃんにも伝えるよ」 壱太が頷く。 「風呂場も洗面所も、なるべくひとりで使わないようにって言っとく」
「頼む」
昂夜は続けた。
「明日、神社で儀式をする。鏡を見たやつが順番に、自分の名前、自分の帰る場所、大事なものを口にする」
「……自分がこっち側だって、宣言するってことか」 司が低く言う。
「そういうことだ」
「じゃあ、それで終わるんですか」
昂夜は少し視線を動かした。
「終わらないかもしれない。最後に、鏡そのものを“何も映さないもの”に戻す必要がある」
司も壱太も黙る。最後は結局、朔也を呼ぶことになるのだと分かっていた。
「それ、朔也さんにやらせるんですか」 司が聞く。
「たぶん朔也にしか無理だ、って話だった」 昂夜は答える。 「この鏡は像を求める呪物だ。普通の人間が触れれば、また何かを映す。けどあいつは違う」
詳しくは知らなくても、朔也だけ効き方が違うことは二人も分かっていた。
「鏡の中に残ってる偽の像を、あいつが空に戻す。何も映さなくていいって、鏡に認めさせる」
少し沈黙が落ちる。
「……絶対に失敗しないでください」 司が低く言う。 「これ以上、涼花に何かあったら」
脅しではなく、本音だった。
昂夜は小さく息を吐いた。
「今夜を越えれば、少しは進む」
壱太が頷き、司はスマホを手に取って涼花へ連絡を入れる。 明日、必要になれば朔也を呼ぶ。それぞれの段取りは決まった。
鏡はもう部屋にないのに、四人の意識は同じ一点を向いていた。 明日、あれを終わらせる。
昂夜は鏡を白布で包んで神社へ向かった。今夜は何も映さないまま一晩置いて浄める。そのために、まず本体を預ける必要がある。 壱太は涼花に会って話を聞く役を引き受けた。司は鏡の由来と入手経路を洗い直す。朔也は昂夜に止められた通り、勝手なことをせず自宅で待つことになった。
もっとも、その“待つ”役が朔也に向いていないことは全員分かっていた。
壱太が涼花と会ったのは、その日の夜だった。 駅前から少し離れた公園のベンチ。司がいると涼花が余計に気を張るだろうということで、壱太が一人で行くことになった。
涼花は昼間より少し落ち着いて見えたが、やはり目は休まっていなかった。街灯の下でも、自販機のガラスやスマホの黒い画面から何度か視線を逸らしている。
「ごめんね、こんな話に付き合わせちゃって」
「全然いいよ。むしろ司だと、今は心配しすぎて逆に話しにくいでしょ」
涼花は少しだけ苦笑した。
「……うん、ちょっとだけ」
「だよね。だから、できるだけ詳しく聞きたい。止める方法探したいから」
涼花は小さく頷いた。
「最初は、水とかガラスに映る自分が変な感じするだけだったの。でも今は、見えた時だけじゃなくて、見てない時も、こっちが見られてる感じが残るの」
「どんな時が一番強い?」
「暗いガラスとか、水面とか……あと、スマホ切った時の画面」
「夢は?」
「まだ、はっきりしたのはない。でも寝る前に洗面所の鏡見るのがすごく嫌」
「それは見ない方がいいかもね」
「うん……今はタオルかけてる」
壱太は少しだけ息を吐いた。まだ完全には引き込まれていない。
「事故の時は?」
「ビルのガラス。一瞬だけ、向こうの私が先に笑った気がして……それで足が止まっちゃった」
壱太は頷いた。
「分かった。じゃあ今は、映るものはなるべく見ない。ひとりにならない。特に夜、窓とか鏡のある場所に長くいない。これ守って」
「……うん」
「あと、司にはちゃんと怖いって言っていいからね。今あの人、“なんとかしなきゃ”で頭いっぱいだから、平気なふりすると逆に空回りする」
涼花は少し視線を落とした。
「……迷惑かけたくないだけなんだけどな」
「それを言うと、あの人たぶんもっと面倒になるよ」
壱太が笑うと、涼花もつられるように少し笑った。
「壱太さんって、思ったよりちゃんとしてるんだね」
「ひどくない? ふわふわはしてるけど、してない時もあるんだよー」
その軽口で、涼花の肩の力が少し抜けた。
その頃、昂夜は白布で包んだ鏡を抱えて神社の石段を上っていた。 夕方の空気は冷え始めていて、布越しでも腕にじわりと重さが残る。形を隠しても、ただの物ではないことだけは手に伝わった。
社務所では、前回世話になった神職だけでなく、年配の宮司も待っていた。
「お持ちしました」
昂夜が布包みを差し出すと、宮司はすぐには触れず、その上へ視線を落とした。
「今夜はこれを、何も映さぬまま置いていただきたいんです」
「白布で覆ったまま、ですね」
「ええ。見た者の認識に入り込んで、周囲の反射にも滲んでいる感じです。今は、見せないことを優先したい」
宮司は静かに頷いた。
「正しいと思います。鏡は見られることで像を強めるものですから」
ようやく布包みを受け取る。
「今夜はお預かりします。何も映らぬ場所へ置き、明朝まで封じます」
それだけで少し息がしやすくなった。
「明日、見た者が自分の名と、自分の帰る場所を名乗る」 宮司が続ける。 「鏡の中の像ではなく、こちら側の己が本物だと宣言するのです」
「それでも残るなら」
「その時は、鏡そのものに干渉します。像を映さぬものへ戻す」
昂夜はその言葉を胸の中で繰り返した。最後に朔也の役目になるのだと、もう分かっていた。
社務所を出る時、腕から鏡の重さがなくなっていることに昂夜は少しだけ違和感を覚えた。
夜更け、三人は配信部屋に集まった。 鏡はもうない。部屋は少し軽くなったようで、代わりに明日への緊張が残っていた。朔也には自宅待機のまま、必要になったら呼ぶことにしていた。
壱太は涼花から聞いた内容を伝え、司はそれをノートに落としていく。昂夜は神社で聞いてきたことを二人に話した。
「今夜は神社で封じてもらう。白布で覆って、何も映らない状態のまま一晩置く」
「涼花ちゃんにも伝えるよ」 壱太が頷く。 「風呂場も洗面所も、なるべくひとりで使わないようにって言っとく」
「頼む」
昂夜は続けた。
「明日、神社で儀式をする。鏡を見たやつが順番に、自分の名前、自分の帰る場所、大事なものを口にする」
「……自分がこっち側だって、宣言するってことか」 司が低く言う。
「そういうことだ」
「じゃあ、それで終わるんですか」
昂夜は少し視線を動かした。
「終わらないかもしれない。最後に、鏡そのものを“何も映さないもの”に戻す必要がある」
司も壱太も黙る。最後は結局、朔也を呼ぶことになるのだと分かっていた。
「それ、朔也さんにやらせるんですか」 司が聞く。
「たぶん朔也にしか無理だ、って話だった」 昂夜は答える。 「この鏡は像を求める呪物だ。普通の人間が触れれば、また何かを映す。けどあいつは違う」
詳しくは知らなくても、朔也だけ効き方が違うことは二人も分かっていた。
「鏡の中に残ってる偽の像を、あいつが空に戻す。何も映さなくていいって、鏡に認めさせる」
少し沈黙が落ちる。
「……絶対に失敗しないでください」 司が低く言う。 「これ以上、涼花に何かあったら」
脅しではなく、本音だった。
昂夜は小さく息を吐いた。
「今夜を越えれば、少しは進む」
壱太が頷き、司はスマホを手に取って涼花へ連絡を入れる。 明日、必要になれば朔也を呼ぶ。それぞれの段取りは決まった。
鏡はもう部屋にないのに、四人の意識は同じ一点を向いていた。 明日、あれを終わらせる。



