採寸を終え、三笠先輩とデザインの方向性で少しだけ話をして。イメージを掴む為にと美鳥が持参したCDを渡して解説という名の布教活動という若干の長話をして。
後は任せといてと言う先輩に頭を下げ、俺達は被服室を後にした。

昼休みは残り半分。予め購買で購入していたパンと飲料片手にどこかでのんびり昼食をということになったのだが、
「昇降口とは盲点だったな。」
静かな所がいいなと言うの俺のリクエストに美鳥が案内してくれたのは、校門から桜並木を抜けた先。美鳥と初めて会った、あの昇降口前の開けた場所だった。
食堂や購買のある棟は教室のある棟より奥まった場所にある為、逆にこちら側に来る人間はほとんど居ないらしい。昇降口脇に広がる花壇の前のベンチは、美鳥のお気に入りの場所の一つなんだそうだ。
時折そよぐ風が木々を揺らす。遠くのグランドから、はしゃぐ生徒の声が僅かに聞こえる。入ってくる音なんてそれくらいだ。
俺達以外に人の姿はなく、たしかにここは穏やかな時間が流れていた。
ベンチに腰掛けて、何を話すでもなく目の前の花をぼんやり見ながらサンドイッチを齧る。
無意識に漏れた欠伸を口を塞いで噛み殺せば、隣からふぁ、と同じように欠伸が漏れ聞こえてきて、俺達は顔を見合わせて笑った。
転校してきてからというもの何かと騒がしかったから、こういう時間は本当に久しぶりだ。
今なら、ゆっくり話が出来るだろうか。
「……なぁ、一つ聞いてもいいか?」
昼食をあらかた食べ終えたタイミングで、俺はそう切り出していた。
「なに?」
ふわりと笑んだ顔が小首を傾げる。
畔倉アイスアリーナで美鳥の演技を見せてもらってから、ずっと引っかかっていたことがあった。慌ただしかったし、何となく気恥ずかしくて聞けなかった事。
けど、今なら。
「……お前はさ、Midoriをどう解釈したんだ?」
疑問形にはしたものの、俺はほぼ確信していた。
Midoriはアルバムを出してすぐに花博のイメージソングに起用されたせいで、世間一般では荒野に咲く一輪の花だとか、大自然の情景を描いたものだとか、そんな解釈がなされる事が多い。
けれど、美鳥の演技は明らかにそれらとは違っていた。
案の定、美鳥は少しだけ言いにくそうに視線を反らせてから、その口元に苦笑いを浮かべる。
「……誰かを想って作った曲なんだろうなって思った。」
予想通りの言葉に、俺の方が苦笑するしかない。
「少し気まぐれなところもあって振り回されたりもするけど、優しくて、芯の強い人。隣にいるのに掴めない、それが不安で、でもそんな何物にも縛られないところに惹かれて、」
柔らかな声がするりと胸の奥に入り込んで、しまい込んでいたはずのものを暴いていく。
脳裏に浮かぶあいつの、顔。
「……素敵な人なんだろうね、緑さん。」
するすると降りてきた言葉がストンと胸の中に収まった。

ああ、そうか。
俺はそんな風にあいつの事が好き()()()のか。

わかっていたはずの事を、俺はどうやら今更ながらに理解したらしい。
「違った、かな?」
不安そうに首を傾げる美鳥に俺は小さく笑った。
無言は肯定。美鳥も小さく笑う。
「聴くたびに、胸が苦しくなるんだ。優しさや苛立ちや、不安や愛しさ。とにかく色んな感情が押し寄せてきて、胸がいっぱいになる曲だよ。」
胸の前でぎゅっと手を握るその姿は、まるで大切な物を抱きしめるかのようだった。
不思議な奴だ。
氷上ではあんなにも凛としているのに、一度スケート靴を脱いでしまえばまるで印象がかわる。
周りの毒気を抜いてしまう柔らかな笑みを見ていると、何故だか心臓がざわついた。
ざぁ、と吹き抜けた風が美鳥の髪を揺らす。
「美鳥、」
手を伸ばし、なびく亜麻色に梳くように触れれば、ぴくりと一瞬身を竦ませた美鳥は真っ直ぐに俺を見つめた。
そのままするりと頬を撫でれば、ゆっくりと瞳が閉じられる。
それは互いの吐息を感じるほどに近づいても開かれることはなくて。

昼休みの終わりを告げるチャイムの音を遠くに聴きながら、俺達は互いに引き寄せられるように唇を重ねていた。






「おーい、色。聞いてる?」
目の前でひらひらと手のひらがチラついて、俺はようやく我に返った。
放課後の第二音楽室。放課後はここでピアノを弾くのがルーティンになりつつあるのだが、今日は何故か晃もついてきて人のピアノをBGMにしながら何やらノートにペンを走らせていたはずだったのに。
指慣らしにと何曲か弾いて、それから……記憶がない。
気がつけば俺は演奏の手を止めぼんやりとしていたらしく、いつの間にか隣に立っていた晃の気配にすら気づけなかったらしい。
「なに、曲作り煮詰まってるの?」
「ん、ああ。まぁ。」
それも間違ってはいないのだが、考えていたのは別の事だ。
昼休みのあの時からずっと、脳裏に亜麻色がチラついている。




『……遅刻、しちゃうね。』
触れるだけの口づけはすぐに離れて、亜麻色の瞳が少し困ったように細められる。

あれから何事も無かったかのように俺達は教室に戻った。
放課後に美鳥が練習に行く前には晃を混じえて普通に話もしていたし、本当にこのまま無かったことになるのかもしれない。
けれど、いまだに唇に残る柔らかな感触は夢でも幻でもなくあれが現実だったと告げていた。
なんで、と言われてもわからない。
ただ気がつけば触れていた。その事実があるだけだ。
「しぃーきぃー。聞いてる?」
「あー。聞いてない。」
「もう、じゃあ色は美鳥君の応援には行かないわけね。」
いきなり出てきた美鳥の単語に思わず譜面から顔をあげれば、なぜだか晃はニヤリと口の端に笑みを浮かべる。
「大会、8月末の夏休み中だからさ、早割りきく今のうちに特急の座席とホテル抑えとかなきゃだよ?帰省とか仕事とか予定はあるのかって聞いてるの。」
先程から何をしているのかと思えば、どうやら必要経費の計算に勤しんでいたらしい。
突きつけられたノートに綺麗に並ぶ数字に俺は思わず感嘆のため息をもらした。
「……お前ほんっと抜かりないな。そういうとこ感心するわ。」
「ま、誰かさんにお願いされた事ですし、僕にやれる事は全力でやらせてもらうよ。個人的にも助けてあげたいって思うしね。」
敵に回したくない奴だと前々から思ってはいたが、今回改めて世界一敵に回したくない男だと思った。人懐こい笑みに気を取られがちだが、晃の行動は実に緻密な計算の上に成り立っているということは長い付き合いで何となくわかってきた。こいつはどうしてこうも上手く立ち回れるのか、俺には皆目見当もつかない。
藍原晃という人間は良くも悪くも人並外れた行動力の持ち主だ。だからこそ自然と周りに人が集まってくる。
選挙戦に出ると知った周りの反応を見る限り当選はほぼ確実だろうし、そうなればこいつはまた今以上に色々と立ち回ってくれるつもりだろう。
藍原晃という人間に任せておけば問題なさそう……というより、それが最適解だと思う。情けない事に。
「……チケット、俺の分はいい。」
「仕事忙しいんだ?」
「まだ決まったわけじゃないけどな。新幹線もホテルも自分でとるから気にすんな。」
俺は晃の手にしていたノートを取り、そこから俺に関する数字に線を入れて消しこむ。差し戻せば優秀な友人はすぐさま暗算で計算をやり直し数字を書き込んでいった。
「おっけ。それでは一応顧問様に確認して各種手続きしてくるね。」
「ああ。悪いな、色々と。」
「僕は提案するだけだよ。責任を負うこともしなければ、注目浴びて正体バレるかもって怯える必要も無いし。結構楽しんでやらせてもらってるから気にすんな!」
「っ、」
いきなりばしんっと背中を叩かれて、ピアノが不協和音を奏でる。
ノート閉じた晃は、それを教室の隅に置いていた自らの鞄にしまいこんだ。
「それじゃ、お仕事頑張って。」
ヒラヒラと手を振りウインクひとつ。
俺も片手を上げて鼻歌交じりで出ていく後ろ姿を見送った。
多分俺の曲だと思われる雑な音が遠ざかっていけば、第二音楽室はいつもの静寂を取り戻していく。
はあ。ため息が室内に響いた。
無意識に己の唇をなぞっているのに気づき、慌てて指をひく。行き場を失った手で、自らの髪を掻き乱した。
くそ、何やってんだ俺は。
訳のわからない事をしている場合じゃないんだ。
俺も、何か。
晃みたいに上手く立ち回るでもなく、美鳥みたいに全力で何かに打ち込むでもなく。
俺も何か、何かあるんじゃないか。
あいつらを見ているとそういう衝動に駆られる。
小さく息を吐き、俺は自らの両頬を軽く叩いた。少しだけ俺の中に残っていた後ろ向きな気持ちを追い出し、覚悟を決めてブレザーの内ポケットにしまっていたスマホを取り出す。
通話履歴の中から一つの名前を探しだしてタップした。


「あ、おつかれさま。……うん、いやちょっと週末のレコーディングの件で頼みたい事があって……」

そろそろ本腰あげて、俺は俺に出来る事を。
脳裏に譜面を浮かべつつ、けれど俺はまた無意識に唇をなぞっていた事に、この時は気づいてもいなかった。