翌日の放課後。
近所のスーパーで買い出しを済ませた俺たちは今更な疑問に直面していた。
「てか、どこで作るつもり? 鏑木の家?」
「えっ」
何気なく尋ねると、鏑木の表情が固まる。
「なに?」
「あ、いや……、親があんまり料理好きじゃないから、必要な調理器具がないかも……」
鏑木は恥ずかしそうにごにょごにょと呟く。
なにを恥ずかしがっているのか。それになんか顔も赤い気がするし。
「うち調理器具は山ほどあるけど、キッチン狭いからなぁ」
うーん、と唸ること数十秒。
突如、頭上でぴかりと電球が灯る。
「あっ、山名先生に頼んでみよか」
「山名先生って?」
「知らん? 家庭科の先生。家庭科室なら調理器具もそろってるし、なにより広い!」
「そうだけど、貸してくれるかな」
「大丈夫やって。山名先生超優しいから!」
「あ、俺持つよ」
学校へ戻ろうと歩き出すと、背後から鏑木がスーパーの袋に手をかける。
「ええよ、そんな重くないし」
「いやでも、付き合ってもらってるわけだし」
「いや、俺が一緒に作ろってゆうたし。じゃあこうしよか」
ほい、と俺は手提げの半分を鏑木に持たせて、もう片方は俺が持つ。
「これでええやろ?」
「うん……」
照れくさそうにうなずく鏑木に首をかしげながら、俺たちは並んで歩き出す。
オレンジ色の夕日が、俺たちの繋がった影を道路に映し出す。
影だけ見るとなんかラブラブカップルみたいやな。
──またちゃんと告白の返事するから。
「あのさ鏑木」
「なに?」
「……いや、やっぱあとでええわ」
鏑木の言葉が勘違いなのか、冗談なのかはわからんけど、あとでちゃんと言うとこう。
バレンタインのチョコはいたずらやった、って。
「家庭科室? ええよ」
「ほらな」
にっこりとほほえむ山名先生を前に、俺はドヤ顔で鼻を膨らませる。
山名先生は還暦を超えた再雇用のおばあちゃん先生。
殺伐とした職員室の中でも山名先生だけはいつもほっこりとしている。
縁側であったかいお茶を飲んでいるのがよく似合う、みんなの癒しだ。
「でもまた急になんでお菓子作り?」
「花嫁修業でーす」
「あらそう。ええやんか」
山名先生は楽しそうにうふふ、と口を押えて笑う。
「お菓子作りってええな。好きに使い。火の扱いにはくれぐれも注意してね」
「うっす!」
鍵を受け取ろうと手を差し出すと、山名先生は「そうや」と声を上げる。
「あんたらそのまま部活つくったら?」
「部活すか?」
「昔はあったんよ。家庭科クラブ、ゆうて。みんなが好きにご飯やらスイーツ作って食べて。部活にするなら最低三人はいるから、あと一人いるけど。まぁ考えといて」
そういって山名先生は俺の手に鍵を置く。
みんなでご飯やスイーツを作って食べるって。
めっちゃええやん、家庭科クラブ。
「ちなみになんすけど、なんで家庭科クラブはなくなったんですか?」
「あぁ、私が潰したからよ」
「えっ」
潰した。
ほっこり顔に似つかわしくないバイオレンスな響きに、思わず声が詰まる。
「あの子ら自分らが作ったもの自分らだけで食べよってからに。『ショバ代も払わんと、おどれら誰のシマで部活してると思うてるんや!』ゆうてな」
山名先生が言い終わると、世界は水を張ったような静寂に包まれていた。
俺たちを含め、職員室にいる先生たちみんなが山名先生の言葉に、息をすることを忘れていた。
「あ、あとでクッキー持ってきますね……」
「ほんとぉ? 楽しみやわぁ」
にっこりとほほえむ山名先生に見送られながら、俺たちはぎこちなく職員室を出る。
「あの、山名先生って……」
「言うな。気のせいや」
おそるおそる口を開いた鏑木を、俺は制す。
「でもショバ代って。おどれらって……!?」
「なにも言うな。なにも」
そのまま俺たちは無言のまま、家庭科室へと向かった。
「さ、気を取り直してやりますか!」
袖を捲り、買ってきた材料たちをテーブルへと並べる。
「まずはオーブンを温めといて、その間に生地を作る。じゃあ鏑木レンジでバター溶かして」
「えっと、レンジでバターを……」
「ちょっと待てぇい!」
とっさに鏑木からバターが入った銀色のボウルを取り上げる。
「これステンレスやん! レンジ入れたら爆発してまうって!」
「そ、そっか……、ごめん」
バターを耐熱ボウルに入れ替え、溶かしたのちに砂糖を加えて卵黄を……って。
「ちょっと待てぇい!」
「え」
俺が止めるよりも先に、鏑木はお椀の角に卵をぶち当てる。
案の定、卵は勢いのままに炸裂し、ぐちゃりと卵白が垂れる。
「もうちょい優しくせな、てかこれはムズイから俺するわ」
「ありがと」
卵をパカッと開き、交互に殻へ卵黄を移動させながら卵白をこそぎ落とす。
「よし、じゃあバターと砂糖と卵黄が入ったから、次は薄力粉を少しずつ入れて混ぜます」
「薄力粉……、あった!」
「ぶふぉ……!?」
鏑木が薄力粉の入った袋を思い切り開けた瞬間、視界が真っ白に染まった。
力みすぎたせいで粉が舞ってしまったらしい。
……あれ? お菓子作りってこんなにハードやったっけ?
「ご、ごめん……」
「いやいや全然、最初はみんなこんなもんやから……、ぶふっ……」
「笑ってる?」
「笑てへんよ! 真顔!」
そう言いながら、口角が上がらないように必死に唇を噛みしめる。
俺は決して失敗を嗤っているんじゃない。
いつも整った顔をしている分、粉をかぶって白くなった鏑木の顔が情けなくて、かわいくて……。
「……ぶっ!」
「やっぱり笑ってる!」
「笑てないって! ほら、それよりも生地混ぜて!」
鏑木は唇を尖らせながらへらを持ち、生地を混ぜる。
しかし、力を入れすぎだ。
このまま生地を混ぜすぎると、クッキーが硬くなり、さくさくほろほろの食感にならない。
「ちゃうちゃう、もっとこう……」
力加減の説明ができず、俺は鏑木の背後から手に手のひらを重ねてさっくりと混ぜる。
「こうやって、へらを縦にして、生地を切る感じで……」
溶かしたバターに砂糖と卵黄、そして薄力粉。
へらを動かすごとにそれらがまとまり、粘り気を帯び、だんだんと生地らしくなってくる。
「ええ感じ……や、な……」
ふと顔を向けると、すぐ目の前に鏑木の横顔があり、思わず見つめてしまう。
スー、と通った鼻筋。卵のような綺麗な肌。
そして、吸い込まれそうな茶色い瞳。
やっぱりイケメンやな、鏑木は。
ぼんやりと思っていると、ふいに顔同士の近さに気づいてとっさに離れる。
「ごめん! ち、近かったな……!」
慌てる俺とは対照的に、鏑木はじっと生地を見つめ手を動かしている。
「生地を、切る感じで……」
そう呟きながら真剣な様子で生地を混ぜる鏑木に、胸の奥がじんと震える。
誰かと一緒にお菓子を作るって、こんなにも……。
「これくらい? ……良平、また笑ってる?」
「やから笑てないって!」
必死にごまかしつつ、緩んだ口元を必死に押さえた。
「あとは生地を均一に伸ばして、良い感じに切って、オーブンで焼く!」
並んでしゃがみ、オーブンの中でクッキーが焼きあがる様子を眺めることおよそ十数分。
扉を開けると、バターの香りが俺たちを優しく包みこむ。
お皿に綺麗に盛りつけ、ペットボトルの紅茶をわざわざティーカップに移し替えて準備完了!
「めっちゃアフタヌーンティーって感じやん! お嬢様っぽいわ。いや、ぽいですわぁ」
「もう夕方だけどね」
「アフターのヌーンには変わりないですわぁ。いざ!」
「いただきまーす!」
一口かじった瞬間、クッキーはシャク、と砕け、口の中でほろほろとほどけていく。
「美味しい……! 今まで食べたクッキーと全然違う!」
「焼きたてが食べれるのは作ったもんの特権やからな」
「お嬢様口調忘れてるよ」
「あっ」
鏑木が吹き出し、つられて俺も笑う。
「なぁ」
笑いが収まった頃、鏑木に問いかける。
「部活、どうする? 俺は全然ありやと思うんやけど」
ありやと思う、とか言っといて、実はめっちゃやりたい。
正味、一人でやった方がもっと効率的やし、早くできると思う。
でも、二人でやった方が倍、いや、倍以上に楽しいってわかったから。
「どうかな?」
期待を込めて投げかけた問いに対し、鏑木は小さく首を振る。
「いや、部活はいいかな」
「そっ、か……」
あれ。
楽しいと思ってたん、俺だけやったかな……。
期待に膨らんでいた胸が、みるみるとしぼんでいく。
「……あんまり楽しくなかった?」
「ううん。すごく楽しかった」
「じゃあなんで?」
鏑木はちらりと俺を見ると、すぐに視線をクッキーに戻す。
「山名先生言ってたでしょ。部活にするならあと一人いるって」
「あー……?」
たしかそんなこと、言ってた、かも?
「それがなに?」
「だから……」
鏑木はもどかしそうに、クッキーにかじりつく。
「俺は良平と二人だけがいいから……」
二人、だけ……。
「ほ、ほえー」
いやほえー、ってなんやねん、俺。
てか、鏑木もなんやねん。
クッキー咥えたまま、なにを独占欲丸出し彼氏みたいなこと言うてんねん。
……いや、なんやねんこのツッコみも!
訳が分からなくなり、俺もまたクッキーにかじりつく。
うん、やっぱりさくさくのほろほろで美味いわ。
クッキーの優しい甘さが乱れた心を落ち着かせる。
でも、鏑木とお菓子作りできひんのは寂しいな。
部活じゃなくても、山名先生に言ったらまた貸してくれるかな……。
「山名、先生……?」
ふと山名先生との会話を思い出す。
──あ、あとでクッキー持ってきますね……。
──ほんとぉ? 楽しみやわぁ。
「やばっ!? ショバ代払いにいかんと!」
「そうだった!」
俺たちは慌ててクッキーをタッパーに詰めて家庭科室を飛び出した。
「うん! 美味しいわぁ」
「よ、よかったです……」
走って乱れた呼吸を整えていると、隣で鏑木が頭を下げる。
「山名先生。せっかくお誘いいただいたんですが、部活はやめておきます」
「すんませんっ……!」
続けて頭を下げるも、山名先生はいつものようににっこりとほほ笑む。
「そっか。ほな同好会ってことにしとくわね」
「同好会?」
「ま、部活みたいなもんよ。家庭科室も学校の一部やから、一般の生徒に貸すよりも同好会の生徒が使用するっていうほうが体裁ええんよ」
そういうと、引き出しから教室の使用許可書を取り出す。
「これからはこれに記入してわたしにちょうだい。それであんたらいつでも家庭科室は使えるから」
いつでもって。
じゃあ、これからも鏑木とお菓子作りできるのか……。
ゆっくりと隣へ顔を向けると、鏑木も俺と同じ顔をしていた。
喜びと嬉しさを入り混じった、ニマニマ顔だ。
「じゃ、これからも美味しいものたくさん作ってね。『お菓子作り同好会』さん」
「……うっす!」
俺と鏑木は舎弟のように腰を落とし、手を差し出して頭を下げた。
「失礼しましたー」
職員室を出ると、さっきよりも傾いた夕日が廊下を赤く染めていた。
「そういえばさっき、なにか言おうとしてなかった?」
「え?」
「ほら、買い出しから戻るときに」
「うーん……」
そういえば、鏑木に言わなきゃいけないことがあったような……。
あかん。いくら考えても、お菓子作り中の記憶と、クッキーの味しか覚えてへん。あと……。
──俺は良平と二人だけがいいから。
照れくさそうにしながら、それでいて譲れない決意を含んだ鏑木の言葉が今も耳に残っている。
あれ、どういう意味なん?
なんで俺と二人だけがいいん?
口から出かけた疑問を、とっさに飲み込む。
「また思いだしたら言うわ」
やっぱやめとこ。ウザがられたら嫌やし。
「よし! 家庭科室戻って食器片そか!」
鏑木の肩をぽんと叩いて歩き出す。
すると、鏑木もお返しに俺の肩を叩く。しかし。
「痛った!?」
腕も長く、身体も大きな鏑木の一発が背中にクリーンヒットし、俺は痛みに跳ね上がる。
「ごめん!? そんな強くしたつもりは……!」
「やりやがったなこのっ!」
もう一発食らわせようと腕を振るも、寸前で避けられ俺の渾身のチョップが空を切る。
「よけんな! 一発は一発やろ!」
「やめてよ良平!」
鏑木が逃げて、俺が追いかけて。
鏑木が笑って、俺も笑って。
誰もいない校舎に俺たちのふざけあう声がこだましていた。
近所のスーパーで買い出しを済ませた俺たちは今更な疑問に直面していた。
「てか、どこで作るつもり? 鏑木の家?」
「えっ」
何気なく尋ねると、鏑木の表情が固まる。
「なに?」
「あ、いや……、親があんまり料理好きじゃないから、必要な調理器具がないかも……」
鏑木は恥ずかしそうにごにょごにょと呟く。
なにを恥ずかしがっているのか。それになんか顔も赤い気がするし。
「うち調理器具は山ほどあるけど、キッチン狭いからなぁ」
うーん、と唸ること数十秒。
突如、頭上でぴかりと電球が灯る。
「あっ、山名先生に頼んでみよか」
「山名先生って?」
「知らん? 家庭科の先生。家庭科室なら調理器具もそろってるし、なにより広い!」
「そうだけど、貸してくれるかな」
「大丈夫やって。山名先生超優しいから!」
「あ、俺持つよ」
学校へ戻ろうと歩き出すと、背後から鏑木がスーパーの袋に手をかける。
「ええよ、そんな重くないし」
「いやでも、付き合ってもらってるわけだし」
「いや、俺が一緒に作ろってゆうたし。じゃあこうしよか」
ほい、と俺は手提げの半分を鏑木に持たせて、もう片方は俺が持つ。
「これでええやろ?」
「うん……」
照れくさそうにうなずく鏑木に首をかしげながら、俺たちは並んで歩き出す。
オレンジ色の夕日が、俺たちの繋がった影を道路に映し出す。
影だけ見るとなんかラブラブカップルみたいやな。
──またちゃんと告白の返事するから。
「あのさ鏑木」
「なに?」
「……いや、やっぱあとでええわ」
鏑木の言葉が勘違いなのか、冗談なのかはわからんけど、あとでちゃんと言うとこう。
バレンタインのチョコはいたずらやった、って。
「家庭科室? ええよ」
「ほらな」
にっこりとほほえむ山名先生を前に、俺はドヤ顔で鼻を膨らませる。
山名先生は還暦を超えた再雇用のおばあちゃん先生。
殺伐とした職員室の中でも山名先生だけはいつもほっこりとしている。
縁側であったかいお茶を飲んでいるのがよく似合う、みんなの癒しだ。
「でもまた急になんでお菓子作り?」
「花嫁修業でーす」
「あらそう。ええやんか」
山名先生は楽しそうにうふふ、と口を押えて笑う。
「お菓子作りってええな。好きに使い。火の扱いにはくれぐれも注意してね」
「うっす!」
鍵を受け取ろうと手を差し出すと、山名先生は「そうや」と声を上げる。
「あんたらそのまま部活つくったら?」
「部活すか?」
「昔はあったんよ。家庭科クラブ、ゆうて。みんなが好きにご飯やらスイーツ作って食べて。部活にするなら最低三人はいるから、あと一人いるけど。まぁ考えといて」
そういって山名先生は俺の手に鍵を置く。
みんなでご飯やスイーツを作って食べるって。
めっちゃええやん、家庭科クラブ。
「ちなみになんすけど、なんで家庭科クラブはなくなったんですか?」
「あぁ、私が潰したからよ」
「えっ」
潰した。
ほっこり顔に似つかわしくないバイオレンスな響きに、思わず声が詰まる。
「あの子ら自分らが作ったもの自分らだけで食べよってからに。『ショバ代も払わんと、おどれら誰のシマで部活してると思うてるんや!』ゆうてな」
山名先生が言い終わると、世界は水を張ったような静寂に包まれていた。
俺たちを含め、職員室にいる先生たちみんなが山名先生の言葉に、息をすることを忘れていた。
「あ、あとでクッキー持ってきますね……」
「ほんとぉ? 楽しみやわぁ」
にっこりとほほえむ山名先生に見送られながら、俺たちはぎこちなく職員室を出る。
「あの、山名先生って……」
「言うな。気のせいや」
おそるおそる口を開いた鏑木を、俺は制す。
「でもショバ代って。おどれらって……!?」
「なにも言うな。なにも」
そのまま俺たちは無言のまま、家庭科室へと向かった。
「さ、気を取り直してやりますか!」
袖を捲り、買ってきた材料たちをテーブルへと並べる。
「まずはオーブンを温めといて、その間に生地を作る。じゃあ鏑木レンジでバター溶かして」
「えっと、レンジでバターを……」
「ちょっと待てぇい!」
とっさに鏑木からバターが入った銀色のボウルを取り上げる。
「これステンレスやん! レンジ入れたら爆発してまうって!」
「そ、そっか……、ごめん」
バターを耐熱ボウルに入れ替え、溶かしたのちに砂糖を加えて卵黄を……って。
「ちょっと待てぇい!」
「え」
俺が止めるよりも先に、鏑木はお椀の角に卵をぶち当てる。
案の定、卵は勢いのままに炸裂し、ぐちゃりと卵白が垂れる。
「もうちょい優しくせな、てかこれはムズイから俺するわ」
「ありがと」
卵をパカッと開き、交互に殻へ卵黄を移動させながら卵白をこそぎ落とす。
「よし、じゃあバターと砂糖と卵黄が入ったから、次は薄力粉を少しずつ入れて混ぜます」
「薄力粉……、あった!」
「ぶふぉ……!?」
鏑木が薄力粉の入った袋を思い切り開けた瞬間、視界が真っ白に染まった。
力みすぎたせいで粉が舞ってしまったらしい。
……あれ? お菓子作りってこんなにハードやったっけ?
「ご、ごめん……」
「いやいや全然、最初はみんなこんなもんやから……、ぶふっ……」
「笑ってる?」
「笑てへんよ! 真顔!」
そう言いながら、口角が上がらないように必死に唇を噛みしめる。
俺は決して失敗を嗤っているんじゃない。
いつも整った顔をしている分、粉をかぶって白くなった鏑木の顔が情けなくて、かわいくて……。
「……ぶっ!」
「やっぱり笑ってる!」
「笑てないって! ほら、それよりも生地混ぜて!」
鏑木は唇を尖らせながらへらを持ち、生地を混ぜる。
しかし、力を入れすぎだ。
このまま生地を混ぜすぎると、クッキーが硬くなり、さくさくほろほろの食感にならない。
「ちゃうちゃう、もっとこう……」
力加減の説明ができず、俺は鏑木の背後から手に手のひらを重ねてさっくりと混ぜる。
「こうやって、へらを縦にして、生地を切る感じで……」
溶かしたバターに砂糖と卵黄、そして薄力粉。
へらを動かすごとにそれらがまとまり、粘り気を帯び、だんだんと生地らしくなってくる。
「ええ感じ……や、な……」
ふと顔を向けると、すぐ目の前に鏑木の横顔があり、思わず見つめてしまう。
スー、と通った鼻筋。卵のような綺麗な肌。
そして、吸い込まれそうな茶色い瞳。
やっぱりイケメンやな、鏑木は。
ぼんやりと思っていると、ふいに顔同士の近さに気づいてとっさに離れる。
「ごめん! ち、近かったな……!」
慌てる俺とは対照的に、鏑木はじっと生地を見つめ手を動かしている。
「生地を、切る感じで……」
そう呟きながら真剣な様子で生地を混ぜる鏑木に、胸の奥がじんと震える。
誰かと一緒にお菓子を作るって、こんなにも……。
「これくらい? ……良平、また笑ってる?」
「やから笑てないって!」
必死にごまかしつつ、緩んだ口元を必死に押さえた。
「あとは生地を均一に伸ばして、良い感じに切って、オーブンで焼く!」
並んでしゃがみ、オーブンの中でクッキーが焼きあがる様子を眺めることおよそ十数分。
扉を開けると、バターの香りが俺たちを優しく包みこむ。
お皿に綺麗に盛りつけ、ペットボトルの紅茶をわざわざティーカップに移し替えて準備完了!
「めっちゃアフタヌーンティーって感じやん! お嬢様っぽいわ。いや、ぽいですわぁ」
「もう夕方だけどね」
「アフターのヌーンには変わりないですわぁ。いざ!」
「いただきまーす!」
一口かじった瞬間、クッキーはシャク、と砕け、口の中でほろほろとほどけていく。
「美味しい……! 今まで食べたクッキーと全然違う!」
「焼きたてが食べれるのは作ったもんの特権やからな」
「お嬢様口調忘れてるよ」
「あっ」
鏑木が吹き出し、つられて俺も笑う。
「なぁ」
笑いが収まった頃、鏑木に問いかける。
「部活、どうする? 俺は全然ありやと思うんやけど」
ありやと思う、とか言っといて、実はめっちゃやりたい。
正味、一人でやった方がもっと効率的やし、早くできると思う。
でも、二人でやった方が倍、いや、倍以上に楽しいってわかったから。
「どうかな?」
期待を込めて投げかけた問いに対し、鏑木は小さく首を振る。
「いや、部活はいいかな」
「そっ、か……」
あれ。
楽しいと思ってたん、俺だけやったかな……。
期待に膨らんでいた胸が、みるみるとしぼんでいく。
「……あんまり楽しくなかった?」
「ううん。すごく楽しかった」
「じゃあなんで?」
鏑木はちらりと俺を見ると、すぐに視線をクッキーに戻す。
「山名先生言ってたでしょ。部活にするならあと一人いるって」
「あー……?」
たしかそんなこと、言ってた、かも?
「それがなに?」
「だから……」
鏑木はもどかしそうに、クッキーにかじりつく。
「俺は良平と二人だけがいいから……」
二人、だけ……。
「ほ、ほえー」
いやほえー、ってなんやねん、俺。
てか、鏑木もなんやねん。
クッキー咥えたまま、なにを独占欲丸出し彼氏みたいなこと言うてんねん。
……いや、なんやねんこのツッコみも!
訳が分からなくなり、俺もまたクッキーにかじりつく。
うん、やっぱりさくさくのほろほろで美味いわ。
クッキーの優しい甘さが乱れた心を落ち着かせる。
でも、鏑木とお菓子作りできひんのは寂しいな。
部活じゃなくても、山名先生に言ったらまた貸してくれるかな……。
「山名、先生……?」
ふと山名先生との会話を思い出す。
──あ、あとでクッキー持ってきますね……。
──ほんとぉ? 楽しみやわぁ。
「やばっ!? ショバ代払いにいかんと!」
「そうだった!」
俺たちは慌ててクッキーをタッパーに詰めて家庭科室を飛び出した。
「うん! 美味しいわぁ」
「よ、よかったです……」
走って乱れた呼吸を整えていると、隣で鏑木が頭を下げる。
「山名先生。せっかくお誘いいただいたんですが、部活はやめておきます」
「すんませんっ……!」
続けて頭を下げるも、山名先生はいつものようににっこりとほほ笑む。
「そっか。ほな同好会ってことにしとくわね」
「同好会?」
「ま、部活みたいなもんよ。家庭科室も学校の一部やから、一般の生徒に貸すよりも同好会の生徒が使用するっていうほうが体裁ええんよ」
そういうと、引き出しから教室の使用許可書を取り出す。
「これからはこれに記入してわたしにちょうだい。それであんたらいつでも家庭科室は使えるから」
いつでもって。
じゃあ、これからも鏑木とお菓子作りできるのか……。
ゆっくりと隣へ顔を向けると、鏑木も俺と同じ顔をしていた。
喜びと嬉しさを入り混じった、ニマニマ顔だ。
「じゃ、これからも美味しいものたくさん作ってね。『お菓子作り同好会』さん」
「……うっす!」
俺と鏑木は舎弟のように腰を落とし、手を差し出して頭を下げた。
「失礼しましたー」
職員室を出ると、さっきよりも傾いた夕日が廊下を赤く染めていた。
「そういえばさっき、なにか言おうとしてなかった?」
「え?」
「ほら、買い出しから戻るときに」
「うーん……」
そういえば、鏑木に言わなきゃいけないことがあったような……。
あかん。いくら考えても、お菓子作り中の記憶と、クッキーの味しか覚えてへん。あと……。
──俺は良平と二人だけがいいから。
照れくさそうにしながら、それでいて譲れない決意を含んだ鏑木の言葉が今も耳に残っている。
あれ、どういう意味なん?
なんで俺と二人だけがいいん?
口から出かけた疑問を、とっさに飲み込む。
「また思いだしたら言うわ」
やっぱやめとこ。ウザがられたら嫌やし。
「よし! 家庭科室戻って食器片そか!」
鏑木の肩をぽんと叩いて歩き出す。
すると、鏑木もお返しに俺の肩を叩く。しかし。
「痛った!?」
腕も長く、身体も大きな鏑木の一発が背中にクリーンヒットし、俺は痛みに跳ね上がる。
「ごめん!? そんな強くしたつもりは……!」
「やりやがったなこのっ!」
もう一発食らわせようと腕を振るも、寸前で避けられ俺の渾身のチョップが空を切る。
「よけんな! 一発は一発やろ!」
「やめてよ良平!」
鏑木が逃げて、俺が追いかけて。
鏑木が笑って、俺も笑って。
誰もいない校舎に俺たちのふざけあう声がこだましていた。



