次の日の昼休み。
「飯食おー」
いつものように椅子を引きずって佐々木の席へ向かうと、仏頂面の佐々木が俺を睨みつける。
「うっさい」
「えー、まだ怒ってんの? もうええやん、チョコ美味しかったんやろ?」
「美味しいんがよけいに腹立つんじゃ! 女子の手作りやと思ってじっくり味わったんやぞ!」
じっくり、て。
「きしょ」
「あぁん!?」
オラつく佐々木を無視して総菜パンをかじっていると、神谷が椅子を引きながらやってくる。
「でも意外やったわ」
「なにが?」
「須田がお菓子作れるって、中学から一緒やけど全然知らんかったわ」
神谷の何気ない言葉に、思わず心臓が跳ねる。
「あー、それは……」
「そんなん決まってるやん」
どう言い訳しようかと口ごもっていると、佐々木はさらりと告げる。
「お菓子を作れる理由。それは……」
「それは……?」
ごくり、とつばを飲み込むと、佐々木は俺の心の中を見透かすように目を細める。
「女子にモテるため、やろ?」
うわ、全然違う。
全然違う、けど。
「あちゃあ、バレちゃったかー!」
「ほらな!」
得意げに手を叩く佐々木の横で、神谷は不思議そうに首をかしげる。
「えー、でも須田モテへんやん」
「モテてるわ!」
「はいはい。佐々木もうちょいそっち詰めて」
「もう無理やって。自分の机持ってきてや」
やいやいと卓上の陣取り合戦を始める二人を尻目に、俺は胸をなでおろす。
──良平がお菓子作りとか似合わなすぎやろ!
またや。
言われたのはたしか中学に上がる前やった。
誰かが言って、まわりのみんなもたしかに、って感じで笑ってて。
あのときの感情が、喉に刺さった魚の骨みたいにずっと残ってる。
やっぱり、お菓子作りが好きだってことだけは、みんなにバレんようにせんと。
改めて決意を固めると、教室後方から俺の名前を呼ばれた。
「須田ー、お客さん」
「え、俺?」
振り返ると、ドアの向こうに鏑木が立っていた。
俺は残りの総菜パンを無理やり詰め込み、席を立つ。
「もめん、もままめ(ごめん、おまたせ)」
もごもごしながら廊下に出ると、鏑木は自分の口元を指さす。
「パンのカスついてるよ」
「まじ?」
ぱしぱし、と適当にほっぺをはたいていると、鏑木はニマニマと口元を緩ませる。
「なに?」
「ううん、かわいいなと思って」
「はぁ?」
なにいうてんねん、こいつ。
眉間にしわを寄せると、鏑木は指先でそっと俺の頬に触れる。
「取れた」
そういって柔らかい笑みを浮かべる鏑木に、俺は言葉を失う。
こいつ、顔だけやなくて所作までイケメンかよ。
これがモテるやつの仕草なんやろな。女子が今のやられたら一発で好きになるんちゃう? 知らんけど。
「ほんで、なんの用?」
慌てて質問を投げると、鏑木は背中に隠していたかわいらしい手提げ袋を差し出す。
「ん? なにこれ?」
「昨日のお返し。バレンタインの」
バレンタインのお返し?
「ホワイトデーをご存じない?」
「知ってるけど、すぐに渡したくて」
「へー、ありがと」
変なヤツやな、と思いながらも受け取って中身を覗くと、中には青いリボンがあしらわれた小さな包みが入っていた。
これって……!?
「チョコやん! もしかしてこれ自分で作ったん?」
「うん。良平みたいに上手にできなかったけど」
昨日の今日で呼び捨て?
さっきのことといい、イケメンは距離感バグりがちなんかな。それとも都会育ちだから? 別にええけど。
恥ずかしそうに目をそらす鏑木に、俺はぶんぶんと首を横に振る。
「そんなことないよ! ちょっとだけ形は歪んでるけど、ちゃんとネコってわかるし」
「それペンギンなんだ」
ペンギン……?
なぜに、ペンギン?
頭の中に宇宙が広がり、思考が延々と続く。って、べつに考えてもしゃーないか。
「……それで、告白の返……」
「……これ食べていい?」
一拍の静寂ののち、鏑木の言葉と俺の質問がぶつかりあう。
「あ、ごめん、なんか言った?」
「ううん。よかったら食べてみて」
「まじ? ちょうど甘いもん食べたかってん。いただきまーす!」
ビニールから取り出したペンギン?のチョコを思い切りかじる。
キンッ……!
瞬間、鉄を打ったような金属音が聞こえ、咀嚼の衝撃が脳天に響く。
硬い。いや、硬いなんてもんじゃない。
歯形の一つもつかない、圧倒的硬度。
これはもう食べ物の硬さじゃない。そう、たとえるなら。
「……岩?」
「ごめん。俺、あんまり器用じゃなくて……」
しゅん、とうつむく鏑木に俺は慌ててとりつくろう。
「ごめんごめん! てか、別に手作りにこだわらくても! 普通に売ってるクッキーとかでええのに」
「クッキーはダメ」
「え、なんで?」
「なんででも」
「んー。じゃあ、マシュマロは?」
「マシュマロはもっとダメ」
「えぇ」
謎のこだわりに首をかしげていると、鏑木はまっすぐに俺を見つめる。
「それに、自分で作ってみたいから」
自分で、作る……。
鏑木の言葉に、生地を混ぜる感触が、部屋いっぱいに広がる焼き立ての幸せな香りが、頭の中で呼び起こされ、口が勝手に動く。
「……なら、一緒に作る?」
「えっ」
目を見開く鏑木を前に、一気に青ざめる。
やばっ、調子乗りすぎた……!
「あ、いや、えっと……」
あたふたと口ごもる俺に対し、鏑木は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「じゃあ、明日でもいい?」
「お、おう……」
「やった。よろしくお願いします」
鏑木は礼儀良く頭をぺこりと下げる。
なんやねん、鏑木。
俺とお菓子作ること、全然茶化さんし、ふつうに喜んでくれるんかい。
「ほなら、なに作りたい?」
安堵と嬉しさで口元が緩みそうになるのをこらえながら尋ねると、鏑木は即答する。
「カップケーキ作りたい」
「最初から難易度高いて。まずはクッキーとかでええやろ?」
「わかった。良平の言う通りにする」
鏑木は素直に頷くと、真剣な眼差しで俺を見据える。
「ちゃんと美味しいお菓子が作れるようになったら、ちゃんと告白の返事するから」
まだ昨日のくだりを……。
こいつまさか、ほんまに勘違いしてる……、わけないよな?
眉をひそめて鏑木の真意を探るも、ひたすらに注がれる熱い視線に体が熱くなる。
やっぱイケメンはすごいな。
なんかこいつになら、告白OKしてまいそうや……、って。
なに考えてんねん、俺!
冗談には冗談で返す、それが関西のマナーやろ!
俺は首を振って邪念を取り払い、んーまっ、と熱い投げキッスを返す。
「告白の返事、待ってるわダーリン♡」
どや! この完ぺきなボケ。
『やめろや!』でも『気色悪いねん!』でも、なんでもツッコんでこい!
へいへーい、と心の中で煽りながら身構えるも。
「……じゃ、じゃあ!」
鏑木は目を泳がせながら、踵を返して去っていった。
「なんやねんあいつ」
小さくなっていく鏑木の背中を見送りながら、教室に戻ると神谷が尋ねてくる。
「あの子転校生やろ? 須田と絡み合ったっけ?」
「昨日チョコ渡したんが初めまして」
「激やばコミュニケーション」
呆れる神谷の横で、佐々木が声を潜める。
「なぁ、大丈夫やった?」
「なにが? ふつーに面白いやつやったけど」
「えぇ?」
「えぇ、とは?」
首をひねる俺に、佐々木は菓子パンを頬張りながら告げる。
「同じクラスのやつがな、鏑木のこと冗談言わんタイプってゆうてたから」
「は?」
固まる俺の横で、神谷が口を開く。
「それ俺も聞いた。やっぱ東京の子はノリが違うわ、って」
鏑木が冗談を言わないタイプ?
「いや、そんなことないって! だってあいつ、散々俺に冗談を……」
──これ、本命のチョコだよね?
──またちゃんと告白の返事するから。
さすがに冗談、やんな……?
その日の夜。
キッチンで生地を混ぜていると、風呂上がりの姉ちゃんがやってくる。
「あんた今日も作ってんの?」
「材料余ってたから」
「ようやるわ」
姉ちゃんはちらっと俺の手元を覗くと、すぐに興味を失った様子で冷蔵庫から麦茶を取り出す。
「そうそう。みんなチョコ美味しい言ってたわ」
よくやった、と姉ちゃんは豪快に麦茶を飲み干す。
元はといえば、俺のお菓子作りの原点は姉ちゃんのバレンタインから始まっている。
みんな手作りやから、うちも手作りで作らなあかんねん! と女子小学生だった姉ちゃんがチョコを作っている様子を眺めているうちに、いつしか手伝うようになり、そうして今は俺が一人でチョコを作るようになっている。
「自分で作れよな」
「ええやん。あんたはお菓子が作れてハッピー。わたしはお菓子作りが得意な清楚女子やと思われてハッピー。ウィンウィンやん」
「……どこが清楚やねん」
「あ゛?」
「なんでもないです」
触らぬ姉に祟りなし。
大人しく生地を型に流し込んでいると、姉ちゃんはそれにな、と続ける。
「人には向き不向きがあるやろ。そういうことよ」
「どういうことやねん」
謎に悟った表情の姉ちゃんにツッコみつつ、型を叩いて空気を抜く。
一つ、また一つと小さな空気の泡がはじける。
向き、不向きか。
それでいうと鏑木は、あんまりお菓子作りには向いてないやろな。
「ふふっ……」
鏑木が作ったペンギンチョコが脳裏によぎり、笑みがこぼれる。
にしても硬かったな。それにペンギンってなんやねん……。
「なに笑ってんの。気持ち悪い」
「うっさいわ」
熱しておいたオーブンに生地を入れて、タイマーをセット。
よし、あとは待つだけや。
「ほえー」
焼き上がりを待つ間、汚れた調理器具を洗っていると、姉ちゃんがスマホを見ながら呟く。
「なぁなぁ、バレンタインのお返しに意味があるって知ってた?」
「意味?」
「なんかな、チョコレートは『あなたと同じ気持ちです』。クッキーは『友だちでいましょう』。マシュマロは『あなたのことは好きじゃない』って意味なんやて」
「ほえー」
お返しに意味があるなんて初めて知ったな。
……ん?
──クッキーはダメ。
──マシュマロはもっとダメ。
って、鏑木言ってたよな……。じゃあ。
「カップケーキは?」
自分で聞いておきながら、いやいや、と首を振る。
さすがに偶然やろ。考えすぎやって。
「えーっとね、あった」
姉ちゃんはスワイプする指を止め、ゆっくりと口を開く。
「カップケーキは『あなたと特別な関係になりたい』やって」
「なっ……!?」
思いもよらない回答に、思考が再び宇宙に旅立つ。
トクベツナカンケイ?
特別な、関係?
それって……?
「ん? なんか焦げ臭ない?」
「あっ!?」
慌ててオーブンの扉を開くと、もくもくと煙が立ち込め、中からは真っ黒に焦げたシフォンケーキが現れる。
焼き加減をみながら温度を調節する予定やったのに、すっかり頭から抜けてしまった。
「あんたが失敗するなんて珍しいな。腕落ちたんちゃう?」
「うっさいわ! 姉ちゃんのせいや!」
「はぁ!? なんでわたしのせいやねん!」
醜い姉弟喧嘩を、焦げたシフォンケーキが眺めていた。
「飯食おー」
いつものように椅子を引きずって佐々木の席へ向かうと、仏頂面の佐々木が俺を睨みつける。
「うっさい」
「えー、まだ怒ってんの? もうええやん、チョコ美味しかったんやろ?」
「美味しいんがよけいに腹立つんじゃ! 女子の手作りやと思ってじっくり味わったんやぞ!」
じっくり、て。
「きしょ」
「あぁん!?」
オラつく佐々木を無視して総菜パンをかじっていると、神谷が椅子を引きながらやってくる。
「でも意外やったわ」
「なにが?」
「須田がお菓子作れるって、中学から一緒やけど全然知らんかったわ」
神谷の何気ない言葉に、思わず心臓が跳ねる。
「あー、それは……」
「そんなん決まってるやん」
どう言い訳しようかと口ごもっていると、佐々木はさらりと告げる。
「お菓子を作れる理由。それは……」
「それは……?」
ごくり、とつばを飲み込むと、佐々木は俺の心の中を見透かすように目を細める。
「女子にモテるため、やろ?」
うわ、全然違う。
全然違う、けど。
「あちゃあ、バレちゃったかー!」
「ほらな!」
得意げに手を叩く佐々木の横で、神谷は不思議そうに首をかしげる。
「えー、でも須田モテへんやん」
「モテてるわ!」
「はいはい。佐々木もうちょいそっち詰めて」
「もう無理やって。自分の机持ってきてや」
やいやいと卓上の陣取り合戦を始める二人を尻目に、俺は胸をなでおろす。
──良平がお菓子作りとか似合わなすぎやろ!
またや。
言われたのはたしか中学に上がる前やった。
誰かが言って、まわりのみんなもたしかに、って感じで笑ってて。
あのときの感情が、喉に刺さった魚の骨みたいにずっと残ってる。
やっぱり、お菓子作りが好きだってことだけは、みんなにバレんようにせんと。
改めて決意を固めると、教室後方から俺の名前を呼ばれた。
「須田ー、お客さん」
「え、俺?」
振り返ると、ドアの向こうに鏑木が立っていた。
俺は残りの総菜パンを無理やり詰め込み、席を立つ。
「もめん、もままめ(ごめん、おまたせ)」
もごもごしながら廊下に出ると、鏑木は自分の口元を指さす。
「パンのカスついてるよ」
「まじ?」
ぱしぱし、と適当にほっぺをはたいていると、鏑木はニマニマと口元を緩ませる。
「なに?」
「ううん、かわいいなと思って」
「はぁ?」
なにいうてんねん、こいつ。
眉間にしわを寄せると、鏑木は指先でそっと俺の頬に触れる。
「取れた」
そういって柔らかい笑みを浮かべる鏑木に、俺は言葉を失う。
こいつ、顔だけやなくて所作までイケメンかよ。
これがモテるやつの仕草なんやろな。女子が今のやられたら一発で好きになるんちゃう? 知らんけど。
「ほんで、なんの用?」
慌てて質問を投げると、鏑木は背中に隠していたかわいらしい手提げ袋を差し出す。
「ん? なにこれ?」
「昨日のお返し。バレンタインの」
バレンタインのお返し?
「ホワイトデーをご存じない?」
「知ってるけど、すぐに渡したくて」
「へー、ありがと」
変なヤツやな、と思いながらも受け取って中身を覗くと、中には青いリボンがあしらわれた小さな包みが入っていた。
これって……!?
「チョコやん! もしかしてこれ自分で作ったん?」
「うん。良平みたいに上手にできなかったけど」
昨日の今日で呼び捨て?
さっきのことといい、イケメンは距離感バグりがちなんかな。それとも都会育ちだから? 別にええけど。
恥ずかしそうに目をそらす鏑木に、俺はぶんぶんと首を横に振る。
「そんなことないよ! ちょっとだけ形は歪んでるけど、ちゃんとネコってわかるし」
「それペンギンなんだ」
ペンギン……?
なぜに、ペンギン?
頭の中に宇宙が広がり、思考が延々と続く。って、べつに考えてもしゃーないか。
「……それで、告白の返……」
「……これ食べていい?」
一拍の静寂ののち、鏑木の言葉と俺の質問がぶつかりあう。
「あ、ごめん、なんか言った?」
「ううん。よかったら食べてみて」
「まじ? ちょうど甘いもん食べたかってん。いただきまーす!」
ビニールから取り出したペンギン?のチョコを思い切りかじる。
キンッ……!
瞬間、鉄を打ったような金属音が聞こえ、咀嚼の衝撃が脳天に響く。
硬い。いや、硬いなんてもんじゃない。
歯形の一つもつかない、圧倒的硬度。
これはもう食べ物の硬さじゃない。そう、たとえるなら。
「……岩?」
「ごめん。俺、あんまり器用じゃなくて……」
しゅん、とうつむく鏑木に俺は慌ててとりつくろう。
「ごめんごめん! てか、別に手作りにこだわらくても! 普通に売ってるクッキーとかでええのに」
「クッキーはダメ」
「え、なんで?」
「なんででも」
「んー。じゃあ、マシュマロは?」
「マシュマロはもっとダメ」
「えぇ」
謎のこだわりに首をかしげていると、鏑木はまっすぐに俺を見つめる。
「それに、自分で作ってみたいから」
自分で、作る……。
鏑木の言葉に、生地を混ぜる感触が、部屋いっぱいに広がる焼き立ての幸せな香りが、頭の中で呼び起こされ、口が勝手に動く。
「……なら、一緒に作る?」
「えっ」
目を見開く鏑木を前に、一気に青ざめる。
やばっ、調子乗りすぎた……!
「あ、いや、えっと……」
あたふたと口ごもる俺に対し、鏑木は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「じゃあ、明日でもいい?」
「お、おう……」
「やった。よろしくお願いします」
鏑木は礼儀良く頭をぺこりと下げる。
なんやねん、鏑木。
俺とお菓子作ること、全然茶化さんし、ふつうに喜んでくれるんかい。
「ほなら、なに作りたい?」
安堵と嬉しさで口元が緩みそうになるのをこらえながら尋ねると、鏑木は即答する。
「カップケーキ作りたい」
「最初から難易度高いて。まずはクッキーとかでええやろ?」
「わかった。良平の言う通りにする」
鏑木は素直に頷くと、真剣な眼差しで俺を見据える。
「ちゃんと美味しいお菓子が作れるようになったら、ちゃんと告白の返事するから」
まだ昨日のくだりを……。
こいつまさか、ほんまに勘違いしてる……、わけないよな?
眉をひそめて鏑木の真意を探るも、ひたすらに注がれる熱い視線に体が熱くなる。
やっぱイケメンはすごいな。
なんかこいつになら、告白OKしてまいそうや……、って。
なに考えてんねん、俺!
冗談には冗談で返す、それが関西のマナーやろ!
俺は首を振って邪念を取り払い、んーまっ、と熱い投げキッスを返す。
「告白の返事、待ってるわダーリン♡」
どや! この完ぺきなボケ。
『やめろや!』でも『気色悪いねん!』でも、なんでもツッコんでこい!
へいへーい、と心の中で煽りながら身構えるも。
「……じゃ、じゃあ!」
鏑木は目を泳がせながら、踵を返して去っていった。
「なんやねんあいつ」
小さくなっていく鏑木の背中を見送りながら、教室に戻ると神谷が尋ねてくる。
「あの子転校生やろ? 須田と絡み合ったっけ?」
「昨日チョコ渡したんが初めまして」
「激やばコミュニケーション」
呆れる神谷の横で、佐々木が声を潜める。
「なぁ、大丈夫やった?」
「なにが? ふつーに面白いやつやったけど」
「えぇ?」
「えぇ、とは?」
首をひねる俺に、佐々木は菓子パンを頬張りながら告げる。
「同じクラスのやつがな、鏑木のこと冗談言わんタイプってゆうてたから」
「は?」
固まる俺の横で、神谷が口を開く。
「それ俺も聞いた。やっぱ東京の子はノリが違うわ、って」
鏑木が冗談を言わないタイプ?
「いや、そんなことないって! だってあいつ、散々俺に冗談を……」
──これ、本命のチョコだよね?
──またちゃんと告白の返事するから。
さすがに冗談、やんな……?
その日の夜。
キッチンで生地を混ぜていると、風呂上がりの姉ちゃんがやってくる。
「あんた今日も作ってんの?」
「材料余ってたから」
「ようやるわ」
姉ちゃんはちらっと俺の手元を覗くと、すぐに興味を失った様子で冷蔵庫から麦茶を取り出す。
「そうそう。みんなチョコ美味しい言ってたわ」
よくやった、と姉ちゃんは豪快に麦茶を飲み干す。
元はといえば、俺のお菓子作りの原点は姉ちゃんのバレンタインから始まっている。
みんな手作りやから、うちも手作りで作らなあかんねん! と女子小学生だった姉ちゃんがチョコを作っている様子を眺めているうちに、いつしか手伝うようになり、そうして今は俺が一人でチョコを作るようになっている。
「自分で作れよな」
「ええやん。あんたはお菓子が作れてハッピー。わたしはお菓子作りが得意な清楚女子やと思われてハッピー。ウィンウィンやん」
「……どこが清楚やねん」
「あ゛?」
「なんでもないです」
触らぬ姉に祟りなし。
大人しく生地を型に流し込んでいると、姉ちゃんはそれにな、と続ける。
「人には向き不向きがあるやろ。そういうことよ」
「どういうことやねん」
謎に悟った表情の姉ちゃんにツッコみつつ、型を叩いて空気を抜く。
一つ、また一つと小さな空気の泡がはじける。
向き、不向きか。
それでいうと鏑木は、あんまりお菓子作りには向いてないやろな。
「ふふっ……」
鏑木が作ったペンギンチョコが脳裏によぎり、笑みがこぼれる。
にしても硬かったな。それにペンギンってなんやねん……。
「なに笑ってんの。気持ち悪い」
「うっさいわ」
熱しておいたオーブンに生地を入れて、タイマーをセット。
よし、あとは待つだけや。
「ほえー」
焼き上がりを待つ間、汚れた調理器具を洗っていると、姉ちゃんがスマホを見ながら呟く。
「なぁなぁ、バレンタインのお返しに意味があるって知ってた?」
「意味?」
「なんかな、チョコレートは『あなたと同じ気持ちです』。クッキーは『友だちでいましょう』。マシュマロは『あなたのことは好きじゃない』って意味なんやて」
「ほえー」
お返しに意味があるなんて初めて知ったな。
……ん?
──クッキーはダメ。
──マシュマロはもっとダメ。
って、鏑木言ってたよな……。じゃあ。
「カップケーキは?」
自分で聞いておきながら、いやいや、と首を振る。
さすがに偶然やろ。考えすぎやって。
「えーっとね、あった」
姉ちゃんはスワイプする指を止め、ゆっくりと口を開く。
「カップケーキは『あなたと特別な関係になりたい』やって」
「なっ……!?」
思いもよらない回答に、思考が再び宇宙に旅立つ。
トクベツナカンケイ?
特別な、関係?
それって……?
「ん? なんか焦げ臭ない?」
「あっ!?」
慌ててオーブンの扉を開くと、もくもくと煙が立ち込め、中からは真っ黒に焦げたシフォンケーキが現れる。
焼き加減をみながら温度を調節する予定やったのに、すっかり頭から抜けてしまった。
「あんたが失敗するなんて珍しいな。腕落ちたんちゃう?」
「うっさいわ! 姉ちゃんのせいや!」
「はぁ!? なんでわたしのせいやねん!」
醜い姉弟喧嘩を、焦げたシフォンケーキが眺めていた。



