あれからぼくはスイ先生の言いつけ通り、毎日保健室へ通うようになった。
ノックをして入室する。
「失礼します」
「いらっしゃい」
デスクに向かっていた先生が、椅子を回転させてこちらを向いた。
「どうぞ」
促されるまま椅子に座る。
前は行く度に緊張していたけど、無理に距離を詰めてくることはもうなく。
診察も手早く必要最低限で終わらせてくれるから、回数を重ねるうちに、そう身構えることもなくなった。
付き添いの蓮は、入ってすぐの壁へ寄りかかって待つのがお決まりの位置だ。
「水分補給はちゃんとしてる?」
「はい。言われてから、小まめに飲むよう意識してます」
先生が満足そうに頷く。
「暑くなってきたから、熱中症には十分気を付けてね」
いつものようにひと通りの診察が終わり、先生が聴診器を外した。
「――うん。お疲れ様、今日はこれで終わりだよ」
穏やかな声でそう言われて、ぼくは立ち上がる。
「ありがとうございました」
一礼した後、何気なくパソコンへ入力を始めた先生の横顔を見つめる。
――先生は考え事をする時、口元に左手を持っていくのが癖なのかな。
「……拓実君? どうしたの」
心配そうに首を傾げた先生を見て、はっと我に返った。
「あ、いや。少しぼーっとしちゃって」
「立ち眩み――ではなさそうだね。よかった……。無理は禁物だよ」
先生が眉尻を下げて苦笑した。
「す、すみません……。気を付けます」
余計な心配させちゃった。
そう反省しながら保健室を出たところで、蓮にも言われてしまった。
「……疲れが尾を引いてるんじゃないのか」
「そんなことないよ……大丈夫」
蓮は、たぶん一昨日のことを言いたいのだろう。
ソラくんや異形の子たちのことがあって以来、ぼくは自分の意志で霊たちを光る扉の向こうへ“還す”ようになった。
ぼくにしかできないことなら、消耗してでもやりたいと強く思うようになったから――。
けれど、「お前は際限なくやるから頻度を減らせ」と蓮に叱られて、週一回程度にすると約束した。
「蓮、これ以上睨まれたらぼく穴があいちゃうよ」
「縁起でもないこと言うな」
加減されたチョップを食らい、頭を押さえる。
「……ちぇ。心配しすぎだよ」
もし倒れでもしたら、蓮とスイ先生に大目玉を食らってしまう。
そう思って、最近は殊更体調に気を使っているつもりなのだけど……。
「とにかく。こうして先生に診てもらったんだし、水やり当番くらいならできるよ。行こう」
更にお小言が降ってくる前に、ため息を吐く蓮を引っ張り昇降口へ向かった。
『アッチ……イルヨ……』
『シクシク……シクシク……』
中庭の花壇で水やりをしている途中、ぼくは花たちの囁きに手を止めた。
「あっち? どこのことだろ」
今ではもうすっかり慣れた光景だけど、花たちはいつも小さな声で何かしらを囁きあっている。
特に水をあげると活き活きして、何かを伝えようとしてくれることが度々あった。
『オク……アジサイ……ミテル……』
「あぁ。あの奥まったところに植わってる紫陽花のことかな?」
言ったところで、後ろからぬっと影が差した。
「……お前」
恐る恐る振り返ると、軍手をはめて園芸用の土袋を両肩に担いだ蓮が立っている。
見下ろしてくる眼光の鋭さに、ぼくは慌てて取り繕った。
「し、しないよ! ただ聞いてただけ」
へぇ、と疑いの眼差しを寄越しながら蓮が通り過ぎる。
先輩のいる所まで土を運んでいく背中を見送り、一気に脱力した。
「びっくりした……」
――でも。今なら蓮も居ないし、正直チャンスなのでは?
「うん、扉は開けない。ちょこっと様子を見るだけ……」
場所が合っていれば、中庭からそれほど遠くない。
その紫陽花は、少し人目がつきにくい場所に植わっていた。
『ココ……』
紫陽花が囁く。どうやら合っていたみたいだ。
『う……ぐすっ……うぅ……』
「そんなに泣いて、どうしたの?」
紫陽花の影に、ランドセルを背負った女の子が蹲っていた。
花たちが言っていた“シクシク”はそういうことか、と合点がいく。
『探し物してたら、迷っちゃったの……』
「……探し物?」
隣にしゃがんで聞くと、女の子はこくりと頷いた。
その目から、ぼろぼろっと大粒の涙が零れ落ちる。
『キーホルダー……』
こちらへ向けてくれたランドセルを見ると、フックの所にキーホルダーの金具だけが付いていた。
「そうか、千切れちゃったんだね」
聞いてみれば、それがどんな物だったのか何も覚えていないらしい。
「すごくお気に入りだったの。でも、それしか分からなくて……ぐすっ……」
――どれだけの間、この子は彷徨い続けていたのだろう。
何も覚えていないとなれば、同じ物を探し出すのは難しいかもしれない。
「……もしよかったら、きみの好きな物について教えてくれないかな」
涙を拭ってあげながら優しく聞くと、もじもじしながらも色々と教えてくれた。
『えっとね、うさぎさんが好き……白い子。あとリボンも好きだよ。お姫様みたいなフリフリしたのも大好き』
「ぼくもうさぎさん、好きだな。そっかぁ、かわいらしい物が好きなんだね」
聞いた好みを脳内で反芻しながら、微笑んだ。
ぽっと頬が赤らんで、とても愛らしい。
ぼくは立ち上がると恭しく礼をして、女の子へ手を差し出してみせた。
「それではお姫様、あちらに綺麗なお花がたくさん咲いているので、見に行きませんか?」
『い、行く……!』
女の子の瞳が、途端にきらきらと輝いた。
小さな手が、ぼくの手をきゅっと握り返した。
紫陽花にお礼を言って、花壇まで戻る。
次に扉を開けるまで間があいちゃうから……。
それまでは色とりどりの花に囲まれて、この子の心が少しでも休まればいいなと、そう思った。
「もう少しだけ、待っていてね」
その日の帰り。
ぼくは寮へ直帰せずに、ファンシーショップへと足を運んだ。
「――ねぇ。これとこれ、どっちの方がいいと思う?」
ずい、とふたつのマスコットキーホルダーを蓮の前にぶら下げる。
どちらも白いふわふわのうさぎがティアラをして、光沢のあるドレスを着ているものだ。
違うのは、うさぎの瞳とドレスの色。
あと細かな装飾も若干違う。
「お姫様といえば、やっぱり王道のピンク色が良いかなと思ったんだけど……」
聞いてみたものの、正直「どれも同じだろ」とか言って一蹴されると思っていた。
けれど、蓮は予想に反してそのふたつを受け取り、真剣に見比べている。
「……こっち。綺麗な目をしてる」
蓮が選んだのは、水色の瞳の方だった。
シルバーのラメが散りばめられていて、つぶらな瞳をしている。
「やっぱりこれ、すごく良いよね? 淡いピンクのドレスにも合うし……」
蓮の意見を聞きながら改めてふたつを見比べていると、なんとなく見られている気がして店内を見やった。
何人かいた女性客がサッと顔を逸らす。
――たぶん気のせいじゃないな、これは。
確かに、男子高生ふたりが熱心にキュートなマスコットキーホルダーを選んでいる様は悪目立ちするかもしれない。
蓮はまったく気にしていない様子なのが、かえって申し訳なくなってきた。
頬に熱が集まるのを感じつつ、結局水色の瞳の子に決めた。
これ以上目立つ前にお会計を済ませようと移動して、ある物へ目が吸い寄せられた。
「わ……これ。すごくかわいい」
それは、濃いグレーの毛並みをした狼のマスコットキーホルダーだった。
緑色の瞳をしていて、首元には紫のリボンタイをしている。
最後のひとつらしく、思わず手に取って見つめた。
「ちょっと恥ずかしいんだけど、こういう狼モチーフとかモフモフしたものに目がないんだ」
ふふ、と指先で毛並みを撫でる。
「……なら、連れて帰ったらいい」
「え? ……そ、そうかな」
少しの間、マスコットと見つめ合った。
もし次に来て売り切れだったら、すごく後悔するかもしれない。
そう思ったら迷いは消えて、最終的にお迎えすることを決めた。
「恋人へのプレゼントですか?」
レジでうさぎのラッピングをお願いすると、興味津々な様子で訊ねられた。
折角散らした熱が、また頬へ集まりかけて慌てる。
「えっと……小さなお姫様に」
手で背丈のジェスチャーをすると、「まぁ……妹さんかしら」と微笑まれたので、とりあえず微笑み返しておいた。
「蓮、一緒に見てくれてありがとう」
「……ん」
買い物袋を大事に抱えて寮へ帰る。
部屋に戻ってすぐに狼の子を取り出し、どこへ置こうかと見渡した。
通学鞄に付けることも考えたけど、汚れたらショックなので勉強机の一角にちょこんと置いた。
「お、何それ犬?」
筋トレをしていた山田くんがのぞき込む。
「違うよ、狼」
「ははっ、狼にしちゃ随分かわいい顔してるな」
「そこがいいんだよ」
ね、と狼の頭を優しく指先で撫でた。
ノックをして入室する。
「失礼します」
「いらっしゃい」
デスクに向かっていた先生が、椅子を回転させてこちらを向いた。
「どうぞ」
促されるまま椅子に座る。
前は行く度に緊張していたけど、無理に距離を詰めてくることはもうなく。
診察も手早く必要最低限で終わらせてくれるから、回数を重ねるうちに、そう身構えることもなくなった。
付き添いの蓮は、入ってすぐの壁へ寄りかかって待つのがお決まりの位置だ。
「水分補給はちゃんとしてる?」
「はい。言われてから、小まめに飲むよう意識してます」
先生が満足そうに頷く。
「暑くなってきたから、熱中症には十分気を付けてね」
いつものようにひと通りの診察が終わり、先生が聴診器を外した。
「――うん。お疲れ様、今日はこれで終わりだよ」
穏やかな声でそう言われて、ぼくは立ち上がる。
「ありがとうございました」
一礼した後、何気なくパソコンへ入力を始めた先生の横顔を見つめる。
――先生は考え事をする時、口元に左手を持っていくのが癖なのかな。
「……拓実君? どうしたの」
心配そうに首を傾げた先生を見て、はっと我に返った。
「あ、いや。少しぼーっとしちゃって」
「立ち眩み――ではなさそうだね。よかった……。無理は禁物だよ」
先生が眉尻を下げて苦笑した。
「す、すみません……。気を付けます」
余計な心配させちゃった。
そう反省しながら保健室を出たところで、蓮にも言われてしまった。
「……疲れが尾を引いてるんじゃないのか」
「そんなことないよ……大丈夫」
蓮は、たぶん一昨日のことを言いたいのだろう。
ソラくんや異形の子たちのことがあって以来、ぼくは自分の意志で霊たちを光る扉の向こうへ“還す”ようになった。
ぼくにしかできないことなら、消耗してでもやりたいと強く思うようになったから――。
けれど、「お前は際限なくやるから頻度を減らせ」と蓮に叱られて、週一回程度にすると約束した。
「蓮、これ以上睨まれたらぼく穴があいちゃうよ」
「縁起でもないこと言うな」
加減されたチョップを食らい、頭を押さえる。
「……ちぇ。心配しすぎだよ」
もし倒れでもしたら、蓮とスイ先生に大目玉を食らってしまう。
そう思って、最近は殊更体調に気を使っているつもりなのだけど……。
「とにかく。こうして先生に診てもらったんだし、水やり当番くらいならできるよ。行こう」
更にお小言が降ってくる前に、ため息を吐く蓮を引っ張り昇降口へ向かった。
『アッチ……イルヨ……』
『シクシク……シクシク……』
中庭の花壇で水やりをしている途中、ぼくは花たちの囁きに手を止めた。
「あっち? どこのことだろ」
今ではもうすっかり慣れた光景だけど、花たちはいつも小さな声で何かしらを囁きあっている。
特に水をあげると活き活きして、何かを伝えようとしてくれることが度々あった。
『オク……アジサイ……ミテル……』
「あぁ。あの奥まったところに植わってる紫陽花のことかな?」
言ったところで、後ろからぬっと影が差した。
「……お前」
恐る恐る振り返ると、軍手をはめて園芸用の土袋を両肩に担いだ蓮が立っている。
見下ろしてくる眼光の鋭さに、ぼくは慌てて取り繕った。
「し、しないよ! ただ聞いてただけ」
へぇ、と疑いの眼差しを寄越しながら蓮が通り過ぎる。
先輩のいる所まで土を運んでいく背中を見送り、一気に脱力した。
「びっくりした……」
――でも。今なら蓮も居ないし、正直チャンスなのでは?
「うん、扉は開けない。ちょこっと様子を見るだけ……」
場所が合っていれば、中庭からそれほど遠くない。
その紫陽花は、少し人目がつきにくい場所に植わっていた。
『ココ……』
紫陽花が囁く。どうやら合っていたみたいだ。
『う……ぐすっ……うぅ……』
「そんなに泣いて、どうしたの?」
紫陽花の影に、ランドセルを背負った女の子が蹲っていた。
花たちが言っていた“シクシク”はそういうことか、と合点がいく。
『探し物してたら、迷っちゃったの……』
「……探し物?」
隣にしゃがんで聞くと、女の子はこくりと頷いた。
その目から、ぼろぼろっと大粒の涙が零れ落ちる。
『キーホルダー……』
こちらへ向けてくれたランドセルを見ると、フックの所にキーホルダーの金具だけが付いていた。
「そうか、千切れちゃったんだね」
聞いてみれば、それがどんな物だったのか何も覚えていないらしい。
「すごくお気に入りだったの。でも、それしか分からなくて……ぐすっ……」
――どれだけの間、この子は彷徨い続けていたのだろう。
何も覚えていないとなれば、同じ物を探し出すのは難しいかもしれない。
「……もしよかったら、きみの好きな物について教えてくれないかな」
涙を拭ってあげながら優しく聞くと、もじもじしながらも色々と教えてくれた。
『えっとね、うさぎさんが好き……白い子。あとリボンも好きだよ。お姫様みたいなフリフリしたのも大好き』
「ぼくもうさぎさん、好きだな。そっかぁ、かわいらしい物が好きなんだね」
聞いた好みを脳内で反芻しながら、微笑んだ。
ぽっと頬が赤らんで、とても愛らしい。
ぼくは立ち上がると恭しく礼をして、女の子へ手を差し出してみせた。
「それではお姫様、あちらに綺麗なお花がたくさん咲いているので、見に行きませんか?」
『い、行く……!』
女の子の瞳が、途端にきらきらと輝いた。
小さな手が、ぼくの手をきゅっと握り返した。
紫陽花にお礼を言って、花壇まで戻る。
次に扉を開けるまで間があいちゃうから……。
それまでは色とりどりの花に囲まれて、この子の心が少しでも休まればいいなと、そう思った。
「もう少しだけ、待っていてね」
その日の帰り。
ぼくは寮へ直帰せずに、ファンシーショップへと足を運んだ。
「――ねぇ。これとこれ、どっちの方がいいと思う?」
ずい、とふたつのマスコットキーホルダーを蓮の前にぶら下げる。
どちらも白いふわふわのうさぎがティアラをして、光沢のあるドレスを着ているものだ。
違うのは、うさぎの瞳とドレスの色。
あと細かな装飾も若干違う。
「お姫様といえば、やっぱり王道のピンク色が良いかなと思ったんだけど……」
聞いてみたものの、正直「どれも同じだろ」とか言って一蹴されると思っていた。
けれど、蓮は予想に反してそのふたつを受け取り、真剣に見比べている。
「……こっち。綺麗な目をしてる」
蓮が選んだのは、水色の瞳の方だった。
シルバーのラメが散りばめられていて、つぶらな瞳をしている。
「やっぱりこれ、すごく良いよね? 淡いピンクのドレスにも合うし……」
蓮の意見を聞きながら改めてふたつを見比べていると、なんとなく見られている気がして店内を見やった。
何人かいた女性客がサッと顔を逸らす。
――たぶん気のせいじゃないな、これは。
確かに、男子高生ふたりが熱心にキュートなマスコットキーホルダーを選んでいる様は悪目立ちするかもしれない。
蓮はまったく気にしていない様子なのが、かえって申し訳なくなってきた。
頬に熱が集まるのを感じつつ、結局水色の瞳の子に決めた。
これ以上目立つ前にお会計を済ませようと移動して、ある物へ目が吸い寄せられた。
「わ……これ。すごくかわいい」
それは、濃いグレーの毛並みをした狼のマスコットキーホルダーだった。
緑色の瞳をしていて、首元には紫のリボンタイをしている。
最後のひとつらしく、思わず手に取って見つめた。
「ちょっと恥ずかしいんだけど、こういう狼モチーフとかモフモフしたものに目がないんだ」
ふふ、と指先で毛並みを撫でる。
「……なら、連れて帰ったらいい」
「え? ……そ、そうかな」
少しの間、マスコットと見つめ合った。
もし次に来て売り切れだったら、すごく後悔するかもしれない。
そう思ったら迷いは消えて、最終的にお迎えすることを決めた。
「恋人へのプレゼントですか?」
レジでうさぎのラッピングをお願いすると、興味津々な様子で訊ねられた。
折角散らした熱が、また頬へ集まりかけて慌てる。
「えっと……小さなお姫様に」
手で背丈のジェスチャーをすると、「まぁ……妹さんかしら」と微笑まれたので、とりあえず微笑み返しておいた。
「蓮、一緒に見てくれてありがとう」
「……ん」
買い物袋を大事に抱えて寮へ帰る。
部屋に戻ってすぐに狼の子を取り出し、どこへ置こうかと見渡した。
通学鞄に付けることも考えたけど、汚れたらショックなので勉強机の一角にちょこんと置いた。
「お、何それ犬?」
筋トレをしていた山田くんがのぞき込む。
「違うよ、狼」
「ははっ、狼にしちゃ随分かわいい顔してるな」
「そこがいいんだよ」
ね、と狼の頭を優しく指先で撫でた。

