顔をあげて きみと歩いて




「構内の見学がしたいです」
「え……」
「これから空き時間でしょう?」

 オレと同じ学科を取ってるなら空き時間も知ってるか。
 いつもなら図書室へ行ってゆっくりする時間なんだけど。

「いけませんか?」
「ダメなワケじゃないです、けど……あまり構内ウロつかないから、ちゃんと案内できるかわからないなと」
「大丈夫です。研究室区域へ行くだけですから」
「行くところ決めてたんですか」
「はい」

 見学がしたい、と、目的地がある、は全然違うんだけど……さすがにこういうニュアンスをご存知ないとは思えないので、オレを困らせるためだったのかもしれない。
 まあ、これくらいでウンザリはしないけど。
 研究室区域はその名の通り、数多の研究室が並ぶ区域だ。
 マンモス校らしく色んなジャンルの研究室がひしめきあっている。

「行きましょう」

 オレの返事を聞くこともなく、シャルは軽やかに歩き始めた。
 後ろ姿もキラキラしている。
 物理的に髪が輝いてるのもあるけど、やっぱり立ち振る舞いが違うんだろうな。
 ほぼすべての生徒がシャルを見る。
 ガン見されても熱いまなざしを向けられても、シャルは速度を変えることなく堂々と歩き続けている。
 オレはその背後をコソコソついて行くだけなのに、なぜか後ろめたい。
 ついでみたいに見られるのも申し訳ない。

「隣を歩いてください」
「い、嫌ですよ……歩幅が違いすぎますから」
「ならば、私がヤノに合わせて歩きます」

 立ち止まってオレを振り返り、そんなことを声をひそめず言うものだから、教室での空気が再来する。
 シャルの言葉を聞いた女子は歓喜なのか嫌悪なのか声を上げてオレを見定めに入るし、男子はなぜか好色な視線でニヤついてくる。
 シャルが自国へ帰るまで、オレはコレに耐えなくちゃいけないのか。
 マジで?

「なんなら手を取りましょうか」
「けっ、結構ですっ」

 優雅に手を差し伸べようとするから慌てて拒否した。
 手を繋いだオレがどんなウワサに晒されるかわかったものじゃない。
 まったく、シャルは半年だろうけど、オレは四年以上この大学にお世話になる予定なんだからな。
 大きく一歩前に出ると、シャルの隣になる。
 そこから見るシャルは目が合うととても嬉しそうに微笑んだ。
 その表情がオレの機嫌取りだとしても悪い気にならない、そんな笑顔だった。


 研究室区域には本当に用があったらしい。
 迷う素振りもなく、ひとつの研究室の扉をノックした。
 和紙素材研究室と書かれたプレートを見て、なんとなく察してしまう。

「こんにちはエメロープッドさん。ようこそ」
「ごきげんよう、ミスター八名古(はちなこ)。この度はご協力感謝いたします」
「こちらこそ貴重な素材をご提供いただきまして。残りはこちらの研究で大切に使わせていただきます」
「成果はありましたか?」
「勿論。墨の特殊性も計算しなければこんなにもいいデータは取れませんでしたよ。そういう意味では、鶴城さんにも感謝ですな」
「そうですね」

 挨拶から握手、流れるように研究室へ通され、慌てて片付けましたみたいなテーブル席に着生する。
 オレはなんとなく、立ったままで待機した。

「今日はあのボディーガードさんじゃないんですね?」
「ええ。彼は私のクラスメイトです」
「ほー」
「半年ほどこちらに在籍しています。なにかありましたら呼び出しをしてください」
「わかりました。明日早速呼び出しますよ」
「ふふ、ありがとうございます」

 この研究員、八名古さんはシャルがやってみたいことを心得ているようだ。
 ああ言うからには、シャルは「呼び出されてみたい」んだろう。

 そこからはオレのことなんか忘れたように、昨日使われた墨の香りを拡散させる紙についての議論が始まった。
 知らない人間の名前も出てきたが、久史と鶴城さんの名前は聞き取れる。
 オレはあまり内容を聞かないようにして、ボンヤリ楽しそうな二人を眺めた。

 八名古さんはお茶も出さずに話に夢中になってるけど、相手のことどう思ってるんだろうか。
 ヨーロッパの大貴族だぞ。
 その認識はないのかな。
 自分のほうが年上だから、気を遣わなくてもいいと思ってるとか。
 研究員ってだいたいこんな感じなのかな。
 オレはもっと地味でいたいけど。

 見たことろ他に誰もいないから、人払いをしている可能性もある。
 とはいえ、だ。
 控えめに室内を見回すと、立派なウォーターサーバーを発見した。
 お水でも入れてやるか。
 オレは立ったままだし、会話を聞きたいワケでもないからな。
 二人分を両手に持ち、テーブルの上に置く。

「おお、すまんね」
「ありがとうございます」
「盛り上がるのは構わない、です、けど……あの、時間は気にしてくださると、あ、ありがたい、です」
「わかりました」
「キミはタイムキーパーに向いてるな! ワハハハ」

 オレは単に普通の中に埋もれて、気配をモブ以下にしていたいだけだよ。
 本当はこんなところで手持ち無沙汰にしてるようなこともしたくないんだ。
 ずっと息を潜めてマイペースに生きていたい。

 そのほうが楽だし……今は、顔を上げても久史はいないから。
 不意に気になって、スマホを見た。
 着信ナシ。
 オレなんかに構ってる余裕はないのかもな。
 今頃なにかしらの対応のための対策を家族で立てているのかもしれない。
 その会議にシャルも参加する、となると、ヒマな時間をオレとすごそうと思い立つのも道理だな。
 少しだけ胸の奥がチクッとしたけど、久史だってオレとは違う環境で生きている人間だ。
 オレのワガママで困らせると、アイツの周囲に迷惑がかかる。

 シャルはガッツリ関係者だ。
 久史のこと、あんまり悪く言わないように気をつけないと。


 しばらく大学に行きたくない。
 そう思うくらいに長い一日で疲弊した。

 シャルは二回あった空き時間のどちらもを研究室区域訪問に使った。
 オレを同行させる意味なんか本当はなかったんじゃないだろうか。
 自分の仕事ぶりをアピールしたかったとか?
 呑気に大学生をしているオレに、社会人の忙しさを見せつけた?
 完璧なスケジュール管理と相手のリサーチ、時間内で話を終わらせるテクニックを自慢したかった?

 兎にも角にも一日でこんなに疲れるなんて。
 明日を考えるよりも先に、まだ今日が終わっていないことのほうが恐ろしい。

「バイトへ行きますか?」
「バイトじゃないって、キングから聞いてます、よね?」
「ふふ、バレてしまいました」

 オレが昨日何気なく鶴城さんに答えた言葉をキングが聞き逃すハズはなくて、シャルもキングから報告を受けないハズがない。
 それでもあえて話題にするのは、会話を試みているってことなんだろうか。
 こんなに涼しくて余裕のある笑顔なのに、内心はオレみたいに不安をぐるぐるさせているとか?
 さすがにそれはありえないか。

「あの、む、無理に話さなくても、いいですよ」
「わかりました」
「真っ直ぐ……帰り、ます」
「はい。いつも通りで構いません」

 いつも通り、ね。

 オレは構内でも寄り道をせず、正門を出る。
 シャルはなにも言わずに隣を歩いていた。
 チラ見して目が合うと気拙いから、一度も表情を見ることはない。
 正門を出て向き合うと、嬉しそうに微笑んでいる。
 上品な犬みたいだな。
 なんだっけ、大型で金色の細くてフサフサな体毛の犬。

「それじゃ、また後で」
「どこかへ寄るのなら、ご一緒します」
「家に帰りますけど」
「では、ここで別れる意味はありませんね?」
「?」

 なにを言っているんだこの貴族様は。

「オレは電車に乗りますので、そちらは車でどうぞ」
「車は手配していません」
「はい?」
「ヤノの日常生活を観察させてください」
「いくら他国に比べて治安がいいとはいえ、さすがに電車はヤバいでしょう」
「危険だと判断する場所では、キングが周辺にきますから大丈夫です」

 目立つでしょうが!
 キングもこの国じゃ目立つ部類でしょうが!

 なんてツッコミは恐ろしくてできないけど、オレの顔に渋いものを感じ取ったらしい。
 シャルは嬉しそうにズボンのポケットから小さなケースを取り出す。

「リアルコインを使える貴重な場所ですから、ぜひ、電車に乗りたいです」
「いやいやいや」

 確かにリアルコインを使う機会が減ってはきているが、それを楽しみにするのはどうなんだ。
 あーでも、国外の人間には貴重な体験なのかもしれないな。
 とはいえ、気軽に許可して電車内でなにかあったらどうするんだよ。
 今は欠片も見えないキングは本当にすぐ近くにくるのか?

「今すぐにキングを呼んでください」
「電車に乗って一緒に帰ることを許可してくだされば」

 意地でも電車に乗るつもりだな。
 あーもー。
 これって、久史がたまに文句をいうヤツだ。
 シャルの笑顔頑固は誰にも崩せないって。

「駅まで歩きですよ」
「はいっ」

 嬉しそうでなによりだけど、オレの内心は真っ暗だからな。


 券売機でひとしきりはしゃいで注目をかっさらったシャルは、満面の笑みで自ら購入した切符を見つめている。
 時間通りにくる電車にも感動し、車内に一歩を踏み入れた途端一斉に注目を集めても平然とした様子だ。
 相反するようにオレのストレス値は上昇していく。

 まだ人が疎らな時間帯、ドア付近に立ったままでも気兼ねはない。
 シャルは当然のようにオレの隣に立っている。
 気さくに「買えましたよ、凄いですか」「私はやればできる子ですから」と声をかけてくれるが、オレは周囲が気になりすぎて返答もろくにせず視線を落としていた。

「あ、あのっ」
「はい」
「電車内では静かに……ぃっ?」

 気がつけば、シャルの真後ろにキングがいて小さな悲鳴が漏れた。
 シャルの真後ろ、つまりオレの斜め後ろ。
 こんな体躯なのに認識するまで気がつかないなんて、これがプロってヤツか。
 周囲を警戒しているようにも見えるが、単純にシャルの傍に居るのが嬉しいって風にも見える。
 久史と違ってちゃんと躾されてるんだな……とか思ってしまって慌てて訂正した。
 そんなことをオレなんかが考えてるって知られたら、一秒で縊り殺されそうだ。
 やたらとくっつきたがる単純な久史と一緒にしちゃいけない。
 久史と大騒ぎしている時はオフで、久史と同じくらいの知能指数しかないとしても、キングはシャルのボディーガードとして危険な仕事をしているんだから。

「すみません、嬉しくてつい」

 まるでキングを意識していない視線が真っ直ぐオレだけを見ている。
 端に見えるキングも、オレに殺傷能力高そうな視線を投げつけている。
 怖いって。

 ドアの向こうに見える景色を見て気分を誤魔化そう。
 降りる駅までは開かない側だから人の出入りを気にすることもない。
 オレと同じように景色を見ていたシャルは、すぐに口を開いた。

「バイト先には、洋書はありますか?」
「図書館だからありますよ」
「では、ヤノがバイトをしている時間は読書ができますね」
「バイト先にもくるんですか」
「ヒサシも行くんでしょう?」
「来ませんよ。教えたこともないし」
「なぜ?」
「必要ありますか」
「個人情報を共有しないんですか?」
「してどうするんですか」
「互いに理解が深まりますし、意外な一面を垣間見る機会でもあります」
「そういうの、オレには要らないから」
「わかりました」

 自分の主張を押しつけてくるでもなく、シャルは納得をした風に頷く。
 本当は、色々と言いたいかもしれない。
 こんなヤツが久史のなにに刺さったのか、本気で考えようとしているかもしれない。
 その結果、謎が深まるかもしれない。

 余計なことを考えてしまう手前、顔を上げてシャルの顔を見る勇気はなかった。

「私はヒサシではありませんが、今はあなたの隣に立つ者であることを忘れないでください」
「……え?」
「私は、あなたのトモダチですからね」
「仮初ですよね」
「マブダチです」
「そんな立場になれると思えません」
「わかりませんよ。帰国するまではずっと一緒なんですから」

 恐ろしい発言に目を剥くと、視界の端に圧だけで殺されそうな表情が見えた。
 空気感から察するに、シャルが勝手に言ってるパターンとみた。

「ま、まわ……周りは、困りますよ?」
「周り?」
「キングさん、とか」
「問題はありません。いかなる状況にも対応できる者こそプロです」

 ダン、と控えめだけど強い足踏みが聞こえる。
 絶対に抗議じゃん。
 なのにシャルは涼しい顔でオレだけを見下ろしている。

「抗議してますけど」
「誰がですか?」

 ダン、ダン。
 電車の動きに合わせてはいるが、明らかに故意に足踏みをしている大柄な異国人。
 顔がいいからなのか風体のせいなのか、誰一人迷惑そうな顔をしていない。

 むしろオレたちの会話を盗み聞きされているような感覚に陥り、オレは再び下を向いた。
 明日の登校時間に同乗する人がいたら嫌だな。
 昨日のヤツらだって思われて、また聞き耳立てられるのかな。
 シャルがいなくなったら、勝手な想像でオレのことを哀れんだりするんだろう。

 それくらい他人の思考に影響を与える存在だってわかってんのかな、この人。

「し、し、素人と四六時中一緒、なんて……あ、危ない、ですよ」
「平気です。ひと時の自由とヤノを存分に満喫するための期間ですから」
「こっ、後半の意味が……わか、わからなかっ、たんですが」

 耐え難い緊張と観察されるような雰囲気に飲まれ、オレの言葉は詰まり始めて口調も不安定になる。
 油断するとひっくり返りそうになる声をなんとか抑えて、忙しなく首元を擦ったり腕を摩った。

 ああ、嫌だな。
 しゃがみ込んで目を閉じたい。
 自分の殻に閉じこもって、騒ぎが収まるまで気配を消したい。

「ヒサシが心酔する、あなたの魅力を学びたいのです」
「ま、まっ、学ぶもの、なんて、な、な、ないですよ。あ、あ、あなたのほうが、み、魅力的……だし」
「ヤノが感じる魅力は、私の本質ではありません」
「なら、それならきっと、ひっ、久史が、オレに、か、か、感じるモノ、も、オ、オレのほ、ほっ、本質っ、じゃ……っ」

 無意識に目を閉じていた。
 背中を丸め、自分をきつく抱きしめる。
 落ち着かない指は前髪を引っ張り、唇が震え始めるのを噛み締めて耐える。

 呼吸が荒くなっているのは、シャルに聞こえている。
 こんな姿を見せれば、嫌になって帰ってくれるかもしれない。
 イメージ悪いかな。
 久史に迷惑かけるかもしれない。
 でも、どうしたって収まらない。

 この場が公共交通機関であることも、よくない思考を助長している。

 久史が傍にいれば、こんな風になることはなくなっていたのに。
 自分で嫌になる。

「でしたら、ヒサシがあなたの本質を見ているのか確かめる必要がありますね」

 なんの戸惑いもない、いつも通りの口調。
 こんな風になる人間も見慣れてるのかな。
 久史のことは大切だとしても、オレのことはどうも思っていないからかもしれない。
 シャルにとってオレは、ただの時間潰しなんだから。

 あまり知らない人間相手に、オレはどんどん嫌な気持ちを積み上げていく。
 勝手に警戒して、勝手に攻撃的になって、それで自分を守れていると思っている。
 いつも後悔するクセに。

「触れてもいいですか?」

 不意に、懐かしいフレーズと重なった。
 久史と初めて向かい合った時間が、胸の中で鮮明に再生される。

「先に伝えておきます。私はあなたと本当の意味での友人になりたいと思っています」
「ほ、ほんっ、本当の、い、い……み?」
「この言葉の意味を、あなたは理解してくださると確信しています。ですから、私はあなたの友人になりたいのです」

 ガチガチに強張っていた肩から腕を柔らかく撫でる手の感触は、不思議なほど優しくて緊張が緩んでいく。
 閉じた視界の中に思い浮かぶのは、久史の部屋、久史のニヤつくのを耐えようとして失敗している変な笑顔、飲むと猛烈に苦かったイチゴの紅茶の薫り、穏やかな昼下がりの陽光の煌めき。
 喉の奥がキュッと詰まり、頭に向かって熱が走る。
 きつく閉じている瞼に涙が滲むのを感じて、もっと強く目を閉じた。

「…………、よ、く……、わから、な」
「お互いを深く知り合うための時間を作った、と言い換えましょう。情報に平等を求めるのであれば、等価として私のこともお教えします」

 金持ちのすることはやっぱり理解できない。
 簡単に留学したり同棲したいと言ったり、思いつきにもほどがある。
 極めつけに友人になりたいなんて、道楽にも程がある。
 確信してるってなんだよ。

 けど、オレは今日一日を顧みて改めて思った。
 シャルは久史の書に心酔しているスポンサーだ。
 だからこそ、自ら協力者に挨拶をして回り、久史をこれでもかと推しまくる。
 久史のいる環境をもっと整備したくて、オレのことを知りたいのかもしれない。
 勉強熱心だといえばそうかもしれない。
 好きなことに際限のない金持ち故の発想かもしれない。

 とにかく久史の書に影を落とそうとするすべてを自らの手で剪定したいんだろう。
 
 そんな相手に、思考底辺の個人的な理由でオレが拒否したり煙たがったりして久史に損があっても困るよな。
 オレのせいでシャルがスポンサーを降りるなんてことになったら大変だ。

 久史のために、最大半年を耐えるしかない。
 アイツのこれからにとってマイナスになるようなことを、オレがしでかしちゃいけない。
 オレみたいな人間は、抵抗するだけ間抜けなんだ。

 なるがままでなんとかなる。
 時間が解決する。
 耐えていれば半年なんてあっという間だ。
 ずっとそうだったじゃないか。

 シャルの触れている手のぬくもりも手伝ってか、ぐちゃぐちゃだった思考が整理されて落ち着いてきた。
 アナウンスで下車する駅が次だと知ると、切り替わるように現実に向き合える。

 のそっと顔を上げると、シャルの手は静かに離れた。

「お、降りるの次です」
「はい」
「あの…………情報の等価交換は価値観が違うと齟齬が生まれて誤解の原因にもなりますから、そういうのは要らないです」
「ならば価値観から擦り合わせていきましょう」
「価値観こそが比較であり個と他の境界線です。擦り合わせたって同じにはなりませんよ」
「擦り合わせることにより互いの主張を自らの価値観で整理することはできますから、整理された情報の中で共通した価値観があれば、それは擦り合わせだからこその結果であり等価として共有できる情報だと思いますよ」
「確かに」
「納得は肯定でよろしいですか」
「肯定します」
「ありがとうございます。ふふ、よかった」
「?」

 電車が止まり、オレが先に出る。
 少し歩くとシャルは普通に隣に立った。
 そしてキングの姿が消える。

「キングさんもういないんですか?」
「彼のことは気軽にキングと呼んでください。私に気を遣うこともありませんよ」
「と、言われましても」
「ではこれも明日からにしましょう。ところでヤノ、帰り道でコンビニエンスストアへ寄りませんか?」

 急に振ってきたな。
 いつも通りの帰宅というならコンビニはマストだけど。

「コンビニ弁当が目当てですか?」
「はい。わかっていました?」
「ただの勘です。この国のコンビニ弁当は海外の人に人気みたいなので」

 貴族様には庶民の暮らしが珍しいんだろうと捻くれた気持ちもあったけど、やたらとコンビニ弁当を絶賛する海外の動画配信者もいる。
 サービスの面から見ても、海外の似たような店とは一線を画しているらしい。

「添加物とか結構入ってますよ。大丈夫ですか?」
「大袈裟にしないでください。私は観光客とさほど変わらない立場ですから」
「さすがに留学生でいいと思います」
「ありがとうございます。キャンパスメイトとして私を認めてくださるんですね」
「まあ、そうですね」

 久史に不利がないように、大人しく従うことに決めたんだ。
 改めての言葉にもう否定は出なかった。
 それに、不思議とシャルとの会話は詰まらない。
 会話が平気な時は流れるような言葉の応酬ができている。
 テンポも、長さも、ちょうどいい。

 これが上流階級の嗜みってヤツなのか。

 視線を上げれば、シャルの笑顔。
 耳に落ちた髪をかけ直す仕草すら輝いて見える。

「素人相手に飽きても文句言わないでくださいよ?」
「飽きることはありません」
「……そ、すか」
「はい」

 相手にしていれば気が紛れる。
 シャルには悪いけど、オレの隣に久史がいないことを誤魔化すにはちょうどいい。
 会話は内容もテンポも好みだし、久史みたいになにを言っているかわからないなんてことにはならないだろう。
 合わせてくれているんだろうけど、オレとしてはありがたい。
 そう割り切れば、無茶振りにも応えられる気がした。

「ああヤノ、今とても嬉しくてすぐにでもハグをしてキスをしたいです」
「そっ……そういうこと言わないでくださっヒッ」

 歌い上げるようなシャルの発言に周辺がざわめき、視界から消えていたハズのキングと目が合った。
 シャルの隣を並んでいるようで離れている、絶妙な「他人の距離」を保ちつつこっちを見ている。
 シャルを見ているんじゃないところが恐ろしい。

 歩き続けているから人の目は気にならないけど、常に爆弾と一緒にいるような気分にはなるな。

 あまりにも生き方が違うんだから仕方がない。
 そう思うことでシャルとの生活に挑むしかない。
 本人が多少なりとも協力的だから妥協もできる。

「ヤノが怖いと感じるのであれば、躾し直しましょうか。お仕置きでもいいですよ」
「そ、そこまでじゃない、です。な、慣れてないだけで」
「優しい人ですね。いつでも言ってください。私はヤノの味方ですから」

 天使かと思うほど清らかで優しい微笑みの隣に見えるのは、ボディーガードらしからぬ私怨に満ちた鋭い眼光。
 明らかに不審だと思うんだけど、周囲は思うほどキングを気にしていない。
 むしろシャルのほうが目立っているという不思議。

「オベントーの平均価格はいくらでしょうか。ストアによって差はありますか」

 気持ちがすっかりコンビニ弁当に向かっているシャルは、たくさんの質問を投げてくる。
 オレが返事をしようがしまいがお構いなしだ。
 チラ見する顔は嬉しそうだから、きっと気分がいいんだろう。
 お仕置が怖いとは思えないけど、キングはスッとオレたちから離れた。
 ちょくちょく、目立たない路地の付近から顔を覗かせたりすれ違ったりしながら辺りを警戒している。
 そして確実に目が合うと睨んでくる。

「失礼」
「っぐ」
「前を向いて歩いてください?」
「……っ」

 どういう距離感覚なのか、向かいから歩いてきたキングの足をシャルは華麗に踏みつけた。
 歩行中でオレを見ながらだったから、オレが逆に驚いた。
 物言いたそうなキングはそのまま歩き去り、シャルは悪戯をしてやったと言いたげな顔でウインクしてくる。

「勝手にお仕置しちゃいました」
「は、はぁ……」
「今度は肘鉄を入れてみましょうか」
「さすがに止めてあげてください」
「本当に優しいですね。妬けちゃいます」

 どうしてそういうことがサラッと言えるんだ。
 穏やかに笑って、美麗に歩いて、向かう先がコンビニなんだから感覚がバグるよ。

 シャルの行動や言動に馴染むのは、半年じゃ無理かもしれない。
 そして、キングとわかりあえる機会はないかもしれない。