この運命、一蓮托生につき ~黒の過保護と白の執着~

「……え」

 想像していた恐ろしい姿とは、あまりにもかけ離れていた。
 つぶらな瞳は潤み、悲痛な表情を浮かべている。

 なぜあんなに恐れてしまったんだろう……。
 そう思ってしまうほどに、少年は無垢な顔をしていた。

『どうしてボクだけ入れてくれないの……』

 視界だけでなく、声もガラス越しとは思えないほどクリアに聞こえる。

「き、みは……」

 ――中学生くらいだろうか。
 宵高のブレザーを着ているけど、ぶかぶかでサイズが合っていない。

 『そこのこわい顔したお兄ちゃんね、ひどいんだよ』

 少年が蓮を指さした。

『キミの所へ行こうとしたら、ボクのこと遠くへぽーいって放ったんだ』
「それ……本当なの?」

 蓮は眉間に皺を寄せて口を噤んだままだ。
 どうりであれ以来見かけなかったわけだ。

「どうしてそんなこと……」
『あっ、でもね。ほら、これ見て!』

 少年が言いながら、ガサゴソと一枚の紙を取り出した。

 唐突に目の前へ掲げられたそれには、見たことのない文字が羅列されていた。

 でも何故だろう――ぼく、意味が分かる。

『じゃーん、入学許可証! これがあれば通してくれるでしょ?』

 蓮が何かをこらえるように瞳を閉じた。

「でも、その書類――」
『ボク、ずっと楽しみにしてたんだぁ。ね、だからお願い』
「だめだ」

 蓮が否定の言葉を口にすると、少年の顔が歪んだ。

『どうしてだよ!』

 ダンッ!

『やっぱりボクのことが嫌いだからだめなんだ……!』

 その言葉を聞いて、ぼくは反射的に口を開いた。

「それは絶対に違う!」

 少年の目からはらりと涙が零れ落ちる。

『だって、これがあれば入れるはずじゃ……』
「……入れない」
『え……?』
「それで、ここは越えられない」

 用紙を掲げていた少年の手が、力なく下げられた。

『……違うの?』

 その声は、わずかに震えていた。
 ショックを受けた表情を見て、ぼくまで泣きそうになる。

 どう伝えたものかと考えあぐねていると、少年を取り巻く群青色の煙が大きな渦を巻いて、深い藍色へと変わっていった。

『……だめなんだね』

 くしゃり。
 少年の手の中で、紙がへしゃげた。

「……蓮。もしかして、君がこの子を遠くへやろうとしたのって」

 少年から目を逸らさずに、ぼそりと問いかける。
 隣から、観念したようなため息が聞こえた。

「……俺の力では、浄霊できない」

 蓮が静かになった扉から手を外した。

「それに、お前を危険には晒せない」
「蓮……」

 ぼくは、この子に何もしてあげられないのかな。
 ――本当にできることは、何もない?

「ねえ、きみ。ぼくの話を少しだけ聞いてくれないかな」
「拓実!」

 制止しようとした蓮の腕を掴んで首を振る。
 そっとガラスに手を当てて、ぼくは少年に言った。

「きみは宵高に入学したかったの?」
『……うん。ボク、ずっと楽しみにしてたんだ』

 少年はもじもじとブレザーの裾を掴むと、はにかんだ。

『友達いっぱい作って、たくさんお出かけして――あっ、もちろん勉強も頑張るよ。あとは部活に、行事でしょ』

 指折り数えて楽しそうに話していると、纏っている煙がきらきらと輝くオレンジ色に変わっていく。

 けれど、すぐに煌めきは止んでしまった。
 こちらを見た少年が、眉尻を下げて笑う。

『……いいなあ。ボクもキミたちみたいな友達、ほしかったな』

 それを聞いて、ぼくはたまらない気持ちになった。
 溢れ出そうになる涙をこらえて、優しく微笑む。

 ぼくは、 彼にひとつ提案した。

「それじゃ……明日ぼくと一緒に、学校へ行こうか」
「おい、よせ」
『ほんと!?』

 少年がぴょんぴょんと飛び跳ねる。

「ただし、一日だけだよ。それから、明日の朝に外で待ち合わせをしよう。もうこれからみんな寝るところだから、ね?」

 言い聞かせるように見つめると、少年は勢いよく首を縦に振った。

『そ、そっか……。うん、分かった! 約束だよっ』
「うん、約束」

 ガラス越しに手と手が合わさる。

『じゃあ、また明日の朝来るよ。 約束は絶対だからね!』

 そう言い残して、少年はふわりと姿を消した。

 ふう、とひと息ついていると、蓮から射貫くような視線を向けられていることに気付く。

「……拓実」
「大丈夫だよ。あの子は危ない感じしなかったもん――あてっ」

 不意に額へ強めのデコピンを食らい、ぎゅっと目を瞑った。

 その瞬間、周囲の音が戻ってくる。
 玄関の照明が、何事もなかったかのように点灯した。

「あれ。お前らそこで何してんだ? 風呂の時間終わっちまうぞー」

 奥の廊下から、山田くんが顔を出した。

「あ、うんっ。い、今行くー!」

 蓮の体を遮蔽物にして、急いでモップを外す。
 背中に隠しつつ何事もなかったかのように廊下へ向かおうとして、肩を掴まれた。

「……話はまだ終わってない」
「分かった、分かったから! また後で話そう」
「……」

 やばい。これは相当ご立腹だな……。
 どう説き伏せようかとあれこれ考えながら、ひとまず風呂に入ろうと急ぎ部屋へ戻ったのだった。


 ――翌朝。
 少年は約束どおり、昨日遭遇した電柱の下で待っていた。

「おはよう」
『お、ハヨう』

 煙はぐるぐる忙しなく、オレンジや黄色が複雑に混じった色をしている。

「……落ち着け」

 腕組みをしていた蓮が、呆れたように言った。

 昨晩は説得――というか、もう終盤はただひたすらに懇願してどうにか承諾を得た。

「それで、ぼくに乗ってもらうにはどうすればいいの?」
「……触れてみろ」

 頷くと、 煙のいる方へ両腕を広げた。

「おいで」

 煙がゆっくりと近づいて来て、ぼくの体に重なる。
 ぐぐ、と軽く胸に圧がかかった。

『うわぁ、これがキミの中なんだね……! 広ーい』

 体の内側で、少年の声が響いた。

「……体の調子はどうだ」
「う、うん。平気」

 ――なんだか、とても不思議な感覚だ。
 ぼくには今、現実の景色と同時にもうひとつの光景が見えていた。

 真っ白な部屋の椅子の前に、少年とふたりで手を繋いで居る。

「主導権はあくまでもお前にある。……全部明け渡すんじゃないぞ」
「わ、分かってるよ」

 少年の手を引き、白い椅子に座らせてあげた。
 そうして彼の背後に立つと、後ろから見守るように肩へと手を置く。

「さぁ、それじゃ一緒に行こうか。きみが体を動かしていいよ」
『う、うん……!』

 すべてが新鮮に映るようで、少年は登校中も始終忙しなかった。

『本当に、入ってもいいんだよね……?』
「いいよ。進んでごらん」

 正門から敷地内へと一歩踏み入った瞬間、彼の熱くこみ上げてくるものがぼくの心にもダイレクトに伝わってきた。
 震える背中を、そっとさする。

 教室に入ると、クラスメイトたちがこちらを向いた。

「二人ともおはよー」
「お、おはよう……」

 少年が少し照れた様子で挨拶を返す。
 クラスメイトたちには、ぼくが話しているようにしか見えないだろう。

『ていうか、お兄ちゃんオトナじゃなかったの!?』

 椅子に座る少年が、驚愕した顔でぼくを振り返った。

「ずっと制服着てただろ……」

 むすっとした声に、思わず笑ってしまった。
 少年とぼく、ふたりの声を聞けるのは蓮だけだ。

 授業を受けるときのわくわくとした気持ち。
 学校での日常というものが、彼にとってはすべてが特別なんだなと、改めて実感させられる。

『うわあ……』

 しゃがんで机に顎を乗せながら、ガスバーナーで熱されていく混合物を熱心に見つめる。

 今は理科室で分離の実験中だ。

「……ねえ。今日の蒼井くん、なんだか一段と目がきらきらしてない?」
「え、分かる。いつもよりテンション高いよね。弟みを感じるっていうか」
 
 ひそひそと話す女子の噂話が聞こえきて少し気恥ずかしい。
 これ、ぼくじゃないからね……!

 けれど、授業を全力で楽しんでいる姿を前にすると何も言えなくなってしまう。

 はしゃぐ少年を見守っていたらあっという間に時間が過ぎていき、昼休みに入った。

「君が食べたいものを頼んでいいよ」

 学食の食品サンプルの棚を前にして、少年は頬を紅潮させた。

『ほ、本当に何でもいいの……?』

 遠慮がちな声に、にっこりと頷いてみせる。

『じゃあボク……とんかつが食べたい』
「いいね、そうしよう。あの列に並んで注文するんだよ」

 いつもと違い、蓮は向かいではなく隣の席に座った。
 並んで手を合わせる。

『い、いただきます……!』

 少年が、揚げたてのとんかつを恐る恐る箸で持ち上げた。
 
 サクッ。
 瞬間、熱々の肉汁が口の中いっぱいに広がっていく。

 白い部屋の中に、色とりどりの輝きが舞い上がった。

『……っ!』
「うまいか」

 首を激しく縦に振る少年を、蓮は柔らかい眼差しで見つめている。
 ごくんと飲み込み、少年が興奮気味に口を開いた。

『すっごく美味しい! サクサクして、噛んだらじゅわっとして――』

 ことりと箸を置いて、少年が小さく笑った。

『嬉しいな……。ボク、いつも柔らかくて味付けの薄いものしか食べさせてもらえなかったから』

 蓮が、おもむろに自分のとんかつをひと切れ、少年の皿に乗せた。

「……ほら。冷めないうちにもっと食え」
『わぁ、くれるの?』

 あの肉好き食いしん坊が自分のものをあげるだなんて、そうそうお目にかかれないだろう。
 始終和やかなひとときだった。

『ごちそうさまでした』

 空になった食器を、元気な足取りで返却口へ持っていく。

「きれいに完食したね」
『うん! キミの体のおかげだよ』

 無邪気に笑う少年に、鼻の奥が少しだけつんとした。

「さぁ、午後も頑張ろうね」

 昼の暖かい日差しに、ちょうどいい満腹感。

『みんながあくびを我慢する理由、やっと分かったよ……』

 少年が船を漕ぎそうになるのを、少しだけ手助けする。
 睡魔と戦いながら受ける授業も、ある意味学校の醍醐味だよなと思った。

『……なんだか、あっという間だったなぁ』

 窓の外を見上げて、少年がぽつりと言った。
 空は、いつの間にか柔らかなグラデーションを描きはじめていた。

『もうそろそろ、かえらなくちゃ……』