いたずらでチョコを渡したらドイケメンに本命だと勘違いされました。

──鏑木side──

「特に熱もなさそうし、このまま寝てたらよくなるでしょ」

 保健の先生はそう言うと、良平にそっと布団をかぶせる。

「ちょっと職員室に行ってくるから。あなたも教室戻りなさいよ」
「はい」

 カーテンの向こうで足音が遠ざかり、扉が閉まる。
 それを確認してから、ようやく胸の奥に溜め込んでいた息を、細く吐き出した。
 良平が無事でよかった……。
 丸椅子に腰かけて顔を下すと、良平の腕がベッドから落ちているのに気づいた。
 起こさないようにそっと手を握りベッドへ戻すと、ふいに良平が俺の手を握り返す。

「良平? 起きてるの?」

 声を落として囁くも返事はなく、良平はむにゃむにゃと口を動かすばかり。
 安らかな寝顔に安堵し、良平の手のひらを優しく包みこむ。
 あたたかい。
 そのぬくもりが、あのときの声を思い出させる。

 ──甘いもん食べたら、やなこと忘れられるやろ。

 俺と良平が、初めて出会った日のことを。


『……鏑木進です。よろしくお願いします』

 小学五年生の冬頃、俺はこの町に転校してきた。
 もう何度目の転校だろう。だから、この空気にも慣れていた。
 ひそひそざわざわ。息を飲む人もいれば、小さく悲鳴をあげる人もいる。
 そんな教室に向かって若い担任の先生が制する。
 騒がないの! 鏑木くんは普通の子です!
 転校の理由は、俺だった。
 俺は生まれつき肌に疾患があり、全身が赤く腫れていた。
 原因は不明だったが、両親は諦めず懸命に治療方法を探してくれた。
 空気が悪いからと聞けば東京を離れて空気の澄んだ地方に引っ越したり、名医がいると知れば病院に通えるマンションに移ったり。
 しかし、両親の努力の甲斐もむなしく、俺の肌は一向に回復しなかった。
 次第に両親の仲まで悪くなり、母親の実家がある大阪へと来たのだった。

 学校終わり。
 母さんが帰ってくるまでの時間をつぶすため、近くの公園のベンチに腰を下ろしているとクラスメイトたちが集まってきて、いつものようにサッカーが始まった。
 楽し気な輪をただぼんやりと眺めていると、蹴りそこなったボールがぽーん、とこちらに飛んでくる。
 俺はドキドキしながらボールを拾おうとした瞬間、男子が思い切り走ってきてボールを奪い取る。

『触んな! ばい菌がうつるやろ!』

 そのまま振り返りもせず、笑い声の中へ戻っていく。
 子どもの想像力というのは時に残酷なもので、俺の肌に関する様々なうわさが飛び交った。
 人体実験されたから。ウイルス感染しているから。
 俺に触られると同じように赤くただれるぞ。

『そんなわけないだろ……』

 小さく呟いた言葉は誰にも届くことなく、白く濁って消えていく。
 だからって、今更訂正したいとも思わない。
 だってこれまで何度違うと言っても、誰も信じてくれなかったから。

『なんで俺だけ……』

 溢れそうな涙をぐっとこらえていると、いつのまにか隣に知らない男の子が立っていた。

『なぁ、クッキー好き?』
『えっ』

 あまりに唐突な質問に声が出ないでいると、男子はお構いなしにぐいぐいに質問してくる。

『クッキー好き? なぁ? クッキー』
『ふ、ふつう、だけど……?』
『じゃあさ、これ食べてみてくれん?』

 そういって取り出したのは袋に入ったクッキーだった。
 クッキーは少しいびつだが、いろんな動物の形をしており、甘い香りがする。

『これ、自分で作ったの?』
『そう!』

 男子の勢いに気圧されながらも、一枚のクッキーを取り出す。

『それはペンギンやね』

 ペンギン……。
 にっこりと笑う男子に促されるまま、恐る恐るクッキーをかじる。
 さくさくの食感、鼻を抜けるバターの香り、そして、優しい甘みが口いっぱいに広がって……。

『おいしい……!』
『よっしゃ!』

 心底嬉しそうにガッツポーズをするその姿に、思わず目を瞬かせた。
 なんだ、この人……。
 そのとき、サッカーをしていた連中がこっちに気づき、おえー、と吐く真似をしてくる。

『良平も肌赤くなるぞ!』
『は? なに言って……、うわっ!? 肌ごっつ赤いやん!? 大丈夫!?』

 気づいてなかったのか……。
 男子──良平というらしい、は眉をひそめて俺の顔を覗き込む。

『なぁ、それうつるん?』
『……うつらないよ』

 もう何回、何十回と言ってきた。
 それでも、誰も俺の言うことなんて……。

『なぁー! うつらんのやって! 大丈夫やで!』
『なっ……』

 良平は振り返って、公園中に聞こえる声で叫んだ
 それでも。

『良平もうつったー』

 サッカーをしていた連中はこちらを指さして、嫌な笑顔を向けてくる。

『俺といないほうがいいよ』

 居たたまれずにこの場を去ろうと背中を向けるも、良平は俺の腕を掴む。
 誰も触れようとしなかった、赤く腫れた腕を。

『ああいうおもんないやつのこと気にせんでええから』

 おもんないやつ、って。
 軽い口調なのに、言葉に滲んだ怒りに、俺は思わず言葉を失う。

『それよりさ!』
『ち、近い……!』

 良平はぐっと距離を詰めて、少しだけ上目遣いになりながらにじり寄ってくる。

『ほかにも食べてみてほしいお菓子あんねんけど……?』

 その顔が、あまりにも必死で。

『……っ、ふふっ』
『あー! 笑ってる!』
『だって……』

 俺は笑いすぎたふりをして、目に溜まった涙をこっそり拭いた。

 それから良平は俺に手作りのお菓子を振る舞ってくれた。
 焼きたてのクッキーに、艶のあるチョコレートに、ふわふわのケーキ。
 どれも驚くほど美味しくて、思わず夢中で頬張っていると、良平はふいに呟いた。

『俺、鏑木のおかげでお菓子作りが好きになった気するわ』
『え?』

 俺の、おかげ?
 意味が分からずに見返すと、良平はいつもの調子で、にっと笑う。

『だって、鏑木ってめっちゃ幸せそうに食べてくれるから』

 幸せそう……。
 俺、そんな顔してたんだ……。
 良平は自分でもケーキを一口食べて、満足そうに息をつく。

『ま。甘いもの食べたら、やなこと忘れられるからな』

 たしかに、良平といるときは肌のことも、家のことも、全部忘れていた。
 でも、それは甘いもののおかげだけじゃないことを、俺はすでに自覚していた。
 だって今も。

『な? 鏑木もそう思うやろ?』

 口いっぱいになりながらケーキを食べる良平の横顔に、胸が痛いくらいに騒いでいるから。
 でも。

『……そうかもね』

 口から出たのは、そんな曖昧な言葉だけだった。
 良平に嫌われたくなくて、離れたくなくて、俺は自分の本心に蓋をした。
 このままでいられるなら、それでいいと自分に言い聞かせて。

 ──それでも、いつかは。

 そんな都合のいい未来を願いながら、残りのケーキを頬張った。

 しかし、そんな『いつか』は来なかった。

 両親の間でどんな話し合いが行われたのかは定かではないが、俺と母さんは再び父さんと暮らすために引っ越すことになった。
 嫌だ、なんて言えなかった。

 だって全部、俺のせいだから。

 結局、小六へとあがる春休みの間、俺は良平になにも言えないままこの町を去った。
 時が流れ、中学三年になり成長期を迎えた頃、俺の肌は奇跡的に完治した。
 高校に上がると、急に友達が増えた。
 同じ中学だったやつらまで、まるで最初から何もなかったみたいな顔で、俺に近づいてきた。
 笑いかけられても、優しくされても、どこか現実味がなかった。
 そのたびに思い出すのは、あの頃の良平だった。
 見た目なんて関係なく、ただ俺を見てくれていたあいつのこと。
 無邪気に笑って、隣でケーキを頬張っていた横顔のこと。

 ──あのとき、ちゃんと伝えていたら。

 そんな後悔ばかりが、時間と一緒に膨らんでいった。

 そして去年の年末、両親が離婚して、俺はまたこの町に戻ってきた。
 転校した高校に良平も通っていると知った瞬間、心臓が強く跳ねた。
 あの頃とは比べものにならないくらい、うるさく、熱く。
 本当は、すぐにでも話しかけたかった。
 今度こそ、伝えたかった。
 でも。
 いざその姿を目にすると、勇気はろうそくの火みたいに、あっけなく消えてしまった。
 迷惑かもしれない。……もしかしたら、嫌われるかもしれない。
 そんな考えばかりが足に絡みついて、動けなくなる。
 肌が綺麗になっても、見た目が少し良くなっても、結局俺は、あの頃となにも変われていなかった。
 しかし。

『残念でしたぁ~、作ったのは俺でーす!』

 バレンタインの日、良平は俺の前に現れた。

 ──なぁ、クッキー好き?

 あの頃と変わらない無邪気な笑顔に、胸が強く跳ねる。
 今度こそ、伝えたい。あのとき言えなかった想いを、全部。
 そう思って、俺は必死だった。
 慣れない古着屋に通っているなんて嘘をついて、無理に背伸びして。
 顔から火が出そうになりながら、それでも「好きだ」と伝わるように振る舞ってきた。
 だけど。

 ──なんで俺のこと好きやねん。

 そのせいで、良平を思い詰めさせてしまったなんて……。

 ごめんね、良平。
 俺は心の中で謝りながら、良平の手を優しく握る。
 俺のせいで、良平を困らせてしまった。
 俺のせいで、良平を傷つけてしまった。

 ……こんなことになるくらいなら。

「良平のこと、好きなんて言わなきゃよかった……」

 口の端から、言葉がぽつりと零れ落ちる。

「え」

 顔を上げると、良平の瞳がまっすぐに俺を射抜いていた。