ゆらゆらと、心地の良い揺れがオレを包んでいる。
爽やかで甘い香りは、中学校の修学旅行で立ち寄ったどこかの花畑みたいだ。
あの時は危うく、バスの荷物を入れる場所に閉じ込められそうになったな。
命の危険を感じたのはあの修学旅行と小学生の時の放課後くらいか。
イジメられてたって言っても、言葉にすると大したことじゃないように感じるから気分が悪い。
誰だってあんなこと、されるのはゴメンだろう。
上手い具合に「当たらなかった」だけで人生勝ち組みたいな顔してたクラスメイトが今でも憎らしい。
こんな記憶に容量割いてるオレの脳みそも憎らしい。
忘れてくれてもいいのに。
忘れるにはどうすればいいのかわからない。
嗅ぎ慣れた匂いがして、ふと意識が浅瀬に戻ってきた。
目を開くとそこはオレの家。
「……あ?」
ゆっくりと記憶を辿ってみるが、どうやって帰ってきたのかわからなかった。
久史が、連れて帰ってくれたのかな。
ちゃんとベッドに寝かされている。
「久史?」
呼んでみるが答えは返ってこない。
帰ったのか?
でも電気点いてるし。
「久史帰っっぎゃーーー!」
「そんなビビるなって」
「なっ、なんでっ、なんでキングがーっ?」
「すみません。ボクもお邪魔していまーす」
「はぁっ? つっ、鶴城さんっ?」
どういう事態だ。
なにが起きた?
は?
「ヒサシが会長に絡まれて遅くなるから、オレが代行で連れて帰ってきた」
それはどうも、ご苦労様です。
お貴族様の指示もあったんだろ。
「ボクは迷子で。えへへ」
えへへ、じゃないよ鶴城さん。
思った通り、ひとりで帰れなかったってことだろ。
キングが動いてくれてよかったな?
て言うか……この二人も知り合い同士なんだな。
どういう流れで知り合ったんだろう。
オレが気にすることじゃないか。
「タマはこの後送るから安心しろ」
「タ?」
「ボクのニックネームです。以前、キングさんが付けてくれたんですよ」
センスはどこ行った。
適当なニックネーム付けられて喜んで、暢気な人だなぁ。
大抵のことでは動じなさそうな雰囲気は持ってるけど。
「ところでヤノの家は狭いな」
「しっ、失礼なっ。独りだから十分ですっ!」
「バイトはしていないんですか?」
「土日に近くの図書館で司書のバイトをしています。高校で司書部だったから、直ぐに雇ってもらえました」
「ヒサシのマネージャーすればいいのに」
「しません」
「土日は遊ばないの?」
「大学生なんで、平日も時間はあります」
「コイツ、トモダチいないんだよ」
「決めつけよくない」
「あ~」
「納得しないっ」
この人たちは勝手にお茶を淹れ、備蓄のせんべいとミカンを食い散らかしている。
ああ、オレの非常食。
オレよりも大人二人に家の食べ物漁られるわ、土日に遊ぶ友人が居ないと弄られるわ、散々だ。
人が多くて疲れたし、嫌な奴に遭遇するし、自己嫌悪激しすぎてちょっと意識手放すし……久史と一緒に帰れなかったし。
なんなんだ。
オレの人生はこんなのばっかか。
「スマーイル」
「え?」
いきなりスマホを向けられ、写真を撮られた。
カシャーッと言う擬似シャッター音がイラっとさせる。
「お前が起きたら連絡をして帰るって約束だから」
「ひとりで寝ていては危険だろうって、それはもう心配していました」
「……そ、すか」
「アイツは過保護だよなぁ」
オレから見れば、アンタだって十分過保護だよ。
仕事の範疇超えてるだろうが。
いや、お貴族様とオレを一緒にしたらダメか。
元々のステージが違いすぎる。
キングは撮ったばかりの画像を、久史に送っているようだ。
今度会ったら、スマホ取り上げて盗撮画像ともども消さなくちゃ。
「よし、任務完了。タマ、送るぞ」
「ありがとうございます、お世話をおかけします」
「仕事だ。気にすんな」
「柏木君、お邪魔しました。またね」
「飲み食いした分って、これで足りるよな?」
狭い三和土で靴を履く鶴城さんの横で、キングがオレに一万円札を渡してきた。
「さすがにもらいすぎです」
「そうしろって言われてるから。持って帰ったらオレが叱られるんだ、受け取ってくれ」
「……わかりました」
「じゃ、戸締りちゃんとしろよ!」
「おやすみなさい」
「お二人も、お気をつ」
バタン!
シーン。
マンガみたいだ。
見送りに立ったオレは、誰もいなくなったそこで一万円札を握って呆然とするばかり。
ほら、やっぱり。
そんなことだろうと思ったよ。
「なーにが一緒に帰ろうだ」
絶対約束、みたいな顔してたクセに。
いいけどさ、別に。
こういうガッカリ感って、相手がいないと体験できないからな。
そういう意味では貴重な経験をありがとう、だ。
食い散らかされた食べかすやゴミを掃除して、残されていた最後のせんべいを咥えた。
急須やコップを洗ってから、台所も荒らされていることに気がついて嘆息する。
キングはこう言うところが大雑把なんだ。
バレないようにする技術はないのか。
オレが起きるまで待つ間は仕事じゃないから、本性が出たのか。
一緒になってる散らかす鶴城さんもどうかしてるだろ。
普通の大人だと思ったのに、全然違うじゃないか。
「あー、もう」
漁られた形跡のある冷蔵庫の中を整え、大改造気味になっているシンク下を元に戻し、備蓄を保管している棚を掃除する。
安全に連れて帰ってきてくれたのは嬉しいけど、気の滅入るおまけだ。
キングの主人に訴えてみようかな。
オレの話は聞いてくれるのかな。
紳士だから、興味がなくても聞く姿勢を見せてくれるかもしれない。
ま、色々考えるだけで実行には移さないだろうけど。
そんな度胸はオレにはない。
失敗が付きまとう可能性のある、不慣れなことはしない主義なんだ。
そうじゃなくても息を潜めて生きるのに慣れすぎていて、久史との時間は夢かとまだたまに思っているくらいなのに。
オレの人生は、他人を信じないことで成り立っていると思っていた。
信じて不幸になったとかではなく、信じる相手がいなかったから。
突然ワケがわからないまま虐められる、あの不気味さをまた味わいたくないってのも大きい。
晩飯を求めるように腹が鳴った。
けど、オレ自身は食べる気分じゃない。
せんべいを食べたし、お茶で腹を膨らませるか。
お湯を沸かそうと電気ケトルを準備していると、スマホが鳴るのが聞こえた。
タイミング的にも、きっと久史だろう。
だったら直ぐに反応しなくても大丈夫だ。
オレは電気ケトルのスイッチを押してから、ベッドの上に転がっているスマホを握る。
SNSのメッセージ。
久史じゃなくて、お貴族様のほうだった。
とても外国人とは思えない丁寧な日本語が綴られている。
なぜ連絡先を知っているかというと、久史の恋人として認識され何度か会っているから。
もっと正確に言うと久史が勝手に教えてた。
自慢したいのに恋人だって信じてくれなかったから、だと。
『制裁を加え、社会人としての息の根を止めますのでご安心ください。』
誰のことか察しがついてしまって気拙い。
久史が話したのか?
それとも、鶴城さんがキングに話してキングが報告した?
無視しようにも既読をつけてしまったから、「ありがとうございます」とだけ返信をした。
犯罪の片棒を担いだ気分だ。
悪いことをしたかもしれない。
「……」
嫌だな。
凹む。
当時はどうにかしてほしいと何度も願ったけど、今更どうにかなってもあまり喜べない。
また疲れた。
電気ケトルが沸騰の合図を鳴らす。
オレはそれを放置してベッドに転がった。
明日は日曜日だ。
ゆっくりしよう。
ずっと眠っていたって、誰も怒らないんだし。
