次の授業がある別棟へと向かう途中、壁の中からハヤトが勢いよく飛び出してきた。
『お前、もう大丈夫なのかよ!?』
「うわっ」
がしりとつよく肩を掴まれ、危うく倒れそうになる。
けれど、背後にいた蓮が受け止めてくれたおかげで事なきを得た。
「びっ……くりしたぁ」
「危ないだろうが」
蓮にぎろりと睨まれて、ハヤトはしまったという顔で頭を掻く。
『わ、わりぃ。だって、ずっと心配してたんだよ』
ハヤトが再び二組の教室へ戻った時には、もうぼくが気絶した後だったらしい。
「こちらこそ昨日はごめんね、ありがとう。今日お礼を言いに行こうと思っていたんだ」
女子たちが無事登校してきたことと、昨日の事の顛末について報告する。
ハヤトは目を丸くしていた。
『まじかよ。あいつら、拓実を求めて集まってきてたのか』
「色々と迷惑かけちゃって、本当にごめん……」
『あんまり気にすんなよ。ぼちぼち他のやつらも戻って来るだろうしさ』
バシッと背中を叩かれて苦笑する。
『でも妙だよな。儀式の失敗した音に反応して来たわけじゃなさそうだし』
「うーん、そこはぼくにもよく分らないんだよね」
ふうん、とハヤトは頭の後ろで手を組む。
『ま、俺はまた外で走れるならなんでもいいんだけどよ』
ハヤトも、この世に強い未練があるから留まっているのだろうか。
顔に出ていたのか、『おいおい勝手に還してくれるなよ』と苦笑されてしまった。
余計なお世話だったな、と頬が熱くなる。
『俺はさ、まだまだ走り足りないんだよ。それに、お前らみたいな面白いやつも来たところだし』
ハヤトがニッと笑った。
『どのみち拓実が居りゃいつでも上がれるってことだし、気楽なもんよ』
そう言ったハヤトに、蓮がチョップを振り下ろした。
「拓実任せにするな」
『いってぇ! んだよ、いいだろ。ケチ』
ふたりのやりとりに思わず笑ってしまう。
くすくすと笑うぼくを見て、ハヤトがしみじみと言った。
『でも、そっか……。お前ら、もっとずっと昔からの繋がりがあったんだなぁ』
「……そうみたい。でもぼく、まだ全部思い出せてはいなくて……」
ハヤトは、きょとんとした顔で言った。
『それが普通だろ? 前世知ってるやつのほうが珍しいっつの』
「そ、そっか……。そうだよね……」
なんてことないように言われて面食らう。
けれどその態度に、なんだかすごく救われた気持ちになった。
「……ありがとう」
焦らなくても、少しずつ思い出していけたらいいのかな――。
そう思ったところだったのに。
「拓実君!」
別棟から戻ると、教室の戸口で白銀先生が待ち構えていた。
「教室の中に居ないから、どこかで倒れてないか心配したよ」
「し、白銀先生……」
反射的に後退るが、すぐに距離を詰められてしまう。
「やだな、下の名前で呼んでって言ったでしょう?」
「あの、しろ――スイ先生……」
先生がぼくの手を掴もうとしたところで、その間に蓮が割って入った。
「……何?」
菫色の瞳がすっと細められた。
なんだなんだと、教室の中から野次馬が顔を出す。
「しつこいぞ」
「君、何か勘違いしてない? 僕は養護教諭として拓実君の健康管理をする義務があるんだよ」
「ハッ……それらしいことを」
火花を散らすふたりを前にあたふたしていると、廊下の向こうから担任がやって来た。
「おや白銀先生、お疲れ様です。蒼井のこと診に来てくれたんですか?」
「……ええ。次は体育の授業ですよね。その間、保健室で休ませたほうがよいと判断しまして」
担任は納得したように頷いた。
「そうでしたか、助かります。それじゃ蒼井――」
「俺が面倒見るからいい」
退かない蓮に、担任が呆れたような顔をして言った。
「お前は授業を受けないといけないだろうが。それに、この日差しのなか蒼井を外に座らせておくつもりか?」
「……」
黙りこくった蓮の袖を掴み、小声で「ぼくなら大丈夫だから」と言って微笑んだ。
「蓮もそろそろ着替えに行かないと」
「……終わったらすぐ迎えに行く」
渋々といった表情でそう言い残すと、蓮は教室の中へ入っていった。
「仲が良いのは先生も嬉しいが。黒切は、ちと過保護すぎるのが玉に瑕だな」
見間違いかもしれないけど。
苦笑する担任の言葉に、スイ先生の肩がぴくりと揺れたような気がした。
「では、そろそろ連れていきますね。拓実君、行こうか」
「ゆっくり休んでこいよ」
「……はい」
スイ先生に手を引かれ、久しぶりに保健室へと向かう。
予想に反して、先生は道中ずっと無言だった。
ガララ。
保健室の扉が閉まり、外の気配がすっと遠のいていく。
「……もっと嫌がられるかと思ってた」
先生はどこか自嘲的な笑みを浮かべて、引いていたぼくの手を離す。
「これから暫くの間、毎日保健室へ来てね」
棚からタオルを取り出しながら先生が言った。
「え、どうしてですか」
「どうしてって、君の体調を診るためだよ」
丸椅子へ座るように促され、緊張の面持ちで腰を下ろす。
「あの、そこまでしてもらわなくても、もう――」
「来るのが大変なら、ぼくが寮まで行くね。朝晩どちらでも構わないよ」
その声音は、有無を言わさない響きを持っていた。
「は、い……。保健室に、来ればいいんですよね」
先生が向かいに腰を下ろして、小さく息を吐く。
「君の“大丈夫”は、信用ならないから」
そう言ってぼくの手首へそっと触れると、腕時計を見やった。
束の間の沈黙に、小さく身じろぎする。
脈を測っていた先生が、くすりと笑った。
「――脈、少し早いね。緊張してる?」
菫色の瞳が一瞬こちらを見る。
けれど、すぐにまた長い睫毛で伏せられてしまった。
「取って食べるなんてことはしないから、安心していいよ」
「……そんなこと。思って、ません」
先生は何も言わずに微笑んだまま、今度は聴診器を装着する。
「息を吸って……、吐いて……。もう一度――うん、いいね」
視線が、何かを確認するように動いた。
おもむろに伸ばされた手が、ぼくの頬に触れる。
「……寝不足かな。薄っすら青クマができてるよ」
労わるようにそっと親指で撫でられて、目が泳いだ。
「大丈夫です……」
「ほら、すぐそう言うんだから。――それ、昔からの悪い癖だよ」
昔から、って……。
そういう風に言われても、今のぼくの中には先生らしき存在との記憶は――まだ、ない。
ズボンをぎゅうと握り締めた。
「さ、もう寝て」
立ち上がった先生が、ベッドへ続くカーテンを開けた。
冷凍庫から取り出した氷枕に、タオルを巻いて置いてくれる。
「僕はここで書き物をしているから。何かあったら声かけてね」
そう言ってぼくを寝かせると、デスクへ戻っていった。
昨日みたいに来られたらどうしようと身構えていたけど。
本当に心配してくれているのだと分かって、複雑な気持ちになる。
むやみに警戒してしまったことを、なんだか申し訳なく感じた。
昨夜は考え事をして眠れなかったから、確かにまだ体が重たい。
用意してくれた氷枕がひんやりとして、心地良かった。
体の力を抜いて目を瞑る。
そう時間はかからず、そのままへ眠りに落ちていった。
『――悪いな。こいつもやっとお前に巡り会えて必死なんだよ。大目に見てやってくれ』
誰かが何かを言っている気配がする。
けれど意識は浮上しきれず、どうにも聞き取ることができない。
『けど、こうなったのも全部俺のせいだよな……』
意識がまた沈んでいく――。
『……なぁ。あのことがなければ、お前はずっと俺たちのそばにいてくれたのか?』
カーテンを引く音がして、ぼくは薄らと目を開けた。
少しして、大きな手が額へ伸びてくる。
「……蓮。体育、もう終わったの?」
「あぁ。……少し眠れたか」
小さく頷いて、ゆっくりと上体を起こす。頭痛がいくらか治まっていた。
「……教室、戻るぞ」
「うん」
靴を履いて、蓮の後をついていく。
やけに静かだなと室内を見渡して、デスクに伏せる白衣が目に入った。
「先生……?」
呼んでみても返事はない。
近づいてみると、規則正しい寝息が聞こえてきた。
こんな所で無防備に眠ってしまうことなんてあるんだ、と意外に思う。
ひと言かけてから行ったほうがいいだろうかと迷って、そっと顔をのぞきこんだ。
「……あ」
声を出しかけてしまい、咄嗟に手で口を押さえる。
白い頬に、涙が伝っていた。
蓮の方を振り向いて、視線で伝える。
何事かと先生の顔を見た蓮が、なんともいえない表情をして眉根を寄せた。
どうして泣いているんだろう……。
胸の奥が、きゅっと苦しくなる。
「……行くぞ」
「う、うん……」
ぼくはもう一度だけ先生の方を振り返ってから、蓮の後に続く。
そろりと保健室を出て、扉はなるべく音を立てないようにゆっくりと閉めた。
――ぼくが、原因なのかな。
いや、でも全然違ったら恥ずかしすぎるし……。
消灯十分前。
ベッドで寝返りをうちながら、ぼくは心の中で大きな溜息を吐いた。
スイ先生の涙が、なかなか頭から離れてくれない。
どうにか気を紛らわす方法がないかとあれこれ考えて、ひとつ思い出した。
そういえば……。
スマホを取りだし、イヤホンを装着する。
動画アプリで、“宵ノ宮”と打ち込み、検索ボタンを押した。
検索結果には、今朝女子たちに見せてもらったのと同じようなサムネイルが並んでいる。
ちら、と二段ベッドの天井を見やった。
部活動で毎日お疲れの山田くんは、既に夢の中だ。
消灯時刻の見回りで先生が来る前に、ほんの少しだけ――。
扉の方を気にしながらも、思い切って一番上の動画をタップした。
二人組の男性が映し出される。
ぼくは初めて知ったけど、様々なオカルト話を扱う有名チャンネルのようだった。
“土地にまつわる伝承・都市伝説”という切り口で、宵ノ宮がフィーチャーされている。
『今回は、様々な都市伝説が生まれるオカルト界隈の聖地、宵ノ宮市について語っていきたいと思いまっす』
『――そうなんだよ。なんとか宮ってつく地名は、大体神社のある場所なことが多いんだけど』
『大昔はあの一帯が神聖な土地だったんじゃないかって説が濃厚だよね』
神聖な土地、か……。
結局先生が見回りに来てしまい、ほとんど視聴できなかった。
けれど、なんだか気になる情報だったな。
ぼくはそういうことをまったく知らずに宵高を選んだけど、それすらも何かの影響を受けていたのだろうか――。
そんなことを考えながら枕に顔を埋め、目を閉じた。
『お前、もう大丈夫なのかよ!?』
「うわっ」
がしりとつよく肩を掴まれ、危うく倒れそうになる。
けれど、背後にいた蓮が受け止めてくれたおかげで事なきを得た。
「びっ……くりしたぁ」
「危ないだろうが」
蓮にぎろりと睨まれて、ハヤトはしまったという顔で頭を掻く。
『わ、わりぃ。だって、ずっと心配してたんだよ』
ハヤトが再び二組の教室へ戻った時には、もうぼくが気絶した後だったらしい。
「こちらこそ昨日はごめんね、ありがとう。今日お礼を言いに行こうと思っていたんだ」
女子たちが無事登校してきたことと、昨日の事の顛末について報告する。
ハヤトは目を丸くしていた。
『まじかよ。あいつら、拓実を求めて集まってきてたのか』
「色々と迷惑かけちゃって、本当にごめん……」
『あんまり気にすんなよ。ぼちぼち他のやつらも戻って来るだろうしさ』
バシッと背中を叩かれて苦笑する。
『でも妙だよな。儀式の失敗した音に反応して来たわけじゃなさそうだし』
「うーん、そこはぼくにもよく分らないんだよね」
ふうん、とハヤトは頭の後ろで手を組む。
『ま、俺はまた外で走れるならなんでもいいんだけどよ』
ハヤトも、この世に強い未練があるから留まっているのだろうか。
顔に出ていたのか、『おいおい勝手に還してくれるなよ』と苦笑されてしまった。
余計なお世話だったな、と頬が熱くなる。
『俺はさ、まだまだ走り足りないんだよ。それに、お前らみたいな面白いやつも来たところだし』
ハヤトがニッと笑った。
『どのみち拓実が居りゃいつでも上がれるってことだし、気楽なもんよ』
そう言ったハヤトに、蓮がチョップを振り下ろした。
「拓実任せにするな」
『いってぇ! んだよ、いいだろ。ケチ』
ふたりのやりとりに思わず笑ってしまう。
くすくすと笑うぼくを見て、ハヤトがしみじみと言った。
『でも、そっか……。お前ら、もっとずっと昔からの繋がりがあったんだなぁ』
「……そうみたい。でもぼく、まだ全部思い出せてはいなくて……」
ハヤトは、きょとんとした顔で言った。
『それが普通だろ? 前世知ってるやつのほうが珍しいっつの』
「そ、そっか……。そうだよね……」
なんてことないように言われて面食らう。
けれどその態度に、なんだかすごく救われた気持ちになった。
「……ありがとう」
焦らなくても、少しずつ思い出していけたらいいのかな――。
そう思ったところだったのに。
「拓実君!」
別棟から戻ると、教室の戸口で白銀先生が待ち構えていた。
「教室の中に居ないから、どこかで倒れてないか心配したよ」
「し、白銀先生……」
反射的に後退るが、すぐに距離を詰められてしまう。
「やだな、下の名前で呼んでって言ったでしょう?」
「あの、しろ――スイ先生……」
先生がぼくの手を掴もうとしたところで、その間に蓮が割って入った。
「……何?」
菫色の瞳がすっと細められた。
なんだなんだと、教室の中から野次馬が顔を出す。
「しつこいぞ」
「君、何か勘違いしてない? 僕は養護教諭として拓実君の健康管理をする義務があるんだよ」
「ハッ……それらしいことを」
火花を散らすふたりを前にあたふたしていると、廊下の向こうから担任がやって来た。
「おや白銀先生、お疲れ様です。蒼井のこと診に来てくれたんですか?」
「……ええ。次は体育の授業ですよね。その間、保健室で休ませたほうがよいと判断しまして」
担任は納得したように頷いた。
「そうでしたか、助かります。それじゃ蒼井――」
「俺が面倒見るからいい」
退かない蓮に、担任が呆れたような顔をして言った。
「お前は授業を受けないといけないだろうが。それに、この日差しのなか蒼井を外に座らせておくつもりか?」
「……」
黙りこくった蓮の袖を掴み、小声で「ぼくなら大丈夫だから」と言って微笑んだ。
「蓮もそろそろ着替えに行かないと」
「……終わったらすぐ迎えに行く」
渋々といった表情でそう言い残すと、蓮は教室の中へ入っていった。
「仲が良いのは先生も嬉しいが。黒切は、ちと過保護すぎるのが玉に瑕だな」
見間違いかもしれないけど。
苦笑する担任の言葉に、スイ先生の肩がぴくりと揺れたような気がした。
「では、そろそろ連れていきますね。拓実君、行こうか」
「ゆっくり休んでこいよ」
「……はい」
スイ先生に手を引かれ、久しぶりに保健室へと向かう。
予想に反して、先生は道中ずっと無言だった。
ガララ。
保健室の扉が閉まり、外の気配がすっと遠のいていく。
「……もっと嫌がられるかと思ってた」
先生はどこか自嘲的な笑みを浮かべて、引いていたぼくの手を離す。
「これから暫くの間、毎日保健室へ来てね」
棚からタオルを取り出しながら先生が言った。
「え、どうしてですか」
「どうしてって、君の体調を診るためだよ」
丸椅子へ座るように促され、緊張の面持ちで腰を下ろす。
「あの、そこまでしてもらわなくても、もう――」
「来るのが大変なら、ぼくが寮まで行くね。朝晩どちらでも構わないよ」
その声音は、有無を言わさない響きを持っていた。
「は、い……。保健室に、来ればいいんですよね」
先生が向かいに腰を下ろして、小さく息を吐く。
「君の“大丈夫”は、信用ならないから」
そう言ってぼくの手首へそっと触れると、腕時計を見やった。
束の間の沈黙に、小さく身じろぎする。
脈を測っていた先生が、くすりと笑った。
「――脈、少し早いね。緊張してる?」
菫色の瞳が一瞬こちらを見る。
けれど、すぐにまた長い睫毛で伏せられてしまった。
「取って食べるなんてことはしないから、安心していいよ」
「……そんなこと。思って、ません」
先生は何も言わずに微笑んだまま、今度は聴診器を装着する。
「息を吸って……、吐いて……。もう一度――うん、いいね」
視線が、何かを確認するように動いた。
おもむろに伸ばされた手が、ぼくの頬に触れる。
「……寝不足かな。薄っすら青クマができてるよ」
労わるようにそっと親指で撫でられて、目が泳いだ。
「大丈夫です……」
「ほら、すぐそう言うんだから。――それ、昔からの悪い癖だよ」
昔から、って……。
そういう風に言われても、今のぼくの中には先生らしき存在との記憶は――まだ、ない。
ズボンをぎゅうと握り締めた。
「さ、もう寝て」
立ち上がった先生が、ベッドへ続くカーテンを開けた。
冷凍庫から取り出した氷枕に、タオルを巻いて置いてくれる。
「僕はここで書き物をしているから。何かあったら声かけてね」
そう言ってぼくを寝かせると、デスクへ戻っていった。
昨日みたいに来られたらどうしようと身構えていたけど。
本当に心配してくれているのだと分かって、複雑な気持ちになる。
むやみに警戒してしまったことを、なんだか申し訳なく感じた。
昨夜は考え事をして眠れなかったから、確かにまだ体が重たい。
用意してくれた氷枕がひんやりとして、心地良かった。
体の力を抜いて目を瞑る。
そう時間はかからず、そのままへ眠りに落ちていった。
『――悪いな。こいつもやっとお前に巡り会えて必死なんだよ。大目に見てやってくれ』
誰かが何かを言っている気配がする。
けれど意識は浮上しきれず、どうにも聞き取ることができない。
『けど、こうなったのも全部俺のせいだよな……』
意識がまた沈んでいく――。
『……なぁ。あのことがなければ、お前はずっと俺たちのそばにいてくれたのか?』
カーテンを引く音がして、ぼくは薄らと目を開けた。
少しして、大きな手が額へ伸びてくる。
「……蓮。体育、もう終わったの?」
「あぁ。……少し眠れたか」
小さく頷いて、ゆっくりと上体を起こす。頭痛がいくらか治まっていた。
「……教室、戻るぞ」
「うん」
靴を履いて、蓮の後をついていく。
やけに静かだなと室内を見渡して、デスクに伏せる白衣が目に入った。
「先生……?」
呼んでみても返事はない。
近づいてみると、規則正しい寝息が聞こえてきた。
こんな所で無防備に眠ってしまうことなんてあるんだ、と意外に思う。
ひと言かけてから行ったほうがいいだろうかと迷って、そっと顔をのぞきこんだ。
「……あ」
声を出しかけてしまい、咄嗟に手で口を押さえる。
白い頬に、涙が伝っていた。
蓮の方を振り向いて、視線で伝える。
何事かと先生の顔を見た蓮が、なんともいえない表情をして眉根を寄せた。
どうして泣いているんだろう……。
胸の奥が、きゅっと苦しくなる。
「……行くぞ」
「う、うん……」
ぼくはもう一度だけ先生の方を振り返ってから、蓮の後に続く。
そろりと保健室を出て、扉はなるべく音を立てないようにゆっくりと閉めた。
――ぼくが、原因なのかな。
いや、でも全然違ったら恥ずかしすぎるし……。
消灯十分前。
ベッドで寝返りをうちながら、ぼくは心の中で大きな溜息を吐いた。
スイ先生の涙が、なかなか頭から離れてくれない。
どうにか気を紛らわす方法がないかとあれこれ考えて、ひとつ思い出した。
そういえば……。
スマホを取りだし、イヤホンを装着する。
動画アプリで、“宵ノ宮”と打ち込み、検索ボタンを押した。
検索結果には、今朝女子たちに見せてもらったのと同じようなサムネイルが並んでいる。
ちら、と二段ベッドの天井を見やった。
部活動で毎日お疲れの山田くんは、既に夢の中だ。
消灯時刻の見回りで先生が来る前に、ほんの少しだけ――。
扉の方を気にしながらも、思い切って一番上の動画をタップした。
二人組の男性が映し出される。
ぼくは初めて知ったけど、様々なオカルト話を扱う有名チャンネルのようだった。
“土地にまつわる伝承・都市伝説”という切り口で、宵ノ宮がフィーチャーされている。
『今回は、様々な都市伝説が生まれるオカルト界隈の聖地、宵ノ宮市について語っていきたいと思いまっす』
『――そうなんだよ。なんとか宮ってつく地名は、大体神社のある場所なことが多いんだけど』
『大昔はあの一帯が神聖な土地だったんじゃないかって説が濃厚だよね』
神聖な土地、か……。
結局先生が見回りに来てしまい、ほとんど視聴できなかった。
けれど、なんだか気になる情報だったな。
ぼくはそういうことをまったく知らずに宵高を選んだけど、それすらも何かの影響を受けていたのだろうか――。
そんなことを考えながら枕に顔を埋め、目を閉じた。

