【完結】月影の軍神と愛しの傷嫁


 霧灯家は来客でにぎやかだ。
 当主が霊力を込めた護符を家の扉に貼るとその家の者は"影"に襲われない。花野がでていってから母はそんな商売をはじめたようだった。

 とりつぎにでた使用人は「あらかじめお約束をされていない方は……」とふたりを追いかえそうとした。
 凪は新入りらしい彼女に自分と隣にいる花野の身分を明かし、「玻璃玉のかんざしの件で用があるとご当主に伝えてくれ」と使用人に告げた。

 使用人は泡を食って家の中に引きかえし、数分後、ふたりは奥座敷へと案内された。そこでは花野の母親がすでに座って待っている。

 なんの御用ですか、と母は蚊でも払うかのように云った。

 凪は云う。「花野(さん)の霊力をいま一度測っていただきたい」

「……?」

 母は怪訝そうに眉根を寄せる。だがただならぬものを凪から感じ、髪からかんざしを引きぬくと、母の前に正座した花野にかざした。
 その直後――。

「な――なぜ……っ!?」

 母は屋敷中に響く大声で叫んだ。
 花野の前にかざしても水晶は濁らない。()()()()()()、さらに純度を増したのである。

 これは花野が霊力を――現当主の母よりも優れた霊力を持っていることの証。

「なにがあったのですか、花野! あなたの霊力は七歳で失われたはず……!」
「これは……」
「私がかわりに説明しましょう」

 母の勢いに呑まれそうになっている花野の横に座り、凪は話した。
 あの晩に起きたであろうこと。そして十年後の満月の晩に起きたことを。

 話を聞きおえた母はつぶやいた。

「"影"に奪われた霊力が返ってきた……」

 凪はうなずく。

「そう考えればつじつまが合います。
 "影"に奪われた花野様の霊力(ちから)は私が取りかえした。彼女はもう、無能などではない」

 母は肩を震わせた。窓硝子にひびが入るかのように彼女の感情がじわじわと乱れ、やがてそれは堰を切って爆発する。
 畳にうずくまるようにして母は慟哭した。

「花野の霊力が……! ああ、やはり花野こそが次の当主だった……!」

 ひとしきり叫んだあと、ゆるしてね、と母は花野の膝にすがりついた。そして涙にぬれた瞳で娘を見つめる。

「母が間違っておりました。これまでのことはすべて水に流してちょうだい。――ああ、花野。私のかわいい娘。どうか家に帰ってきておくれ。霧灯家を継ぐのはあなたしかいないわ」
「――おかあさま……」
「なにを云っているの!?」

 障子戸を開けて飛びこんできたのは花野の妹の乙華(おとか)だった。話を盗み聞きしていたようだ。

「おかあさま、次の当主は私でしょう!? こんな能無しのおねえさまじゃなくて!」

 彼女は喉が張りさけんばかりに叫ぶが、母は聞こえていないかのように花野に訴えつづける。

「いままでひどいことをしてごめんなさいねぇ。……そうだ、(むつみ)さんとの縁談を復活させましょう。あなたは睦さんと仲良しでしたものねぇ。軍人なんかに嫁がせて申しわけなかったわ。あなたは婿を取るべき女でしたのに。さあ花野、いますぐご挨拶に……」
「――離してください」

 花野はぽつりとつぶやいた。
 それはとても小さな声。けれど、銀のように強靭な響きを持っていた。

 え、と母は目を丸くする。

「いまなんて云ったの、花野……?」
「離してください、と申しあげたのです」

 花野は母を凛と見つめかえした。
 最愛の母に許しを請われて心が揺らいだ。しかし。

 凪の悪口を云われて、はいわかりましたと受けいれることはできない。

「取りけしてくださいませ、おかあさま。『軍人なんか』と発言されたこと。凪さまは――凪さまは、人々の命を守る立派なお方です。このような侮辱、花野は許しません」
「え……ええ。ごめんなさい。でもね花野……」
「花野は……私はもう月岡家のものです。ここには帰りません。今日はそのご挨拶のつもりできたのです」

 母と乙華は息を呑む。

 そこにいる少女は自分たちが知っている花野ではなかった。月明かりを浴びて輝く花のように澄んだまなざしで花野はふたりを交互に見る。

「いままでお世話になりました、おかあさま。そして……乙華。あなたにはたくさん苦労をかけました。これからも心労は尽きないと思いますが、霧灯家のことは任せましたよ」
「お、おねえさま……」
「――私は怒ってはいないわ」

 びくっと乙華が身じろぎする。

()()()()()に騙された私が悪かったのです。ですが覚えておきなさい。自らが犯した業は、いずれ自分の身に還ってくると」
「う……」
「……さようなら」

 最後に深々と頭を下げ、花野は凪と一緒に立ちあがった。
「ま……待って、花野……。後生だから……」と愕然としている母を振りきるように客間をでる。

 廊下を歩いているとき、「――あんなものとはなんですか!? 答えなさい!」と母が乙華を烈火のごとき勢いで責めたてている声が聞こえてきたが、ふたりが立ちどまることはなかった。




 のちに乙華の奸計(たくらみ)は一族の者はみな知るところとなった。

 幼かった娘のしたこととはいえ不問にはできない。母は責任を取って当主の座から下り、かわりに分家の灯使の女性がその場に収まった。
 しかし実権をにぎっているのは月岡家に嫁いだ長女であることはだれもが知っている。

 かつて花野を虐げていた使用人たちは馘首となった。
 また、母と乙華は周りの白い目にいたたまれなくなり、田舎の親族のもとでひっそり暮らしている。


 ✿❀✿


 ふたり乗りの俥はゆっくりと走る。
 ならんで座っている軍服と和服の男女は一枚の絵画のように美しく、すれちがう人々は思わず立ちどまってふたりを見上げた。

 ――なんだい、あの美男美女は。
 ――おれぁ知ってるぞ、月岡さまのとこの凪さまだ。霧灯家のご長女と五月にご結婚なされたんだ。
 ――嘘をつくな。
 ――凪さまと云えば、もっと冷たくて……

 軍服の青年は隣にいる少女に日傘をさしかける。その仕草は愛情に満ちていて、彼を見る乙女たちは頬を赤らめた。

 ――霧灯家のご長女だって、だれかが見たときには病人みたいな顔してたって……

 白い肌の少女は優しく微笑み、青年の手に自分の手を添えて自分だけが入っていた日傘にふたりを入れる。
 痩せてはいるもののその顔は幸福そうで、内側から光りかがやいているかのようだった。

 街の人々はあっけにとられてふたりを見送る。
 もっとも、車上のふたりはお互いに夢中でそんな噂話など耳に入っていなかったが――

「しばらく保養せよと上層部に云われた」

 花野が日陰になっているか気にしつつ凪は云う。

 凪の帰宅から三日。花野はもうふつうにしているが、またなにかの拍子で倒れないとも限らない。
『私がしますのに』と云う彼女を抑え、新しく雇った女中――本家のほうからきてもらった――に家事を頼んでいる。こんな優雅な朝はひさしぶりです、と冗談を云う余裕もでてきたようだった。

「なにせ胸に穴が開いているからな。どこか、温泉にでもいこうと思う」
「……まあ。新婚でも休まなかったあなたが?」
「だから一緒にいこうと云っているんだ」

 凪は花野から視線を逸らすと、不器用に咳払いをする。

「その、なんというか。埋めあわせには遅いかもしれないが……」
「新婚旅行ということですね」
「どうだろうか。もちろん、あなたのいきたいところを優先する」

 花野は微笑む。それから、「三ヵ月までに帰ってこられるでしょうか」とふと不安になったようにつぶやいた。
 なんだって、と凪は尋ねかえす。

「ですから……結婚の期日のことです。もう来月でしょう? そのとき旅行中でしたら手続きが煩瑣になってしまいますから。そのまえに帰宅できますように……」
「…………」
「……凪さま?」
「……ああ、そうか。そうだったな」

 凪は陽炎が立ちのぼる街から隣の妻へと目を向けた。なにから云うべきか迷ったあとで、軍服の内ポケットから玻璃玉のかんざしを取りだして花野にさしだす。

「これは……」
「佳寿から取りかえした。あなたが元気になったら返そうと思っていたんだ。大切なものなのだろう?」
「……はい。亡くなった祖母が……おばあさまがくださったのです。私が霊力をなくしてしまったことを気にして」

 花野はかんざしをそっと受けとる。
 玻璃にはひとつも傷がついていなかった。そして変わらず澄んでいる。どんな宝石よりも愛おしい輝きで。

『忘れるんじゃないよ』と祖母の声が聞こえてきそうだった。

『愛しとるよ、花野。おばあさまはもう長くないけど、あんたをそばで守ってくれる相手が現れるよう祈ってるからね』

 祖母の祈りは届いたのだ。かんざしをにぎりしめ、花野は思う。
 十年という長い月日をかけて、ようやく――。

 凪は慈しむように彼女を見つめていたが、やがて「花野」と意を決したように呼びかけた。

「あなたさえよければ三ヵ月という期限の話は白紙にさせてほしい。これからもずっと俺の妻でいてくれ」
「――――」
「愛している。……俺は、あなたを生涯かけて守りぬきたい」

 花野は目を見開く。
 戸惑ったように瞬きをくりかえし、やがて凪のまっすぐな視線にどぎまぎしたようにまぶたを伏せた。

 ――私は、と小さくつぶやく。

「愛されることに慣れていなくて……。だから、こういうときにどのような返事をすればよいのか……」
「……気取った返事などいらない。ただ俺のそばにいると、それだけ誓ってくれればいい」

 花野はうなずく。
 目の縁からあふれた涙を指でぬぐい、はい、と凪に向けて微笑んだ。

「あなたのおそばにおります。生涯をかけて」

 凪は花野の細い体を抱きよせる。

 ――この前の満月の夜。目を覚ました青木によって病院に運びこまれた凪は、翌朝、目を覚ましたあとで花野のお守りをにぎりしめた。
 あの光は錯覚だったのかもしれない――。けれど、凪に『生きたい』という力を与えてくれた。それは真実だった。

 ふと凪は血に濡れたお守りの中に紙が入っていることに気がついた。
 どこの護符だろうか。気になって紐をほどいて中を覗くと、幸い、内側までは血に濡れていない。

 凪はその折りたたまれた紙をつまみだした。そして開く。
 それは予想に反して手紙だった。長らく放置していた、妻からの。


『どうかご無事にお帰りくださいませ
 ですが 私も軍人の妻ですから
 そのときは覚悟はできております』


 美しい草書で綴られた手紙に凪は目を見開いた。

 軍人の妻としての覚悟。
 それは、夫の死の際に殉死するということであった。

 自分はとんでもない女性を妻にしたと思った。そしてそれをお守りに入れる健気さを、強さを、いますぐに抱きしめたいと思った。
 そして――同時に。
 彼女を死なせないために。これからも不死身の男でいつづけようと、あらためて決意したのである。

 かならず守りぬいてみせる。
 彼女の命も、自分の命も――。

「凪さま……」

 俥の上とはいえ、街中で抱きしめられて花野は顔を赤らめた。苦しいです、と云うが凪は離してくれない。

「だめだ。三ヵ月近くあなたを放っておいてしまったのだから、これからはそれ以上に可愛がらなければ」
「……外ではいけません……」
「わかった。家に帰ってからにしよう」

 そう云いながらも凪が花野を離してくれる気配はなかった。もう、とつぶやきながら花野はそっと彼の体に身を寄せる。

 夏の陽射しは惜しみなくふりそそぎ、この美しい一組の夫婦を祝福しているかのようだった。




 ――了