いたずらでチョコを渡したらドイケメンに本命だと勘違いされました。

「お帰りなさいませ、ご主人様」

 教室の扉を引き開けると、執事姿の鏑木は優しくほほ笑みかける。

「ど、どうも……」

 ご主人様て。
 照れくさいような、こそばゆいような感じがしてもぞもぞしていると、鏑木は白い手袋をはめた指先で俺を誘う。

「どうぞこちらへ」
「あ、はい……」

 導かれるままに指定の席へ腰かける。
 赤いテーブルクロスが敷かれた卓上の中心には百均で買ったチープな造花が飾られており、目の前に置かれたこれまた百均で買ったティーカップに、鏑木は丁寧な仕草でティーポットを傾ける。
 ゆっくりと紅茶が注がれる中、俺は横目で鏑木を観察する。

 にしても鏑木、似合ってるなぁ……。

 黒いベストに小さな蝶ネクタイ。
 どれも通販サイトで買ったペラペラのコスプレ衣装のはずなのに、鏑木の顔面力とスタイルの良さで様になっている。
 なんなら卓上の百均グッズも全部本物に見えてくるから不思議だ。
 感心しながら見つめていると、鏑木は照れくさそうに呟く。

「そんなに見ないでよ」
「あ、ごめんっ……!」

 慌てて顔をそらすと、すでにカップは紅茶で溢れかえっていた。

「ちょ、こぼれてるって……!?」
「わ、ちょ……!? あっ!?」

 そこからはまるでスローモーション。
 焦った鏑木が机に足をぶつけ衝撃でカップが倒れ、紅茶が勢いよくあふれでるもテーブルの淵ぎりぎりで止まった、……と思わせて、雫が一滴、俺の太ももへ、ぴちょん。

「あっつ!?」

 椅子から飛び上がると足にテーブルクロスが引っ掛かり、卓上のカップもポットもまとめて床へと転がり落ちていく。しかし、造花だけは卓上にそのまま残っていた。
 テーブルクロス引き、成功! ……やなくて!

「おまっ、なんしてんねん!?」
「だ、だって! 良平がずっと見てくるから!」
「見てへんわ!」

 太ももを抑えて悶絶する俺を尻目に、佐々木と神谷が他人事のように呟く。

「鏑木ってほんまに不器用なんやな」
「見た目は完ぺきなんやけどなぁ」
「やから言うたやろっ……!?」

 どうしてこんなことになっているのか。

 それは数週間前のこと。

『えー、じゃあ文化祭は喫茶店をやるとして、どういう喫茶店をやるかですけど……』

 教壇に立つ実行委員がそう言い終わるやいなや、あちこちから手が上がる。

『はい! ここはやっぱりメイド喫茶っしょ?』
『なんでやねん! 日ごろ鍛えた筋肉を生かして筋肉喫茶はどや!?』
『いや、ここはあえて宇宙喫茶だ!』

 ろくでもないアイデアが黒板を埋めていく中、去年に引き続き担任となった立花先生がおもむろに立ち上がる。

『お前ら! もっと真剣に考えんか!』

 こめかみに筋を浮かべ、怒声を上げる立花先生にみんなはいっせいに口を閉じる。
 たしかにふざけとったかもやけど、怒りすぎちゃう?
 みんなも同じことを思っているようで、不満げな空気が教室に満ちていく。
 そんな中、立花先生は静かに教壇に上がる。

『ええかお前ら。文化祭はチャンスなんやぞ?』

 チャンス?

『お前らみたいなどーしようもない非モテ野郎どもが桃色の青春を送れるかもしれん、唯一のチャンスなんや』
『普通に生徒に非モテ野郎っていった』
『ほんまに教師かよ』
『それにいまどきそういうの、流行んないっすよ!』

 ぶーぶーと文句を垂れる教室に、立花先生は拳を机に叩きつける。

『お前らには、俺のようになってほしくないんや……』

 再び静まり返るクラスへ立花先生は苦悶の表情を浮かべ、声を絞り出す。

『俺は男子校出身や』
『はっ……!?』
『恋人なんていたことない。男も女も、友だちとしては喋れるのに、恋愛が絡むと急に言葉が詰まって話せんようになってまう……』

 立花先生がマッチングアプリ重課金勢であることは周知の事実。
 そんなアラフォー限界ガチオヤジのか細くも悲痛な叫びが教室の隅へと消えていく。

『俺を見ろ! これが中高と多感な時期にろくに青春を送らんかったものの末路や! 俺は教師として、いや、一人の男として! お前らには幸せになってほしいんや!』
『……た、立花先生っ!』

 立花先生っ! やないねん。
 なんやこの空間。
 それ男子校関係なくて、立花先生が恋愛下手なだけやろ。
 ……とはさすがに言われへんな。
 だってみんな心動かされてるもん。
 昭和学園ドラマばりに先生と生徒が心通わせちゃってるもん。

『立花先生! 俺たちどうすればいいんすか!?』
『モテる男子になるための重要な要素は清潔感、スマートな仕草、そして相手を大切に想う献身的な態度だ! それらを身に着け、来場者にアピールする喫茶店! それは!』

 立花先生はチョークを持ち上げ、荒々しく書き上げる。

『シンプルに執事喫茶だ』
『おぉ!』

 おぉ、やないねん。

『でも三組も執事喫茶やるって言うてたよ?』
『なに!? このままじゃ客を奪われてしまう!』
『そんな……!? 俺たちの青春が!?』

 みんなが頭を抱える中、神谷がすっと手を挙げる。

『須田が作ったお菓子を提供するんはどうですか?』
『は? 俺?』

 予想外の指名に思わず立ち上がると、去年同じクラスだったやつらがうんうんと頷く。

『たしかに須田のチョコうまかったもんな。ムカつくけど』
『うん、美味しかった! ぶち〇そうかと思ったけど』

 みんな、めっちゃ根に持ってるやん……。

『須田、やってくれるか?』
『お菓子作れとか、そんな急に言われても……、そんなん……、やるに決まってるやないすか!?』

 俺が作ったお菓子をみんなに食べてもらえるんやろ?
 最高やんっ!
 うぇーい、と近くのやつらと盛り上がっていると、隣で鏑木が手を挙げる。

『じゃあ俺も良平と一緒に……』
『あかんっ!』

 教室中から鏑木へストップがかかると、代表するように佐々木が立ち上がる。

『鏑木は執事に決まってるやろ! うちのエースになってがんがん客を増やせ! ほんで俺らにチャンスのおこぼれをくれ!』
『おねがいしますっ!』

 チャンスのおこぼれってなんやねん。
 ほんでなんで立花先生まで頭下げてんねん。
 みんなの清々しいまでのプライドのなさに呆れていると、鏑木が不服そうに頬を膨らませているのに気づいた。

『本人もこう言うてるし。あと実際無理ちゃう? 鏑木めっちゃ不器用やし』
『そんなんどうにかなるって! それより鏑木のこと説得して! あいつ須田のいうことしか聞かんから!』
『えぇ』

 説得しろったって。
 天岩戸の伝説よろしく、殻に閉じこもった鏑木に呼びかける。

『鏑木、みんなが執事やってって』
『やだ』

 やだって。子どもみたいに。

『そんなんいうなって。俺も見てみたいし、鏑木の執事姿』
『……ほんと?』
『ほんま。だって似合いそうやん』

 な、と肩を叩くと鏑木は弾かれたように立ち上がり、びしっと手を挙げる。

『俺、エースになります!』

 こいつチョロいなぁ。
 鏑木の宣誓により大盛り上がりの中、文化祭の話し合いは幕を閉じた。
 

 と、いうわけで現在に至るわけだが……。

「ごめんね……」
 ハンカチをズボンに押し当て紅茶のシミを取っていると、鏑木が覗き込んでくる。

「俺はええけど、お客さんにこぼさんようにな……って、なにその顔?」

 顔をあげると、口元をほころばせた鏑木と目があった。

「いや、今日も良平がかわいいなと思って」
「さては反省してないな?」
「してるって! でも良平がかわいいのも事実だから」
「はいはい、かわいいかわいい」

 そういって唇を尖らせて変顔すると、鏑木は楽しそうにほほえむ。

「鏑木、ちょっと衣装合わせたいからこっちきてー」
「うん」

 鏑木は俺の頭をぽんと撫で、くるりと背を向ける。

「じゃあね」
「おん、いってら」


 鏑木を見送ると、佐々木と神谷が隣へ歩み寄ってくる。
「なに今の」
「なにって、なにが?」
「鏑木にかわいいって言われて、なんでそんな言われ慣れてる感あんの?」
「言われ慣れてる感やなくて、言われ慣れたの。かわいいとか、かっこいいとか。……いや、かっこいいはあんまりないか、かわいいの方が多いな」

 お花見の日から、鏑木のアピールはその過激さを増している。
 かわいいって言われるのはもはや日常茶飯事。ときどきさっきみたいに、頭を撫でられたりもしている。
 最初はいちいちびっくりどっきりドンドンしてたけど、もう慣れてしまった。

「お前さ、大丈夫なん?」
「立花先生もゆうてたやろ? 文化祭はチャンスやって」
「それがなに?」
「やから、文化祭で鏑木がお前よりかわいいやつと出会うかもしれんやん」

 危機感をあおるように佐々木は声を潜めて告げる。
 俺よりも、かわいい……? そんな……。

「そんなやつおる?」
「ダメだこいつ。鏑木に毒されすぎてる」

 呆れたようにため息をつく佐々木に代わって、神谷が続ける。

「お前がかわいいことはまぁ、五億歩譲って認めるとして」
「譲りすぎやろ」

 俺のツッコミを無視して、神谷は教室の向こうで話している鏑木を見つめる。

「鏑木の気持ちが変わらん保障なんかないぞってこと」

 鏑木の気持ちが変わる?
 そんなこと、今までしたこともなかった。
 でも、言われてみれば当然だ。
 鏑木はかっこいいし、たぶん普通にモテる。実際、逆ナンされてるところも見たことあるし……。
 そう思った途端、足元がぐらつくみたいな不安が広がった。しかし。

「そ、そんなわけないやろ……! 鏑木は一生俺ラブやっちゅうねん!」
「やっぱりだめだこいつ」
「手遅れですわ」

 呆れる二人に、俺は無理やり口角を上げて笑う。
 胸をざわつかせる、感じたことのない焦りを無視しながら。


 ……どこ、ここ?

 気がつくと、俺は真っ暗な空間にぽつん、と立っていた。
 前後の記憶もなく、状況が理解できずにきょろきょろと辺りを見回していると、見慣れた後ろ姿を見つけた。
 鏑木……! って、誰その子?
 走って近づいてみると、鏑木のそばには女子が立っていた。
 顔は見えないけど、スタイル抜群で、おしゃれで、はたから見てお似合いだ。
 俺に気づいた鏑木はいつもの笑顔でさらりと告げる。

 ──あぁ、俺の彼女だよ。付き合うことになったんだ。

 ……は?

 ──もうお菓子作りもしないから。だって好きな人と一緒にいたいし。

 ちょ、待ってや!? なんやねんそれ! 俺のこと好きなんちゃうんか!?

 ──それ、ただの『勘違い』だったみたい。じゃ。

 そういって向こうへ歩いていく二人に、俺は必死に追いかける。
 それでも距離は縮まらない。
 ただ、二人の親し気な背中ばかりが遠のいていって……。
 ちょ、待って鏑木!? 鏑木っ!?

「鏑木……っ!?」

 ガタッと身体を起こすと、そこは見慣れたキッチンだった。
 机の上には焼きあがったクッキーやマフィンが並んでいる。
 そうや、俺、文化祭で出すお菓子の試作してたんやった。

「嫌な夢やったな……」

 まだざわついている胸に手を当てると、しょぼしょぼ目の姉ちゃんがリビングに入ってくる。

「……あんたまだ起きてんの?」
「んー、もう寝る」

 適当に返事しながら机の上を片付けていると、起き抜けの姉ちゃんはもちゃもちゃした口調で呟く。

「あ、うちも文化祭行くから」
「は? なんで?」
「決まってるやん。カブラギくんに会うためよぉ」
「カブラギ?」

 鏑木って、あの鏑木?

「なんで姉ちゃんが鏑木のこと知ってんの?」
「逆に知らんの? 今めっちゃ回ってくるで」

 姉ちゃんはインセタを立ち上げ、俺に見せてくる。
 それはうちのクラスが集客のために作った準備風景の動画や告知動画をアップしているアカウントだった。
 アカウントの存在は知っていたが、普通の動画のPV数が百にも満たないものばかりなのに対し、鏑木が映っている動画はPV数が十倍以上も多く、コメントもたくさん来ていた。

『だれこのイケメン』
『イケメン執事やばすぎ!』
『このイケメンにお世話してほしい!』

 なんやこいつら。
 鏑木のことなんも知らんくせに。全員紅茶かかってまえ。

「この子かっこええな」
「うん……」

 最近は見慣れてしまっていたけど、鏑木ってやっぱりかっこええ。
 なんで鏑木は、俺のことが好きなんやろ。
 だって俺、ほんまはかわいくもなんともないし。
 ただちょっと、お菓子作るのが上手いだけのパンピーやし……。
 小さな不安の種が、みるみるうちに根を張り、葉を茂らせ、胸の中を侵食していく。

 ──鏑木の気持ちが変わらん保証なんかないぞってこと。

 どうしたら、鏑木が俺から離れんくなるんやろ……。

「うん、うまいわ」

 顔を上げると、姉ちゃんがクッキーをかじっていた。

「ええの? こんな時間に食べて」
「知らんの? 0時すぎたらすべてのカロリーは0になるんよ」

 とんでも0カロリー理論をのたまいながら美味しそうにクッキーをかじる姉ちゃんを見ていると、ふと映像が脳裏によぎる。

 ──美味しい。

 初めて会ったときの、鏑木の幸せそうな顔を。

 ……そうや!

 俺は思い立ったまま、ボウルに卵を落とし入れる。

「まだやんの? もう寝たら?」

 姉ちゃんの忠告を無視して、俺は小麦粉をふるいにかける。
 そもそもの始まりは鏑木が俺のイタズラチョコを本命と勘違いしたこと。
 鏑木はきっと、俺のチョコが美味かったから、俺のことを好きやって勘違いしたんやろ。知らんけど。
 やったら、また勘違いさせたらええねん!
 めちゃくちゃうまいお菓子作って、鏑木をまた惚れ直させたるわ!

「……あんた、どんだけお菓子作り好きやねん」

 姉ちゃんのツッコミを背に受けながら、俺は夢中で生地をこね続けた。
 

「良平……、良平!?」

 肩を揺さぶられ、重たいまぶたをなんとか持ち上げる。
 ぼやけた視界の先にいたのは、心配そうな顔をした鏑木だった。

「ん、あぁ……、なに?」

 寝ぼけた声で返しながら顔を上げる。
 どうやら授業はとっくに終わってしまったらしく、教室には昼休み特有のざわめきが広がっていた。

「大丈夫? なんか最近疲れてない?」
「んー、まだなんのお菓子作るか決めれてへんから」

 鉛のように重たい身体を起こして、うんと伸びをする。
 文化祭まであとちょっとしかない。
 なのにぜんぜん納得のいくものができず、毎日徹夜が続いていた。

「やっぱり俺も手伝うよ」
「いやええよ。これは俺の仕事やから」
「でも」
「しつこいって。……誰のせいやと思ってんねん」
「え」
「なんでもない……」

 八つ当たりやって分かってるのに、イライラが止まらん。
 気まずくてここから逃げ出そうと立ち上がるも、足に力が入らずによろけてしまう。
 バランスを崩しかけたが、鏑木が俺の腕を掴んで転ばずにすんだ。

「良平!? 大丈夫!?」
「大丈夫……、ちょっとふらっとしただけやからっ……!?」

 そう言い終わるよりも先に、鏑木はひょいと俺を担いでしまう。

「保健室行くよ」
「おろせって、歩けるから……」
「ダメ」

 ぴしゃりと言い切る声に、いつものやわらかさはない。
 こういうときの鏑木は、変に頑固だ。
 抵抗する気力もなくなって、俺はおとなしく鏑木の背中に体重を預けた。
 かすかに伝わる鏑木の体温に、制服から香る鏑木の匂いに、とげとげしていた俺の心をやさしく包み込む。
 ……こんなん。

「お前、ずるいねん」
「え?」

 俺だけこんなダサくて、余裕なくて、鏑木はいっつもかっこよくて。
 なのに、なんで。

「なんで俺のこと好きやねん……」

 そこでぷつりと意識が途切れ、俺は眠りの世界へ落ちていった。