この運命、一蓮托生につき ~黒の過保護と白の執着~

 胸の奥が焼けるように痛んで、息を吸う度に喉が震えた。

「ネクス……。やつらに縛られるのは、ぼくたちだけでよかったんだ」

 視界が滲んで、うまく前が見えない。

「……イニト」

 肩を掴んでいた手が、ゆっくりと背中へ回された。
 抱き寄せられて、ひどく震えていたことを自覚する。

「もういい。これ以上自分を責めるな」
「でも、ぼくは……っ」

 ――助けられなかった。

「うぐ、あぁ……っ」

 言葉にしようとした瞬間、また耳鳴りがして頭を押さえる。
 そんなぼくの手に、ネクスの手が重ねられた。

「だから思い出させたくなかったんだ……」

 ぼくの肩に額を乗せて呟かれたその言葉は、どこか縋るような響きを持っていて。

「拓実。……頼む、戻って来い」

 “拓実”――そう呼ばれて、はっと目を見開く。

 どこまでも深い水底へ沈みかけていた意識が、ゆっくりと引き上げられていく感覚がした。

「……れ、ん」

 掠れた声で名前を呼ぶと、蓮はごく短い息を吐いた。

 背中に回されていた腕に力が入る。
 少しの間そのままの体勢でいた後、ふっと力が弱まった。

「……水、飲めるか」
「うん……」

 差し出されたペットボトルを両手で受け取る。
 けれど指先に力が入らず、かたかたと震えて上手く蓋が開けられない。

 蓮は無言でそれを取り上げると、開け直して再び渡してくれた。

「少しずつ飲め」

 言われるままに口をつける。
 喉を通っていく冷たい水の感覚が、少し落ち着きを取り戻してくれた。

 次第に呼吸も整いはじめ、そこでようやっと心配そうにこちらをうかがう山田くんの存在を捉える。

「山田くん……ごめんね、こんな迷惑かけて」
「悪い、山田」

 ぼくに続いて蓮も謝ると、山田くんは慌てて首を横に振った。

「いや、いいんだよそんなことは……! 蒼井、まじでもう大丈夫なのか?」

 大丈夫、と返したかったけど、うまく声にならなかった。
 そんなぼくを見て、蓮が山田くんの方を向いた。

「悪いが俺たちは少し遅れて登校する。教師に伝えておいてくれるか」
「おう、任せとけ」

 ふたりのやりとりに壁掛け時計を見やると、もうすぐ朝の点呼の時間だった。

「あ、でも点呼が……」

 ベッドから立ち上がろうとしたぼくを、蓮がやんわりと止める。

「お前はもう少し寝てろ」

 大きな手が、そっと額へ押し当てられた。
 ひんやりとした手の平が気持ちよくて、少しだけ目を細める。

「……蓮」
「なんだ」
「……ここに、いて」

 金色の瞳が僅かに見開かれた。
 小さく息を吐いた蓮が、ベッドの脇へと腰掛ける。

「……ああ。ここにいる」

 その声に、ひどく安心した。
 張り詰めていたものがぷつりと切れて、急激に瞼が重くなっていく。

 不器用に髪を梳く手の感触に、体の緊張を解いた。

 今度は怖い夢を見ることなく、眠れますように……。
 そう願いながら、ぼくは意識を手放した。


「――学校へ着いたら、すぐに診てもらえ」

 遅れて学校へ向かう道すがら、蓮がぽつりと言った。
 傘越しに隣を歩く蓮を見上げると、じっとこちらを見てくる。

「スイ先生に?」

 蓮からそう言うなんて、なんだか珍しい。

「顔色が全然良くなってない」
「う……」

 図星だった。
 正直、洗面台の鏡で自分の顔を見たときに真っ白だなと思ってしまったから。

 歩道の水たまりを避けて歩く。
 この雨だし、気圧のせいもあるかもしれない。

「今のお前を放っておく方が危険だ」

 伏し目がちに言う蓮を見て、胸がちくりと痛んだ。
 相当心配を掛けちゃったな……。

「……ごめん」
「謝るな」

 目の前に、ずいと野菜ジュースが現れた。

「食ってないんだから、これくらいは飲め」

 言って、頬にひんやりとしたパックを当てられる。

「冷たっ。……もう、子供扱いしてない?」
「してる」

 真顔で返され、思わず吹き出した。
 蓮もほんの僅かに口元を緩める。

「ありがとね」

 ちう、と野菜ジュースを吸いながら登校すると、その足で保健室へと向かった。

 蓮がガラリと戸を開けると、中から微かに消毒液の匂いがする。

「拓実」

 急に立ち止まったぼくを、蓮が振り返った。

「……大、丈夫」

 そう答えた声は、自分でも驚くほど弱々しい。
 蓮が眉根を寄せた。

「無理なら――」
「……ううん。ちゃんと診てもらう」

 これ以上みんなに心配をかけられない。中へ入り、扉を閉めた。
 扉の音に気付いたのか、奥からスイ先生が顔を出す。

 先生が着ている白衣に目が吸い寄せられて、無意識に体が緊張する。

「あれ。ふたりとも朝から来るなんて――」

 先生がぼくの顔を見て眉をひそめた。

「診てもらいに来た」

 言って蓮がぼくの背中を押し、丸椅子に座るよう促す。

「どうしたらそんな血色になるのさ」

 足早にやって来てスイ先生が向かいに座る。
 薬品のにおいが鼻を掠めて、反射的に身構えてしまった。

「拓実君……? まずは脈、測るね」
「は、はい……」

 すらりとした指が、ぼくの手首に触れる。

 ガシャン、ガシャンッ。
 耳の奥で金属の音が木霊して、咄嗟に手を引きそうになるのをどうにか堪えた。

 大丈夫、落ち着け自分……これはやつらじゃない、スイ先生の手だ――。

 脈を測る手に、少しだけ盛り上がった薄桃色のケロイド痕が見えた。
 ぼくの視線に気づいたスイ先生が、ふっと表情を和らげる。

「拓実君のおかげですっかり塞がったよ。包帯なしでも、もう大丈夫」

 そう言ってはにかんだ先生を見て、良かったと思う気持ちと、苦しいという気持ちが同時に押し寄せた。

「やっぱり君の“息吹”はすごいや……」

 スイ先生が、おもむろにぼくの顔を覗き込む。

「――それにしても、やけに脈が速いな。呼吸、苦しくない?」
「あ……そんなことは」

 ――嘘だ、大丈夫じゃない。怖い。
 迫りくる白衣から目が離せない。呼吸が僅かに荒くなった。

「深呼吸して。今、心音も確認するからね」

 先生が聴診器を取り出した。
 器具を拭くシートから濃いアルコールのにおいがする。

『さあ、今日も始めるわよ』

 お願い……やめて……。

「はぁ……はぁ……」
「おい、拓実」

 後ろから蓮の声がするが、振り返ることもできない。

『あいつはもうだめだな』
『イニトが目を掛けていたくらいだ。安定していると思っていたが』
『では、次の処理日に――』

 もう嫌だ……。

「はぁっ、はぁっ」
「拓実君!? どうしたの」

 白い袖が迫って来る。怖い、やめて。

「触らないで!」

 ぱしんっ。
 乾いた音が響いて、空気が止まった。

「……え?」
「おい、拓実――」

 見開かれた菫色の瞳を見て、一瞬我に返る。

「あ……」

 やってしまったと理解するより先に、視界が明滅して黒く塗り潰されていく。

『イニト、ごめんな。あいつを頼む――』
『うえぇええん! 兄さぁん……!』

 白衣が、血が、叫び声が――頭の中でぐちゃぐちゃに混ざる。

 もう耐えられない。
 みんなが壊れていく様をこの先も一生見続けないといけないのなら、いっそ――。

「……っ、ぁ……」

 呼吸がどんどん荒くなって、うまく息が吸えない。

「拓実ッ!」

 どこかから、ネクスの声がする。

「ネクス……ネクス……」

 ねぇ、どこにいるの。助けて。

「しっかりしろ!」

 後ろから腕を引かれて、それがネクスなのだと分かった。
 震える手で縋りつく。

「ネクス……ぼくが軽率だった」

 全部、ぼくのせいだ。

「やっぱり、あんなことしなきゃよかった」
「やめろ、言うな」

 ネクスの服を握り締めて揺さぶり、叫んだ。

「あんな思いをするくらいなら、名付けなんてするんじゃなかった……!」
「拓実!」

 大きな両頬を強く包まれて、金色の瞳が迫る。
 はっとした時には、もう何もかもが手遅れだった。

「……今、なんて言ったの」

 ゆらり、と空気が蠢く。

「……なんで」

 とても静かな声だった。

「昨日はあんなに……昔のように甘やかしてくれたのに」
「スイ、せんせ――」

 長い睫毛が震える。

「また拒絶するの……?」

 空気が急激に冷えていく。
 後ろにいた蓮が鋭い声を上げた。

「スイ――」
「黙って」

 ごく低い声で放たれた言葉は硬質だった。
 スイ先生の顔から表情が削げ落ちたのを見て、息を吞む。

「そんなに僕のことが嫌い?」
「ち、ちが……っ」

 スイ先生の背後から、紫色の煙が立ち昇る。

「――千年だ」

 塞がったばかりの傷を噛み締めながら、唸るように呟いた。
 菫色の中の瞳孔が開く。

「僕はこの地で待ち続けてた。君が置いていったあの日から、ずっと……!」

 ドオンッ!

 スイ先生の叫びに呼応するように、外で稲妻が落ちた。

「君のそばに居させてくれないのなら――もう、いい」

 だらりと両腕を下げた状態で呟くと、先生は屋外に出る掃き出し窓の方へ、のそりと向かう。
 雷鳴が轟き、保健室の電灯が激しく明滅した。

「スイ先生!」

 ブツン。
 突如、保健室の電灯が落ちる。

「……っ、待って!」

 窓の外で雷光が瞬いた。
 薄暗くなった室内で、スイ先生の輪郭だけがぼんやりと浮かび上がる。

「“待って”……? 僕は十分待ったよ。どれだけ長い間、君を渇望していたと思っているの」

 紫色の煙が噴出して、じわじわと保健室を侵食していく。

「スイ先生、だめ……!」

 一歩踏み出した瞬間、先生からビキッ、と嫌な音がした。
 背を仰け反らせ口から低い唸り声をあげる姿は、もう半分人間をやめていた。

「――グアァア……!」

 ゴキゴキと軋む音がして、異様に長く伸びた指から鋭い爪が生えてくる。
 煙が噴き出すたび、先生の体が大きく膨れ上がった。

 シャツが千切れて、その下から白銀の毛並みが見える。
 菫色の瞳が、暗闇の中でぎらりと光った。