「……疑ってるみたいだから、まず、なんで突然押しかけたかってところから説明する」
「どうぞ」
「俺の姉さんは二ヶ月前に眠ったまま、起きなくなった」
そこだけ、高瀬は言い淀まなかった。何度も口にして、そのたびに本当になってしまうみたいな言い方だった。
「眠ったままの姉さんを最初に見つけたのは俺なんだけど、姉はイヤホンをつけたまま机に突っ伏して眠っていて、それからずっと、目を覚ましていない」
高瀬は膝の上でスマホを持ち直し、指先でケースの端を何度もなぞったり叩いたりしている。目は俺を見ているのに、どこか別の場所を見ているみたいで気もそぞろだった。落ち着こうとしているのが、かえって切羽詰まっているのを強調している。
「姉さん、ヒーリング系のプレイリストをよく流してたんだ。スマホはサブスクのそのプレイリストの再生画面のまま。表示はNO TITLEだった。履歴から再生しようとしても、再生できなくて」
「……その状態で、どうやって歌が特定できたわけ」
「姉さんは音楽好きで、気になるフレーズがあったら手帳に書き留める癖があるんだ。目が覚めなくなる直前に書いたっぽい歌詞の断片だけ、どうしても引っかかって」
「歌詞の断片……」
「検索したら、Pale Shoreっていうユニット名と、ボーカルのminami、回収されたアルバムの噂が出てきたんだ。……ご家族が見て、気分のいいものではないと思うけど……見る?」
「見ないと始まんないだろ」
「……分かった」
高瀬はスマートフォンを操作してこちらへ差し出してくれたので、俺は画面を覗き込んだ。画面には小さな見出しの古い記事のページが表示されている。
「これが、姉さんの手帳に書いてあったフレーズから辿って見つけたやつ。かなり前の話だから、雑誌そのもののアーカイブではないけど」
――新人ユニット「Pale Shore」アルバム回収騒動の裏側
触っていいかと聞いてスクロールしていく。記事の内容は制作関係者の一部が、試聴後に長時間眠り込むなどの不可解な出来事が相次いだというものだった。読んでいると、どこまでが事実でどこからが作り話なのか分からなくなる。気づけば無責任な調子に引きずられて、最初からそういうものだった気がしてくる。母のことを言われているはずなのに、どこか他人事みたいに見えて、その感覚が余計に気味が悪かった。
さらに、フラゲしたCDを聴きながら運転をしていた男性が、事故を起こしたという報告も寄せられている――
そして、"アルバムが出回る間もなく回収された背景に、こうした事象が関係している可能性が指摘されている"と記事は締めくくられていた。
「当時、CDを聴きながら運転してた人が居眠り運転で事故を起こして、ちょっと騒ぎになったらしい」
読み終えても、画面から目が離せない俺に、高瀬が解説を続ける。
「で、そのあと」
高瀬が別のショートカットをタップし、さらに画面を下に送れば、古い匿名掲示板の画面になる。
――歌を聞いたレコード会社の人間が何人も寝込んだとか
――事故った話も出てたよな
――なんか歌で人を死なせる妖怪とかそんなのいなかったっけ
――セイレーン
――それだ
断片的な言葉に、事実と憶測と、面白半分。
軽い調子のはずなのに、読んでいると妙に重い。
「ここまでは、まだ当時の話。今はこうなってる」
伊織の指がホーム画面に戻り、別のショートカットを開くと、SNSの画面に短い投稿がいくつも並んでいた。
――サブスクで変な曲流れてるんだけど
――NO TITLE
――やばい眠い
投稿はそこで止まっている。そういった不穏な真偽不明がいくつもいくつも繰り返される。どれも短いのに、続きを勝手に想像させる書き方ばかりだった。
やっぱり言葉は軽いが、内容だけが重い。画面を見ているだけなのに、イヤホンをつけているときのように、それ以外が遠くなる。蝉の声が薄くなって、代わりに自分の呼吸の音だけがやけに大きく聞こえた。
――サブスクの眠くなる曲って元ネタあるらしいよ 昔回収されたCDに入ってたやつ
――「セイレーンの歌」って呼ばれてたやつ
――歌い手も死んでるか行方不明だったはず
「当時の出来事が、都市伝説みたいになってる」
――今まさにNO TITLEの流れてる
――女の人の
「こういうのって、避け方とか治し方とか、そういうのがある場合もあるから、全部調べて――でも、途中で聴くのを止めるとかは、既に眠ってしまった人にはどうしようもなくて、他の方法を探して……」
そう言って高瀬がまた別のショートカットをタップすると、古い掲示板のスレッドが出てきた。
――昔Pale Shoreの曲で寝込んだことある
――嘘乙 あれ発売前回収だっただろ
――どうやって起きたの?
――同じ曲をもう一回聴いた気がする
――一人で聞いてたら詰みじゃん
どれも断定していないし、嘘くさいはずなのに、読み進めるうちに最初から本当だった話を後から隠しているみたいに見えてくる。投稿の直後に更新が止まったアカウントがいくつか混じっているのも気味が悪い。確かめようのない話ばかりなのに、どこか確信めいた調子がある。
事実だったかもしれない何か。CDの現物もなく、サブスクで流れるということ自体が事実かどうか分からない。今はもう誰も本当のことを知らないのに、ずっと続いているかのようだった。
「……これが、噂の元か」
「どれを試しても駄目だった。残ってるのが、同じ曲をもう一回聴かせるってやつしかなくて。それだけ、まだ試せてない」
画面を閉じても、いくつかの言葉だけが頭に残って、なかなか消えなかった。
ただ、同じものを見ているはずなのに、俺は高瀬ほどそれを現実だと思えなくて、自分のすぐ横で起きていることだとうまく飲み込めない。母さんがこの噂の元だということを信じられていないからかもしれない。
「ユニット名とアルバムが分かれば収録曲が分かる。曲をいくつか検索したら、著作権関係が出てくるから」
「……そうなんだ」
そう言われて、試しにそのサイトを開いて適当に有名な曲を検索すれば、確かに歌い手と歌詞と曲、それぞれの著作権者の名前が出てきた。
「作詞の『青井 美波』は本名かなって名前を検索したら、歌のコンクールで賞を取ったとか、そういう情報が出てきて。古い市の広報とか新聞にも載ってて、実家がお店をやってるってところまで残ってたから」
「え……怖……?」
「昔って個人情報に対してすごく緩いんだよね。それで電話を何回かかけてみたんだけど……」
怖いというか、執念がすごい。その熱量に若干引いてしまう。
「でも、電話の呼び出し音は鳴るけど繋がらなくて、直接行ったらお店は閉まってて……」
「ばあちゃんは俺が産まれる前に亡くなってるし、じいちゃんは今入院してるから」
「うん。近所の人が言ってた。店の前で、病院に押しかけるのもなって困ってたら、急ぎの用があるなら篠原さんとこ行った方がいいって」
「個人情報どうなってんだ……」
制服だからか、高瀬の見た目がいいからかは分からないけど、人んちのことをペラペラ喋るのは駄目だろう。田舎の悪いところ全開である。泥棒だったらどうするんだ。
「その人は具体的な連絡先知らなかったから、町名だけ聞いて図書館の住宅地図で調べた。マンションだと難しいけど、一軒家で篠原はひとつしかなかったから、まず当たってみようって。あ、これは全部図書館で調べられるからね」
「……ひぇ」
高瀬は俺が引いていることに気づかず、話し続けている。すごい。いや、それだけお姉さんが心配ってことなんだろうけど、鬼気迫るものがある。そこまでやるのかと思ったが、そのくらいでなければここまで来れないのも分かる気はする。
「どうぞ」
「俺の姉さんは二ヶ月前に眠ったまま、起きなくなった」
そこだけ、高瀬は言い淀まなかった。何度も口にして、そのたびに本当になってしまうみたいな言い方だった。
「眠ったままの姉さんを最初に見つけたのは俺なんだけど、姉はイヤホンをつけたまま机に突っ伏して眠っていて、それからずっと、目を覚ましていない」
高瀬は膝の上でスマホを持ち直し、指先でケースの端を何度もなぞったり叩いたりしている。目は俺を見ているのに、どこか別の場所を見ているみたいで気もそぞろだった。落ち着こうとしているのが、かえって切羽詰まっているのを強調している。
「姉さん、ヒーリング系のプレイリストをよく流してたんだ。スマホはサブスクのそのプレイリストの再生画面のまま。表示はNO TITLEだった。履歴から再生しようとしても、再生できなくて」
「……その状態で、どうやって歌が特定できたわけ」
「姉さんは音楽好きで、気になるフレーズがあったら手帳に書き留める癖があるんだ。目が覚めなくなる直前に書いたっぽい歌詞の断片だけ、どうしても引っかかって」
「歌詞の断片……」
「検索したら、Pale Shoreっていうユニット名と、ボーカルのminami、回収されたアルバムの噂が出てきたんだ。……ご家族が見て、気分のいいものではないと思うけど……見る?」
「見ないと始まんないだろ」
「……分かった」
高瀬はスマートフォンを操作してこちらへ差し出してくれたので、俺は画面を覗き込んだ。画面には小さな見出しの古い記事のページが表示されている。
「これが、姉さんの手帳に書いてあったフレーズから辿って見つけたやつ。かなり前の話だから、雑誌そのもののアーカイブではないけど」
――新人ユニット「Pale Shore」アルバム回収騒動の裏側
触っていいかと聞いてスクロールしていく。記事の内容は制作関係者の一部が、試聴後に長時間眠り込むなどの不可解な出来事が相次いだというものだった。読んでいると、どこまでが事実でどこからが作り話なのか分からなくなる。気づけば無責任な調子に引きずられて、最初からそういうものだった気がしてくる。母のことを言われているはずなのに、どこか他人事みたいに見えて、その感覚が余計に気味が悪かった。
さらに、フラゲしたCDを聴きながら運転をしていた男性が、事故を起こしたという報告も寄せられている――
そして、"アルバムが出回る間もなく回収された背景に、こうした事象が関係している可能性が指摘されている"と記事は締めくくられていた。
「当時、CDを聴きながら運転してた人が居眠り運転で事故を起こして、ちょっと騒ぎになったらしい」
読み終えても、画面から目が離せない俺に、高瀬が解説を続ける。
「で、そのあと」
高瀬が別のショートカットをタップし、さらに画面を下に送れば、古い匿名掲示板の画面になる。
――歌を聞いたレコード会社の人間が何人も寝込んだとか
――事故った話も出てたよな
――なんか歌で人を死なせる妖怪とかそんなのいなかったっけ
――セイレーン
――それだ
断片的な言葉に、事実と憶測と、面白半分。
軽い調子のはずなのに、読んでいると妙に重い。
「ここまでは、まだ当時の話。今はこうなってる」
伊織の指がホーム画面に戻り、別のショートカットを開くと、SNSの画面に短い投稿がいくつも並んでいた。
――サブスクで変な曲流れてるんだけど
――NO TITLE
――やばい眠い
投稿はそこで止まっている。そういった不穏な真偽不明がいくつもいくつも繰り返される。どれも短いのに、続きを勝手に想像させる書き方ばかりだった。
やっぱり言葉は軽いが、内容だけが重い。画面を見ているだけなのに、イヤホンをつけているときのように、それ以外が遠くなる。蝉の声が薄くなって、代わりに自分の呼吸の音だけがやけに大きく聞こえた。
――サブスクの眠くなる曲って元ネタあるらしいよ 昔回収されたCDに入ってたやつ
――「セイレーンの歌」って呼ばれてたやつ
――歌い手も死んでるか行方不明だったはず
「当時の出来事が、都市伝説みたいになってる」
――今まさにNO TITLEの流れてる
――女の人の
「こういうのって、避け方とか治し方とか、そういうのがある場合もあるから、全部調べて――でも、途中で聴くのを止めるとかは、既に眠ってしまった人にはどうしようもなくて、他の方法を探して……」
そう言って高瀬がまた別のショートカットをタップすると、古い掲示板のスレッドが出てきた。
――昔Pale Shoreの曲で寝込んだことある
――嘘乙 あれ発売前回収だっただろ
――どうやって起きたの?
――同じ曲をもう一回聴いた気がする
――一人で聞いてたら詰みじゃん
どれも断定していないし、嘘くさいはずなのに、読み進めるうちに最初から本当だった話を後から隠しているみたいに見えてくる。投稿の直後に更新が止まったアカウントがいくつか混じっているのも気味が悪い。確かめようのない話ばかりなのに、どこか確信めいた調子がある。
事実だったかもしれない何か。CDの現物もなく、サブスクで流れるということ自体が事実かどうか分からない。今はもう誰も本当のことを知らないのに、ずっと続いているかのようだった。
「……これが、噂の元か」
「どれを試しても駄目だった。残ってるのが、同じ曲をもう一回聴かせるってやつしかなくて。それだけ、まだ試せてない」
画面を閉じても、いくつかの言葉だけが頭に残って、なかなか消えなかった。
ただ、同じものを見ているはずなのに、俺は高瀬ほどそれを現実だと思えなくて、自分のすぐ横で起きていることだとうまく飲み込めない。母さんがこの噂の元だということを信じられていないからかもしれない。
「ユニット名とアルバムが分かれば収録曲が分かる。曲をいくつか検索したら、著作権関係が出てくるから」
「……そうなんだ」
そう言われて、試しにそのサイトを開いて適当に有名な曲を検索すれば、確かに歌い手と歌詞と曲、それぞれの著作権者の名前が出てきた。
「作詞の『青井 美波』は本名かなって名前を検索したら、歌のコンクールで賞を取ったとか、そういう情報が出てきて。古い市の広報とか新聞にも載ってて、実家がお店をやってるってところまで残ってたから」
「え……怖……?」
「昔って個人情報に対してすごく緩いんだよね。それで電話を何回かかけてみたんだけど……」
怖いというか、執念がすごい。その熱量に若干引いてしまう。
「でも、電話の呼び出し音は鳴るけど繋がらなくて、直接行ったらお店は閉まってて……」
「ばあちゃんは俺が産まれる前に亡くなってるし、じいちゃんは今入院してるから」
「うん。近所の人が言ってた。店の前で、病院に押しかけるのもなって困ってたら、急ぎの用があるなら篠原さんとこ行った方がいいって」
「個人情報どうなってんだ……」
制服だからか、高瀬の見た目がいいからかは分からないけど、人んちのことをペラペラ喋るのは駄目だろう。田舎の悪いところ全開である。泥棒だったらどうするんだ。
「その人は具体的な連絡先知らなかったから、町名だけ聞いて図書館の住宅地図で調べた。マンションだと難しいけど、一軒家で篠原はひとつしかなかったから、まず当たってみようって。あ、これは全部図書館で調べられるからね」
「……ひぇ」
高瀬は俺が引いていることに気づかず、話し続けている。すごい。いや、それだけお姉さんが心配ってことなんだろうけど、鬼気迫るものがある。そこまでやるのかと思ったが、そのくらいでなければここまで来れないのも分かる気はする。
