この運命、一蓮托生につき ~黒の過保護と白の執着~

 ――さらり。

 頬に何か当たる感触がして、薄らと目を開けた。
 銀色の糸のようなものが一瞬視界を掠める。

 ぎし、とベッドの沈む感触がして、すぐそばに誰かが座ったのだと直感した。

「だ、れ……?」

 霞む視界に映る影は何も答えてくれない。
 そのかわりに、そっとぼくの頬を撫でてきた。

 不思議と恐怖は感じなかった。
 ただ少しくすぐったくて、身じろぎをする。

「会いたかった……ずっと」

 微睡みの中されるがままになっていると、少しして手が離れていった。

 ぱたぱた、と布が風に揺れる音が聞こえる。
 頑張ってもう一度重い瞼を上げて見てみると、南の窓が開いていた。

「どうやって……」
「鍵が、開いていたから」

 戸締りは、寝る前にルームメイトと確認したはずなのにな。

「ぼく……ちゃんと、閉めたはず……」

 相手の顎先から上が薄暗がりでよく見えない。
 ベッドの上から届くわけもないのに、ぼくはカーテンの方へ手を伸ばした。

「確かに閉まっていたよ、長いことね。……でも、ほんの少しだけ開いたみたい」

 伸ばしかけた腕をがしりと掴まれる。
 そのまま縋り付くように腕を抱きしめられて、指先に相手の口元が触れた。

 唇が、小刻みに震えている。

「……やっとだ。この日が訪れることを、どれだけ……」

 ぼくは一度口を開きかけて、やめた。
 なんと声を掛けたらよいのか分からなかったからだ。

 ただ――。

「……泣いてるの?」
「……っ」

 きみが泣いていると、ぼくもなんだか胸が苦しい。
 わずかに自由の利く指先を、そっと添えるように動かした。

「……悲しまないで」
「また、そうやって……。本当変わらないね、その優しくて残酷なところ」
「……え」

 急に腕が解放される。
 ベッドから、ふっと重みが消えた。

「……また、会いに来るよ」
「あ……待って」

 朧げな視界の中、影が窓の外へ飛び立っていく音がした。
 引き留めようにも、とにかく体が重い。

 つよい眠気に抗えず、ぼくは再び意識を手放した。



 ピピピピ、ピピピピ。

 枕の横からアラームの音が響く。

「ん……」

 寝ぼけ眼をこすりながら、どうにか体を起こしてアラームを止めた。
 窓の方を見やるが、カーテンはきちんと閉まっている。

 あの夢はなんだったんだろう。

 思わず右腕を見つめてしまう。
 抱きしめられた腕の感触が、今もまだ残っているかのようだった。

「おはよっ。起きたか?」

 二段ベッドの軋む音がして、にょきっと上から坊主頭が生えてきた。

「うわっ」
「あ、わりぃ。驚かせちまったか」
「ふふっ。ううん、おかげで目が覚めた」

 挨拶を返して、ベッドを抜け出す。

 ルームメイトの山田くんは、気さくで話しやすい野球男児だった。
 クラスも同じなので、なんだかとても心強い。

「あれ、おっかしいな。窓の鍵が開いてる」

 カーテンを開けた山田くんが首をかしげた。

「昨日ふたりでちゃんと確認したのにな」
「う、うん……。あ、ねぇ見て! 今日も快晴だよ」
「おぉ、ほんとだ。雲ひとつねぇや」

 空を指さし、強引に話題を変えて山田くんの意識を逸らす。

 ――あれは、夢じゃなかったんだろうか。

「それじゃ、点呼前に早く着替えちまおうぜ」
「うん」

 結局、考えても心につかえた何かの正体は分からず。
 ぼくはもやもやを抱えたまま支度を進めた。

 手早く身支度を整えて廊下に出ると、他の生徒もぞろぞろと出てきていた。

「先生まだ来てないね」

 近くの寮生ともかるく挨拶を交わしながら、順番に教師がやって来るのを待つ。

 ガチャ。

 隣の部屋の扉が開いた。
 蓮が顔を出した途端、廊下のさざめきが一瞬止まる。

「ひえ、黒切蓮だ」
「朝からサングラスしてるぞ……こえー」
「しっ。聞こえる」

 再び戻ってきたさざめきの中に、ひそひそと蓮のことを話す声が交じる。
 出てきた蓮と目が合った。

「おはよう」
「……はよ」

 ひと言挨拶を交わしただけで、みんな信じられないとでもいうような目つきで見てくる。

「おい、黒切蓮が普通に返事してたぞ」
「あいつ何者……?」

 ぼくにも聞こえているくらいだから蓮の耳にも届いているだろうに、当の本人は全く意に介さない様子であくびを噛み殺している。

 蓮の評判は一体どんなことになってるんだと内心苦笑した。

「蓮はひとり部屋なんだ」
「……ん」

 しかも角部屋だなんて、素直に羨ましい。

「いいなあ広々使えて。ね、山田くん」
「へっ? ……あっ、だな!」
「……天井低い。寝床小さい」

 ベッドから足がはみ出ている光景が容易に想像できて、思わず吹き出してしまった。

「たしかに、それは大変そう」
「……お前はもっと食え」

 頭に蓮の大きな手が乗せられた。
 子供扱いされているみたいで、少しむっとする。

「食べてるよ。こう見えてまだ成長止まってないんだからね。……たぶん」
「……そうか」

 鼻で笑われた……。
 ショックを受けていると、山田くんが肘でこっそりと脇腹を小突いてくる。

「昨日の晩の事といい、やっぱりお前ら元々知り合いなんだろ……!」
「え? ううん。帰りに偶然知り合ったんだよ」
「いやいや、それは無理があるだろ……」

 山田くんはまだ何か言いたげだったけど、遠くから教師の声が聞こえて話は中断になった。

 横に整列しながら、ひとつ決意をする。
 今日は朝食をもりもり食べてやるんだ。

 ――けれど、そう思って食べすぎたのがまずかった。

「う……お腹がはちきれそう」
「無理して食えとは言ってない」

 隣を歩く蓮を恨めしげに見やる。
 ご飯を大盛り五杯も食べてた人がよく言うよ。

 ため息をついて歩いていると、視界の端を何かが掠めた。
 けれど、横を見ても何の変哲もない塀があるだけだ。

 気のせいか、と思い前を向いたそのとき。

『ねェ、こッち見た? 今、絶対に見タよね』
「……っ!」

 すぐ耳元で男の声が聞こえて、咄嗟に耳を手で塞いだ。

「チッ。こっち来い」

 肩を掴まれ、体ごと蓮の方へと引き寄せられる。
 蓮は眼鏡をずらすと、無言のまま塀の方へ向かって睨みを利かせた。

 何事かと思っていると、コンクリートの壁の中から灰色の煙がもくもくと出てきて声を上げた。

『なンだよ……まダ何モしてナイだろ……!』

 煙から聞こえてきた声は、今さっき耳元で聞こえたものと同じだった。

「……気安く触るんじゃねぇ」
『ヒイイ!』

 煙がものすごい早さで後方へと流れていくのを唖然としたまま見送った。

「い、今の煙って……」
「人霊」
「こんな朝っぱらから幽霊っているの!?」

 お化けって夜に出るとは限らないんだ……。

 驚いていると、急に蓮が屈んでぼくの首筋に鼻を寄せた。

「……もう大分漏れ出てる」
「え、やだ。もしかしてぼく、汗臭い?」

 だとしたらショックすぎる。
 きちんとお風呂で洗っているし、今日はまだそんなに汗をかいてないと思っていたのに……。

「違う。……お前は霊を寄せやすい」
「なんでぼくが――」
「さっさと行くぞ。寄って来る」
「待って、胃腸が驚くからもっとゆっくり歩いて!」

 霊の存在だけじゃなくて、別の意味でも血の気が引きそう。
 蓮は一歩が大きすぎるんだよ……。

「……やっぱりお前は目を離したらだめだ」
「え、なんて?」

 がしりと腕を掴まれて、半ば引きずられるようにして学校へ向かう。

 自販機の影、街路樹、横断歩道の信号下――。

 気付けば、あちこちにいくつもの灰色の煙がいた。
 そしてその煙は全部、もれなくぼくの方へ近づいて来ようとする。

 幸い蓮が隣にいてくれたおかげで、何かされるということはなかった。

 ただ、事あるごとに「見るな」とか「意味を理解しようとするな」と蓮のお小言が飛んで来るので、もう疲労困憊だ。

「登校するだけでこんなに疲れることある……?」

 げっそりして机に突っ伏す。

 蓮が教室へ入ったときの空気に構う余裕もなかった。
 やっぱり、食事は適量を心がけよう……。

「つらくなったら言え。運んでやる」
「あー、うん。ありがたいけど、それは大丈夫かな……」

 首を傾げる蓮に、苦笑しながら礼を言う。
 米俵のように抱えられる自分を想像して、胃が圧迫された気分になってすぐ止めた。

「出席とるぞー」

 担任が入って来たので姿勢を正す。

「蒼井、もう大丈夫なのか」
「はい、おかげ様で。もう大丈夫です」

 教室に入ってから遠巻きに見られていて、そういえばまだお礼を言えていなかったと席を立つ。

「昨日はご心配をおかけしました。気遣ってくれて嬉しかったです。ありがとうございました」

 拍手と共に、あちこちから「気にすんなー」といった温かい言葉を投げかけられる。
 その優しさが嬉しくて思わず顔が綻んだ。

 座る前に、眩暈がした時すぐ駆け寄ってくれた後方のクラスメイトへ、もう一度お礼を言う。

「な、なんてことないよ! 蒼井くんが元気になって、良かった」
「うん、これからよろしくね」

 出席確認が続けられる。
 そうして間もなく蓮の番がくると、教室の空気が妙に張り詰めた。

「黒切、みんなにかるく自己紹介してくれるか」

 しんと静まり返るなか、蓮がゆっくりと席を立つ。

「……黒切蓮」

 蓮はひとこと名乗っただけですぐに座ってしまった。
 クラスメイトのみんなは、ぎこちなく拍手をしながら顔を見合わせている。

「おいおい、もうちょい他にも言うことあるだろう」

 担任が呆れたように言う。

「……特にない」

 ――だめだこりゃ。

 これでは蓮が変なやつだと思われてしまう。
 いや、もう十分変人かもしれないんだけど……。

 なんとなく、蓮が周りに誤解されているのは嫌だなと、そう思った。

「蓮……! もう一回立って。好きな食べ物とか得意なこととか、もう少し話して……!」
「……? 肉はよく食べる」

 隣から小声で話しかけると、淡々と言う通りにしてくれる。
 意外と言えば聞いてくれるな……。

「はい次、得意なこと言って!」
「……守ること。重い物をもつこと」

 蓮に、次はどうするんだ、という視線を向けられる。

「あとは、うーん。趣味とか」
「……月はよく眺める」

 どこかから「いや、風流かよ」という声が聞こえて、教室に笑いが起きた。
 本人は首を傾げてよく分っていなさそうだけど、張り詰めていた空気が幾分和らいだのを感じてほっとする。

「なんだ、お前ら仲がいいんだな」

 担任がにかっと笑った。

「あはは……。そうですね」

 あちこちから向けられた興味津々な視線が体中に突き刺さって、思わず頬をかいた。