「面白いよな」
岸さんの店の奥。
小さなスピーカーから、俺の歌う声が流れる。昨日病室で歌ったものを、録った簡易音源だ。
パソコンの画面には二つの波形が並んでいた。岸さんと橋本さんはそれを眺めている。
左がSilent Tide。右が俺が歌ったもの。
「冒頭の旋律は意図的に寄せたんだ。完全に別物にすると、歌の中に入れない気がしたから。でもここ」
岸さんはサビ直前の部分を拡大した。波形が規則的に揺れ続けている。
「Silent Tideは、ここで同じところに戻る。先に進まず、また同じ場所を回るように作ってるんだけど……戻すっていうより、行かせないって聞こえるんだよな」
岸さんはそこで言葉を切って、ほんの一瞬だけ画面から目を外した。
「……気のせいだといいけど」
「じゃあ……目が覚めたのは」
「凪くんの歌はここで転調してテンポも上げて、エンドをつけた」
「……音楽的なことは分からないけど、Silent Tideのメロディはループしてて、“留まれ”って言ってるような……凪が歌ったのは進んでいく感じがする」
「そうそう」
「あとは……母さんの声に、似てるから?」
みんながこっちを見るもんだから、思わず喉に触れてしまう。低くなった声は違和感は減ってきたけど、まだ不思議だ。
「それもあるとは思うけど、似ているのは入口だけ」
出口を作ったのは、新しい歌だと岸さんが笑う。
「終わらない歌を、終わらせたからじゃないかな」
岸さんは「結論からいうと、多分それだけなんじゃないかな……理屈としては」と言う。あまりにあっさりしているのに、それでさっきまでばらばらだったものが、ひとつに揃う気がした。言われてみれば、それ以外にうまく説明できる言葉もない。今までの出来事が、そこでようやく同じ線の上に並んだ。
「声が変わったからじゃない。同じ旋律を違う終わり方で歌ったからだと思う。眠っていた伊織くんのお姉さんは旋律の中にいた。だから、まったく違う歌じゃ届かないし、同じ歌を流しても、抜け出せない」
「似ているけど、同じじゃない。それが必要だったってわけね」
「あと案外ライブ感ってのもあるかもな。聴いてる相手に、ちょっと引っ張られるっていうか」
岸さんはしばらく波形を見てから、ぽつりと言った。
「……でもさ」
「?」
「凪くんの声が変わる前に、伊織くんが凪くんを見つけてたっていうのも、わりと大事だった気がするけどね」
「え?」
「いや、なんでもない」
誤魔化すように笑った岸さんを見て、橋本さんも笑った。
「不思議ね。歌もそうだけど……」
「?」
「伊織くんが凪くんを見つけたことも、偶然じゃなかったのかもしれないわね」
「歌を終わらせるのに必要なものが、ちゃんと揃ったんだろ」
「必要なもの?」
「凪くんの声と、伊織くんの執念と」
岸さんは肩をすくめた。
「あと、minamiの歌」
確かに、もし伊織が来るのがあと少し遅かったら、俺の声はもう違っていたかもしれない。そう考えると、うまく言葉にできず、不思議な気持ちだけが残った。
「ただね……」
橋本さんは考えるように黙り込み、それからゆっくり口を開いた。せっかく明るくなっていた空気が、また元に戻っていく。
「あの歌を……Silent Tideを止めるのは難しいの」
「……何でですか? また眠ってしまう人が出たら……」
「まずね、サブスクの会社が勝手に曲を出したわけじゃないのよ」
「そうなんですか?」
俺と伊織は同時に顔を上げた。
「サブスクって、基本は預かった曲を流すだけ。曲を送るのはレコード会社とか、配信の手続きをする会社なの」
橋本さんはそこで言葉を選ぶように区切った。
「最近、昔の曲がSNSで流行ったり、サブスクで聴けることあるでしょう? 平成レトロ特集とか」
「あります」
「だから昔のCDの音源をデータにして、まとめて配信会社に渡すことが多いの」
「その時だろうな。Pale Shoreの音源が、そのデータの中に紛れた」
「しかもタイトルとか、歌ってる人の名前とか。配信するときについているはずの情報が壊れてるの。だからNO TITLE。機械から見ると“名前のない曲”なの」
橋本さんはそこで一瞬だけ言葉を止めた。
「……壊れてるっていうより、“消えてる”の方が近いかもしれないけど」
「え……」
俺は無意識にスマホを見た。黒い画面の向こうに、あの再生画面が浮かぶ。NO TITLEという、白い文字だけの、あの画面。
「そんな曲がね、たくさんの音源データの中に混ざってしまっているの」
「……本当に、消せないんですか」
「完全には難しいわね」
橋本さんは肩をすくめた。
「どのデータがその曲なのか分からないから。ひとつひとつ当たっていくか、その時送った曲を全部止めるしかない。でもそれをやると関係ない曲まで全部止まっちゃう」
「しかもサブスクって、オススメで似た曲を勝手に流すだろ。それに引っかかると名前のない音源でもランダムで再生される」
だから、誰がいつ聴くかも、分からない。
黒い画面にNO TITLEが並んだリストが浮かぶ。さっきまで聞こえていた店内の音が、急に遠くなった。
「……じゃあ……母さんの歌は、まだ残っているんですか」
「ええ」
橋本さんは静かに頷いた。
「一度ネットの海に流れたら、漂い続けるんだよ」
岸さんは窓の外を見ながらぽつりと言った。その言葉を聞いた瞬間、あの旋律がよみがえった。
思わずアプリを開くと、おすすめに「NO TITLE」が混ざっていた。触れようとした瞬間、別の曲に切り替わる。
戻しても、もう見つからなかった。
止めたはずの歌が、まだ続いているみたいに。耳じゃなくて、もっと奥の方で鳴っているみたいだった。
岸さんの店の奥。
小さなスピーカーから、俺の歌う声が流れる。昨日病室で歌ったものを、録った簡易音源だ。
パソコンの画面には二つの波形が並んでいた。岸さんと橋本さんはそれを眺めている。
左がSilent Tide。右が俺が歌ったもの。
「冒頭の旋律は意図的に寄せたんだ。完全に別物にすると、歌の中に入れない気がしたから。でもここ」
岸さんはサビ直前の部分を拡大した。波形が規則的に揺れ続けている。
「Silent Tideは、ここで同じところに戻る。先に進まず、また同じ場所を回るように作ってるんだけど……戻すっていうより、行かせないって聞こえるんだよな」
岸さんはそこで言葉を切って、ほんの一瞬だけ画面から目を外した。
「……気のせいだといいけど」
「じゃあ……目が覚めたのは」
「凪くんの歌はここで転調してテンポも上げて、エンドをつけた」
「……音楽的なことは分からないけど、Silent Tideのメロディはループしてて、“留まれ”って言ってるような……凪が歌ったのは進んでいく感じがする」
「そうそう」
「あとは……母さんの声に、似てるから?」
みんながこっちを見るもんだから、思わず喉に触れてしまう。低くなった声は違和感は減ってきたけど、まだ不思議だ。
「それもあるとは思うけど、似ているのは入口だけ」
出口を作ったのは、新しい歌だと岸さんが笑う。
「終わらない歌を、終わらせたからじゃないかな」
岸さんは「結論からいうと、多分それだけなんじゃないかな……理屈としては」と言う。あまりにあっさりしているのに、それでさっきまでばらばらだったものが、ひとつに揃う気がした。言われてみれば、それ以外にうまく説明できる言葉もない。今までの出来事が、そこでようやく同じ線の上に並んだ。
「声が変わったからじゃない。同じ旋律を違う終わり方で歌ったからだと思う。眠っていた伊織くんのお姉さんは旋律の中にいた。だから、まったく違う歌じゃ届かないし、同じ歌を流しても、抜け出せない」
「似ているけど、同じじゃない。それが必要だったってわけね」
「あと案外ライブ感ってのもあるかもな。聴いてる相手に、ちょっと引っ張られるっていうか」
岸さんはしばらく波形を見てから、ぽつりと言った。
「……でもさ」
「?」
「凪くんの声が変わる前に、伊織くんが凪くんを見つけてたっていうのも、わりと大事だった気がするけどね」
「え?」
「いや、なんでもない」
誤魔化すように笑った岸さんを見て、橋本さんも笑った。
「不思議ね。歌もそうだけど……」
「?」
「伊織くんが凪くんを見つけたことも、偶然じゃなかったのかもしれないわね」
「歌を終わらせるのに必要なものが、ちゃんと揃ったんだろ」
「必要なもの?」
「凪くんの声と、伊織くんの執念と」
岸さんは肩をすくめた。
「あと、minamiの歌」
確かに、もし伊織が来るのがあと少し遅かったら、俺の声はもう違っていたかもしれない。そう考えると、うまく言葉にできず、不思議な気持ちだけが残った。
「ただね……」
橋本さんは考えるように黙り込み、それからゆっくり口を開いた。せっかく明るくなっていた空気が、また元に戻っていく。
「あの歌を……Silent Tideを止めるのは難しいの」
「……何でですか? また眠ってしまう人が出たら……」
「まずね、サブスクの会社が勝手に曲を出したわけじゃないのよ」
「そうなんですか?」
俺と伊織は同時に顔を上げた。
「サブスクって、基本は預かった曲を流すだけ。曲を送るのはレコード会社とか、配信の手続きをする会社なの」
橋本さんはそこで言葉を選ぶように区切った。
「最近、昔の曲がSNSで流行ったり、サブスクで聴けることあるでしょう? 平成レトロ特集とか」
「あります」
「だから昔のCDの音源をデータにして、まとめて配信会社に渡すことが多いの」
「その時だろうな。Pale Shoreの音源が、そのデータの中に紛れた」
「しかもタイトルとか、歌ってる人の名前とか。配信するときについているはずの情報が壊れてるの。だからNO TITLE。機械から見ると“名前のない曲”なの」
橋本さんはそこで一瞬だけ言葉を止めた。
「……壊れてるっていうより、“消えてる”の方が近いかもしれないけど」
「え……」
俺は無意識にスマホを見た。黒い画面の向こうに、あの再生画面が浮かぶ。NO TITLEという、白い文字だけの、あの画面。
「そんな曲がね、たくさんの音源データの中に混ざってしまっているの」
「……本当に、消せないんですか」
「完全には難しいわね」
橋本さんは肩をすくめた。
「どのデータがその曲なのか分からないから。ひとつひとつ当たっていくか、その時送った曲を全部止めるしかない。でもそれをやると関係ない曲まで全部止まっちゃう」
「しかもサブスクって、オススメで似た曲を勝手に流すだろ。それに引っかかると名前のない音源でもランダムで再生される」
だから、誰がいつ聴くかも、分からない。
黒い画面にNO TITLEが並んだリストが浮かぶ。さっきまで聞こえていた店内の音が、急に遠くなった。
「……じゃあ……母さんの歌は、まだ残っているんですか」
「ええ」
橋本さんは静かに頷いた。
「一度ネットの海に流れたら、漂い続けるんだよ」
岸さんは窓の外を見ながらぽつりと言った。その言葉を聞いた瞬間、あの旋律がよみがえった。
思わずアプリを開くと、おすすめに「NO TITLE」が混ざっていた。触れようとした瞬間、別の曲に切り替わる。
戻しても、もう見つからなかった。
止めたはずの歌が、まだ続いているみたいに。耳じゃなくて、もっと奥の方で鳴っているみたいだった。
