いたずらでチョコを渡したらドイケメンに本命だと勘違いされました。


 暗くて深い、海の底にいるみたいだった。
 どれだけもがいても、あがいても、身体は底へ底へと沈んでいく。
 諦めかけたそのとき、誰かが俺の手を握り、引っ張り上げる。
 誰……?
 水面から顔を出した瞬間、俺はパッと目を覚ました。

 見知らぬ天井、……なんつって。

 鼻を衝く消毒液の匂いと、自分に掛けられた白い布団が、ここが保健室だと教えてくれる。
 俺、鏑木におぶられて、そのまま寝てもうたんか。
 状況を把握するのと同時、俺の手を優しく握る鏑木の存在に気づいた。
 鏑木の手は大きくて、温かくて。
 もう少し、このままでいたい。
 寝たふりをしようとまぶたを閉じた瞬間、鏑木はぽつりと言葉を落とす。

「良平のこと、好きなんて言わなきゃよかった……」
「え」

 思わず声を漏らすと、目を見開いた鏑木が振り返る。

「良平!? 大丈夫!?」
 鏑木の心配そうな声も頭に入らず、耳から耳へと通り抜けていく。
 なんでなん、鏑木。

 ──俺、良平のこと好きだよ。

 あのとき、そう言ってくれたやん。
 いつも俺が作ったお菓子美味しそうに食べてくれたやん。
 なのに。
 好きなんて、言わなきゃよかったって。
 なんで。

「なんでそんなこというん……?」

 声は震え、視界はみるみるうちに潤んでいく。

「……もう俺のこと、好きやないん?」

 こんな情けないこと言いたくないのに、栓がバカになったみたいに思ったことが口から溢れ出てしまう。

「す、好きだよ……」

 鏑木は視線を揺らしながら、小さく呟く。

「じゃあなんで?」
「だって、俺のせいで良平に迷惑かけてるし……」
「はぁ?」

 間の抜けた声が出る。
 次の瞬間には、胸の中で何かが弾けた。

「なんやそれ!? 迷惑なんてかかってへんわ!」
「でも……」
「でもちゃう! 勘違いすんなよ!」

 否定しようとする言葉を、強引に遮る。
 怒っているのか、泣きそうなのか。
 自分でも分からない感情が、ぐちゃぐちゃに混ざっていく。
 でも、その奥にある気持ちだけは、やけに鮮明だった。

「……一緒におらんと寂しいねん」
「え?」
「やから! お前のことが好きやって言うてるやろ! アホ! アホ鏑木!」

 吐き出すたびに、ぽろぽろと涙が落ちて、止まらない。
 なんやねん、この状況。
 好きって言うだけで、こんなにぐちゃぐちゃになるなんて。

「ほんまにダサすぎる……、最悪や……!」

 恥ずかしさやら情けなさやらで限界を迎えた俺は、布団の中へと逃げ込む。

「良平、出てきて」
「無理!」
「お願い、顔見せて」
「いーやーやー!」

 布団越しに聞こえる鏑木の声は、さっきまでよりもずっと近くて、俺は必死に布団にしがみつく。
 こんなぐしゃぐしゃな顔、見られたら死ぬ!
 しばらく押し問答が続いたあと、ふいに鏑木の力が抜け、支えを失った俺の体は、そのまま反動でベッドに倒れ込んだ。

「痛った!? 急に力緩めるなよっ!?」

 頭を抑えながら顔を上げると、たっぷりと涙を浮かべた鏑木の顔があった。
 鏑木のこんな顔、見たことない。
 口元を歪め、必死に泣くのを我慢している小さい子どものように震えている。
 それでもやっぱり、鏑木は。

「かっこいいよ」
「え?」
「良平はずっと、ずっとかっこいいよ……」

 鏑木の声は熱に浮かされたみたいな、弱弱しい声だった。
 けれど、その一言はまっすぐ胸の奥へ刺さってくる。

「……なんやねんそれ」

 鏑木の潤んだ瞳が、逃げ場をなくした俺をじっと捕まえる。

「本気で、俺のこと好きなの?」
「なんべんも言わすなよ」
「それは、恋人として?」
「やから……、そうゆうてるやろ!」

 顔が熱い。たぶん今、耳まで真っ赤や。
 鏑木の笑顔を、不器用なところを、真剣に思いを伝えてくれるところを思い出すたびに、身体が燃えるように熱くなる。

「じゃあ、キスしていい……?」
「なっ……!?」

 こちらを伺うような、おねだりするような破壊力抜群の囁きに、断る言葉も、冗談にする余裕も、全部どこかへ飛んでいった。
 思い返せば、鏑木はいつもそうだった。
 イケメンのくせに妙に自己評価が低く、いつも自信がなさそうで。
 俺に思いを伝えるときは顔を真っ赤にしながら必死に伝えていた。
 それだけ、俺に対してマジだった。
 鏑木がそっと近づき、俺は緊張したまま、まぶたをぎゅっと瞑る。
 ドクドクと心臓が騒ぎ、血が血管を流れる音が世界の音をかき消してしまう。
 唇が触れる……、その瞬間。

「須田ー! 生きてるかー!?」
「ぎゃっあ!?」

 保健室の扉が開き、佐々木と神谷がずかずかと入ってくる。

「元気そうやん」
「そらそやろ。須田やし」
「な、なんやねんお前ら!」
「須田に用はない。鏑木を呼びに来たの」
「でも……」

 名残惜しそうに俺を見つめる鏑木を直視できず、顔を背けたまましっし、と手を振る。

「ほら、行っといで。俺大丈夫やから」
「……わかった。またあとで来るから」

 二人とともに鏑木が保健室を出ると、やっと訪れた静けさの中、ばたりとベッドに倒れ込む。

 ……柔らかかった。

 ほんまに一瞬やったけど、唇になにかが触れた。
 あれはたぶん、きっと、鏑木の……。
 不確かな感覚をなぞるように唇に指先を当てていると、保健の先生が戻ってくる。

「具合はどう? よくなった?」

 具合って。
 その一言で、さっきまでの出来事が一気に蘇ってきて、ぽーっと頭が沸騰する。

「……あかん先生、俺死んでまうかも」

 かすれた声でそう言うと、先生は一拍置いて、くすっと笑った。

「それは重症やね」

 枕に顔を埋めながら、ぽつりと呟く。

「ほんまに、重症やわ」

 ……俺ってこんなに、鏑木のこと好きやったんや。


 文化祭当日。
 朝から校舎じゅうが、浮き足立った熱気に包まれていた。
 廊下には呼び込みの声が飛び交い、体育館からは軽音部の演奏が漏れてくるいかにも文化祭らしい空気の中、俺たちは軋む身体を引きずって歩く。

「つっかれたぁ……」

 口から魂が出かけている佐々木に、俺はパンっと手を合わせる。

「二人とも、ほんまにありがとう」

 俺がそう言うと、神谷が肩を回しながら大げさにため息をつく。
 キャパオーバーを起こした俺は結局、神谷と佐々木に助けを求め、前日の準備から材料が尽きるまで手伝ってもらった。

「あーあ、俺も執事やりたかったのに」
「佐々木が執事やったところで、チャンスなかったって」
「あぁ!?」

 凄む佐々木に神谷は顎で教室のほうを示す。

「だって見てみ、あれ」

 のぞき込んだ先には、うちのクラスへと続く長蛇の列。
 となりの、そのまたとなりのクラスにまで列が続いており、案内係が慌てて最後尾の札を持っている。
 この人たちの目的は……。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 鏑木の一言に、黄色い声が鼓膜を劈く。
 白シャツに黒ベスト、整えられた髪。トレーを片手に歩く姿は、。

「あの、お茶を入れてほしいんですけど……!」
「かしこまりました。お茶淹れ係の方、お願いします」
「え」
「はい喜んでぇ!」

 鏑木が手を挙げると、待機していたクラスメイトたち(なぜか立花先生の姿も)がぞろぞろと現れる。
 結局、鏑木にお茶を淹れさせるのは危険と判断し、案内係とお茶淹れ係とわけることになった。
 若干の広告詐欺のような業務形態だが、人命を守るためには仕方ない。

「良平!」

 俺たちに気づいた鏑木が人波を縫って、こちらへ駆けてくる。

「みんな、良平が作ったお菓子、美味しいって!」
「そっか」

 頷き、飾り付けられた教室内を見渡す。
 執事喫茶というコンセプトに合わせて、用意したお菓子は全て洋菓子。
 クッキー、フィナンシェ、ロールケーキ、そしていちごパフェ。
 美味しそうにお菓子をほおばる人の笑顔を見ていると、身体に溜まった疲労が消えていくようだ。

「俺らも作ってるんですけどぉ?」

 佐々木と神谷が、そろって細い目を向けてきた。

「そうだったね」
「『そうだったね』やとぉ!?」

 二人のツッコミに笑い声がこぼれた、そのときだった。

「鏑木くんですかぁ? 初めましてぇ。良平がいつもお世話になってますぅ」

 場違いなくらい華やかな声に、全身に鳥肌が立つ。

「ね、姉ちゃん……!?」

 振り返ると、そこにいたのはばっちりメイクに巻いた髪、勝負服まで着込んだ姉ちゃんだった。
 どう見ても気合いの入り方がハンパやない。

「良平のお姉さん!?」

 鏑木はびくっと肩を上げ、あわあわと慌てながら、頭を下げる。

「は、初めまして! え、えっと……、良平くんをぼくに下さい!」
「うぉい!? なんでやねん!? 順序すっ飛ばしすぎやろ!」
「ご、ごめん!」
「ごめんちゃうわ!」
「ふーーーん……」

 姉ちゃんはじろっと俺と鏑木を交互に見比べ、何かを察したように口元を押さえた。

「あ、きみらそういう感じ? やったら、はよ言うてや。気合い入れてきて損したわ」
「え」

 次の瞬間、猫なで声が消え、いつもの声に戻った。

「弟から奪うような女ちゃうの、わたしは」
「えぇ。昔よく俺のおもちゃ取ってたやん」
「うっさい」
「ひっ……!?」

 底冷えするような低音に、思わず鏑木を盾にして身を隠す。
 けれど姉ちゃんはすぐに表情を戻し、今度はやわらかな笑みで鏑木を見上げる。

「鏑木くん、良平のことよろしくね」
「ちょ、姉ちゃん余計なこと……」

 姉ちゃんを遮ろうとした瞬間。

「はい! 一生大切にします!」

 迷いも照れもなく、まっすぐ言い切る鏑木の姿に、姉ちゃんだけじゃなく俺まで言葉を失う。
 一生、って……。

「なんて純粋な子なん……、わたしもお菓子作れるようになろかな……」

 目を細めながら、姉ちゃんはふらふらと去っていった。
 なにしにきたんや、あいつ。
 小さくなっていく姉ちゃんの背中を見送っていると、佐々木に呼ばれる。

「このあとどうする? 適当に回る?」
「俺、ちょっと用あるから」

 そう言って、鏑木の袖をくいと引く。

「休憩の時間になったら、家庭科室来て」
「いいけど、どうしたの?」

 純朴な眼差しに、一瞬だけ言葉に詰まる。

「……いいから。ほら、働いてこい!」

 ごまかすように背中を押すと、鏑木は少し不思議そうにしながらも笑った。

「わかった。またあとでね」

 手を振って人込みの中へ戻っていく背中を見送る。
 一生大切にされるんか、俺。
 鏑木の言葉を胸に、俺は家庭科室へと向かった。


 ここにいると、教室棟の喧騒が遠くに聞こえる。
 さっきまであれだけ騒がしかったのに、ここだけ別世界みたいに穏やかだ。
 オーブンの前に置いた丸椅子に腰かけ、じわじわと膨らむ生地を眺めていると、がらりと扉が開く音がする。

「良平?」

 少し息を切らした鏑木が入ってくる。

「こっちこっち」

 手を上げると、鏑木がぱっと表情を明るくして近づいてくる。

「なにつくってるの」
「ないしょ」
「えぇ」

 不満そうな声とは裏腹に、鏑木はやらわかい笑みを浮かべて隣へ腰かける。
 しばらく、オーブンの音だけが続く。
 このまま黙っていたら、せっかく呼んだ意味がなくなってしまう。
 ちゃんとしろ、俺。
 頭の中で自分を鼓舞し、何度も準備してきた言葉を、どうにか引っ張り出す。

「前に聞いてきたやん。なんでお菓子作りが好きなんって」
「うん」

 鏑木がまっすぐこちらを見る。

「俺、考えてんけど。誰かが俺のお菓子を食べてる顔が、好きやからやと思う」
「……そっか」

 やわらかく返されたその声に、肩の力が少し抜けた。

「それでな……」

 続けようと口を開けたそのとき、タイマーが鳴る。

「で、できたみたいやな……!」

 俺は取り繕うように立ち上がってオーブンを開ける。
 ふわりと甘い香りに包まれながら、粗熱を取って一つを紙ごと手渡す。

「これって」
「カップケーキ。メニューにはないから、特別やで」

 受け取った鏑木が、一口かじると、きれいな瞳を輝かせる。

「美味しっ……!」

 その顔を見た途端、胸の奥が熱くなる。
 カップケーキの意味は『あなたと特別な関係になりたい』だった。
 でも、このカップケーキを渡したいと思う前からずっと。

「鏑木はやっぱり特別やな」
「え?」

 きょとんとする顔に、心臓が高鳴り、今さら怖じ気づきそうになる。
 やれど、ここまで来て逃げたくなかった。

「これからも、俺が作ったお菓子を鏑木に食べてほしい」

 喉が渇く。声が震える。

「やから、その……」

 ごくりとつばを飲み込み、静かに息を吸う。

「俺と、付き──」
「待って!」
「えぇ……!?」

 予想外のリアクションに思わず間の抜けた声が漏れる。
 なにそれ。今いちばんいいところやったのに。
 固まっていると、鏑木は頬を赤らめながら呟く。

「俺も言いたい。てか、俺が言いたい」
「はぁ!? 今もう完全に俺の流れやったやん!?」
「で、でも……!」

 鏑木は言葉を詰まらせるも、揺れる瞳で必死に訴えかけてくる。
 その瞳に、かつて向けられたまっすぐな思いを思い出す。

 ──それに、自分で作ってみたいから。

 バレンタインのお返しを手作りじゃなくていいと言った時、鏑木はそう言ったんだっけ。
 それで、俺はこう返したんだ。

「……なら、一緒に言う?」

 鏑木は少しだけ目を見開くと、嬉しそうに顔をほころばせる。

「わかった」
「ええんかい」

 思わず漏れたツッコミに、鏑木が小さく笑った。
 つられて、こっちも笑ってしまう。
 さっきまで張り詰めていた空気が、ふっとやわらいだ。

「せーの、で言うで」
「うん」

 高鳴る鼓動を胸に、静かに息を吸う。
 そして、同時に声が重なった、

「付き合ってください」
「付きおうてくれへん?」
「…………」
「…………」

 互いに見つめ合うこと数秒。
 耐えきれず笑い出すと、鏑木もつられて笑った。

「……なんやねんこれ!?」

 ロマンチックさのかけらもないやりとりなのに、なんだか俺ららしくて。
 おかしくて、うれしくて、胸がいっぱいになる。

「ほんまに俺でええん? 後からやっぱ勘違いやったとか、ナシやからな」
「言わないよ」

 鏑木は少しも迷うことなく答える。

「良平のこと、一生大事にするから」
「一生かぁ、重いなぁ」
「うん。たぶん、激重だと思う」
「激重彼氏くん?」
「はい……」

 白状するみたいに、そっと手を挙げる。
 そのしぐさが可笑しくて、愛おしくて、たまらなくなった俺はわしゃわしゃと頭を撫でる。

「あぁ、セットが……!」
「ええやん」

 俺はお構いなしにわしゃわしゃと撫で続ける。
 ばっちりとセットされた髪型もいいが、いつもの自然な鏑木のほうがいい。

「安心し。俺もまぁまぁ重いから」

 そう言うと、鏑木が嬉しそうに目を細めた。
 さっきまでの笑い声が、ゆっくりとほどけ、代わりに言葉にならない何かが、静かに満ちていく。

「キスしていい……?」
「……そういうの、いちいち聞くな」

 視線を合わせながら、俺たちはぎこちなく距離を縮めていく。
 唇がやさしく触れた。
 やわらかくて、あたたかくて。
 一瞬なのに、頭の中が真っ白になる。

「あかん……、心臓やばい……」
「俺も……」

 心拍数が上がりすぎたせいか、目の前が火花が散るようにチカチカと瞬く。
 好きな人とのちゅう、エグすぎる……。
 呆然としていると、スマホのバイブ音が現実に呼び戻す。
 画面を見ると、クラスラインに鏑木を探すメッセージが投稿されていた。

「……そろそろ戻らないと」
「そ、そやな。頑張って」

 立ち上がる鏑木を見送る、はずやったのに。
 気づいた時には鏑木の袖を掴んでいた。

「やっぱいかんとって……」

 思わずこぼれた声に、自分で驚く。
 鏑木は目を瞬かせ、それから、ゆっくりと甘く笑い、そのままもう一度隣へ腰を落とす。

「今のかわいすぎる」

 ぽん、と頭に置かれた手がするりとほっぺへ下りて、そこで止まった。

「なぁ……もっかいせん?」
「良平も言ってるじゃん」
「うっさい」
「かわいすぎる」

 言い終わるより先に、俺たちの間の距離がなくなる。
 ちゅ、と軽い音が耳よりも先に脳内に響く。

 さっきよりも、ほんの少しだけ長くて。
 さっきよりも、ほんの少しだけ近くて。

 鏑木の唇は、さっき焼き上がったばかりのカップケーキみたいにほんのり甘かった。