深淵の幼なじみ(決して行っては行けない廃別荘)

 至は思わず立ち止まり、持っていた二つの仏花とお供えのお菓子を入れていた紙袋を地面に落とした。

 葵に似た男は、表情を固くすると、その場で至に一礼し、背を向けて帰り始めた。


「葵!」

 
 至は、思い切りその場で叫んだ。

 会えなかった数年分の気持ちが、その声に凝縮されていた。

 しかし男は、一度立ち止まりかけたが振り返りはせず、また早足で歩き出す。

 至は、後を追いかけ一度走り出したが、落とした袋を取りに戻らないといけなかった。

 そして、拾うと振り返り、又男の後ろ姿を追った。

 ツクツクボウシの声しかしない、並ぶ沢山の墓や寺の建物の間を、ただ無我夢中でその背中を追いかけた。

「葵!葵!」

 汗だくで叫ぶ。

 だが、男は立ち止まらない。

「葵!葵!」

 精一杯叫ぶ。

 それでも諦め切れず、その姿を追いかけて、整備された山道を下り走り出した。

 やがてゆうに、100メートルは行っただろう……

 男は、木々の生い茂る山の林の中に入って行った。

 数分遅れて至も入ったが、荒い息を吐きながら慌てて周りを見回しても、もう目の前に男の姿が無かった。

 風も無く、昼間も薄暗い静かな深い林に、ただ遠くからつくつくぼうしの声だけが聞こえた。

 何だろう?……

 周りの空気に、緊張感が張り詰めている感じがする。

 心臓は鼓動を早め、体中汗塗れの至のこめかみから、汗がしたたり落ちた。

「葵!葵!」

 まだ、そんなに距離は離れてないはずと叫ぶ。

 しかし、やはり何の反応もなかった。

 急ぎ、葵を探し林の中に踏み出そうとした。

 しかし……

 やはり、何だろう?……
 
 一瞬、その足が止まった。

 やはり、周りの空気に緊張感が張り詰めている感じがする。

 これ以上は危険だ……

 至の本能と体は、そう伝えてきているようだった。

 だが……

 あの、葵に似た男の姿が、至の脳裏に浮かんだ。

(葵!お前に会いたい!会いたい!会いたい!)

 至は、林の奥に歩き出し、踏み込んで行った。

 どれくらい歩いたか。

 かなり歩いたと思ったが、ポケットのスマホを取り出し見たら、まだ10分程度しか経ってなかった。

 周りはずっと同じような木々の生い茂る風景ばかりで、方向と時間の感覚が曖昧になってきた。

 それでも至は、葵の姿を探した。

 そこに……

「おーい!おーい!おーい!」

 と、林の更に奥から呼ぶ声がした。

 明らかに男の声に、もしかして葵じゃないかと、その奥へと足を踏み入れた。

 声は一度だけで、気の所為かも知れなかったが、どんどん躊躇わず進む。

 だが、どんどん行っていると、突然、背後から右腕を取られた。

「えっ?」

 至が振り返るとそこに、あの葵に似た男がいて、厳しい表情で至に言った。

「行ったらダメだ……」

「あれ?じゃあ、あれは、誰が呼んでんだ?誰か、助けを求めてんのか?」

 至がそう言いながら、木々の奥を覗き込む。

「だから……行ったらダメだって!」

 腕を握ったまま、男の表情が厳しくなる。

 しかし、どんな表情をしても男は美しい。

 至は一瞬見惚れたがハッとして、今度は自分の左腕で男の右腕を捕獲した。

「捕まえた!葵!お前、葵だろ?」

 汗だくの笑顔で至が言うと、男もハッとしてバツが悪そうに瞳を伏せた。

「どうして行ったらダメなんだ?」

 又、至は林の奥を見て、不思議そうに呟いた。

「この奥には、今は誰も住んでない廃別荘があるけど、誰も居ないのにそこから呼ぶ声がするって、キモ試しで有名だぞ……SNSとか見ないのか?」

 葵が、その氷のように澄んだ美しい声で怖い事を言うので、至の顔が強張る。

「あはは!マジ止めろって、そんなジョーク……俺、そう言うのマジダメだって知ってんだろ?」

「ジョークじゃ無いし、それにダメなら尚更止めろ。呼ばれて林の奥に行って、行方不明になった人間が本当に何人かいるらしい……だから、止めとけ……それに、もう声、聞こえないだろ?」

 確かに、もうあれから声はしない。

 平然としている葵に対して、葵の腕を捕まえたままの至の顔が青ざめると、あんなに晴れていた空から急に雨がポツリポツリと落ちてきた。