目が覚めた。
部屋の中は電気が煌々とついたままで、時間の感覚が一瞬なくなる。
握ったままのスマホで時間を確認して身体を起こした。
途端に腹が鳴る。
時間は日が変わって一時間。
「食べる時間じゃないな……」
電気ケトルに入ったままの白湯を呑むだけにしよう、沸かし直したほうがいいか、面倒だからそのままでいいか、うだうだと考えながらベッドの中から動かない。
手にしたスマホの電源をつけたり消したり、会話型アプリを起動させたりと意味のない行動を繰り返した。
いや、意味はある。
でも気がつかないフリをしている。
愚かしいと思っているのに、淡く期待をしている自分が情けないから。
「バカバカし」
底辺のオレが期待をしたところで願いっこない。
いつもそうやって期待して、自分にも裏切られてきたじゃないか。
自責はいつでも冴えている。
己をなじると身体が動いた。
白湯を二杯がぶ飲みして片付けると、部屋の電気を消そうとして止めた。
電気を消した途端に過去の亡霊が押し入ってきたらどうしようとか考えてしまった。
絶対にないハズなのに、そう思っている自分が信じられない。
数分考えて電気は点けたままでベッドに入り直し、スマホを握る。
「……」
久史は未成年だから、この時間まで引っ張り回されてはいないだろう。
帰宅はしているけど、さすがに寝てしまったんじゃないだろうか。
連絡をして起こしてしまうのは嫌だな。
そうだ、今日の動画を探そう。
検索すれば直ぐに出てきそうだし、見ている間に眠くなるかもしれない。
オレは動画配信サイトへアクセスして、ライブ配信されていた開会式の動画を見つけて回った。
最新から少し下がったところで見つけたが、閲覧数のエグさに苦笑が漏れる。
なんだよ、本人の自覚がないだけで大人気じゃないか。
コメント欄には日本語でない言葉も多かったが、日本語で「カッコいい」「ヤバイ」「好き」などももちろん並んでいる。
よかったな、人気者だぞ。
それ以上は考えずに、再生ボタンを押した。
公式の動画だからか、さすがに最初からきちんとしていた。
無音で書道パフォーマンス総合大会のロゴから始まり、協賛の提示が続いてざわめいている会場が映し出される。
開会式の挨拶部分はない。
久史のパフォーマンスの準備が終わった辺りからの配信だ。
「……ぅわ、……っ」
入場した久史の顔がアップになって動揺した。
オレが見ていたのは引きだったし、こんなにしっかり真正面からって想像もしていなくて、ひとりでキョドる。
少しだけ目尻を赤くメイクしていたようで、いつもにも増してイケメン感が強い。
画像なのに直視二秒。
その二秒で記憶に焼き付けた。
書に向かう時の顔は本当に別人のようだ。
いつものへにゃへにゃの表情よりも好きって言ったらどうなるかな。
恥ずかしいから言わないけど。
それに、四六時中この顔を浴びせられるのも耐えられないだろう。
一度見たパフォーマンスでも、視点を変えると印象がまるで違う。
オレはスマホの画面に釘付けになり、邪魔なコメントを途中で消して久史だけを追い始めた。
カメラワークに拘っているのか、ドローンからの映像も入っているところが凄い。
よりスピード感が出るし、流れる筆先や跳ねる墨汁の躍動すらもパフォーマンスの一部のように組み込まれている。
やがて例の歌曲になり、久史の姿は一旦紙の向こうに消えた。
どこからも見えないアングル、内側からのライトに浮かび上がる久史と書き連ねられていく文字の影。
長く感じた曲が終わり、ずっと見えていなかった書き面が客側へと向けられた。
四方にあった紙が会場全体にすべて見えるようにと、久史を囲んだままでゆっくり輪を描くようにスタッフが歩く。
新しい面が移動する度に拍手が起こり、中央に立つ久史は四方に深く頭を下げる。
その仕草も演出だろう。
しっかりと深く、同じ角度だ。
「……キザだな」
久史が書き上げた書は、しなやかで力強く、なのに繊細な言葉が並んでいた。
灰色世界に
鮮烈な彩りが舞い降りた
穏やかに昇る芳しさに
心の輝きが目を醒ます
そこはもう別世界
だからあなたは特別で
声音を微笑みを浴びると
心がなみなみと満ちて行く
あなたの隣にいる歓び
あなたと言葉を交わす嬉しさ
あなたが糧となり心が煌めく
一会の運命に一生の感謝を
願うは四季を寄り添い
ぬくもりも哀しみも共有し
独りでは描けない道の先
同じ速度で歩むこと
「よくこんな言葉を捻り出したな」
本人はラブレターだと言っていたから、少しは考えたのかもしれない。
あの歌曲のように「誰か」に向かい紡がれた言葉として、それなりに言いたいことも整っている。
「誰かが体裁が整うように作った、とか」
それならあり得るな。
協力しそうなのは久史の母親だ。
ロマンチックなことが大好きだから、嬉々として手伝ったんだろう。
あの家族は、本当に仲が良い。
「……」
演目はその書が最後だったようだ。
書を運び出すスタッフの後に久史が続いて舞台から捌けると、動画が静かに終わった。
サイトを閉じ、会話型アプリを起動させる。
迷いはしたが、アイツなら怒らないと自らを言い聞かせて久史にメッセージを送った。
『電話いいか?』
素っ気ないなと思うけど、意味が通じればいい。
送信ボタンを押した直後に既読がついて、視覚からの「既読になった」情報が脳に到達する前に向こうから電話がかかってきた。
『こんばんは』
「こんばんは……寝て、なかったか?」
『ずっとののにメッセージ送ろうか迷ってた』
「はあ?」
『ホントは家に行きたいけど、こんな時間だし補導されちゃうっしょ?』
「そうだな、賢明な判断だ」
『今日、お疲れ様』
「それはこっちのセリフだ。しっかり疲れを取るんだぞ」
『ん、ののと話ししたら元気モリモリ出てきた』
そんなことを耳元で言われると。
寒気のような感覚が耳から首筋、肩へと広がる。
「動画、見たぞ」
『アレ酷くない? アップ撮らないって約束破られまくりでさー』
「カッコいいって、好評じゃないか」
『のの以外にカッコいいって言われても嬉しくないやい』
「またそんなことを」
『ね、ラブレター、読んだ?』
「読んだ」
『えへへ、やっぱりののに褒められるのが一番嬉しいや』
「ひとりで考えたんじゃないんだろ?」
『ううん。ひとりでガンバった』
「え?」
『ホントに』
どうせ見栄だろうと思って「まさか」と続けるつもりが、そうできなかった。
耳元で、小さく溜息を吐き、何度も言い淀んで空気を吸い込むのが聞こえる。
自分だけがわかる順序で会話をするなと怒ったことがある。
久史的にかなりショックだったようで、今は会話に順序立てすることを努力している。
おかげでオレも成り立つ会話ができている。
『えーと、ん……と、詩緒梨(しおり)さんに手伝ってって言ったら……あの、国語の辞典とか、たくさん出されて』
詩緒梨さんは、久史の母親の名前。
彼女は母である自分が恥ずかしいらしく「お母さん」「奥さん」「ママさん」と誰にも呼ばせない。
むろん、オレにも。
久史はきっと、詩緒梨さんがラブレターの内容を考え、整えてくれると思っていたんだろう。
オレもそう思ったのに、違っていたらしい。
『ラブレターなら自分で書きなさいって』
「珍しいな。お前を甘やかさないなんて」
『思い描く相手がいるなら、自分で書きなさいって。オレ、絶対のの宛にするって思ってたから、言われてひとりでガンバった』
「勉強になったか?」
『んー、途中からワケわかんなくて。でも、ののに書いてるんだーってコウフンしてガンバった』
「興奮……自分を奮い立たせて、な?」
『本をたくさん読んでるののからしたら変かもだけど、ホントに、物凄くガンバった』
「キザなラブレターだったよ」
心が揺さぶられたかと言うと、そうでもない。
書という魅力を引き出すために、少し難しい漢字や独特の言い回しを使っているからだろう。
オレは、ストレートな「好き」が一番震える。
久史の声、視線、熱、全部をひっくるめて囁く「好き」が一番好い。
だけど久史がオレのために如何程に頭を使ったかと想像すると、自分の感想を素直に伝えるのは酷だと思った。
さすがにそれくらいはオレにもわかる。
「やればできる子だな」
『オホッ、褒められちった』
傍にいないのに、いつも以上に近く感じる。
直接鼓膜を震わせるような至近距離から聞こえる久史の声は、普段は聞こえない音をオレに聞かせてくる。
話し出す時に吸う息の音、微かな吐息、照れ臭そうな小さな笑い声。
放課後の図書室での、あの時間が蘇る。
今では、頑なに久史を拒否し否定し続けていた時と正反対の感情が揺れている。
人間、無逆にも変われるんだな。
『ん、待って。のの、ちょ、と。うん……』
歯切れの悪い上擦った声が聞こえて、無意識に閉じていた眼を開いた。
短くなる呼吸の合間に、唾液を呑み込む音がする。
本当に「ゴクリ」って聞こえるから擬音って不思議だ。
「どうした?」
『へへ……いつもより、声が近いから、ムスコちゃんが』
「切るぞ」
『わーん、イジワル言わないでよっ! ご褒美だと思って、えっちぃ声聞かせてよぉ!』
「ご褒美はもうやっただろ」
『そんなこと言わないでぇ~』
「断る」
『えぇ~。ののだって少しは』
「もう寝る。おやすみ」
聞いてしまうと断れなくなると、通話を切ってしまった。
自分の勢いに呆然として、手の中の携帯を眺める。
また、かけてくるかもしれない。
「酷い」と拗ねながら、かけてくると思う。
「……ない、か」
かけ直すなら切った直後にかかってきている。
つまり、かけてこないと言うこと。
オレからかけるのを待っているのかも。
無論、そんなことをするつもりはない。
「…………」
傷ついたかな。
いつも「こんなのじゃ傷つかない」と言っているけど、本当のところはわからない。
オレの言葉や態度に傷ついても、好きだからって理由だけでチャラにしているのかもしれないし。
アイツのメンタルはオレには理解不能だ。
学生の頃、図書室でズボンをずらされながら散々酷く罵った。
自分が言われたら立ち直れないだろうと思う言葉を、殴られたらどうしようとビビりながら投げつけた。
なのにアイツはいつもケロッとしていて、勝手に盛り上がり存分に愉しんで帰っていた。
家に帰ってから泣いてたって、それはオレの与り知らないこと。
付き合い始めてから一度、聞いてみようと思って止めた。
どんな時も息を潜め、波風を立てないよう気配を消して生きているオレにとって、久史との会話ややり取りすら未知の領域で行動の善し悪しすらわかってない。
どんな風に聞けばいいのかわからないし、気拙くなるかもしれないリスクは避けて通りたい。
「オレが、気拙い、けど……」
三十分待ったけどかけ直してこなかった。
このままずっと、連絡がなかったらどうしよう。
いつもの通りにネガティブばかりが先行する。
でも、オレからかけ直す勇気は微塵もない。
あー、本当にバカだ。
逃げなくてもいい相手なのに、いつだってこうやって直ぐに逃げて独りで凹む。
学習能力なさ過ぎて嫌になるな。
「…………寝よ」
オレは引きずるだろうけど、アイツは引きずらない。
だから、また、明日になったら連絡があるか本体がここにやってくるだろう。
