この運命、一蓮托生につき ~黒の過保護と白の執着~

 ピーッ。
 ホイッスルの音がグラウンドに響いた。

 葉桜が風にそよいでいる。
 今日はこれから、初めての体育だ。

「集合! 今日は簡単なスポーツテストをするぞー」

 まずは柔軟から、とペアを組むように指示される。

 さてどうしようかと辺りを見回して、みんながぼくの背後を見上げていることに気付いた。

「……そっち、空いてる」
「え? あ、うん」

 当然のようにぼくの隣へやって来た蓮を見て、山田くんが笑った。

「もうすっかりお決まりのふたりだな」

 他のみんなもやれやれといった顔でこちらを見てくる。
 この定位置も、二組では見慣れた光景になりつつあるみたい。

 これでいいのだろうか……と思いつつ。
 ひとまず蓮が悪いやつじゃないと伝わったようで何よりだ。

「じゃあ、前屈からね。背中押してくれる?」
「……ん」

 あれから群青色の煙を見ることもなく。
 気付けばもう一週間の時が経っていた。あの煙の正体が何だったのかは、結局分からずじまいだ。

「いっ……! 蓮、押しすぎ!」

 ぴんと伸びた筋の痛みに意識が戻される。

「まだいける」
「いや、無理だって!」

 まったく……容赦がないんだから。

 仕返しに蓮の番でぐいぐい押してやろうと思ったら、びくともしなかった。
 鋼みたいな背中は、どう考えても高校生の体つきじゃない。

「よーし、じゃあ五十メートル走から始めるぞー」

 テストは名簿順で、ここでもまた“苗字あ行”の宿命が発動した。

「――七秒六! まずまずだな」

 ごく平凡なタイムに、もう少し早く走れたらよかったな、と思いながら汗を拭う。

 呼吸を整えている間に、どんどん他のクラスメイトの測定が行われていく。
 すぐに蓮の番もやってきた。

「頑張ってね」
「……あぁ」

 蓮が、スタートの位置に着く。

 だらりと両腕を前にぶらさげると、極限まで上半身を屈めた。
 クラウチングスタートとも違う異様なフォームに、首を傾げる。

 なんというか、すごく――獣みたいだ。

「それでは、よーい」

 ピッ!

 聞こえたのはザリ、と踏み込む音だけだった。
 先生の口からホイッスルが滑り落ちる。

 気付いたときにはもう、蓮はゴール線の先に立っていた。
 今、ぼくは何を目の当たりにしたのだろうか。

「……す、すげー!」

 誰かの口から漏れ出たひと言で、止まっていた時が動き出した。

「なんだ今の」
「陸上部のエース爆誕か!?」

 歩いて戻ってくる蓮に向かって、教師が申し訳なさそうに声を掛けた。

「黒切、すまーん! ストップウォッチ止め忘れた。もう一回走ってくれるか!」

 ふと目が合ったぼくに、蓮はぽそりと呟いた。

「……加減間違えた」

 いや、加減どうこうのレベルじゃないでしょ……これは。
 そうして五十メートル走の次はボール投げだったのだけど――。

 最南端のフェンスに、ソフトボールが激突して派手な音を立てたのを見て唖然とした。
 一瞬グラウンドが静まり返る。

「……蓮。加減するって言ってなかった?」
「敷地内だろ」
「う、うん。そっか……」

 暫しの静寂の後、うおおと野太い歓声が上がった。
 みんなが興奮した様子で蓮に迫る。

「黒切、お前まじですげえな!」
「部活の勧誘えぐいことになるんじゃね?」
「興味ない」
「もったいねぇこと言うなよー!」

 わいわいと男子に取り囲まれている蓮がこちらを向いた。

 あ、これは助けを求めてる顔だなと察する。
 こらえきれずに、声を出して笑った。

「助けてあーげないっ」

 その後も、測定がひとつ終わる度に蓮は囲まれて、グラウンドは大変な盛り上がりをみせた。

 みんなのテンションは最後まで下がることなく。
 ちょうどすべての測定が終わったところでチャイムが鳴った。

 心なしかげんなりしている蓮の背中を軽く叩く。

「お疲れさま。大活躍だったね?」
「お前な……」

 うらめしげな視線に気付かないふりをして、しれっと水道へ向かった。

 冷たい水が、火照った頬に心地良い。
 タオルを取ろうとしたところで、脇からそっとタオルが差し出された。

「ありがとう」

 タオルに顔を埋める。
 ぷは、と息継ぎをするように前を向くと、目の前で何かが揺れていた。

 ふわりと、嗅いだことのある香りがする。

「……ん? 何これ」
「香り袋」

 蓮が、ごく小さな紐付きの香り袋をぼくの目の前に掲げていた。

「持ってろ。……お前の匂い、濃くなってる」
「その匂いって何なのさ……。ぼくってそんなに臭いのかな」

 慌てて自分の匂いを嗅いでみる。
 体育の後だから、多少の汗臭さは許してほしい。

「逆だ。……いい匂いがするから寄ってくる」

 手首を掴まれて、半ば強引にその香り袋とやらを握らされた。
 鼻に近づけて嗅いでみる。

「これ、いつも蓮からする香りだ」
「……魔除け」

 香水じゃなかったんだ。

「何かを燃やしたような、ちょっと変わった香りもするよね」

 黒地に金糸の刺繍が入ったそれを、しげしげと眺めた。

「たぶんホワイトセージのせい」
「ふうん……?」

 よく分からないけど、これで霊が近づいて来なくなるなら、少し安心だ。

 礼を言うと、蓮は無言ながらも満足気に頷いた。

 ポケットにしまった香り袋を指先で確かめながら、昇降口へ向かう。
 靴を履き替えたところで、廊下のざわめきから妙な空気を感じ取った。

「……なぁ。あいつが黒切じゃね?」
「さっきのやつ? バケモンみたいな走りしたっていう」

 すれ違う他クラスの生徒たちが、ひそひそとこちらを見てくる。

 少しの好奇心と猜疑心。
 いくつもの視線が、蓮に向けられていた。

 ああ、やっぱり目立ってたんだ。
 ――それも、あまり良くない方向に。

「おい」

 不意に前方から声が掛かった。
 見ると、上級生と思しき男子が壁にもたれてこちらを見ている。

「お前さっきの、マジでやってんの?」
「……べつに」

 蓮は足を止めることなく、短い返答だけする。

 ぼくは、蓮の隣からこそりと事の成り行きを見守ることしかできなかった。

「部活に入れよ、陸上でもなんでも。運動部ならどこも歓迎するからさ」

 ごく軽い調子に聞こえる勧誘だけど。
 上級生の目には、どこか試すような色が浮かんでいた。

「興味ない」
「なんだよその態度。お前が入れば――」

 どこまでも無関心な蓮の態度が癪に障ったのか、上級生が身を起こした。

 こちらへ近づいて来ようと瞬間、場の空気がわずかに張り詰める。
 蓮から、息が詰まるような圧を感じた。
 
「……興味、ない」

 言葉を失った上級生が、口を開けては閉じを繰り返している。

「……あ、あぁそうかよ! ならもういいわ」

 上級生は、ようやく絞り出した言葉を吐き捨てると足早に階段を上がっていった。

 蓮は特に振り返ることもせず、何事もなかったかのように歩き出す。

「……今の、ちょっと怖かったね」
「何が」
「……なんていうか、色々と」

 先ほどの上級生だけじゃない。
 露骨に避けて歩くような人や、怯えた目で見るような人も沢山いた。

 ポケットの中で、香り袋をぎゅっと握る。
 触っていると、少しだけ安心できる気がした。

「お、来た来た。さっさと着替えないと、女子が来ちまうぜ」

 少し遅れて二組の教室に到着すると、こちらを振り返った山田くんがにかりと笑った。
 なんだかものすごくほっとする。

「お前ら昼飯どうすんの?」
「購買行くなら、もたもた着替えてらんないぞ」
「んー、どうしようかな」
 
 いそいそと着替え始めた横で、食べ盛りたちの昼飯会議が始まった。

「黒切、朝もすんげぇ食ってたのに入るのかよ」
 
 返事をするかのように、蓮のお腹が鳴った。
 教室内にどっと笑いが起きる。

「……余裕」
「やば、腹ペコ大魔神すぎるだろ」
「パン買い占められちゃ敵わんからな。今日は学食行っとけ、学食」

 先程のこともあって、今はこの気さくな態度がとても温かい。
 二組になれて本当に良かったな。

 そう思いながら、ぼくも笑顔で昼飯会議に加わった。

「あはは。じゃあ学食にしよっか、蓮」