顔をあげて きみと歩いて



 オレの気楽な考えは、概ね覆される。
 翌日、大学へ行く準備をしていると久史からメッセージが届いた。

 内容は、動画の件で周りが騒ぎ始めたから落ち着くまで会えないと言う感じだ。
 そりゃああれだけの再生数だ。
 この国のメディアも放っておかないだろう。

 ザコなオレなんかがウロウロしていたら、勘繰られて当然だ。
 世間の関心は、アイツの技能よりも私生活に向くだろう。
 オレ以外との学内での性行為は同意アリだからいいだろうけど、オレとは犯罪紛いのことをしでかしていたワケだからな。
 知られたら大騒ぎになる。

 オレは、アイツの傍にいないほうが良い。
 先に世間がザワついているって知ってたら、オレから進言したところだ。

「……」

 気拙いままなのが引っかかるが、反論する理由もない。
 ウダウダ文章を考えても、いい文はパッとは出てこない。
 オレは「わかった」と簡潔に返信をして、携帯をカバンの中に放り込んだ。

「あー、クソ」

 胸の中に、黒い靄が漂っている。
 理由を考えても手からすり抜けてしまって、明確にはわからない。
 でも多分、昨日の今日で久史に会えないからだ。
 あの喧しさと密着を感じれば、起きてからも残っている気拙さはあっという間に緩和される。
 アイツがオレの行動を気にすることもなくいつも通りに接してくれて、だからオレは気拙い感情から開放される。
 最近はずっとそんな感じだったから。

 こんなことなら、アイツのコウフンにつき合ってやったほうがよかったんじゃないのか。
 そうすれば、気拙くもないしモヤモヤもなかったかもしれない。
 自分も似たようなことを考えていたって勘づかれたくなくて、久史がなにを言い出すか察知して恥ずかしくなって、全部に蓋をするように通話を終わらせた。

 逃げて得することなんて一つもない。
 全然学習できてない。
 やっぱりオレは底辺だ。

 重い気持ちのまま、大学へと向かった。


***


「は?」

 大学の正門前。
 やけに人の流れがゆっくりだなと思ったらとんでもない人物が立っていた。

「ヤノ!」

 知らないフリをして門を潜ろうとしたのに、目敏く見つけられて声をかけられてしまう。
 聞こえなかったことにして無視もいいけど、キングに半殺しにされそうだから足を止めた。

 ああ、今すぐ逃げ出したい。
 超目立ってる。

「ご機嫌よう」
「おはようございます」
「晴れていてよかったです。正門前であなたを待っている時間が苦ではありませんでした」

 待っていなくていい。
 苦になって帰ってもらってもいい。

「なっ、なにか、あの、ご、ご用です、か」
「はい。本日からこちらの大学へ短期留学を」
「そうですか。短期留が……っはああぁーっ?」

 あまりの衝撃に、いつもは出ない声が出てしまった。
 それでなくても注目されているのに、周囲にいる学生の表情に怪訝なものを感じて顔を下に向ける。

「あ、歩き、歩きながら、はな、話しましょう、か」
「はい」

 できる限り地味でありたいオレの隣に、ヨーロッパで名の知れた大貴族の末裔がいる。
 本名シャライヴァ・ドランジッタ・ドゥ・エメロープッド。
 久史とキングが早口言葉を競うためによく繰り返しているが、本気で由緒ある名前だとか。
 
「い、今までも、来日……してますよね? なのに、な、なぜ今更……?」
「半年ほど時間ができました」
「そ……そう、すか……」
「以前から、日本の学生が送るキャンパスライフに興味があったのです」
「り、り、理想と、現実って、ちが、違いますよ」
「決めるのは私です。ヤノは、キャンパスメイトをお願いします」

 ああほら、やっぱり。
 胸の奥が重くなって、歩く速度が少し落ちた。
 立ち止まると人の目に留まってしまうから、歩くことは止められない。
 でも正直、蹲りたいくらいに身体が重い。

「ヤノ?」
「……オレは、なるべく……目立ちたく、な、なぃ……ん、ですけど」
「目立ちませんよ、ここは外国人留学生の受け入れも盛んですから」
「いや……相当、目立ってますって……」

 盗み見をするように周囲の反応を見れば、誰もが彼を見てぽかんとしている。
 そりゃそうだよ。
 彼は見た目も目立つし、オーラが違うんだから。

 サラサラでツヤツヤの薄いハチミツ色をした長い髪、透けるように白い肌、切れ長の瞳はアイスブルー。
 身長は久史より少し高い。姿勢が良くて日本人には滅多にない等身をしているから、職業モデルでも十分に通る。
 華奢とまではいかないけどスレンダーで、細かな所作にも隙がない。
 堂々とした態度に揺るぎはなく、己に自信と誇りを持っている雰囲気から醸し出される美丈夫オーラに誰もが足を止めて見つめてしまう。
 そんなキラキラ青年が、学校の雰囲気に合わせたような爽やかでラフな服装で笑ってんだ。
 誰だって見るだろ、普通。

「学内ではシャルと気軽に呼んでください」
「いいぃ、いや、呼べませんよ! そっ、そんなことしたら、キングになにされるか」
「襲撃しないように躾けておきますから、呼んでください」

 物騒だよ!
 しかも躾ってなんだよ!

「よろしく」

 スラっと伸びてきた長い指。
 中指にはぶっとくて鈍い銀色の指輪が見える。

「あ、握手、大丈夫、なん、すか」
「よくご存知ですね。郷に入っては、です。それにヤノとならハグもキスもでき」
「わあああわああっ、あ、よ、よろしくよろしくーっ!」

 キャンパス内でなんという発言をっ!
 オレは慌ててシャルと握手をして、その手を引っ張って中庭へ出た。

「あのっ、シャ、シャライヴァさんっ、た、たっ、頼みが、あるんです、けど」
「敬語は不要です。なんでしょうか」
「大学の中でハレンチな単語は禁止!」
「ハレンチ?」
「ハっ、ハグ、とか……キ、っとか」
「それは羞恥心からの禁止でしょうか?」
「そーですっ! オレが聞いてて恥ずかしーので、止めてください!」
「わかりました。ではその代わりに、ヤノは私をシャルと呼び敬語を止めてください」
「急には、無理……で、す」
「私をヒサシだと思って」
「もっと無理!」

 なに言ってんだこの人は!
 やっぱり大貴族は感性も認識も違うのか。

「ふふ、それは残念ですね」
「残念より、楽しんでますよね?」
「はい。とても気分がいいです」
「やっぱり」
「楽しい上に喜ばしく思っています」
「え?」
「ヤノが気がついていないなら、敢えて教えないでおきましょう」

 柔らかい笑みには慈しみを感じる。
 オレはそんな視線を向けられる人間じゃないのに。
 久史の周りにいる人たちは、どうしてこんなにオレに優しいんだろう。
 見返りを求めない優しさには本当に不慣れで、知識もないから戸惑うしかない。

「敬語の禁止は、明日から実行でいかがですか」

 優しいお気遣い、ご迷惑です。

 なんて言えるハズもなく、オレが折れるしかないんだろう。
 シャルとは初対面でもないし、普通に話すくらいはできるハズだ。

「努力、します」
「ありがとうございます。では教室へ移動しましょう。そろそろ向かわないと遅刻しますよ?」
「え?」
「すべてヤノと同じカリキュラムにしました。時間割も教室の場所も覚えています」

 忘れてた。
 この人……シャルは頭もいいんだった。
 天才とかそういう雰囲気ではないけど、あらゆる教養は溢れるくらい感じる。
 英才教育の賜物ってヤツかな。
 地頭が優れているのかも。
 そうじゃなくちゃ、色んな企業の出資パートナーなんてできないもんな。

「さ、行きましょう?」

 輝く笑顔とはこういう顔だろうか。
 華やかな微笑みがとても似合う。
 オレなんか、小学校の卒業文集に載ってた自分の写真見て凹んだのに。
 笑ってと言われて写されたはずなのに、ただ引き攣った顔をしていた。

 そんな、下手な作り笑いしかできなかった長い時間をぶっ壊したのは久史だ。

 初めてまともに見たアイツの笑顔は、今でも覚えている。
 嬉し泣きしてるみたいに、笑ってた。

 感情が、黒い靄の中に沈んでいく。
 この後ろ暗い慣れた感覚が悔しいほど懐かしい。
 じんわりと血の気が引く様に似ているんだ。
 そうして、冷たくなっていく。
 身体も、心も。

「気分が悪いのですか?」
「そういうワケじゃ……ないです」
「気に病むことでもありますか?」
「……いえ、なにも……ない、です」

 口から適当な言葉が漏れる。
 比例するように、どんどん滅入って行く。

 なんだかんだ、久史に引っ掻き回されてる高校生活の間はこんなに沈まなかった。
 谷野の存在も大きかったけど、繋ぎ止めてくれていたのは久史だ。
 それを思い出すと久史と会えないと認識している今、オレの意識は闇に向かう。

「……」

 独りの時は俯くほうがホッとする。
 久史が傍にいない時は、前を向いても仕方がない。
 未だに周囲に散らばる過去の恐怖と遭遇しないためにも、視界を狭く気配を消しておかないと。

「ヤノ」
「…………」
「顔を上げてください」

 そんなこと言われても、後頭部から押さえつけられてるみたいに顔は地面に向いている。
 放っておいてくれてもいいのに。
 アンタからすれば構う価値もないだろ。

「私は目の前にいます」
「え、?」
「私をリードしてくださいますか、キャンパスメイトさん」

 引き戻された。
 顔を上げれば極上の微笑み。

「それに」

 釘づけにならざるを得ない顔面が、少しだけ右に傾いた。
 肩から流れ落ちる髪すら芸術品のようだ。
 考えれば考えるほど、こんな人間とオレに接点があるのはバグなんだってわかるよな。

「キャンパスを出ればルームメイトですし」

 え?

「……」

 えっ、なんて?

 沈んで行く気分が、マジでピタリと止まった。
 放たれた言葉に、目の前が一気に拓ける。

「今日から私たちは一心同体、苦楽と時間を共有する存在となるのです」

 いっしん、どーたい?
 くらく、と?
 じかんをきょ……きょーゆーする?

「そ……それって」
「はい。同棲ですね?」
「はあああぁーっ?」
「安心してください、同棲たる行動も予習済です」

 安心なんかできるかっ!
 オレへの承諾なしでなんてことを決めてるんだ!
 てかなんだよ、同棲たる行動も予習済みって!

 覚醒するみたいに頭に血が上って、感情は動揺へと振られていく。
 久史もだけど、シャルもオレの感情を乱高下させるのが上手いなっ?

「あの、えっと、どっ、同棲は、違うと、思いますが?」
「同じ屋根の下に住まうことは同棲ではないのですか?」
「ど、同居と言ってください……そのほうが妥当だし、気が楽ですから」
「面白くないので却下です」

 爽やかに笑ってとんでもないことを!
 面白くないって理由で「同棲」と言いたがるほうが面白くないっ!

「さ、授業に参加しましょう?」

 楽し気に笑っているが、相当どうかしている。
 本気で言っているのか冗談なのか。
 久史はなんとなくわかるようになってきたけど、シャルの思考パターンは予想もつかない。
 クソ平民が大貴族様の思考を読み取ろうとするのが無茶ってことか?

 頭が痛くなってきた。
 最長で半年間、認知感や金銭感覚の違う相手と生活しなくちゃいけないなんて。
 待ち受ける様々なハプニングを考えると、ぐっと腹も重くなる。

 どうして唐突にオレの家ですごそうって思いついたんだ。
 誰も反対しなかったのか?
 キングとか。

「そういえば、キングは?」
「傍に控えていますよ」
「え、どこ?」
「ふふ、素人ではありませんので」

 つまり、完璧に気配を消してオレ……というかシャルを見守っているってことか。
 昨晩のガサツ行動を思い出したが、シャルの表情は絶対的な自信と信頼しかない。
 その関係が一瞬でも羨ましいなんて、オレは思っちゃいけないんだ。
 そんな資格、ないんだし。


***


 教室に入るとシャルは直ぐに日当たりのいい席を確保し、周囲からの視線ににこやかに応じている。
 積極的な女子は即囲んでいるし、男子もざわめいてシャルを見ていた。

 目立ちすぎる。
 日陰のように気配を消しているオレの隣には相応しくない。
 なのに、出入り口で固まっているオレに優雅に手を挙げるんだからもう逃げたい。

「ヤノ、あなたは私の隣です」

 席の指定までされてしまった。
 嬉しそうに自分の隣をぽんぽんして待っている。
 行き辛いって……。

 囲んでいる女子の顔見てみろよ。
 値踏みされ、比較され、オレの価値を勝手に決めている顔を。
 陰キャ全開のオレが、彼女たちの中でシャルに釣り合うワケがないだろ。
 ペットかおまけ扱いが妥当だろうけど、きっと邪魔者にまで発展する流れだろうな。

「ヤノ、早くきてください」

 本人だけが嬉しそうで……よかったな。
 あ、でも救いはあるか。
 この授業を受けるヤツらはオレの名前を「ヤノ」だと勘違いするに違いない。

「さあ皆さんも、授業が始まりますから席についてください」

 シャルの隣にのそのそ座ると、周囲からの空気がピリピリ伝わってくる。
 そうだよな。
 「なんでコイツ?」って思うよな。
 オレだって「なぜオレが」って思っているから、安心しろよ。

 さすがに大学に入ってイジメなんてないだろうけど……教室にいるヤツの顔を少し覚えておこう。
 用心するに越したことはない。
 自分のためにも、相手のためにも。

「た、タブレット、は?」
「必要ありません。見せてください」
「じ、自分、のを、準備して、ください」
「なぜですか?」
「予習とか、ふ、復習とかあるじゃない、ですか」「予習は必要ありません。それに、復習なら帰宅してから二人でできるでしょう?」

 あ、終わった。
 どうして周囲に聞こえるようにそういうことを言うかな。
 しかもそんな無邪気なスマイルつきでさ。

 黄色とも悲鳴とも聞こえる女子の声が波のように広がり、男子達の好奇の視線が一気に集中する。
 ああ、この授業気に入ってるから受講してたのに。
 今後この時間は別の授業入れようかな。

 はぁ……。